詩篇119篇 ギメル March 6, 2025

「詩篇119篇 ギメル」March 6, 2025

詩篇119篇はヘブル語いろは歌。
17節から24節はギメル(ヘブル語アルファベットの3文字目)の歌。
行の初めにギメルで始まる単語が並ぶ。
キーワードは「旅人」。
「私は地では旅人なので、
 あなたの仰せを私に隠さないでください!」
と祈りながら、人生の旅を聖書と共に歩もう。

あなたのしもべに豊かに報い 私を生かし
私があなたのみことばを守るようにしてください。
私の目を開いてください。
私が目を留めるようにしてください。
あなたのみおしえのうちにある奇しいことに。
私は地では旅人です。
あなたの仰せを私に隠さないでください。
いつのときも あなたのさばきを慕い求めて
私のたましいは押しつぶされるほどです。
あなたは あなたの仰せから迷い出る高ぶる者
のろわれるべき者を おとがめになります。
私から そしりと蔑みを取り去ってください。
私はあなたのさとしを守っているからです。
たとえ君主たちが座して
私に敵対して語り合っても
このしもべは あなたのおきてに思いを潜めます。
あなたのさとしこそ 私の喜び
私の助言者です。

tabibito

ヘブル語聖書詩篇119ギメル

聖書と祈り会2025-03-05 哀歌を読む1ああ、ひとり寂しく座っている

2025年3月5日の聖書と祈り会メッセージ。
哀歌を読む1ああ、ひとり寂しく座っている。聖書は哀歌1章1−11節。
ともに聞く聖書はこちら⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠http://graceandmercy.or.jp⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠
資料はこちら⁠https://flic.kr/p/2qQ9L66

聖書と祈り会資料2025-03-05

詩篇119篇 アレフ March 4, 2025

「詩篇119篇 アレフ」March 4, 2025

詩篇119篇はヘブル語のいろは歌になっている。
1節から8節は、アレフ(ヘブル語アルファベットの1文字目)の歌。
行の初めにアレフで始まる単語が使われている。
キーワードは「幸いな(アシュレー)」。
The Bibleが教える幸いな人とは、
全き道を行く人々 主のみおしえに歩む人々。
主のさとしを守り 心を尽くして主を求める人々。
JESUSに願い求めることによって、
あなたも幸いな人になれますように。

幸いなことよ
全き道を行く人々
主のみおしえに歩む人々。
幸いなことよ
主のさとしを守り
心を尽くして主を求める人々。
まことに 彼らは不正を行わず
主の道を歩みます。
あなたは戒めを仰せつけられました。
それらを堅く守るように。
どうか 私の道が堅くされますように。
あなたのおきてを守るために。
そうすれば あなたのすべての仰せを見て
私は恥じることがありません。
あなたの義のさばきを学ぶとき
私は直ぐな心であなたに感謝します。
私はあなたのおきてを守ります。
どうか 私を見捨てないでください。

ヘブル語聖書詩篇119アレフ

イザヤ書53章 March 3, 2025

「イザヤ書53章」March 3, 2025

預言者イザヤは、紀元前700年ぐらいに、
JESUS CHRISTの預言を書き記した。
イザヤ書53章の「彼」の所に、JESUSの名前を入れると、
見事に受難のJESUS CHRISTの姿が浮かび上がる。

私たちが聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕はだれに現れたか。彼は主の前に、ひこばえのように生え出た。砂漠の地から出た根のように。彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない。彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。虐げとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことか。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと。 彼の墓は、悪者どもとともに、富む者とともに、その死の時に設けられた。彼は不法を働かず、その口に欺きはなかったが。しかし、彼を砕いて病を負わせることは主のみこころであった。彼が自分のいのちを代償のささげ物とするなら、末長く子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。「彼は自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を負う。それゆえ、わたしは多くの人を彼に分け与え、彼は強者たちを戦勝品として分かち取る。彼が自分のいのちを死に明け渡し、背いた者たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、背いた者たちのために、とりなしをする。」

驚くばかりの神体験 March 2, 2025

「驚くばかりの神体験」March 2, 2025

JESUSのみことばに従うなら、
あなたも驚くばかりの神体験へと招かれます。

さて、群衆が神のことばを聞こうとして
イエスに押し迫って来たとき、
イエスはゲネサレ湖の岸辺に立って、
岸辺に小舟が二艘あるのをご覧になった。
漁師たちは舟から降りて網を洗っていた。

イエスはそのうちの一つ、シモンの舟に乗り、
陸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。
そして腰を下ろし、舟から群衆を教え始められた。
話が終わるとシモンに言われた。
「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」

すると、シモンが答えた。
「先生。私たちは夜通し働きましたが、
 何一つ捕れませんでした。
 でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう。」
そして、そのとおりにすると、おびただしい数の魚が入り、
網が破れそうになった。
そこで別の舟にいた仲間の者たちに、
助けに来てくれるよう合図した。
彼らがやって来て、
魚を二艘の舟いっぱいに引き上げたところ、
両方とも沈みそうになった。

これを見たシモン・ペテロは、
イエスの足もとにひれ伏して言った。
「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから。」
彼も、一緒にいた者たちもみな、
自分たちが捕った魚のことで驚いたのであった。
シモンの仲間の、
ゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。
イエスはシモンに言われた。
「恐れることはない。今から後、
 あなたは人間を捕るようになるのです。」
彼らは舟を陸に着けると、すべてを捨ててイエスに従った。
(新約聖書ルカの福音書5章1ー11節)

全被造物のための福音 March 1, 2025

「全被造物のための福音」March 1, 2025

The Bibleは、全被造物のための福音を語る。
人間だけの福音ではない。
全被造物のための福音だ。

全被造物の中には、猫や犬、うさぎやハムスター、
めだかやタナゴや鮒、インコや文鳥、蝶や昆虫、
オオムラサキやミドリシジミ、
カブトムシやオオクワガタ、草花や木々、
牛や馬、熊や猪、羊や山羊、シャチやクジラ、
ゾウやキリン、ホッキョクグマやパンダ、
ほたるやかげろう、スズメや鷲、
オイカワや鮎、マグロや鮭、
ミミズやモグラ、微生物などが含まれている。

聖書のどこにそんなことが書かれているのか?

被造物は切実な思いで、
神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。
被造物が虚無に服したのは、
自分の意志からではなく、
服従させた方によるものなので、
彼らには望みがあるのです。
被造物自体も、滅びの束縛から解放され、
神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。
私たちは知っています。被造物のすべては、
今に至るまで、ともにうめき、
ともに産みの苦しみをしています。

(新約聖書ローマ人への手紙8章19ー22節)

被造物ケアの福音 創世記から黙示録のエコロジー

あなたは一人ではない! February 28, 2025

「あなたは一人ではない!」February 28, 2025

見よ。わたしはあなたとともにいて、
あなたがどこへ行っても、あなたを守り、
あなたをこの地に連れ帰る。
わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、
決してあなたを捨てない。」
(創世記28章15節)

わたしはあなたに命じたではないか。
強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。
おののいてはならない。
あなたが行くところどこででも、
あなたの神、主があなたとともにおられるのだから。
(ヨシュア記1章9節)

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。
たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
わたしはあなたを強くし、あなたを助け、
わたしの義の右の手で、あなたを守る。
(イザヤ書41章10節)

たとえ 死の陰の谷を歩むとしても
私はわざわいを恐れません。
あなたが ともにおられますから。
(詩篇23篇4節)

「見よ、処女が身ごもっている。
そして男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
それは、訳すと
「神が私たちとともにおられる」
という意味である。
(マタイの福音書1章23節)

見よ。わたしは世の終わりまで、
いつもあなたがたとともにいます。
(マタイの福音書28章20節)

主ご自身が
「わたしは決してあなたを見放さず、
あなたを見捨てない」と言われたからです。
(ヘブル人への手紙13章5節)