礼拝メッセージ「大洪水 The Floodwaters」

大洪水 The Floodwaters

礼拝メッセージ「大洪水 The Floodwaters」(クリックで聴けます)

聖書箇所:創世記7章1−24節

それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。それから、大洪水が、四十日間、地の上にあった。水かさが増していき、箱舟を押し上げたので、それは、地から浮かび上がった。水はみなぎり、地の上に大いに増し、箱舟は水面を漂った。水は、いよいよ地の上に増し加わり、天の下にあるどの高い山々も、すべておおわれた。水は、その上さらに十五キュビト増し加わったので、山々はおおわれてしまった。創世記7章16-20節

救いの箱舟のドアは、約100年の間、ずっと開かれ続けていました。しかし救いのドアは永遠に開かれているわけではありません。長い忍耐の後、主はノアのうしろの戸を、しっかりと閉ざされました。

『その霊において、キリストは捕らわれの霊たちのところに行って、みことばを語られたのです。昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。1ペテロ3:19-21』

聖書の神は愛であられるので、「早くからたびたび」悔い改めて救いの舟の中に入るようにと罪人を招き続けられます。けれども、悔い改めて救いのドアから入ることを拒み続けるなら、やがて恵みの時は終わります。大洪水は容赦ない厳粛なものでした。

礼拝メッセージ「ノアの箱舟」

ノアの箱舟 Noah's ark

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聖書箇所:創世記6章9−22節

あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。それを次のようにして造りなさい。箱舟の長さは三百キュビト。その幅は五十キュビト。その高さは三十キュビト。箱舟に天窓を作り、上部から一キュビト以内にそれを仕上げなさい。また、箱舟の戸口をその側面に設け、一階と二階と三階にそれを作りなさい。創世記6章14-16節

主なる神は、神とともに歩んでいたノアという人物に、巨大な箱舟を建造するように命じられ、上記のように詳細な設計図を示されました。

1キュビトとは、前腕、ひじから中指の先までの長さを表す単位です。1キュビト50センチとすると、ノアの箱舟の寸法は、長さ150メートル、幅25メートル、高さ15メートルでした。3階建てタンカーのようで、十分すぎるスペースがありました。

これだけのスケールの箱舟を建造するためには、少なくとも以下のようなものが必要でした。

1、時間が必要:約100年(創世記5章32節と7章11節参照)
2、費用が必要:おそらく全財産
3、労働力が必要:猫の手も借りたい状態
4、信仰が必要:神のことばに対する信頼が必要

ノアの箱舟は救いの箱舟です。新約時代に生かされている私たちにとって、救いの箱舟とは、主イエス・キリストの教会です。

ノアの箱舟 Noah’s ark

ノアの箱舟 Noah's ark

礼拝メッセージ「後悔する神」

後悔する神 REGRET OF GOD

礼拝メッセージ「後悔する神」(クリックで聴けます)

聖書箇所:創世記6章1-8節

主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」創世記6章5-7節

外面的美しさやかっこよさ、自分の好みなどによって、大切な結婚相手を決めてしまう。実はそのような結婚から、人間の悪が増大し、悪への傾倒が始まると聖書は語っています。そのような結婚がもたらす悪は、とても深刻です。お互いを傷つけ合うだけでなく、子どもたちや家族を深く傷つけ、次の世代へと悪が増大していきます。

私たちを形造られた神は、愛です。ですから私たち人間がどんなに罪深い自分勝手な歩みを続けたとしても、忍耐をもって、悔い改めの機会を与えてくださいます。長い間、神は人の責任を負い、人をかばい続けてくださるのです(創世記6章3節参照)。

けれども、神の忍耐は永遠ではありません。待ち続けてもなお悔い改めないなら、やがて神は後悔なさり、裁きを行うことを決断されます。

昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。(1ペテロ3章20節)

杉戸キリスト教会 2011年度方針

杉戸キリスト教会 2011年度方針(教会総会資料2010年11月より)

★ビジョン


『そして、彼を外に連れ出して仰せられた。
「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」
さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。』創世記15章5-6節

 1、星の数ほど老若男女が満ちあふれる教会、行列のできる教会
 2、日々みことばに聴く祈りをし、主の祈りに沿って熱心に願い求める教会
 3、天から聖霊を受け続けることにより、与える幸いに生きる教会
 4、熱い祈りによって信仰、希望、愛、そして賛美が満ちあふれる教会
 5、人と緑を生かしてオアシスを再創造する教会
 6、魂を救い、人を育てることによって神の国を建て上げ、世界を変える教会
 7、日本とアジアと世界に仕える教会(JAWS21:地域、宣教区、国内、国外)

★2011年度の取り組み

 1、各個人が日々聴く祈りをし、目的宣言文に沿った「目的志向の人生」を目指す

 2、私たち杉戸キリスト教会の目的宣言文を共に作成し、
   「目的志向の教会」を目指す

★5つの目的に基づいた教会の働き

 1、礼 拝ーあなたは神の喜びとしてデザインされた
 
 2、交わりーあなたは神の家族としてデザインされた
 
 3、成 長ーあなたはキリストのようにデザインされた
 
 4、奉 仕ーあなたは神に仕えるためにデザインされた
 
 5、宣 教ーあなたは使命(魂の救いと人育て)のためにデザインされた

★目的志向の人生と教会を目指して

 参照聖書箇所:ルカ福音書10章38節-11章13節

ある時主イエスが祈っておられました。「天と地がつながっているような祈りだ。私もあんなふうに祈りたい。」そんな憧れを弟子たちに抱かせるお姿でした。ですから、「主イエス様。祈りを教えてください。」そう弟子の一人が尋ね求め、素直に聴く祈りをしました。その時主イエスが「祈る時にはこう祈るんだよ。」と教えてくださったのが主の祈りです。

主の祈りをひっくり返すと、以下のような大変恐ろしい祈りになります。主の祈りを自分の祈りとし、「目的志向の人生」を日々選び取るために、ぜひ覚えてください。そしてこの祈りに絶対にアーメン(それが私の心からの願いです)と言わないでください。無意識に祈ることがあっても、意識的には祈らないでください。悪魔的な祈りで、これ以上的外れで罪深い祈りはありませんから。これは、善悪の知識の木の実を食べた者の恐ろしい祈りですから。

自分の名前があがめられ、ほめられますように。

自分を中心とした自分の思い通りになる国が来ますように。

私の願い、考え、計画が、その通りになりますように。

私が今日もがんばって、日ごとの糧を得よう。(神など必要ない)

誰でも私に罪を犯す者があるなら、絶対に赦さないで、必ず報復しよう。

私は自分の力であらゆる誘惑に打ち勝つことができ、

 自分で自分を悪から救い出すことができる。(救い主など必要ない)

国と、力と、栄え、世界に満ちるすべてのものは、私(俺)のものだ。

これは「罪人の自己中心な祈り」です。正直にあなたの心の中をのぞいて見てください。心密かに願っている本音がこのような内容と方向性であるなら、あなたも聖書の言う「罪人」です。行き着く先は死と永遠の滅びです。しかし主の祈りの行き着く先は、喜びと感謝と永遠のいのちです。どちらに向かって生きるのか、あなた自身が日々選び取らなければなりません。

以前の私は、主の祈りをひっくりかえした内容をいつも願い求めていました。けれども、死と永遠の滅びに向かって暴走していた私のために、十字架で命を捨ててくださり、よみがえった主イエスによって、主の祈りの指し示す内容を目指して、喜んで生きるように変えられたのです。「まず向きを確認し、次にその方向性で、聖霊を与えてくださる天の父にあつかましいほど熱心に祈り続けなさい!」そう主イエスは教えておられます。

用いられれば用いられるほど、目に見える結果が出せれば出せるほど、すべての栄光を神にお返しすることが難しくなります。自分に栄光を帰したいという誘惑、神を十字架につけて殺し、自分が神になりたいという誘惑がますます強くなるからです。

ですから電波時計のように、毎日聖書に耳を傾けて聴く祈りをし、主の祈りがコンパスのように指し示している向きに軌道修正しながら生きる。そうすれば、造られ、救われ、生かされ、杉戸キリスト教会に神の家族として呼び集められている本来の目的に導かれた、目的志向の人生を生きることができます。

礼拝メッセージ「この子は慰め」

この子は慰め

礼拝メッセージ「この子は慰め」(クリックで聴けます)

聖書箇所:創世記5章25-32節

レメクは百八十二年生きて、ひとりの男の子を生んだ。彼はその子をノアと名づけて言った。「主がこの地をのろわれたゆえに、私たちは働き、この手で苦労しているが、この私たちに、この子は慰めを与えてくれるであろう。」創世記5章28-29節

創世記5章に記録されているアダムの歴史、私たち人間の歴史には、神とともに歩んだ人物が2名紹介されています。1人は先週見たエノク、そしてもう1人は、今週見たいノアです。

ノアという名前には、「慰められる」という意味があります。神の祝福に背を向けた故に、働いても苦労の多い人生の中で、この子は慰め(ノア)を与えてくれるであろう。ノアの父レメクが、そのような思いを込めて、その子をノアと名付けました。

ノアの父レメクは、ノアを生んで後、さらに593年生き、息子、娘たちを生みます。そして聖書は、「レメクの一生は777年であった。こうして彼は死んだ。」と語っています。

創世記4章に登場したカインの子孫であるレメクは、77倍の復讐を要求し、慰めのない中で死を迎えたことでしょう。

一方、同じ名前ですが、セツの子孫でありノアの父であるレメクの一生は、777年でした。7という完全数が3つ並ぶ年齢。おそらくノアの父レメクには、息子ノアによって、慰めの多い人生が与えられたことでしょう。

礼拝メッセージ「神とともに歩む」

神とともに歩む

礼拝メッセージ「神とともに歩む」(クリックで聴けます)

聖書箇所:創世記5章1-24節

エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。エノクの一生は三百六十五年であった。エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。創世記5章21-24節

聖なるテクスト(聖書)が語っているアダムの歴史、それは私たち人間の歴史です。

神が私たちを創造された時、神に似せて造られ、男と女とに創造されました。私たちが創造された日に、神は私たちを祝福し、その名を人(アダム)と呼ばれました。

アダムからセツ、セツからエノシュ、エノシュからケナン、ケナンからマハラルエル、マハラルエルからエレデ、エレデからエノクが生まれます。エノクについて、聖書はスポットライトをあて、上記のみことばのように紹介しています。

聖書の行間を想像することになりますが、65歳で子どもを預かるまでのエノクの歩みはどうだったのでしょうか。神とともに歩んでいたかも知れませんし、あまり神とともに歩んでなかったかも知れません。

けれども、受験、就職、結婚、子どもの誕生、病気、事故、転職、退職、その他様々な出来事を通して、もっと近く、神とともに歩むように、インマヌエルと呼ばれる神が私たちを導かれることは確かなことです。