希望の言葉を求めて
今この世の中で絶滅危惧種的な言葉。それは希望の言葉。
しかし今でも、希望の言葉が生き残っている場所がある。
いったいどこに?
希望の言葉は、聖書・バイブルに、今も生き残っている。
希望の言葉は、聖書・バイブルが語られているキリスト教会に、今も生き残っている。
(世界平和統一家庭連合(統一教会)や、ものみの塔(エホバの証人)王国会館やモルモン教には、希望の言葉はありません)
「ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に十分あります。」(新約聖書マタイの福音書6章34節)
「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(新約聖書マタイの福音書11章28節)
「この希望は失望に終わることがありません。」(新約聖書ローマ人への手紙5章5節)
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(新約聖書使徒の働き16章31節)
「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」(旧約聖書イザヤ書41章10節)
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(旧約聖書イザヤ書43章4節)
「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っているー主のことばー。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(旧約聖書エレミヤ書29章11節)
「私は山に向かって目を上げる。私の助けは どこから来るのか。私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。」(旧約聖書詩篇121篇1−2節)