悪魔の悪賢さ September 9, 2025

「悪魔の悪賢さ」September 9, 2025

さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。創世記3章1ー6節

創世記3章は、悪魔の悪賢さを語ります。蛇の姿で現れた悪魔は、まず誘導尋問によって、神に対する悪いイメージを女に植え付けます。つられて女が隙を見せると、悪魔はすかさず真っ赤な嘘を吐いて女に噛みつき、心に猛毒を注入します。

2章16−17節で神である主が語られたみことば、「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」と比較してください。主は最高に良いお方なのに、悪魔は、主を最悪な存在へとおとしめるのです。

Mission316日本巡回派遣式

9月14日、朝の礼拝の中で、宮本俊一先生を杉戸から日本に派遣します!

Mission316日本巡回チラシ

杉戸キリスト教会地図2014

召天者記念礼拝式のご案内

召天者記念礼拝式2025

杉戸キリスト教会地図2014

ふさわしい助け手 September 8, 2025

「ふさわしい助け手」September 8, 2025

また、神である主は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」神である主は、その土地の土で、あらゆる野の獣とあらゆる空の鳥を形造って、人のところに連れて来られた。人がそれを何と呼ぶかをご覧になるためであった。人がそれを呼ぶと、何であれ、それがその生き物の名となった。人はすべての家畜、空の鳥、すべての野の獣に名をつけた。しかし、アダムには、ふさわしい助け手が見つからなかった。神である主は、深い眠りを人に下された。それで、人は眠った。主は彼のあばら骨の一つを取り、そのところを肉でふさがれた。神である主は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ、人のところに連れて来られた。人は言った。「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。男から取られたのだから。」それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。そのとき、人とその妻はふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。創世記2章18ー25節

The Bibleは、男性のあばら骨から、女性が造られたと教えます。
もし男性の頭の骨から女性が造られたら、男性は女性に頭が上がらないでしょう。
もし男性の足の骨から女性が造られたら、女性は男性に頭が上がらないでしょう。
しかし造り主なる神は、男性のあばら骨を一人の女に造り上げたのです。

あばら骨・肋骨とはどういう骨でしょうか。
あばら骨は、心臓・ハートや大切な内臓を、優しく包み込む繊細な骨です。
最高のデザイナーである神は、
男性のハートを優しく包み込む繊細な存在として、女性を創造されたのです。

デリケートな女性に男性が優しく接する時、
女性は最高にふさわしい助け手になれます。
そうでなければ、肋骨は簡単に折れてしまい、内臓に刺さってしまいます。

人がひとりでいるのは良くない September 7, 2025

「人がひとりでいるのは良くない」September 7, 2025

神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。創世記1章26−27節

また、神である主は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」神である主は、その土地の土で、あらゆる野の獣とあらゆる空の鳥を形造って、人のところに連れて来られた。人がそれを何と呼ぶかをご覧になるためであった。人がそれを呼ぶと、何であれ、それがその生き物の名となった。人はすべての家畜、空の鳥、すべての野の獣に名をつけた。しかし、アダムには、ふさわしい助け手が見つからなかった。神である主は、深い眠りを人に下された。それで、人は眠った。主は彼のあばら骨の一つを取り、そのところを肉でふさがれた。神である主は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ、人のところに連れて来られた。人は言った。「これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。男から取られたのだから。」それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。そのとき、人とその妻はふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。創世記2章18ー25節

「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。」
The Bibleは、「われわれ」と語られる三位一体の神を啓示しています。
父なる神、神のひとり子JESUS、聖霊なる神。
関係の中で一体であり、関係の中で共に生きておられる神。
そのような三位一体の神の似姿に造られたのが、人間です。

人間は、神との関係の中で、そして隣人との関係の中で、
一体となり共に生きるようにデザインされています。
そしてJESUSが、神のかたちのオリジナルです。
これが神のかたちの関係論的側面です。

支配せよ=そこを耕させ、また守らせた September 6, 2025

「支配せよ=そこを耕させ、また守らせた」September 6, 2025

神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。
「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。
海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」
創世記1章28節

神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、
そこを耕させ、また守らせた。創世記2章15節

上記のみことばから、
神のかたちに造られた人間の、目的論的側面を覚えましょう。
「支配せよ」という言葉が、
「耕すこと」と「守ること」に言い換えられています。

「支配せよ」とは、「自己中心に搾取せよ」ではありません。
「支配せよ」とは、神のしもべとして耕し守ること、仕えてケアすることです。
神のかたちに造られた人間には、そのような目的・使命が与えられています。
地球規模の環境問題に対する答えが、ここにあります。

エデン・喜びの園 September 5, 2025

「エデン・喜びの園」September 5, 2025

神である主は東の方のエデンに園を設け、そこにご自分が形造った人を置かれた。神である主は、その土地に、見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、そして、園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせた。一つの川がエデンから湧き出て、園を潤していた。それは園から分かれて、四つの源流となっていた。第一のものの名はピション。それはハビラの全土を巡って流れていた。そこには金があった。その地の金は良質で、そこにはベドラハとショハム石もあった。第二の川の名はギホン。それはクシュの全土を巡って流れていた。第三の川の名はティグリス。それはアッシュルの東を流れていた。第四の川、それはユーフラテスである。神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」創世記2章8ー17節

エデンの園は喜びの園でした。
見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木があり、
園のどの木からでも、思いのまま食べることができました。
永遠のいのちを保つ、いのちの木からもです!

けれども1本だけ、禁断の木がありました。
善悪の知識の木です。
その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。
だから食べてはならないと、神は警告されました。

善悪の知識の木は、善悪を測る基準・ものさしでした。
その木から食べないことは、神を善悪の基準とすること、
つまり「神を神とすること」を意味しました。

その木から食べることは、自己を善悪の基準とすること、
つまり「自分が神になること」を意味しました。
人間が神を善悪の基準とする限り、エデンの園は喜びの園でした。