バベルの塔で神がことばを混乱させた目的 October 3, 2025

「バベルの塔で神がことばを混乱させた目的」October 3, 2025

さて、全地は一つの話しことば、一つの共通のことばであった。人々が東の方へ移動したとき、彼らはシンアルの地に平地を見つけて、そこに住んだ。彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作って、よく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを、漆喰の代わりに瀝青を用いた。彼らは言った。「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう。われわれが地の全面に散らされるといけないから。」そのとき主は、人間が建てた町と塔を見るために降りて来られた。主は言われた。「見よ。彼らは一つの民で、みな同じ話しことばを持っている。このようなことをし始めたのなら、今や、彼らがしようと企てることで、不可能なことは何もない。さあ、降りて行って、そこで彼らのことばを混乱させ、互いの話しことばが通じないようにしよう。主が彼らをそこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。そこで主が全地の話しことばを混乱させ、そこから主が人々を地の全面に散らされたからである。創世記11章1ー9節

バベルの塔の出来事は、セムの子孫をもう一度分離させ、聖別するための荒治療でした。なぜなら、ペレグの時代、神の配慮によって東の高原地帯に住んでいたセムの子孫が、バベルの塔が建設されるシンアル平野に移り住んでいたからです。

ニムロデ王国から悪影響を受けていたセムの子孫を、神に反逆するライフスタイルからもう一度分離させるために、神は一つであったことばを混乱させ、互いの話しことばが通じないようにされました。

日本でも、地方で育った青年のほとんどが、スカイツリーがそびえる東京に上京します。東京は世界的にも珍しいバベル・バビロンのような都市で、文化の中心、政治の中心、そして経済の中心だからです。(例えばアメリカでは、文化の中心と政治の中心と経済の中心は3つの都市に分かれています。文化の中心はハリウッド、政治の中心はワシントンDC、経済の中心はニューヨーク)だから神は、東京においても、ことばを混乱させ、互いの話しが通じないようにされます。

「チ。ー地球の運動についてー」May 17, 2025

「チ。ー地球の運動についてー」May 17, 2025

『チ。ー地球の運動についてー』で描かれている、
命をかけた天動説から地動説への移行。
それはコペルニクス的転回とか、パラダイムシフトと言われる。
https://anime-chi.jp

詩篇19篇は、天動説を支持しているように思えるかもしれない。
しかし聖書は、天体観測や真理の探究を禁じてはいない。
むしろ聖書は、この地上から天を見上げて、
美しく輝きながら規則正しく動く天体を観測することを勧めている。
なぜなら、天を見上げるなら、
宇宙を創造された神の栄光、御手のわざを知ることができるから。

そしてその知は、
無神論から有神論への移行、進化論から創造論への移行をもたらし、
あなたが生まれてきて今ここに存在している目的へと至り、
自己中心から神中心へとあなたを変える。

指揮者のために。ダビデの賛歌。
天は神の栄光を語り告げ
大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ話を伝え
夜は夜へ知識を示す。
話しもせず 語りもせず
その声も聞こえない。
しかし その光芒は全地に
そのことばは世界の果てまで届いた。
神は天に 太陽のために幕屋を設けられた。
花婿のように 太陽は部屋から出て
勇士のように 走路を喜び走る。
天の果てから それは昇り
天の果てまで それは巡る。
その熱から 隠れ得るものは何もない。

主のおしえは完全で
たましいを生き返らせ
主の証しは確かで
浅はかな者を賢くする。
主の戒めは真っ直ぐで
人の心を喜ばせ
主の仰せは清らかで
人の目を明るくする。
主からの恐れはきよく
とこしえまでも変わらない。
主のさばきはまことであり
ことごとく正しい。
それらは 金よりも 多くの純金よりも慕わしく
蜜よりも 蜜蜂の巣の滴りよりも甘い。

あなたのしもべも それらにより戒めを受け
それを守れば 大きな報いがあります。
だれが 自分の過ちを悟ることができるでしょう。
どうか 隠れた罪から私を解き放ってください。
あなたのしもべを 傲慢から守ってください。
それらが私を支配しないようにしてください。
そのとき私は 大きな背きから解き放たれて
全き者となるでしょう。
私の口のことばと 私の心の思いとが
御前に受け入れられますように。
主よ わが岩 わが贖い主よ。

ヨハネのクリスマス December 13, 2024

「ヨハネのクリスマス」December 13, 2024

執筆に最も時間をかけることが許され、
時間と空間を超えて、神のことばが響く宇宙的な福音書。
真理の御霊によって、過去と現在の地平が融合する福音書。
それが、ヨハネの福音書。
ヨハネが語るクリスマスは、
以下に記す1章1ー18節に記されている。

初めにことばがあった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。
造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。
この方にはいのちがあった。
このいのちは人の光であった。
光は闇の中に輝いている。
闇はこれに打ち勝たなかった。

神から遣わされた一人の人が現れた。
その名はヨハネであった。
この人は証しのために来た。
光について証しするためであり、
彼によってすべての人が信じるためであった。
彼は光ではなかった。
ただ光について証しするために来たのである。

すべての人を照らすそのまことの光が、
世に来ようとしていた。

この方はもとから世におられ、
世はこの方によって造られたのに、
世はこの方を知らなかった。
この方はご自分のところに来られたのに、
ご自分の民はこの方を受け入れなかった。
しかし、この方を受け入れた人々、
すなわち、その名を信じた人々には、
神の子どもとなる特権をお与えになった。

この人々は、血によってではなく、
肉の望むところでも人の意志によってでもなく、
ただ、神によって生まれたのである。

ことばは人となって、
私たちの間に住まわれた。
私たちはこの方の栄光を見た。
父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。
この方は恵みとまことに満ちておられた。

ヨハネはこの方について証しして、こう叫んだ。
「『私の後に来られる方は、私にまさる方です。
  私より先におられたからです』
  と私が言ったのは、この方のことです。」

私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、
恵みの上にさらに恵みを受けた。
律法はモーセによって与えられ、
恵みとまことはイエス・キリスト(JESUS)によって実現したからである。
いまだかつて神を見た者はいない。
父のふところにおられるひとり子の神が、
神を説き明かされたのである。

被造物のすべてがともにうめいている 礼拝のご案内

被造物のすべてがともにうめいている

待降節・アドベント第三週を迎えます。日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会の礼拝は12月17日(日)10時半からと20時からです。マスクをしてお集いください。後からホームページで配信も行います。

杉戸キリスト教会地図2023

伝道者の書より

伝道者の書より

杉戸キリスト教会地図2016

礼拝メッセージ「怒りを下す神は不正か」ローマ7

礼拝メッセージ「怒りを下す神は不正か」ローマ7(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙3章1ー18節

しかし、もし私たちの不義が神の義を明らかにするとしたら、どうなるでしょうか。人間的な言い方をしますが、怒りを下す神は不正なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。もしそうだとしたら、神はいったいどのように世をさばかれるのでしょう。でも、私の偽りによって、神の真理がますます明らかにされて神の栄光となるのであれば、なぜ私がなお罪人としてさばかれるのでしょうか。「善を現すために、悪をしようではないか」と言ってはいけないのでしょうか‐‐私たちはこの点でそしられるのです。ある人たちは、それが私たちのことばだと言っていますが。‐‐もちろんこのように論じる者どもは当然罪に定められるのです。では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。ローマ3章5-9節

悲惨な出来事の中で、「神がいるならどうしてこんなことが起こるのか?」という問いが生じます。

この問いの背後には、「怒りを下す神は不正である」という人間中心的な神学があります。「愛の神は正しいが、怒りを下す神は正しくない」、「赦す神は正しいが、裁く神は間違っている」というような考えです。このような神学は、「十字架を必要としない見せかけの神の愛と赦し」に行き着きます。

このような人間中心的な神学に対して、パウロは、「絶対にそんなことはありません」と強調します。

本当の神は、私たちの身代わりとして、十字架に磔にされたひとり子イエス・キリストの上に、容赦のない怒りを下された神です。

内側の美しさ ーアップライトピアノ

内側の美しさ

アップライトピアノの内側です。MACのようにふだん見えない内側まで美しくデザインされていることに感動し、とても嬉しくなりました。内側の見えない部分にさえ、ちゃんと気を配って手を抜かない。アップルのデザイン哲学と同じものを感じました。教会論においてもとても大切なことだと私は考えます。

シオンピアノさん、素晴らしい調律をありがとうございました!