世界ではじめのクリスマス 礼拝(WORSHIP)のご案内

世界ではじめのクリスマス

クリスマスを待ち望む待降節・アドベントを迎えています。
杉戸キリスト教会では、日曜朝10時過ぎから賛美と祈りを始めます。
10時半から朝の礼拝(ワーシップ)の時を持っています。
夕礼拝は夜8時から9時です。
どなたでもお集いください。
あなたの上に、JESUSの愛が豊かに満ちあふれますように。

杉戸キリスト教会地図2014

世界ではじめのクリスマス December 8, 2024

「世界ではじめのクリスマス」December 8, 2024

クリスマスは、降誕されたキリストを礼拝するお祭です。
JESUSの誕生を喜び感謝するお祭りです。

The Bibleに、JESUSの誕生日は記されていません。
クリスマスが12月25日になったのは4世紀です。

当時ローマでは、太陽を神として拝む祭りが12月25日に行われていました。
古代の暦では冬至の日、一年のうちで最も日が短くなる時です。
冬至を境にして、少しずつ日が長くなります。
ですから、冬至に新しい太陽の誕生を祝う祭りが、世界各地にあります。

キリスト教会は、「イエス・キリストこそまことの光である」
という福音を積極的に伝えるために、
12月25日をクリスマスの日と定めました。

The Bibleが語る世界ではじめのクリスマスの風景。
キーワードは「飼葉桶」です。
飼葉桶、動物の餌箱がある家畜小屋。
それが世界ではじめのクリスマスの舞台でした。

救い主は、人間の赤ちゃんになって来てくださいました。
救い主は、家畜小屋で生まれ、飼葉桶に寝かせられました。
生まれた時から居場所がなかったJESUSは、
居場所のないあなたのために来られました。

男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。
(なぜなら)宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
(新約聖書ルカの福音書2章7節)

6000億円と100万円 December 7, 2024

「6000億円と100万円」December 7, 2024

昨日のたとえ話には、その後のストーリーがある。
6000億円の負債を、
ただあわれみによって全額免除してもらったしもべ。
彼はその後、100デナリ貸していた仲間に出会う。

今の日本円に換算すると、100デナリは100万円。

彼はその人を捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と迫る。
彼の仲間はひれ伏して、『もう少し待ってください。
そうすればお返しします』と嘆願する。
しかし彼は赦さず、その人を引いて行って、
負債を返すまで牢に放り込んでしまう。

彼の仲間たちは事の成り行きを見て非常に心を痛め、
行って一部始終を主君に話す。

主君は彼を呼びつけて言う。
『悪い家来だ。おまえが私に懇願したから、
私はおまえの負債をすべて免除してやったのだ。
私がおまえをあわれんでやったように、
おまえも自分の仲間をあわれんでやるべきではなかったのか。』

こうして、主君は怒って、
負債をすべて返すまで彼を獄吏たちに引き渡してしまう。

JESUSは言われる。

あなたがたもそれぞれ自分の兄弟を心から赦さないなら、
わたしの天の父もあなたがたに、このようになさる。
わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。

6000億円 December 6, 2024

「6000億円」December 6, 2024

マタイはかつて取税人だったので、
お金に興味があり、計算が得意であった。
JESUSは彼の興味や才能を聖めて、
お金に関する内容に満ちた福音書を書かせた。

マタイ18章に記されているたとえには、
1万タラントの借金を抱えた者が登場する。

1デナリが、当時の1日分の日当。
今の日本円に換算すると、1デナリは1万円。

1タラントは6000デナリなので、6000万円。
1万タラントは、なんと6000億円となる。

私たち罪人が抱える罪の負債額は6000億円相当。
億男でも自己破産するしかない借金の額だ。

しかしたとえに出てくるあわれみ深い王(JESUS)は、
6000億円の借金を抱えた者を、
ただあわれみによって、全額免除する。
これがアメイジング・グレイスの響きだ。

ですから、天の御国は、王である一人の人にたとえることができます。その人は自分の家来たちと清算をしたいと思った。清算が始まると、まず一万タラント(6000億円)の負債のある者が、王のところに連れて来られた。彼は返済することができなかったので、その主君は彼に、自分自身も妻子も、持っている物もすべて売って返済するように命じた。それで、家来はひれ伏して主君を拝し、『もう少し待ってください。そうすればすべてお返しします』と言った。家来の主君はかわいそうに思って彼を赦し、負債を免除してやった。(マタイの福音書18章23ー27節)

メシア・キリストの系図 December 5, 2024

「メシア・キリストの系図」December 5, 2024

ユダヤ人であり取税人であったマタイは、
福音書の最初にメシア・キリストの系図を記した。
マタイの福音書1章は、
カタカナの名前が並ぶ、新約聖書の第一関門だ。
イエス・キリストが、ユダヤ人であることを語っている。

この系図、実は普通ではない。
ユダヤ人の系図なのに、複数の女性が登場する。
しかもそれぞれの女性が、何らかの問題を抱えている。

遊女の姿をして男を誘惑したタマル。
エリコの遊女ラハブ。
異邦人(モアブ人)のルツ。
ダビデ王の浮気相手、ウリヤの妻(バテシェバ)。
そしてまだ結婚していないのに、聖霊によって妊娠するマリア。

救い主・キリスト・メシアの系図は、
JESUSがまさに罪人の友として歴史を歩まれ、
この世に来てくださったことを雄弁に語っている。

1:1 アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。2 アブラハムがイサクを生み、イサクがヤコブを生み、ヤコブがユダとその兄弟たちを生み、3 ユダがタマルによってペレツとゼラフを生み、ペレツがヘツロンを生み、ヘツロンがアラムを生み、4 アラムがアミナダブを生み、アミナダブがナフションを生み、ナフションがサルマを生み、5 サルマがラハブによってボアズを生み、ボアズがルツによってオベデを生み、オベデがエッサイを生み、6 エッサイがダビデ王を生んだ。 ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み、7 ソロモンがレハブアムを生み、レハブアムがアビヤを生み、アビヤがアサを生み、8 アサがヨシャファテを生み、ヨシャファテがヨラムを生み、ヨラムがウジヤを生み、9 ウジヤがヨタムを生み、ヨタムがアハズを生み、アハズがヒゼキヤを生み、10 ヒゼキヤがマナセを生み、マナセがアモンを生み、アモンがヨシヤを生み、11 バビロン捕囚のころ、ヨシヤがエコンヤとその兄弟たちを生んだ。12 バビロン捕囚の後、エコンヤがシェアルティエルを生み、シェアルティエルがゼルバベルを生み、13 ゼルバベルがアビウデを生み、アビウデがエルヤキムを生み、エルヤキムがアゾルを生み、14 アゾルがツァドクを生み、ツァドクがアキムを生み、アキムがエリウデを生み、15 エリウデがエレアザルを生み、エレアザルがマタンを生み、マタンがヤコブを生み、16 ヤコブがマリアの夫ヨセフを生んだ。キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになった。17 それで、アブラハムからダビデまでが全部で十四代、ダビデからバビロン捕囚までが十四代、バビロン捕囚からキリストまでが十四代となる。(マタイの福音書1章1ー17節)

救い主の系図

求めなさい そうすれば与えられます December 4, 2024

「求めなさい。そうすれば与えられます」December 4, 2024

「求めなさい。そうすれば与えられます。」という約束がある。
この言葉を聞いたことがある人は多い。
しかし、いったい何を求めると、何が与えられるのか?
The Bibleに耳を傾けてみよう。

ですから、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれでも、求める者は手に入れ、探す者は見出し、たたく者には開かれます。あなたがたの中で、子どもが魚を求めているのに、魚の代わりに蛇を与えるような父親がいるでしょうか。卵を求めているのに、サソリを与えるような父親がいるでしょうか。ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。
(新約聖書ルカの福音書11章 9ー13節)

この言葉の前後を読むと、
「求めなさい、聖霊を。そうすれば、だれにでも、聖霊が与えられます」
という約束だと確認できる。
聖霊は聖なる神の霊、神ご自身の御霊。
慰め主、助け主、真理の御霊、いのちの御霊、
イエスの御霊、内住のキリストと呼ばれる。

聖霊が与えられると、心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになり、
心と魂の渇きがなくなる。

「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。
(新約聖書ヨハネの福音書7章37−39節)

主の祈り 自己中心から神中心へ December 2, 2024

「主の祈り 自己中心から神中心へ」December 2, 2024

The Bibleには、「主の祈り」と呼ばれる祈りがある。
主イエス・JESUSが弟子たちに教えてくださった祈り。
実は、「主の祈り」をひっくり返すと、
以下のような「罪人の自己中心な祈り」になる。

私の名前があがめられますように。
私を中心とした私の国が来ますように。
私が心に思い描き、願っていることが、実現しますように。
私は、自分の力と知恵によって、今日も糧を得よう。
だれでも私に罪を犯すものがあるなら、
 決してその者を赦さないで、報復をしよう。
わたしは自分の力で、試みと悪から自分を救い出そう。
国と力と栄え、世界に満ちるものはすべて、私のものだ。

この的外れな、「罪人の自己中心な祈り」を意識しながら、
見事に的を射た「主の祈り」を祈ることを心がけよう。

天にましますわれらの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国をきたらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
われらの日用の糧を、今日も与えたまえ。
われらに罪を犯す者を、われらが赦すごとく、
           われらの罪をも赦したまえ。
われらを試みにあわせず、悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。
アーメン
(マタイ福音書6章、ルカ福音書11章参照)