もしも主が私たちの味方でなかったなら?

詩篇124篇より(祈祷会ノート)

もしも主が私たちの味方でなかったなら、
長くて苦しい都上りの旅は、途上で敗北、挫折、失敗に終わる。
決してエルサレム(約束の地)にたどり着けない。
地上のエルサレムにも、天上のエルサレムにも。
津波のような荒れ狂う水(敵のわな)が襲いかかってくるから。

しかし、
もしも主なる神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるか?
(ローマ8:31)➡誰も敵対できない!
主なる神が私たちの味方であるから、(ローマ8:32−39)
1、ご自分の御子といっしょにすべてのものを惜しまずに恵んでくださる
2、義と認めてくださる
3、とりなしていてくださる(罪に定められることがない)
4、すべてのことの中にあっても圧倒的な勝利者となる
5、何も神の愛から私たちを引き離すことはできない!

「もしも主が私たちの味方でなかったなら。」
さあ、イスラエルは言え。(1節)

「もしも主が私たちの味方でなかったなら、
人々が私たちに逆らって立ち上がったとき、
そのとき、彼らは私たちを生きたまま
のみこんだであろう。
彼らの怒りが私たちに向かって燃え上がったとき、
そのとき、大水は私たちを押し流し、
流れは私たちを越えて行ったであろう。
そのとき、荒れ狂う水は
私たちを越えて行ったであろう。」(2−5節)

ほむべきかな。主。
主は私たちを彼らの歯のえじきにされなかった。
私たちは仕掛けられたわなから鳥のように助け出された。
わなは破られ、私たちは助け出された。
私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある。(6−8節)

映画『レ・ミゼラブル』を見て

映画『レ・ミゼラブル』を見て

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1月1日、新年礼拝を終えた夜、教会のメンバーと一緒にトム・フーパー監督の映画『レ・ミゼラブル』を鑑賞した。ミュージカルを撮影したような映画であるが、それぞれの役者が、役を演じながらその場で気持ちを込めて歌った声がライブ録音されている。それぞれの役者による感情が込められた歌声には、魂を揺さぶるものがあった。特にファンティーヌ役のアン・ハサウェイの歌う「夢破れて I Dreamed a Dream」は素晴らしかった。

映画を見終わった後、余韻にひたりながら、岩波文庫版と新潮文庫版で『レ・ミゼラブル』をじっくり味わっている。ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』は、岩波文庫版(豊島与志雄訳)だと全4巻、新潮文庫版(佐藤朔訳)だと全5巻にもなる。読めば読むほど内容が豊かであり、きめ細かい人物描写や伏線となる背景説明があるので、もし可能ならばロード・オブ・ザ・リングのように3部作映画にすると、なお素晴らしかったのではないかと私は思う。これほどの壮大な著作を1本の映画にまとめてしまうことには無理がある。どうしてもダイジェスト版のようになり、牧師がよくしてしまうように、あれもこれも詰め込みすぎて話がごちゃごちゃしてしまう。

私はキリスト教の牧師であるから、この映画をどうしても聖書が語る福音の視点から見る。例えば、ジャン・バルジャンが銀の食器を盗んで逃げたのに、憲兵に捕まえられ、司教のもとに連れて来られる場面。その時司教はジャン・バルジャンに、「それは盗んだのではなくてプレゼントしたのだ」と優しく語り、「二本の銀の燭台もあげたのにどうして置いていったのか」と言いながら、さらに燭台をプレゼントする。

ここには明らかに、聖書の語る福音が紹介されている。それは、悔い改める前に(罪の償いを自分でする前に)赦しが与えられるという福音、ふさわしくない者に祝福が与えられるという福音である。この映画ではジャン・バルジャン役をX-MENのヒュー・ジャックマンが好演している。指の間からジャキーンとあの武器が出て来そうな雰囲気が時にあり、笑えた。

ジャベール警官役はラッセル・クロウであった。ジャベールは聖書に登場して人間をみじめにする律法主義をキャラクターにしたような人物である。律法主義とは福音をひっくり返したものであり、ふさわしくない者には祝福が与えられず、悔い改めなければ(良い行いをし、罪の償いを自分でしなければ)赦しはないという考え方である。ネタバレになるがジャベールは愛の人に変えられたジャン・バルジャンと向き合った時に自殺してしまう。聖書的にはイエス・キリストが十字架の上で死なれた時に律法主義は死に、イエス・キリストが墓に葬られた時に律法主義も葬られたと言える。

この映画を見て、しばらく悩んでしまったことがある。それは新約聖書の中にあるローマ人への手紙で言うと、7章までの「みじめさ」で終わってしまい、罪や罪責感からの解放、自由、そして圧倒的勝利に満ちた8章が描かれなかったということである。

私たちキリスト信仰の道に招かれた者も、しばしばローマ人への手紙7章までのみじめさと罪責感に生きてしまうことが多いかもしれない。しかし主イエスよ、ぜひともこの地上においてローマ8章にたどり着き、解放、自由、勝利の人生を歩ませてください。

SUGITO GOSPEL CAFE(青年福音喫茶)OPEN

今日夜7時半からSUGITO GOSPEL CAFE(青年福音喫茶)OPENします。今年最初の福音喫茶、ぜひお気軽にお集いください。

USTREAMの番組ページにて、これまでのライブ試験配信を視聴できます。
番組ページはこちら

Sugito Gospel Cafe

杉戸キリスト教会地図

礼拝メッセージ「知恵に富む唯一の神に」ローマ46

礼拝メッセージ「知恵に富む唯一の神に」ローマ46(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙16章21ー27節

21 私の同労者テモテが、あなたがたによろしくと言っています。また私の同国人ルキオとヤソンとソシパテロがよろしくと言っています。 22 この手紙を筆記した私、 テルテオも、主にあってあなたがたにごあいさつ申し上げます。23 私と全教会との家主であるガイオも、あなたがたによろしくと言っています。市の収入役であるエラストと兄弟クワルトもよろしくと言っています。 24 〔私たちの主イエス・キリストの恵みがあなたがたすべてとともにありますように。アーメン〕 25 26 私の福音とイエス・キリストの宣教によって、すなわち、世々にわたって長い間隠されていたが、今や現されて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを堅く立たせることができる方、27 知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストによって、御栄えがとこしえまでありますように。アーメン。ローマ人への手紙16章21−27節

S.D.G.