初代牧師の辻浦定俊先生が天に召されました

杉戸キリスト教会の初代牧師であられた辻浦定俊先生が昨日天に召され、今日葬儀が持たれました。
杉戸キリスト教会の牧師先生として、愛児園の園長先生として、本当にありがとうございました。
ご家族、ご親族の上に、主イエス・キリスト様の豊かな慰めと支えがありますようにと祈ります。

日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会牧師 野町真理

創立記念礼拝メッセージ「神のいつくしみときびしさ」ローマ28

杉戸キリスト教会創立記念礼拝メッセージ「神のいつくしみときびしさ」ローマ28(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙11章13ー24節

17 もしも、枝の中のあるものが折られて、野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、18 あなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのです。19 枝が折られたのは、私がつぎ合わされるためだ、とあなたは言うでしょう 20 そのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。21 もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。22 見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。23 彼らであっても、もし不信仰を続けなければ、つぎ合わされるのです。神は、彼らを再びつぎ合わすことができるのです。24 もしあなたが、野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質に反して、栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、これらの栽培種のものは、もっとたやすく自分の台木につがれるはずです。ローマ人への手紙11章17−24節

礼拝メッセージ「陶器師とあわれみの器」ローマ23

礼拝メッセージ「陶器師とあわれみの器」ローマ23(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙9章19ー29節

19 すると、あなたはこう言うでしょう。「それなのになぜ、神は人を責められるのですか。だれが神のご計画に逆らうことができましょう。」20 しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか」と言えるでしょうか。21 陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。22 ですが、もし神が、怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられるのに、その滅ぼされるべき怒りの器を、豊かな寛容をもって忍耐してくださったとしたら、どうでしょうか。23 それも、神が栄光のためにあらかじめ用意しておられたあわれみの器に対して、その豊かな栄光を知らせてくださるためになのです。24 神は、このあわれみの器として、私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。ローマ人への手紙9章19−24節

本当の神は陶器師に例えられます。そして私たち人間は、最高の陶器師によって形造られた陶器に例えられます。デザイナーの目的に沿って存在する時、私たちにはオンリーワンの存在価値がありました。

主権者なる神は、怒りが注がれるべき器を深くあわれみ、ご自分が怒りを注がれるべき器となられました。私たちをあわれみの器として再創造するために。

今週も金曜夜7時半から青年福音喫茶OPENします。

今週も金曜夜7時半から青年福音喫茶OPENします。
USTREAMも午後8時ごろから試験配信予定です。
杉戸近辺の方はぜひお気軽に杉戸キリスト教会にお集いください。
番組ページはこちら
番組ページにて、これまでのライブ配信の録画を視聴できます。

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杉戸キリスト教会地図

礼拝メッセージ「神の主権」ローマ22

礼拝メッセージ「神の主権」ローマ22(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙9章6ー18節

10 このことだけでなく、私たちの父イサクひとりによってみごもったリベカのこともあります。 11 その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行わないうちに、神の選びの計画の確かさが、行いにはよらず、召してくださる方によるようにと、12 「兄は弟に仕える」と彼女に告げられたのです。13 「わたしはヤコブを愛し、 エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。14 それでは、どういうことになりますか。 神に不正があるのですか。絶対にそんなことはありません。 15 神はモーセに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ」と言われました。16 したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。17 聖書はパロに、「わたしがあなたを立てたのは、あなたにおいてわたしの力を示し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである」と言っています。18 こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。ローマ人への手紙9章10-18節

1、神は主権を持って人間を選ばれる

2、人間には神に選ばれる条件など何もない

3、救いはあわれんでくださる神による
  人間の願いや努力(行い)によるのではない