2025新年礼拝のご案内

2025新年礼拝のご案内

まず神の国と神の義を求めなさい January 1, 2025

「まず神の国と神の義を求めなさい」January 1, 2025

新しい年を迎えることができ、心から感謝します。

2000年の春、名古屋にある東海聖書神学塾を卒業し、
駆け出しの伝道者として歩み始めて、もう25年です!

最初の7年間(2000〜2007)は、
愛知県豊橋市の豊橋ホサナキリスト教会で、
その後の18年間(2007〜2025)は、
埼玉県北葛飾郡杉戸町の杉戸キリスト教会で歩んで来ました。
今年の誕生日が来ると、55歳になります。

この25年の歩みを貫いて、
私の指針となっているThe Bibleのみことばを
ぜひ紹介したい。

まず神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはすべて、
それに加えて与えられます。
(新約聖書マタイの福音書6章33節)

まずアルバイトではなく、まず仕事でもない。
まず対人関係でもない。
まず主の祈りの前半と十戒の前半。
まずJESUSを中心とする神の国を求め、
まずJESUSを愛する関係(神の義)を求めるなら、
食べるもの、飲むもの、着るものなどはすべて、
それに加えて豊かに与えられます。
この25年間の毎日の生活は、
このみことばの約束が、
決して嘘ではないことを実証しています。

杉戸キリスト教会牧師 野町真理

心さえ剣が刺し貫く 礼拝・WORSHIPのご案内

心さえ剣が刺し貫く

いよいよ今年最後の主日礼拝です。
杉戸キリスト教会では、日曜朝10時過ぎから賛美と祈りを始めます。
10時半から朝の礼拝(ワーシップ)の時を持っています。
夕礼拝は夜8時から9時です。
どなたでもお集いください。
あなたの上に、JESUSの愛が豊かに満ちあふれますように。

杉戸キリスト教会地図2014

母マリアの心さえも剣が刺し貫く理由 December 29, 2024

「母マリアの心さえも剣が刺し貫く理由」December 29, 2024

あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。
それは 多くの人の心のうちの思いが、
あらわになるためです。
(新約聖書ルカの福音書2章35節)

救いには、大きな犠牲が伴う。
救い主は、自らの命を犠牲にしなければならない。
母マリアは、
やがて、親よりも先に死んでいく息子JESUSの姿を、
無惨に殺されていく息子JESUSの姿を、
見届けなければならない。

お腹を痛めて産んだ愛する息子JESUSが、
人々から憎まれ、苦しみを受け、
犯罪人とともに十字架の上に挙げられ、さらしものにされる。
大きな釘で両手両足を十字架に釘付けにされ、
無惨に殺されてしまう。
死んで葬られる。そのようなJESUSの姿を、
マリアは見届けなければならない。

母マリアの心さえも剣が刺し貫く理由は、
多くの人の心のうちの思いがあらわになり、
罪人によって愛する息子が十字架で殺される姿を、
見届けなければならないから。

多くの人の心のうちの思いがあらわになる。
すべての人は自己中心な罪人であることがあらわになる。
罪人とは神を神としない自己中心な人。
心の真ん中に自分が神として座っている人。
義人とは、心の扉を開いて、JESUSを心の真ん中に迎える人。

粉々に砕かれる祝福 December 28, 2024

「粉々に砕かれる祝福」December 28, 2024

堀井ローレンさんとアーサー・ホーランド師をお招きした、
無料コンサートとゴスペルメッセージの日。
数年前から教会を離れている方のピンチヒッターとして、
音響の奉仕を担当した。

リハーサルの時には何とか音が出ていた。
けれども、本番の時、
考え得るすべてのトラブルが悪夢のように起こり、
せっかくのコンサートなのに、
3曲しか歌っていただくことができなかった。

私だったら怒りが顔に出ていただろう。
しかし、ローレンさんとアーサー牧師は、
主の愛によって破れ口に立ちつつ、
素敵な奉仕をしてくださった。

その後、音響の奉仕が上手くできなかった私は、
かなり落ち込んだ。
久しぶりに粉々に砕かれる経験。

一番問われたのは、私の心の奥底に秘められていた、
何かが上手にできなければ価値がないという脅迫観念。

そんな私に対して語ってくださったJESUSの声。

何かが上手にできなくても、
わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。
(旧約聖書イザヤ書43章)

洗礼はスタート、ゴールはJESUS December 27, 2024

「洗礼はスタート、ゴールはJESUS」December 27, 2024

洗礼・バプテスマは、
JESUSを信じ受け入れたことによって得た、
3つのリアルな意味を体現する。

①お葬式と誕生式
洗礼は、自分のお葬式と誕生式。
JESUSと共に十字架につけられ、古い自分は死ぬ。
そしてJESUSと共によみがえって、新しく生まれる。

私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、
キリストとともに葬られたのです。
それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって
死者の中からよみがえられたように、
私たちも、新しいいのちに歩むためです。
私たちがキリストの死と同じようになって、
キリストと一つになっているなら、
キリストの復活とも同じようになるからです。
(新約聖書ローマ人への手紙6章4ー5節)

②誓約と入会式 
洗礼は、神と教会に対する誓約と入会式。
JESUSの愛に応えてJESUSとともに歩むことを誓い、
神の家族の一員として共に生きることを誓う入会式。

あなたがたはみな、信仰により、
キリスト・イエスにあって神の子どもです。
キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、
キリストを着たのです。
ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、
男と女もありません。
あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。
あなたがたがキリストのものであれば、
アブラハムの子孫であり、
約束による相続人なのです。
(新約聖書ガラテヤ人への手紙3章26ー29節)

③任命と派遣式
すべてのキリスト信者は、世の光、地の塩として任命され、
生活の場に、JESUSと共に派遣される。

あなたがたは地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら、
何によって塩気をつけるのでしょうか。
もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、
人々に踏みつけられるだけです。
あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。
また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。
燭台の上に置きます。
そうすれば、家にいるすべての人を照らします。
このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。
人々があなたがたの良い行いを見て、
天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。
(新約聖書マタイの福音書5章13ー16節)

洗礼は、JESUSと神の家族といっしょに、
ゴールを目指して歩み始めるスタート。
ゴールは、私たちがJESUSのように変えられること。
主語はあなたではなくJESUS!

キリストは、
万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、
私たちの卑しいからだを、
ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。
(新約聖書ピリピ人への手紙3章21節)

ボクシングバイブル December 26, 2024

「ボクシングバイブル」December 26, 2024

The Bibleには、ボクシング・拳闘が出てくる箇所がある。

競技をする人は、あらゆることについて節制します。
彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、
私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。
ですから、
私は目標がはっきりしないような走り方はしません。
空を打つような拳闘もしません。
むしろ、
私は自分のからだを打ちたたいて服従させます。
ほかの人に宣べ伝えておきながら、
自分自身が失格者にならないようにするためです。
(新約聖書コリント人への手紙第一9章25ー27節)

朽ちない冠を受けるために節制する。
目標がはっきりしないような走り方はしない。
自分自身が失格者にならないように、
自分のからだを打ちたたいて服従させる。

ボクサーのようなライフスタイルが語られる中、
「空を打つような拳闘もしません。」と語られる。

空を打つような拳闘。
それは、相手がいるものと仮想して一人で打ち合いの練習をする
シャドーボクシングではない。
試合で相手に当たらないパンチを打つようなボクシングのことだ。
当たらないパンチを打つほど、疲れるだけで相手を倒すことはできない。
カウンターパンチをくらってノックアウトされるのが落ちだ。

実は信仰生活において、
空を打つような拳闘をしているクリスチャンが多いように感じる。
ただがむしゃらにパンチを繰り出すように祈っても、
祈りが応えられることはまれだ。
みこころという的をしっかり見据えて、
具体的な祈りをすることが、空を打たない拳闘につながる。