「聖路加国際病院の聖路加とは誰か?」November 20, 2024

「聖路加国際病院の聖路加とは誰か?」November 20, 2024

お世話になっている方が、杉戸キリスト教会の中にもおられる聖路加国際病院。
今日は、キリスト教にあまりなじみのない日本人が抱く、
この病院に関する素朴な疑問、
「聖路加国際病院の聖路加とは誰か?」に答えたい。

これを記す理由は、聖路加国際病院のWEBページを閲覧しても、
この素朴な疑問に対する答えを、なかなか見つけることができなかったから。
(サイト内検索で病院名と検索すると、小さく発見できました)
かつて私がそうであったように、The Bible・聖書をほとんど読まず、
教会にもほとんど行ったことのない日本人は、
聖路加という人物について、よく知らないと思われるので。

The Bibleには、旧約聖書と新約聖書があるが、
聖路加は新約聖書の中に出て来る。
日本語訳聖書には、ルカとカタカナで記されているが、
漢文聖書、中国語聖書には、路加と漢字で記されている。

まず新約聖書コロサイ人への手紙4章14節。
これが決定的な答えを提供している。

「愛する医者のルカ、
それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています。」

とルカが医者であったことが明記されている。

実に聖路加国際病院の聖路加とは、医者でありキリスト信者であった人物で、
キリスト教精神に基づく全人的医療の先駆者であった故に、
聖路加と呼ばれるようになった人物なのだ。

ちなみに新約聖書の中に、かなりの大作としてルカの福音書があり、
その続編として使徒の働きがある。いずれも聖路加が記した文章である。

キリスト教の愛の心が
人の悩みを救うために働けば
苦しみは消えて その人は生まれ変わったようになる
この偉大な愛の力をだれもがすぐわかるように
計画されてできた生きた有機体がこの病院である
ルドルフ・B・トイスラー(1933)聖路加国際病院創立者

聖路加国際病院のWEBページ

「雷の子が愛の人に」November 19, 2024

「雷の子が愛の人に」November 19, 2024

ゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。(新約聖書 マルコの福音書3章17節)

JESUSの12弟子の一人にヨハネ(JOHN)がいる。
JESUSは、彼にボアネルゲというニックネームをつけた。
ボアネルゲとは、雷の子という意味だ。
すごく短気で、すぐにブチキレて雷を落とす。
瞬間湯沸かし器のように、すぐ怒り心頭に発する。
たぶん彼の父親に似てしまったのだろう。

JESUSは、そのようなヨハネを12弟子の一人として特別愛され、
約3年間、一緒に連れ歩いて訓練された。
十字架行進を続けているアーサー・ホーランド牧師のような、
ウーバー・チャペル、動く神学校だ。

JESUSが逮捕された時には、ヨハネも逃げてしまった。
しかしヨハネは、JESUSが十字架で苦しんでいる時、
JESUSの母マリアのそばでじっと見守っていた。
その時JESUSは、母マリアをヨハネに託された。

3日目に復活されたJESUSに再会し、
ペンテコステに約束の真理の御霊・聖霊・助け主を受けたヨハネ。
彼は無学な普通の人、荒削りの漁師であったが、
権力によらず、能力によらず、神の霊によって、
大胆なJESUSの証人として豊かに用いられていった。

やがてヨハネは、ヨハネの手紙第1〜第3、ヨハネの福音書、
そしてヨハネの黙示録を書き記した。
彼が記した文章には、「愛」という言葉が数え切れないほど使われている。

かつて活版印刷でヨハネの手紙を印刷する際、「愛」という活字が足りなくなり、
「愛がたりません!」と印刷屋が叫んだと言われる。
JESUSに愛され続けた結果、雷の子が愛の人に変えられ、
それほどに「愛が満ちあふれた!」のだ。

時間がかかるが、JESUSの愛を受け続けるなら、
あなたも私も、やがて愛の人に変えられるという希望がここにある。

「心のまんなかにJESUSを迎える」November 18, 2024

「心のまんなかにJESUSを迎える」November 18, 2024

あなた必死に頑張ったけど、自分で自分の心をきれいにできないでしょ?どうにか外側はきれいにしても、どう頑張ったって、自分で自分の内側を変えることはできないでしょ?

そしてJESUS(イエス・キリスト)は、あなたの心の扉をノックしながら言われる。

「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(新約聖書 ヨハネの黙示録3章20節)

今もしあなたが、JESUSを本当に信頼し、誰にも開いたことのない心の扉を開け、心のまんなかにJESUSを迎えるなら、あなたは変えられる。リアルに内側から、すべてが新しく変えられる。暗闇から光に、絶望から希望に、死からいのちに。

むなしさ、ねたみ、孤独、悲しみ、怒り、憎しみ、敵意、殺意。あなたの心が、どんなに暗くて臭くて汚くても大丈夫。家畜小屋に生まれてくださったJESUSは、あなたの心のまんなかに住むために、降誕されたのだから。

もし今あなたが、JESUSを信頼し、心の戸を開け、心のまんなかにJESUSを迎えるなら、特殊清掃員のようなJESUSが、すべてを新しく綺麗にしてくださる。あなたの心の中が、おいしく食事ができる場所、明るくて、良い香りがして、きれいな心に変えられる。

むなしさ、ねたみ、孤独、悲しみ、怒り、憎しみ、敵意、殺意。それら古きものはすべて過ぎ去り、見よ、すべてが新しく変えられる。

ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(新約聖書 コリント人への手紙第二5章17節)

偏在する神への賛歌 礼拝のご案内

偏在する神への賛歌

杉戸キリスト教会では、日曜朝10時過ぎから賛美と祈りを始めます。
10時半から朝の礼拝(ワーシップ)の時を持っています。
夕礼拝は夜8時から9時です。
どなたでもお集いください。

杉戸キリスト教会地図2014

「偏在する神」November 17, 2024

「偏在する神」November 17, 2024

以前、遍在と偏在を書き間違えて、「聖書の神さまは、偏在ではなく遍在です」と、指摘されたことがあった。

どこにでも遍く(あまねく)存在するという遍在(へんざい)と、偏って(かたよって)存在するという偏在(へんざい)。日本語ではどちらも「へんざい」と読むが、意味が反対になる。

これまで私も「聖書の神さまは、偏在ではなく遍在。聖書の神さまは、かたよっておられるのではなく、どこにでもあまねくおられる」と考えていた。ところが、先日読んだ本には正反対のことが書かれてあり、その認識がひっくり返った。

それで今日の礼拝メッセージの題は「偏在する神への賛歌」になっている。朝10時半からと夕8時から、マリアの賛歌と呼ばれる歌が、実は偏在する神への賛歌であることをお話しする予定だ。

マリアは言った。
「私のたましいは主をあがめ、私の霊は私の救い主である神をたたえます。
この卑しいはしために目を留めてくださったからです。
ご覧ください。
今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう。
力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。
その御名は聖なるもの、
主のあわれみは、代々にわたって主を恐れる者に及びます。
主はその御腕で力強いわざを行い、
心の思いの高ぶる者を追い散らされました。
権力のある者を王位から引き降ろし、
低い者を高く引き上げられました。
飢えた者を良いもので満ち足らせ、
富む者を何も持たせずに追い返されました。
主はあわれみを忘れずに、
そのしもべイスラエルを助けてくださいました。
私たちの父祖たちに語られたとおり、
アブラハムとその子孫に対するあわれみをいつまでも忘れずに。」

私の救い、私たちの希望 川上直哉

「骨壷は重かった」November 16, 2024

「骨壷は重かった」November 16, 2024

牧師として、多くの方のお葬式の司式をしている。
今日は今年6回目の教会でのお葬式。

奥様がクリスチャンとして歩まれていたが、
50年間ずっと教会に来られなかったご主人。

けれども、50年目の昨年、ついに祈りが聞かれ、
神のことばが出来事になり、奇跡が起きた。
奥様、娘さん、お孫さんと一緒に、
3回も教会の礼拝に来られたのだ。
そして年末には信仰告白され、洗礼を受けられた。

今年、私の母方のばあちゃんと私の父も天に召された。
何度もお葬式を司式しているが、父のお葬式の時、
おそらく初めて骨壷を持つことになった。
初めて持った骨壷はズッシリと重かった。

The Bible、聖書は語る。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(新約聖書 使徒の働き16章31節)

「山登りバイブル」November 15, 2024

「山登りバイブル」November 15, 2024

私は父から山登りの素晴らしさを教えてもらった。それを一言で言うと、「しんどいけど素晴らしい!」。「しんどいけど素晴らしい!」それは人生そのものでもある。

山登りはほんとにしんどい。なんでこんなしんどいことをしているのか、自分で呆れるほどだ。けれども、忍耐強く一歩一歩登っていくと、やがて見晴らしのよい稜線などに出る。さらに進み続けると、ついに頂上にたどり着く。その達成感は、すべてのしんどさを、跡形もなく吹き飛ばす素晴らしさだ。

The Bibleは語る。

「私は山に向かって目を上げる。私の助けは どこから来るのか。私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。」(旧約聖書 詩篇121篇1−2節)

山登りにも人生にも、助けがなければたどり着けない高みがある。そびえ立つ山を造り天地を造られたJESUSは、あきらめたくなるほどしんどい上り坂において、その時必要な助けを必ず与えてくださる。

谷川の流れ、鳥のさえずり、その時々に咲く綺麗な花や木々、蝶や虫たち、不思議な形をした岩、吹き渡る風、紺碧の空と湧き上がる白い雲、満天の星空、旅の仲間と神の家族、そして何よりも天地を造られた主に感謝します!

杉戸キリスト教会牧師 野町真理

ある晴れた春の日の午後

槍の上から