あなたを背負い続ける神 December 21, 2024

「あなたを背負い続ける神」December 21, 2024

世界中に、数えきれない神々がいる。
日本だけでも八百万(やおよろず)の神々がいると言われる。
それらは人間が造ったり、祭り上げた神々だ。

それに対して、
The Bibleの神は、
人間と万物を造られた唯一無二の神。

人間が造った神と人間を造られた神。
最もわかりやすい両者の比較は、
旧約聖書イザヤ書46章にある。
一言で言うなら、
背負われる神か、背負う神かの違いである。

人間が造った神々、
例えば仏像や仏壇などは背負われる神。
獣や家畜に載せられ、疲れた動物の重荷となって運ばれる。
あるいは人に背負われ、車やトラックなどで運ばれる。

それに対して、人間を造られた神は背負う神。
人間と万物を造られた唯一無二の神は、
以下のように語られる。

ヤコブの家よ、わたしに聞け。
イスラエルの家のすべての残りの者よ。
胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。
あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。
わたしはそうしてきたのだ。
わたしは運ぶ。背負って救い出す。
(旧約聖書 イザヤ書46章3−4節)

両者には天と地の違いがある。

意義と安全 December 18, 2024

「意義と安全」December 18, 2024

人間の行動心理において、
人を行動に駆り立てる動機や原動力において、
意義と安全という2つのキーワードがある。

意義とは、
あなたがそこにいる意味、
そこにいるあなたの存在価値。

安全とは、
あなたがそこにいていいという安全、
あなたが安心していれる居場所。

造り主である神から離れた時、
人間は意義と安全を失ってしまった。

だから努力や頑張り、良い行いによって、
必死で他者から意義と安全を得ようとする。
常に人の目と人の評価を気にし、
人前で自分のために、
一所懸命パフォーマンスをして疲れ果てる。

あなたの造り主であるJESUSは、
そんなあなたに、
The Bibleによって、完全な意義と安全を与えてくださる。

自分の栄光のためにパフォーマンスをする者を、
神の栄光のためにパフォーマンスをする者に、
新しく造り変えてくださる。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。
(旧約聖書 イザヤ書43章4節)

空の鳥を見なさい。
種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。
それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。
あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。
(新約聖書 マタイの福音書6章26節)

二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。
そんな雀の一羽でさえ、
あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。
あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。
ですから恐れてはいけません。
あなたがたは多くの雀よりも価値があるのです。
(新約聖書 マタイの福音書10章29ー31節)

だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。
神が義と認めてくださるのです。
だれが、私たちを罪ありとするのですか。
死んでくださった方、
いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、
神の右の座に着き、しかも私たちのために、
とりなしていてくださるのです。
(新約聖書 ローマ人への手紙8章33−34節)

あなたがたは世の光です。
山の上にある町は隠れることができません。
また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。
燭台の上に置きます。
そうすれば、家にいるすべての人を照らします。
このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。
人々があなたがたの良い行いを見て、
天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。
(新約聖書 マタイの福音書5章14−16節)

休むことは罪ではない December 17, 2024

「休むことは罪ではない」December 17, 2024

真面目すぎる人は、休むことができない。
なぜなら、休むことは罪だと考えているから。

けれども、休まなければ、良い働きはできない。
疲れやストレスを抱えたままでは、良い働きはできない。
ミスやトラブル、事故や怪我を予防するためにも、
しっかりと休むことが大切だ。

休みなく働き続けると、
身体と心が壊れてしまうのは時間の問題だ。
心が壊れて、うつ病、燃え尽き症候群、
パニック症、適応障害などになると、
長期リハビリが必要になる。

だからJESUSは、あなたに声をかけておられる。

すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心が柔和でへりくだっているから、
あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。
そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
(新約聖書マタイの福音書11章28ー30節)

JESUSのもとに行くと、十分な休みを取ることができる。

実は十戒の安息日に関する教えにおいて、
休むことは罪ではないということが明記されている。

安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。
六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。
七日目は、あなたの神、主の安息である。
あなたはいかなる仕事もしてはならない。
あなたも、あなたの息子や娘も、
それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、
またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。
それは主が六日間で、天と地と海、
またそれらの中のすべてのものを造り、
七日目に休んだからである。
それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。
(旧約聖書出エジプト記20章8ー11節)

詩篇23篇 December 16, 2024

「詩篇23篇」December 16, 2024

詩篇23篇は最も愛されている詩篇。
羊飼いであったダビデが書いた讃美歌だ。

わたしは良い牧者です。
良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。
(ヨハネの福音書10章11節)

と語られるJESUSを、
あなたの羊飼いとして歩むなら、
あなたは最も愛されている人になる。

1 主は私の羊飼い。
 私は乏しいことがありません。
2 主は私を緑の牧場に伏させ
 いこいのみぎわに伴われます。
3 主は私のたましいを生き返らせ
 御名のゆえに 私を義の道に導かれます。
4 たとえ 死の陰の谷を歩むとしても
 私はわざわいを恐れません。
 あなたが ともにおられますから。
 あなたのむちとあなたの杖それが私の慰めです。
5 私の敵をよそに あなたは私の前に食卓を整え
 頭に香油を注いでくださいます。
 私の杯は あふれています。
6 まことに 私のいのちの日の限り
 いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。
 私はいつまでも 主の家に住まいます。
(旧約聖書 詩篇23篇)

クリスマスの心 December 14, 2024

「クリスマスの心」December 14, 2024

昨日に続いて、
ヨハネが語るクリスマスを紹介したい。
それはヨハネの福音書3章16節。
66巻の聖書全体を1節に要約すると、
ヨハネの福音書3章16節、JOHN3:16になる。

神は、実に、
そのひとり子(JESUS)をお与えになったほどに
世(あなた)を愛された。
それは御子(JESUS)を信じる者が、
一人として滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。
(新約聖書ヨハネの福音書3章16節)

天の父なる神は、実に、
その愛するひとり息子JESUSをお与えになったほどに
神に敵対するあなたを愛された。
それは御子(JESUS)を信じるあなたが、
永遠の苦しみではなく、
永遠のいのちを持つためである。

天の父なる神にとって、
JESUSは愛する箱入り息子でした。
ひとりしかいない愛する息子を、
神に敵対するこの世に派遣するなら、
無惨に殺される。
そのことを父なる神はよく知っていました。
けれども、
それでもあなたを永遠の滅びから救うために、
最も大切なひとり子をお与えになったのです。
それがクリスマスの心です。

ヨハネのクリスマス December 13, 2024

「ヨハネのクリスマス」December 13, 2024

執筆に最も時間をかけることが許され、
時間と空間を超えて、神のことばが響く宇宙的な福音書。
真理の御霊によって、過去と現在の地平が融合する福音書。
それが、ヨハネの福音書。
ヨハネが語るクリスマスは、
以下に記す1章1ー18節に記されている。

初めにことばがあった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。
造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。
この方にはいのちがあった。
このいのちは人の光であった。
光は闇の中に輝いている。
闇はこれに打ち勝たなかった。

神から遣わされた一人の人が現れた。
その名はヨハネであった。
この人は証しのために来た。
光について証しするためであり、
彼によってすべての人が信じるためであった。
彼は光ではなかった。
ただ光について証しするために来たのである。

すべての人を照らすそのまことの光が、
世に来ようとしていた。

この方はもとから世におられ、
世はこの方によって造られたのに、
世はこの方を知らなかった。
この方はご自分のところに来られたのに、
ご自分の民はこの方を受け入れなかった。
しかし、この方を受け入れた人々、
すなわち、その名を信じた人々には、
神の子どもとなる特権をお与えになった。

この人々は、血によってではなく、
肉の望むところでも人の意志によってでもなく、
ただ、神によって生まれたのである。

ことばは人となって、
私たちの間に住まわれた。
私たちはこの方の栄光を見た。
父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。
この方は恵みとまことに満ちておられた。

ヨハネはこの方について証しして、こう叫んだ。
「『私の後に来られる方は、私にまさる方です。
  私より先におられたからです』
  と私が言ったのは、この方のことです。」

私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、
恵みの上にさらに恵みを受けた。
律法はモーセによって与えられ、
恵みとまことはイエス・キリスト(JESUS)によって実現したからである。
いまだかつて神を見た者はいない。
父のふところにおられるひとり子の神が、
神を説き明かされたのである。

流れのほとりに植えられた木 December 11, 2024

「流れのほとりに植えられた木」December 11, 2024

The Bibleが教える幸いな人とは、
悪しき者のはかりごとに歩まず、
罪人の道に立たず、
嘲る者の座に着かない人。

主のおしえ(The Bible)を喜びとし、
昼も夜も そのおしえを口ずさむ人。
その人は 流れのほとりに植えられた木。
時が来ると実を結び
その葉は枯れず
そのなすことはすべて栄える。

悪しき者は そうではない。
まさしく 風が吹き飛ばす籾殻だ
それゆえ 悪しき者はさばきに
罪人は正しい者の集いに 立ち得ない。
まことに 正しい者の道は主が知っておられ
悪しき者の道は滅び去る。
(旧約聖書詩篇1篇)