自己保身に走ってしまう原因 October 8, 2025

「自己保身に走ってしまう原因」October 8, 2025

アブラムはなおも進んで、ネゲブの方へと旅を続けた。その地に飢饉が起こったので、アブラムは、エジプトにしばらく滞在するために下って行った。その地の飢饉が激しかったからである。彼がエジプトに近づいて、その地に入って行こうとしたとき、妻のサライに言った。「聞いてほしい。私には、あなたが見目麗しい女だということがよく分かっている。エジプト人があなたを見るようになると、『この女は彼の妻だ』と言って、私を殺し、あなたを生かしておくだろう。私の妹だと言ってほしい。そうすれば、あなたのゆえに事がうまく運び、あなたのおかげで私は生き延びられるだろう。」 創世記12章9ー13節

今日の場面で、アブラムは自己保身に走り、妻のサライを犠牲にしても自分だけ助かろうと画策します。アブラムの弱さが、危機的状況の中で露呈しました。女性の方に質問します。もしこの当時に行けたら、あなたはアブラムの妻になりたいと願われるでしょうか?

男性の方に質問します。なぜアブラムは、自己保身に走ったのでしょう?なぜアブラムは、人を恐れたのでしょう?なぜアブラムは、約束の地に戻らず、エジプトに向かったのでしょう?

雨季だけ鉄砲水によって川が生じるネゲブの方へと旅を続けたアブラムが、祭壇を築いたとは書かれていません。主の御名を呼び求めたとも書かれていません。もしピンチをチャンスと受け止め、激しい飢饉の時に祭壇を築き、苦しむ時そこで主の御名を叫び求め、主の導きを求めていたなら、自己保身に走る必要はなかったでしょう。

日常生活の中で祭壇を築く歩み October 7, 2025

「日常生活の中で祭壇を築く歩み」October 7, 2025

アブラムは、妻のサライと甥のロト、また自分たちが蓄えたすべての財産と、ハランで得た人たちを伴って、カナンの地に向かって出発した。こうして彼らはカナンの地に入った。アブラムはその地を通って、シェケムの場所、モレの樫の木のところまで行った。当時、その地にはカナン人がいた。主はアブラムに現れて言われた。「わたしは、あなたの子孫にこの地を与える。」アブラムは、自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。彼は、そこからベテルの東にある山の方に移動して、天幕を張った。西にはベテル、東にはアイがあった。彼は、そこに主のための祭壇を築き、主の御名を呼び求めた。 創世記12章5ー8節

七十五歳でハランを旅立ったアブラムたちは、約束の地カナンに到着します。当時その地には、先住のカナン人がいました。けれども主なる神がアブラムに現れて、「わたしは、あなたの子孫(イスラエル)にこの地を与える。」と約束されました。現代まで続いている、イスラエルの国土問題のルーツがここにあります。

アブラムは、自分に現れてくださった主のために、約束の地に祭壇を築きます。祭壇とは、献げ物とともに祈りと礼拝を献げる場所です。日常生活の中で祭壇を築き、祈りと礼拝を献げること(ディボーション)は、いつの時代の信仰者にとっても生命線です。

父の息子 October 6, 2025

「父の息子」October 6, 2025

主はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」アブラムは、主が告げられたとおりに出て行った。ロトも彼と一緒であった。ハランを出たとき、アブラムは七十五歳であった。創世記12章1ー4節

父のテラがハランで死んだ後、主は、息子アブラムを新しい旅立ちへと招きます。アブラムを全世界の祝福の基とし、アブラム(イスラエル)を通して全世界のすべての民族を祝福するという壮大な神のビジョンが語られ、アブラムは、主が告げられたとおりに出発します。アブラムが七十五歳の時でした。

神はあなたにも語っておられます。「あなたは、住み慣れた父の家を離れ、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」

新しい旅立ちの時 October 5, 2025

「新しい旅立ちの時」October 5, 2025

これはテラの歴史である。テラはアブラム、ナホル、ハランを生み、ハランはロトを生んだ。ハランは父テラに先立って、親族の地であるカルデア人のウルで死んだ。アブラムとナホルは妻を迎えた。アブラムの妻の名はサライであった。ナホルの妻の名はミルカといって、ハランの娘であった。ハランはミルカの父、またイスカの父であった。サライは不妊の女で、彼女には子がいなかった。テラは、その息子アブラムと、ハランの子である孫のロトと、息子アブラムの妻である嫁のサライを伴い、カナンの地に行くために、一緒にカルデア人のウルを出発した。しかし、ハランまで来ると、彼らはそこに住んだ。テラの生涯は二百五年であった。テラはハランで死んだ。創世記11章27ー32節

アブラムの父テラは、運命の決断をして、息子アブラムとその妻サライ、アブラムの甥のロトを連れて、住み馴れたカルデア人のウルを出発しました。天と地を造られた主なる神の招きに応えて、まだ見ぬ約束の地カナンに行くための、新しい旅立ちの時です。

ヨシュア記24章2節に、「あなたがたの父祖たち、アブラハムの父でありナホルの父であるテラは昔、ユーフラテス川の向こうに住み、ほかの神々に仕えていた。」とあるように、彼らが住んでいたカルデア人のウルは、バビロンと同様に月の神などを拝むメソポタミアの町でした。

ところが、ハランまで来ると、彼らはそこに住み着いてしまいます。そしてアブラムの父テラは、そこで天に召されます。テラの生涯は二百五年でした。現代に生かされている私たちも、この世に住み着いてしまう誘惑に絶えずさらされています。君が人生の時。さあ、天を見上げて、地上を旅しましょう。

神の恵みの選びは脈々と October 4, 2025

「神の恵みの選びは脈々と」October 4, 2025

これはセムの歴史である。セムは百歳のとき、アルパクシャデを生んだ。それは大洪水の二年後のことであった。セムはアルパクシャデを生んでから五百年生き、息子たち、娘たちを生んだ。アルパクシャデは三十五年生きて、シェラフを生んだ。アルパクシャデはシェラフを生んでから四百三年生き、息子たち、娘たちを生んだ。シェラフは三十年生きて、エベルを生んだ。シェラフはエベルを生んでから四百三年生き、息子たち、娘たちを生んだ。エベルは三十四年生きて、ペレグを生んだ。エベルはペレグを生んでから四百三十年生き、息子たち、娘たちを生んだ。ペレグは三十年生きて、レウを生んだ。ペレグはレウを生んでから二百九年生き、息子たち、娘たちを生んだ。レウは三十二年生きて、セルグを生んだ。レウはセルグを生んでから二百七年生き、息子たち、娘たちを生んだ。セルグは三十年生きて、ナホルを生んだ。セルグはナホルを生んでから二百年生き、息子たち、娘たちを生んだ。ナホルは二十九年生きて、テラを生んだ。ナホルはテラを生んでから百十九年生き、息子たち、娘たちを生んだ。テラは七十年生きて、アブラムとナホルとハランを生んだ。 創世記11章10ー26節

ノアの息子セムの子孫の10代目に、テラから三人の息子、アブラムとナホルとハランが生まれます。このアブラムが、イスラエルの父祖、後のアブラハムです。創世記5章をふり返ると、アダムの息子セツの子孫の系図においても、10代目にノアから三人の息子、セム、ハム、ヤフェテが生まれています。

アダムの息子セツから、脈々と神の恵みの選びが受け継がれ、ついに神の時が満ち、アブラムが誕生しました。その間に二つの大きな出来事がありました。地球規模の大洪水とバベルの塔による世界言語の分断です。

日本は戦後80年を迎えています。焼け跡からの復興期、高度成長期、オイルショック、バブル崩壊、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、世界同時不況、少子高齢化、東日本大震災・原発震災、新型コロナウイルス感染症、安倍元首相銃撃事件と旧統一教会の政治癒着問題、そしてキリスト教会内で牧師も信徒も半数以下になると予測される2030年問題。現代の日本においても、脈々と神の恵みの選びは受け継がれています。ついに神の時が満ちるのを、待ちつつ急ぎましょう。

バベルの塔で神がことばを混乱させた目的 October 3, 2025

「バベルの塔で神がことばを混乱させた目的」October 3, 2025

さて、全地は一つの話しことば、一つの共通のことばであった。人々が東の方へ移動したとき、彼らはシンアルの地に平地を見つけて、そこに住んだ。彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作って、よく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを、漆喰の代わりに瀝青を用いた。彼らは言った。「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう。われわれが地の全面に散らされるといけないから。」そのとき主は、人間が建てた町と塔を見るために降りて来られた。主は言われた。「見よ。彼らは一つの民で、みな同じ話しことばを持っている。このようなことをし始めたのなら、今や、彼らがしようと企てることで、不可能なことは何もない。さあ、降りて行って、そこで彼らのことばを混乱させ、互いの話しことばが通じないようにしよう。主が彼らをそこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。そこで主が全地の話しことばを混乱させ、そこから主が人々を地の全面に散らされたからである。創世記11章1ー9節

バベルの塔の出来事は、セムの子孫をもう一度分離させ、聖別するための荒治療でした。なぜなら、ペレグの時代、神の配慮によって東の高原地帯に住んでいたセムの子孫が、バベルの塔が建設されるシンアル平野に移り住んでいたからです。

ニムロデ王国から悪影響を受けていたセムの子孫を、神に反逆するライフスタイルからもう一度分離させるために、神は一つであったことばを混乱させ、互いの話しことばが通じないようにされました。

日本でも、地方で育った青年のほとんどが、スカイツリーがそびえる東京に上京します。東京は世界的にも珍しいバベル・バビロンのような都市で、文化の中心、政治の中心、そして経済の中心だからです。(例えばアメリカでは、文化の中心と政治の中心と経済の中心は3つの都市に分かれています。文化の中心はハリウッド、政治の中心はワシントンDC、経済の中心はニューヨーク)だから神は、東京においても、ことばを混乱させ、互いの話しが通じないようにされます。

光の中を歩むリーダーシップを求めて

光の中を歩むリーダーシップを求めて

あなたは何が見たくて何のためにそれをしているのか?
自分が評価されるため?
自分が認められるため?
自分が偉大な者になるため?
自分の栄光のため?
自分の名前があがめられるため?

高き嶺に至るほど、風当たりは強くなる
用いられるほど、この誘惑は強くなる
豊かに用いられ続けるために、来たる大収穫のために
日々備えて準備しなければ簡単に誘惑に負けてしまう

日々JESUSによって、自分の中にもある闇、弱さを自覚する
日々JESUSによって、自分の中にある闇と戦って勝つ
そのための祈りが主の祈り

的を指し示す証人がいなければ(ハマルテュロス)、
熱心に的外れな罪(ハマルティア)を犯すことしかできない

主イエス・キリスト(JESUS CHRIST)は、
弟子たちのリクエストに答えて、
主の祈りを教えてくださいました。

主の祈り(マタイ福音書6章、ルカ福音書11章参照)

 天にましますわれらの父よ。
 願わくは御名をあがめさせたまえ。
 御国をきたらせたまえ。
 みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
 われらの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 われらに罪を犯す者を、われらが赦すごとく、
 われらの罪をも赦したまえ。
 われらを試みにあわせず、
 悪より救いいだしたまえ。
 国と力と栄えとは、
 限りなくなんじのものなればなり。アーメン

この主の祈りをひっくり返すと、
以下のような恐ろしい祈りになります。

「私の名前があがめられますように。
 私を中心とした私の国が来ますように。
 私が心の中で願っていることが、実現しますように。 
 私は、自分の力と知恵によって、今日も糧を得よう。
 だれでも私に罪を犯すなら、決して赦さないで報復しよう。
 私は自分の力で、試みと悪から自分を救い出そう。
 国と力と栄え、世界に満ちるものはすべて、
 私のものだ。」

私はこれを、罪人の的外れな祈り、
あるいは罪人の自己中心な祈りと呼んでいます。
絶対にアーメンと言ってはならない祈りです。
主の祈りは、このような悪の闇に打ち勝つための祈りです。
主の祈りには、福音のすべてが含まれています。
主の祈りは、世界を変える祈りです。
主の祈りは、平和を造る祈りです。
主の祈りは、主イエスの再臨を待ちつつ、
世界宣教に急ぐ祈りです。

主の祈りを共に味わい、
主の祈りを私たちの祈りにできますように。