日本に関するThe Bibleの預言 January 13, 2025

「日本に関するThe Bibleの預言」January 13, 2025

わたしは彼らの中にしるしを置き、
彼らのうちの逃れた者たちを諸国に遣わす。
すなわち、タルシシュ、プル、弓を引く者ルデ、
トバル、ヤワン、そして、
わたしのうわさを聞いたことも、
わたしの栄光を見たこともない遠い島々に。
彼らはわたしの栄光を諸国の民に告げ知らせる。
(旧約聖書 イザヤ書66章19節)

The Bibleが語る世界の中心はエルサレム。
JESUS CHRISTの福音は、エルサレムから、
ユダヤとサマリアの全土、そして地の果てへと届けられる。
エルサレムから見た地の果て、遠い島々。
そこに日本も含まれる。

北海道、本州、四国、九州。
歯舞群島、伊豆諸島、小笠原諸島、
佐渡島、隠岐諸島、瀬戸内海の島々、
対馬諸島、五島列島、天草諸島、大隅諸島、
トカラ列島、奄美群島、沖縄諸島、慶良間諸島、
大東諸島、宮古諸島、八重山諸島、尖閣諸島などなど。
合わせて14,125の遠い島々日本。

やがて遠い島々である日本に必ずリバイバルが起こり、
日本から諸国の民に福音は届けられる。
さらにJESUSが再臨される前に、
最終的にはエルサレム、イスラエル、ユダヤ人へと福音は届けられる。

なぜ旧約聖書に全人類が耳を傾ける必要があるのか January 9, 2025

「なぜ旧約聖書に全人類が耳を傾ける必要があるのか」January 9, 2025

聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。
あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、
あなたの神、主を愛しなさい。(申命記6章4−5節)

イスラエル民族は、全世界のすべての民族の代表です。
旧約聖書を読み、イスラエルの歴史を見ていくということは、
いわば、本当の自分を映し出す鏡の前に立たせられ、
見たくない本当の自分の姿を見させられるということです。

そして、この事実が、
「なぜイスラエルの歴史が中心的に記されている旧約聖書に、
 全人類が耳を傾ける必要があるのか」という疑問に対する答えです。

旧約聖書には、すべての民族に対する神のことばが記されています。
しかし、「聞け、イスラエルよ。」と語られているように、
ほとんどの紙面を割いて旧約聖書に記されているのは、
やはりイスラエル民族に対する神のことばです。

すべての民族の創造主である唯一まことの神も、イスラエルの神。
アブラハムに約束された祝福も、十戒も、神の民イスラエルのもの。

イスラエルは、ただ神のあわれみによって神の民として選ばれ、
神の民として愛され、神の民として育まれました。
しかし、旧約聖書が語る神の民イスラエルの歴史は、
罪と恥と裏切りに満ちています。

ただ神のあわれみによって神の民として選ばれ、
これ以上ないほど神に愛されたイスラエルは、
ことごとく自らの神に逆らい続け、
恵み深い神に反逆し続けました。

主なる神によって自由にされたにもかかわらず、
まことの神だけを神として愛する道から外れ、
ほかの神々と共に歩み続けた故に、
エルサレムが焼け野原になり、
イスラエルは異国バビロンへ強制連行され、
バビロンの流れのほとりで捕囚として70年歩んだ歴史を、
旧約聖書は赤裸々に語ります。

仮に日本民族が神の民として選ばれていたとしても、
イスラエルとまったく同じように、
うなじのこわい民としてほかの神々を持ち、
神の愛を裏切り続けたでしょう。
また、救い主として来られたJESUSを拒み、
イスラエルとまったく同じように、
十字架につけてこの世から抹殺したでしょう。
日本のキリスト教会の歴史を見るなら、そのことは明らかです。

日本のキリスト教会にも、まことの神だけを神として愛することを止め、
天皇を現人神として拝み、天照大神(太陽)を拝んだという歴史があります。
日本におけるキリスト教会の将来のために、
また、私たちJESUSの弟子が、
祝福の基、世の光、地の塩としての使命に生きるために、
JESUSの十字架と復活による赦しの宣言をしっかりと聴き取り、
赦された過去をしっかりと心に刻むことから始めましょう。

洗礼はスタート、ゴールはJESUS December 27, 2024

「洗礼はスタート、ゴールはJESUS」December 27, 2024

洗礼・バプテスマは、
JESUSを信じ受け入れたことによって得た、
3つのリアルな意味を体現する。

①お葬式と誕生式
洗礼は、自分のお葬式と誕生式。
JESUSと共に十字架につけられ、古い自分は死ぬ。
そしてJESUSと共によみがえって、新しく生まれる。

私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、
キリストとともに葬られたのです。
それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって
死者の中からよみがえられたように、
私たちも、新しいいのちに歩むためです。
私たちがキリストの死と同じようになって、
キリストと一つになっているなら、
キリストの復活とも同じようになるからです。
(新約聖書ローマ人への手紙6章4ー5節)

②誓約と入会式 
洗礼は、神と教会に対する誓約と入会式。
JESUSの愛に応えてJESUSとともに歩むことを誓い、
神の家族の一員として共に生きることを誓う入会式。

あなたがたはみな、信仰により、
キリスト・イエスにあって神の子どもです。
キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、
キリストを着たのです。
ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、
男と女もありません。
あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。
あなたがたがキリストのものであれば、
アブラハムの子孫であり、
約束による相続人なのです。
(新約聖書ガラテヤ人への手紙3章26ー29節)

③任命と派遣式
すべてのキリスト信者は、世の光、地の塩として任命され、
生活の場に、JESUSと共に派遣される。

あなたがたは地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら、
何によって塩気をつけるのでしょうか。
もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、
人々に踏みつけられるだけです。
あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。
また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。
燭台の上に置きます。
そうすれば、家にいるすべての人を照らします。
このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。
人々があなたがたの良い行いを見て、
天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。
(新約聖書マタイの福音書5章13ー16節)

洗礼は、JESUSと神の家族といっしょに、
ゴールを目指して歩み始めるスタート。
ゴールは、私たちがJESUSのように変えられること。
主語はあなたではなくJESUS!

キリストは、
万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、
私たちの卑しいからだを、
ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。
(新約聖書ピリピ人への手紙3章21節)

意義と安全 December 18, 2024

「意義と安全」December 18, 2024

人間の行動心理において、
人を行動に駆り立てる動機や原動力において、
意義と安全という2つのキーワードがある。

意義とは、
あなたがそこにいる意味、
そこにいるあなたの存在価値。

安全とは、
あなたがそこにいていいという安全、
あなたが安心していれる居場所。

造り主である神から離れた時、
人間は意義と安全を失ってしまった。

だから努力や頑張り、良い行いによって、
必死で他者から意義と安全を得ようとする。
常に人の目と人の評価を気にし、
人前で自分のために、
一所懸命パフォーマンスをして疲れ果てる。

あなたの造り主であるJESUSは、
そんなあなたに、
The Bibleによって、完全な意義と安全を与えてくださる。

自分の栄光のためにパフォーマンスをする者を、
神の栄光のためにパフォーマンスをする者に、
新しく造り変えてくださる。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。
(旧約聖書 イザヤ書43章4節)

空の鳥を見なさい。
種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。
それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。
あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。
(新約聖書 マタイの福音書6章26節)

二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。
そんな雀の一羽でさえ、
あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。
あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。
ですから恐れてはいけません。
あなたがたは多くの雀よりも価値があるのです。
(新約聖書 マタイの福音書10章29ー31節)

だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。
神が義と認めてくださるのです。
だれが、私たちを罪ありとするのですか。
死んでくださった方、
いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、
神の右の座に着き、しかも私たちのために、
とりなしていてくださるのです。
(新約聖書 ローマ人への手紙8章33−34節)

あなたがたは世の光です。
山の上にある町は隠れることができません。
また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。
燭台の上に置きます。
そうすれば、家にいるすべての人を照らします。
このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。
人々があなたがたの良い行いを見て、
天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。
(新約聖書 マタイの福音書5章14−16節)

目から鱗が落ちた人 November 23, 2024

「目から鱗が落ちた人」November 23, 2024

「目から鱗が落ちる」とか、「目からうろこ」という表現がある。
実はThe Bible・聖書の中に起源がある。
その部分、新約聖書、使徒の働き9章17ー18節を以下に記す。

そこでアナニアは出かけて行って、その家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウロ。あなたが来る途中であなたに現れた主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」するとただちに、サウロの目から鱗のような物が落ちて、目が見えるようになった。そこで、彼は立ち上がってバプテスマを受け、…

目から鱗が落ちたのは、サウロ、別名パウロという人物。
彼はJESUSをメシア・キリストと信じる者を熱心に迫害していた。
しかし復活されたJESUSに待ち伏せされ、
天からの光によって地に打ち倒され、目が見えなくなった。
「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」とJESUSは問われた。

やがてサウロのもとにアナニアという人物が遣わされる。
アナニアがサウロの上に手を置いて祈った時、
サウロの目から鱗のような物が落ち、目が見えるようになった。
サウロは、JESUSこそがメシア・キリストであることを確信し、
バプテスマ・洗礼を受け、JESUSの証人として走り始める。

JESUSをメシアとして信じたユダヤ人をメシアニック・ジューと呼ぶが、
メシアニック・ジューは、裏切り者として、ユダヤ人から迫害を受ける。
しかし目から鱗が落ちたユダヤ人は、
JESUS(ユダヤ名はイエシュア)をメシアとして信じ受け入れる。

パウロは、ユダヤ人同胞に迫害され、終始いのち狙われても、
同胞が救われることを捨て身で願いつつ、
異邦人の救いのために、地中海沿岸諸国で豊かに用いられた。
彼は小アジアやヨーロッパにJESUSの福音を届ける最初の宣教師とされた。

使徒の働きの中に、サウロ(パウロ)に関することが多く記録されている。
そして新約聖書として収められた多くの手紙は、パウロによる。
彼はキリストの奴隷、罪人のかしらとして、
獄中でも喜び祈りつつ手紙を書き続け、やがてローマで殉教した。

「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私(パウロ)はその罪人のかしらです。(テモテへの手紙第一1章15節)

この手紙を筆記した私テルティオ 礼拝のご案内

この手紙を筆記した私テルティオ

杉戸キリスト教会では、日曜朝10時過ぎから賛美と祈りを始めます。
10時半から朝の礼拝(ワーシップ)の時を持っています。
夕礼拝は夜8時から9時です。
どなたでもお集いください。

杉戸キリスト教会地図2014

まだ語られていない場所に 教会創立71周年記念 聖餐礼拝のご案内

まだ語られていない場所に

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10時半から朝の礼拝(ワーシップ)の時を持っています。
夕礼拝は夜8時から9時です。
どなたでもお集いください。

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