2025年3月5日の聖書と祈り会メッセージ。
哀歌を読む1ああ、ひとり寂しく座っている。聖書は哀歌1章1−11節。
ともに聞く聖書はこちらhttp://graceandmercy.or.jp。
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「世界宣教」カテゴリーアーカイブ
詩篇119篇 アレフ March 4, 2025
「詩篇119篇 アレフ」March 4, 2025
詩篇119篇はヘブル語のいろは歌になっている。
1節から8節は、アレフ(ヘブル語アルファベットの1文字目)の歌。
行の初めにアレフで始まる単語が使われている。
キーワードは「幸いな(アシュレー)」。
The Bibleが教える幸いな人とは、
全き道を行く人々 主のみおしえに歩む人々。
主のさとしを守り 心を尽くして主を求める人々。
JESUSに願い求めることによって、
あなたも幸いな人になれますように。
幸いなことよ
全き道を行く人々
主のみおしえに歩む人々。
幸いなことよ
主のさとしを守り
心を尽くして主を求める人々。
まことに 彼らは不正を行わず
主の道を歩みます。
あなたは戒めを仰せつけられました。
それらを堅く守るように。
どうか 私の道が堅くされますように。
あなたのおきてを守るために。
そうすれば あなたのすべての仰せを見て
私は恥じることがありません。
あなたの義のさばきを学ぶとき
私は直ぐな心であなたに感謝します。
私はあなたのおきてを守ります。
どうか 私を見捨てないでください。
イザヤ書53章 March 3, 2025
「イザヤ書53章」March 3, 2025
預言者イザヤは、紀元前700年ぐらいに、
JESUS CHRISTの預言を書き記した。
イザヤ書53章の「彼」の所に、JESUSの名前を入れると、
見事に受難のJESUS CHRISTの姿が浮かび上がる。
私たちが聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕はだれに現れたか。彼は主の前に、ひこばえのように生え出た。砂漠の地から出た根のように。彼には見るべき姿も輝きもなく、私たちが慕うような見栄えもない。彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。虐げとさばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことか。彼が私の民の背きのゆえに打たれ、生ける者の地から絶たれたのだと。 彼の墓は、悪者どもとともに、富む者とともに、その死の時に設けられた。彼は不法を働かず、その口に欺きはなかったが。しかし、彼を砕いて病を負わせることは主のみこころであった。彼が自分のいのちを代償のささげ物とするなら、末長く子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。「彼は自分のたましいの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を負う。それゆえ、わたしは多くの人を彼に分け与え、彼は強者たちを戦勝品として分かち取る。彼が自分のいのちを死に明け渡し、背いた者たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、背いた者たちのために、とりなしをする。」
驚くばかりの神体験 March 2, 2025
「驚くばかりの神体験」March 2, 2025
JESUSのみことばに従うなら、
あなたも驚くばかりの神体験へと招かれます。
さて、群衆が神のことばを聞こうとして
イエスに押し迫って来たとき、
イエスはゲネサレ湖の岸辺に立って、
岸辺に小舟が二艘あるのをご覧になった。
漁師たちは舟から降りて網を洗っていた。イエスはそのうちの一つ、シモンの舟に乗り、
陸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。
そして腰を下ろし、舟から群衆を教え始められた。
話が終わるとシモンに言われた。
「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」すると、シモンが答えた。
「先生。私たちは夜通し働きましたが、
何一つ捕れませんでした。
でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう。」
そして、そのとおりにすると、おびただしい数の魚が入り、
網が破れそうになった。
そこで別の舟にいた仲間の者たちに、
助けに来てくれるよう合図した。
彼らがやって来て、
魚を二艘の舟いっぱいに引き上げたところ、
両方とも沈みそうになった。これを見たシモン・ペテロは、
イエスの足もとにひれ伏して言った。
「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから。」
彼も、一緒にいた者たちもみな、
自分たちが捕った魚のことで驚いたのであった。
シモンの仲間の、
ゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。
イエスはシモンに言われた。
「恐れることはない。今から後、
あなたは人間を捕るようになるのです。」
彼らは舟を陸に着けると、すべてを捨ててイエスに従った。
(新約聖書ルカの福音書5章1ー11節)
全被造物のための福音 March 1, 2025
「全被造物のための福音」March 1, 2025
The Bibleは、全被造物のための福音を語る。
人間だけの福音ではない。
全被造物のための福音だ。
全被造物の中には、猫や犬、うさぎやハムスター、
めだかやタナゴや鮒、インコや文鳥、蝶や昆虫、
オオムラサキやミドリシジミ、
カブトムシやオオクワガタ、草花や木々、
牛や馬、熊や猪、羊や山羊、シャチやクジラ、
ゾウやキリン、ホッキョクグマやパンダ、
ほたるやかげろう、スズメや鷲、
オイカワや鮎、マグロや鮭、
ミミズやモグラ、微生物などが含まれている。
聖書のどこにそんなことが書かれているのか?
被造物は切実な思いで、
神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。
被造物が虚無に服したのは、
自分の意志からではなく、
服従させた方によるものなので、
彼らには望みがあるのです。
被造物自体も、滅びの束縛から解放され、
神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。
私たちは知っています。被造物のすべては、
今に至るまで、ともにうめき、
ともに産みの苦しみをしています。
(新約聖書ローマ人への手紙8章19ー22節)
痛みという贈り物 February 27, 2025
「痛みという贈り物」February 27, 2025
もし身体が痛みを感じることができなかったら、
どのような日常生活になるのか?
クリスチャンジャーナリスト、
フィリップ・ヤンシー氏の師匠である
ポール・ブランド博士は、
ハンセン病について大きな発見をした。
手足の指の欠損、失明、皮膚潰瘍、
顔面変形といったハンセン病の症状は、
すべて痛みを感じないことが原因なのだ。
ハンセン病になると、身体的な痛みを
全く感じることができなくなる。
ハンセン病は、神経細胞を麻痺させ、
その結果として痛みを感じなくなる。
身体が傷ついても痛みがないと、
気づくことができず、守ることもできず、
やがて身体がボロボロになっていく。
ブランド博士は語る。
「痛みに感謝する!
ハンセン病患者にとって
これほど貴重なものはないのだから。」
痛みは創造主からの貴重な贈り物なのだ。
参考文献:
ポール・ブランド、フィリップ・ヤンシー共著
「驚くべき人間のからだ 神のかたちとして」
いのちのことば社 2025年
アクセルを踏む前にまず方向確認を February 25, 2025
「アクセルを踏む前にまず方向確認を」February 25, 2025
アクセルを踏む前に、まず方向を確認する必要があります。
もし反対方向に向かってアクセルを踏むなら、
目的地からどんどん離れてしまうからです。
祈り(祈祷論)においても同様のことが言えます。
熱心に祈る前に、まず向きを確認する必要があります。
もし的外れな方向に向かって熱心に祈ったら、
みこころという的から、どんどん遠ざかってしまうからです。
だからJESUSは、祈る時には、
「まず聞く祈りによって向きを確認し、
次にその方向性で、
あつかましいほど熱心に願い求める祈りを続けなさい。」
と教えておられます。
そんなことがThe Bibleのどこに記されているのか。
新約聖書ルカの福音書、
10章38節から11章13節に記されています。