ギター弾き語り賛美

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なぜヨナは主の御顔を避けて逃げたのか? January 20, 2025

「なぜヨナは主の御顔を避けて逃げたのか?」January 20, 2025

ヨナは、批判されることが多い預言者だ。
なぜなら彼は、初め主の御顔を避けて、
ニネベとは反対のタルシシュに逃げたのだから。

なぜヨナは、主の御顔を避けて逃げたのか?
ヨナ書4章には、ヨナ自身の言葉で、
その理由が明らかにされている。
ヨナが魚の腹から救われ、
再び神から命じられ、
ニネベに行って叫ぶと、多くの人々が悔い改めた。
それをご覧になった神が、わざわいを思い直された。
それに対して怒り狂ったヨナの言葉だ。

「ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、
このことを申し上げたではありませんか。
それで、私は初めタルシシュへ逃れようとしたのです。
あなたが情け深くあわれみ深い神であり、
怒るのに遅く、恵み豊かで、
わざわいを思い直される方であることを知っていたからです。
ですから、主よ、どうか今、私のいのちを取ってください。
私は生きているより死んだほうがましです。」
(ヨナ書4章2−3節)

なぜヨナは、主の御顔を避けて逃げたのか?
それは主なる神が、
「イスラエルの敵国アッシリアの大きな都ニネベに行って、
神からのメッセージを叫べ」とヨナに命じたから。

今日に当てはめるなら、
イスラエルが、「敵であるテロ組織ハマスの本拠地に行って、
神からのメッセージを叫べ」と命じられたような状況だ。

批判することは簡単だ。
だからヨナは、批判する者にこう言うだろう。
「だったらあんたがやってみな!」

どうすれば主のさばきは過ぎ越されるか January 19, 2025

「どうすれば主のさばきは過ぎ越されるか」January 19, 2025

JESUSは、私たちと同じように、
人間の赤ちゃんとして生まれ、少年として成長された。

やがて成人されたJESUSは、
エルサレムに向かって最後の旅をする。

JESUSは、過越の祭りのために都に上り、
過越の祭りの食事が最後の晩餐となり、
十字架の上で過越のいけにえとして屠られる。

JESUSこそが、本当の過越のいけにえ、本物の過越の子羊。
JESUSこそが、傷のない、罪のない完全ないけにえ。

JESUSは神のひとり子なので、
ご自分の父(天の父なる神)の家にいるのは当然。
本物の過越の子羊であるJESUSは、十字架でほふられた。
JESUSが自分の罪のためにほふられたと信じるなら、
主のさばきは過ぎ越される。

求めなければ与えられない January 18, 2025

「求めなければ与えられない」January 18, 2025

The Bibleが教える信仰は、求めなければ与えられない信仰です。

まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、
これらのものはすべて、それに加えて与えられます。
(マタイの福音書6章33節)

求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。
そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。
(マタイの福音書7章7節)

あなたがたがわたしにとどまり、
わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、
何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。
(ヨハネの福音書15章7節)

今まで、あなたがたは、わたしの名によって何も求めたことがありません。
求めなさい。そうすれば受けます。
あなたがたの喜びが満ちあふれるようになるためです。
(ヨハネの福音書16章24節)

あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。
私は今、はるかにまさる道を示しましょう。
(コリント人への手紙第一12章31節)

愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、
特に預言することを熱心に求めなさい。
(コリント人への手紙第一14章1節)

こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、
上にあるものを求めなさい。そこでは、
キリストが神の右の座に着いておられます。
(コロサイ人への手紙3章1節)

すべての人との平和を追い求め、また、聖さを追い求めなさい。
聖さがなければ、だれも主を見ることができません。
(ヘブル人への手紙12章14節)

あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、
その人は、だれにでも惜しみなく、
とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。
そうすれば与えられます。
ただし、少しも疑わずに、信じて求めなさい。
疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。
(ヤコブの手紙1章5−6節)

生まれたばかりの乳飲み子のように、
純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。
それによって成長し、救いを得るためです。
(ペテロの手紙第一2章2節)

悪を良いことに変えてくださる神 January 17, 2025

「悪を良いことに変えてくださる神」January 17, 2025

創世記は50章まであるが、37章以降はヨセフのストーリーが主に語られる。
イスラエル(ヤコブ)はヨセフが年寄り子だったので、
息子たちのだれよりもヨセフを偏愛する。

さらに17歳のヨセフは夢見人(ドリーマー)で、
不遜な夢を兄たちに告げる。
ますます兄たちはヨセフを憎み、
遂にヨセフは兄たちに売られ、エジプトに奴隷として連れて行かれる。

主がヨセフとともにおられたので、ヨセフは成功する者となり、
幾多の困難の中でもエジプトで出世する。
やがてヨセフはエジプトの王ファラオに仕え、
エジプトとイスラエル家族を大飢饉から救う。

その後、父イスラエルが天に召された後、
復讐を恐れる兄たちを前にしてヨセフが語ったのが以下の言葉。

あなたがたは私に悪を謀りましたが、
神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。
それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。
(創世記50章20節)

刺繍の裏側のような現実、
もつれて絡まった糸のような私たちの人生において、
神は悪い糸でさえ用いて、やがて一枚の美しい刺繍絵を完成させてくださる。

なぜ神は善悪の知識の木を生えさせたのか? January 16, 2025

「なぜ神は善悪の知識の木を生えさせたのか?」January 16, 2025

神である主は、その土地に、
見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、
そして、園の中央にいのちの木を、
また善悪の知識の木を生えさせた。
(創世記2章9節)

神である主は人に命じられた。
「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。
その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」
(創世記2章16−17節)

神は「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。」と語られた。
そして、思いのまま食べてよい木が数えきれないほどある中、
たった一本だけ、食べてはならないと命じられた。
神はあなたに禁欲主義を押し付ける方ではない。

善悪の知識の木から食べないことは、神を基準とすること。
善悪の知識の木から食べることは、自分を基準とすること。

自分を基準とすると、自分を測る時には甘く、他人を測る時には厳しくなる。
自己中心なものさしで測ると、自分は善になり、他人は悪になる。
いつも自分は正しく、責任はすべて他者に転嫁される。

善悪の知識の木から食べたいという思いは、自分が神になりたいという思い。
自分が神になれば、何をしても許されるから。
都合のいい人間や神は利用し、都合の悪い人間や神は殺してもいいから。
しかし神が実在する以上、善悪の知識の木、絶対的な善悪の基準も実在する。

すべての営みに時がある January 15, 2025

「すべての営みに時がある」January 15, 2025

旧約聖書の中に、伝道者の書がある。
ダビデの息子ソロモンが書いた知恵の書。
山あり谷ありの人生における、知恵に満ちている。
その中から、時に関するみことばを紹介したい。

すべてのことには定まった時期があり、
天の下のすべての営みに時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えた物を抜くのに時がある。
殺すのに時があり、癒やすのに時がある。
崩すのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、笑うのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
求めるのに時があり、あきらめるのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
裂くのに時があり、縫うのに時がある。
黙っているのに時があり、話すのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦いの時があり、平和の時がある。
働く者は労苦して何の益を得るだろうか。
私は、神が人の子らに従事するようにと
与えられた仕事を見た。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
神はまた、人の心に永遠を与えられた。
しかし人は、神が行うみわざの
始まりから終わりまでを見極めることができない。
(旧約聖書 伝道者の書3章1ー11節)