はるかにまさる道 December 23, 2024

「はるかにまさる道」December 23, 2024

武士道、剣道、柔道、空手道、合気道、弓道、
芸道、書道、茶道、華道、歌道、極道、ビジネス道。
日本人は、道が大好きだ。

実は聖書の信仰は、キリスト道と言える。
その根拠となるThe Bibleのみことばを紹介したい。
この箇所、英語の聖書では、
the most excellent way(最も優れている道)として紹介されている。

あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。
私は今、はるかにまさる道(the most excellent way)を示しましょう。
たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、
愛がなければ、騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。
たとえ私が預言の賜物を持ち、
あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、
たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、
愛がないなら、私は無に等しいのです。
たとえ私が持っている物のすべてを分け与えても、
たとえ私のからだを引き渡して誇ることになっても、
愛がなければ、何の役にも立ちません。
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、
苛立たず、人がした悪を心に留めず、
不正を喜ばずに、真理を喜びます。
すべてを耐え、すべてを信じ、
すべてを望み、すべてを忍びます。
愛は決して絶えることがありません。
預言ならすたれます。異言ならやみます。知識ならすたれます。
私たちが知るのは一部分、預言するのも一部分であり、
完全なものが現れたら、部分的なものはすたれるのです。
私は、幼子であったときには、幼子として話し、
幼子として思い、幼子として考えましたが、
大人になったとき、幼子のことはやめました。
今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、
そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。
今、私は一部分しか知りませんが、
そのときには、私が完全に知られているのと同じように、
私も完全に知ることになります。
こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、
これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。
愛を追い求めなさい。
また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。
(新約聖書コリント人への手紙第一12章31節から14章1節)

帰り道の賛美 December 22, 2024

「帰り道の賛美」December 22, 2024

キリスト信者・クリスチャンに出会うと、
賛美という異文化に触れることになる。

賛美とは何か?
賛美とは、神をほめたたえること。

歌う、叫ぶ、呻く、音楽を奏でる、対話する、
書く、絵を描く、写真を撮る、動画を撮影する、
からだを動かす、歩く、走る、踊る、スポーツする、
遊ぶ、自転車やオートバイや車に乗る、探検する、
買い物をする、何かを育てる、魚釣りをする、
料理する、食べる、食器を洗う、掃除する、
本を読む、学ぶ、練習する、仕事する、整理する、
静まる、休む、寝る、起きる、感じる、息をする。

神を喜びながら生活すること、
神をほめたたえながら生きること、
それらはすべて、賛美になる。

なぜ神を賛美するのか?
その理由は、ほめたたえる神が、
あまりにも素晴らしいから。

何かの帰り道に、
賛美しながら帰るなら、最高だ!
苦しみ悩みながら、それでも賛美をする者は、
やがて必ず勝利者になる!

私はあらゆるときに 主をほめたたえる。
私の口には いつも主への賛美がある。
私のたましいは主を誇る。
貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。
私とともに主をほめよ。
一つになって 御名をあがめよう。
私が主を求めると 主は答え
すべての恐怖から 私を救い出してくださった。
主を仰ぎ見ると 彼らは輝いた。
彼らの顔は辱められることがない。
この苦しむ者が呼ぶと 主は聞かれ
すべての苦難から救ってくださった。
(旧約聖書 詩篇34篇1−6節)

あなたを背負い続ける神 December 21, 2024

「あなたを背負い続ける神」December 21, 2024

世界中に、数えきれない神々がいる。
日本だけでも八百万(やおよろず)の神々がいると言われる。
それらは人間が造ったり、祭り上げた神々だ。

それに対して、
The Bibleの神は、
人間と万物を造られた唯一無二の神。

人間が造った神と人間を造られた神。
最もわかりやすい両者の比較は、
旧約聖書イザヤ書46章にある。
一言で言うなら、
背負われる神か、背負う神かの違いである。

人間が造った神々、
例えば仏像や仏壇などは背負われる神。
獣や家畜に載せられ、疲れた動物の重荷となって運ばれる。
あるいは人に背負われ、車やトラックなどで運ばれる。

それに対して、人間を造られた神は背負う神。
人間と万物を造られた唯一無二の神は、
以下のように語られる。

ヤコブの家よ、わたしに聞け。
イスラエルの家のすべての残りの者よ。
胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。
あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。
わたしはそうしてきたのだ。
わたしは運ぶ。背負って救い出す。
(旧約聖書 イザヤ書46章3−4節)

両者には天と地の違いがある。

JESUSに従うなら December 20, 2024

「JESUSに従うなら」December 20, 2024

The Bibleを貫いている原則がある。
それは、神に従うことの大切さ。

以下のみことばにおいても、
JESUSに従うことが、
約束のものを得る条件になっている。

「わたしは世の光です。
 わたしに従う者は、
 決して闇の中を歩むことがなく、
 いのちの光を持ちます。」
(ヨハネの福音書8章12節)

愚痴を言いながらでもいい。
とにかくJESUSに従うなら、
あなたもシモン・ペテロのように、
驚くばかりの神体験へと招かれる。

話が終わるとシモンに言われた。
「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」
すると、シモンが答えた。
「先生。私たちは夜通し働きましたが、
 何一つ捕れませんでした。
 でも、おことばですので、
 網を下ろしてみましょう。」
 そして、そのとおりにすると、
 おびただしい数の魚が入り、
 網が破れそうになった。
(ルカの福音書5章4−6節)

クリスマスの預言 December 19, 2024

「クリスマスの預言」December 19, 2024

メシア・キリストは、どこで生まれるのか?
実はThe Bibleに預言されていた。

「ベツレヘム・エフラテよ、
 あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。
 だが、あなたからわたしのために
 イスラエルを治める者が出る。
 その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」
(旧約聖書 ミカ書5章2節)

JESUSがメシア・キリストとして降誕され、
クリスマスの舞台となったユダヤのベツレヘム(パンの家)。

そこはパンの家という名前がつけられた穀倉地帯。
見渡す限り麦畑が広がっている小さな田舎の寒村。
そんな小さな田舎の寒村で、メシア・キリストは生まれた。

ベツレヘムは、ルツ記に描かれている落ち穂拾いの舞台で、
エフラテ(肥沃)とも呼ばれる。

また、ダビデが生まれ育ち、油注がれた所なので、
ダビデの町とも呼ばれる。

クリスマスの預言

聖書と祈り会2024-12-18 ゼカリヤ書を読む⑥行って、地を駆け巡れ

2024年12月18日の聖書と祈り会メッセージ。ゼカリヤ書を読む⑥行って、地を駆け巡れ。
聖書はゼカリヤ書6章1−15節。
聞くドラマ聖書はこちら⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠http://graceandmercy.or.jp⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠。
資料はこちら⁠https://flic.kr/p/2qAuZMD

聖書と祈り会資料2024-12-18