光の中を歩むリーダーシップを求めて
あなたは何が見たくて何のためにそれをしているのか?
自分が評価されるため?
自分が認められるため?
自分が偉大な者になるため?
自分の栄光のため?
自分の名前があがめられるため?
高き嶺に至るほど、風当たりは強くなる
用いられるほど、この誘惑は強くなる
豊かに用いられ続けるために、来たる大収穫のために
日々備えて準備しなければ簡単に誘惑に負けてしまう
日々JESUSによって、自分の中にもある闇、弱さを自覚する
日々JESUSによって、自分の中にある闇と戦って勝つ
そのための祈りが主の祈り
的を指し示す証人がいなければ、
熱心に的外れな罪を犯すことしかできない
主イエス・キリスト(JESUS CHRIST)は、
弟子たちのリクエストに答えて、
主の祈りを教えてくださいました。
主の祈り(マタイ福音書6章、ルカ福音書11章参照)
天にましますわれらの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国をきたらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
われらの日用の糧を、今日も与えたまえ。
われらに罪を犯す者を、われらが赦すごとく、
われらの罪をも赦したまえ。
われらを試みにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなくなんじのものなればなり。アーメン
この主の祈りをひっくり返すと、
以下のような恐ろしい祈りになります。
「私の名前があがめられますように。
私を中心とした私の国が来ますように。
私が心の中で願っていることが、実現しますように。
私は、自分の力と知恵によって、今日も糧を得よう。
だれでも私に罪を犯すなら、決して赦さないで報復しよう。
私は自分の力で、試みと悪から自分を救い出そう。
国と力と栄え、世界に満ちるものはすべて、
私のものだ。」
私はこれを、罪人の的外れな祈り、
あるいは罪人の自己中心な祈りと呼んでいます。
絶対にアーメンと言ってはならない祈りです。
主の祈りは、このような悪の闇に打ち勝つための祈りです。
主の祈りには、福音のすべてが含まれています。
主の祈りは、世界を変える祈りです。
主の祈りは、平和を造る祈りです。
主の祈りは、主イエスの再臨を待ちつつ、
世界宣教に急ぐ祈りです。
主の祈りを共に味わい、
主の祈りを私たちの祈りにできますように。