祈りを神が聞いてくださる秘訣 February 17, 2025

「祈りを神が聞いてくださる秘訣」February 17, 2025

The Bibleは、
祈りを神が聞いてくださる秘訣を教えています。

何を祈ってもよいのですが、
神のみこころにしたがって祈り願うこと。
それが祈りを神が聞いてくださる秘訣です。

何事でも神のみこころにしたがって願うなら、
神は聞いてくださるということ、
これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。
私たちが願うことは何でも神が聞いてくださると分かるなら、
私たちは、神に願い求めたことを
すでに手にしていると分かります。
(ヨハネの手紙第一5章14−15節)

神のみこころにしたがって願うためには、
神のみこころとは何かを知る必要があります。

神のみこころは、
まず神を愛すること、そして隣人を愛することです。
神のみこころは、
十戒と主の祈りに具体的に教えられています。

今日実現した聖書のことば February 16, 2025

「今日実現した聖書のことば」February 16, 2025

旧約時代から、
「イスラエルの預言者はだれも自分の郷里イスラエルでは歓迎されません」。
だから預言者は、イスラエルのただ中を通り抜けて異邦人に遣わされるのです。
けれども、あなたがJESUSを歓迎するなら、
主の恵みの年を告げる聖書のことばは、今日JESUSによって実現します。

「主の霊がわたしの上にある。
貧しい人に良い知らせを伝えるため、
主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。
捕らわれ人には解放を、
目の見えない人には目の開かれることを告げ、
虐げられている人を自由の身とし、
主の恵みの年を告げるために。」
イエス(JESUS)は巻物を巻き、係りの者に渡して座られた。
会堂にいた皆の目はイエス(JESUS)に注がれていた。
イエス(JESUS)は人々に向かって話し始められた。
「あなたがたが耳にしたとおり、
今日、この聖書のことばが実現しました。
人々はみなイエス(JESUS)をほめ、
その口から出て来る恵みのことばに驚いて、
「この人はヨセフの子ではないか」と言った。
そこでイエス(JESUS)は彼らに言われた。
「きっとあなたがたは、
『医者よ、自分を治せ』ということわざを引いて、
『カペナウムで行われたと聞いていることを、
あなたの郷里のここでもしてくれ』と言うでしょう。」
そしてこう言われた。
「まことに、あなたがたに言います。
預言者はだれも、自分の郷里では歓迎されません。
まことに、あなたがたに言います。
エリヤの時代に、イスラエルに多くのやもめがいました。
三年六か月の間、天が閉じられ、大飢饉が全地に起こったとき、
そのやもめたちのだれのところにもエリヤは遣わされず、
シドンのツァレファテにいた、
一人のやもめの女にだけ遣わされました。
また、預言者エリシャのときには、
イスラエルにはツァラアトに冒された人が多くいましたが、
その中のだれもきよめられることはなく、
シリア人ナアマンだけがきよめられました。」
これを聞くと、会堂にいた人たちは みな憤りに満たされ、
立ち上がってイエス(JESUS)を町の外に追い出した。
そして町が建っていた丘の崖の縁まで連れて行き、
そこから突き落とそうとした。
しかし、イエス(JESUS)は
彼ら(イスラエル)のただ中を通り抜けて、去って行かれた。

(ルカの福音書4章18ー30節)

正しい人の祈りは、働くと大きな力がある February 15, 2025

「正しい人の祈りは、働くと大きな力がある」February 15, 2025

「正しい人の祈りは、働くと大きな力があります。」
 というみことばを否定的に受け止めると、
「私は正しくないので、私の祈りは働かず力がない。」
 となる。

悪魔はそのように信仰者に働きかけて、
祈りを止めさせようとする。

このみことばの前後を見て、文脈を追ってみよう。

ですから、あなたがたは癒やされるために、
互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。
正しい人の祈りは、働くと大きな力があります。
(新約聖書ヤコブの手紙5章16節)

「ですから、あなたがたは癒されるために、
互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。」
と語られた後に、
「正しい人の祈りは、働くと大きな力があります。」
と続く。

つまり、ここでの正しい人とは、
互いに罪を言い表し、互いのために祈る人と言える。
示される罪があるなら、互いにその罪を言い表し、
日々罪の悔い改めをする。そのような人が正しい人だ。

そして「正しい人の祈りは、働くと大きな力があります。」
というみことばの実例として、
預言者エリヤのことが語られる。
エリヤは私たちと同じ弱さを抱えた人間でした。
エリヤは早く死にたいと願う鬱(うつ)になった人です。
しかし、神の力は人の弱さのうちに完全に現れます。

エリヤは私たちと同じ人間でしたが、
雨が降らないように熱心に祈ると、
三年六か月の間、雨は地に降りませんでした。
それから彼は再び祈りました。
すると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。
(新約聖書ヤコブの手紙5章17−18節)

聖書と祈り会2025-02-12 ゼカリヤ書を読む12 自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て

杉戸キリスト教会では、水曜14時からと20時から、聖書と祈り会を持っています。
どなたでもお集いください。

2025年2月12日の聖書と祈り会メッセージ。
ゼカリヤ書を読む12 自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て。
聖書はゼカリヤ書12章1−14節。
聞くドラマ聖書はこちら⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠http://graceandmercy.or.jp⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠。
資料はこちら⁠https://flic.kr/p/2qLhwdd⁠

聖書と祈り会資料2025-02-12

マタイの系図とルカの系図の違い February 2, 2025

「マタイの系図とルカの系図の違い」February 2, 2025

1、順番が逆・流れが逆 
 マタイは、過去からJESUSにくだる系図
 ルカは、JESUSから過去にさかのぼる系図

2、女性の名前があるかないか
 マタイは、女性の名前も記す
    タマル、ラハブ、ルツ、(ウリヤの妻)、マリア
 ルカは、男性の名前だけを記す

3、アブラハムより以前の名前があるかないか
 マタイは、アブラハムからくだってJESUSに至る
 ルカが記した神に至る系図は、
 JESUSから過去に遡り、
 アブラハムよりもさらに遡り、
 最初の人アダム、そして神に至る。

JESUSはユダヤ人だけの救い主ではなく、
全世界のすべての民族の救い主(最後のアダム・神の子)である。

23 イエスは、働きを始められたとき、およそ三十歳で、
  ヨセフの子と考えられていた。
  ヨセフはエリの子で、さかのぼると、
24 マタテ、レビ、メルキ、ヤンナイ、ヨセフ、
25 マタティア、アモス、ナホム、エスリ、ナガイ、
26 マハテ、マタティア、シメイ、ヨセク、ヨダ、
27 ヨハナン、レサ、ゼルバベル、シェアルティエル、ネリ、
28 メルキ、アディ、コサム、エルマダム、エル、
29 ヨシュア、エリエゼル、ヨリム、マタテ、レビ、
30 シメオン、ユダ、ヨセフ、ヨナム、エルヤキム、
31 メレア、メンナ、マタタ、ナタン、ダビデ、
32 エッサイ、オベデ、ボアズ、サラ、ナフション、
33 アミナダブ、アデミン、アルニ、ヘツロン、ペレツ、ユダ、
34 ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル、
35 セルグ、レウ、ペレグ、エベル、シェラ、
36 ケナン、アルパクシャデ、セム、ノア、レメク、
37 メトシェラ、エノク、ヤレデ、マハラルエル、ケナン、
38 エノシュ、セツ、アダム、そして神に至る。
(ルカの福音書3章23ー38節)

畑に隠された宝を体験せよ! January 23, 2025

「畑に隠された宝を体験せよ!」January 23, 2025

天の御国は畑に隠された宝のようなもの。
その宝を見つけた人は、それをそのまま隠し、
喜びのあまり、行って、
持っている物すべてを売り払い、
その畑を買う。

それほどに喜びがある、天の御国とは何なのか?
天の御国とは、神の愛による統治。
天の御国とは、JESUSを中心とした神の国。
天の御国とは、この世に存在するパラダイス・天国。

JESUSを信頼して心の真ん中に受け入れるなら、
あなたも天の御国を体験することができる。
JESUSを信頼して心の真ん中に受け入れるなら、
あなたの心の真ん中に天の御国が来る。

天の御国は畑に隠された宝のようなものです。
その宝を見つけた人は、それをそのまま隠しておきます。
そして喜びのあまり、行って、
持っている物すべてを売り払い、その畑を買います。
(マタイの福音書13章44節)

見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。
だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、
わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、
彼もわたしとともに食事をする。(黙示録3章20節)

畑に隠された宝を体験せよ!

なぜヨナは主の御顔を避けて逃げたのか? January 20, 2025

「なぜヨナは主の御顔を避けて逃げたのか?」January 20, 2025

ヨナは、批判されることが多い預言者だ。
なぜなら彼は、初め主の御顔を避けて、
ニネベとは反対のタルシシュに逃げたのだから。

なぜヨナは、主の御顔を避けて逃げたのか?
ヨナ書4章には、ヨナ自身の言葉で、
その理由が明らかにされている。
ヨナが魚の腹から救われ、
再び神から命じられ、
ニネベに行って叫ぶと、多くの人々が悔い改めた。
それをご覧になった神が、わざわいを思い直された。
それに対して怒り狂ったヨナの言葉だ。

「ああ、主よ。私がまだ国にいたときに、
このことを申し上げたではありませんか。
それで、私は初めタルシシュへ逃れようとしたのです。
あなたが情け深くあわれみ深い神であり、
怒るのに遅く、恵み豊かで、
わざわいを思い直される方であることを知っていたからです。
ですから、主よ、どうか今、私のいのちを取ってください。
私は生きているより死んだほうがましです。」
(ヨナ書4章2−3節)

なぜヨナは、主の御顔を避けて逃げたのか?
それは主なる神が、
「イスラエルの敵国アッシリアの大きな都ニネベに行って、
神からのメッセージを叫べ」とヨナに命じたから。

今日に当てはめるなら、
イスラエルが、「敵であるテロ組織ハマスの本拠地に行って、
神からのメッセージを叫べ」と命じられたような状況だ。

批判することは簡単だ。
だからヨナは、批判する者にこう言うだろう。
「だったらあんたがやってみな!」