LOVE SUGITO RADIO 2020-05-19 焚き火を囲んで聴く神の物語①天を見上げて地上を旅する

LOVE SUGITO RADIOは、杉戸キリスト教会の「のまちゃん牧師」によるラジオです。杉戸町に関すること、聖書に関することについて話しています。杉戸町と宮代町を愛するラジオです。カッコウの鳴き声とカエルの歌。26回目の配信。聖書のメッセージは創世記15章前半から、焚き火を囲んで聴く神の物語①天を見上げて地上を旅する。小冊子はこちら。

http://gospel.sakura.ne.jp/sugito/2019/01/02/天を見上げて地上を旅する-2/

第二のアダム オンライン礼拝2020-05-17

動画(YouTube)によるオンライン礼拝はこちらです。

音声(LOVE SUGITO RADIO)によるオンライン礼拝はこちらです。

式次第は以下の通りです。

2020年 5月17日 第2主日オンライン礼拝式
前   奏
賛   美  讃美歌312 いつくしみ深き

使徒信条
 われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
 われはそのひとり子、われらの主、
 イエス・キリストを信ず。
 主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより
 生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
 十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、
 三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、
 全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより
 来たりて生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。
 われは聖霊を信ず。聖なる公同の教会、
 聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、
 とこしえの命を信ず。アーメン

主の祈り(マタイ福音書6章、ルカ福音書11章参照)
 天にましますわれらの父よ。
 願わくは御名をあがめさせたまえ。
 御国をきたらせたまえ。
 みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
 われらの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 われらに罪を犯す者を、われらが赦すごとく、
 われらの罪をも赦したまえ。
 われらを試みにあわせず、
 悪より救いいだしたまえ。
 国と力と栄えとは、
 限りなくなんじのものなればなり。アーメン

祈   り  
賛   美  讃美歌122 みどりもふかき
聖   書  1コリント人への手紙15章35−49節
メッセージ 「第二のアダム」
賛   美  讃美歌532 ひとたびは死にし身
献   金  感謝と献身の告白として
祈   り  
頌   栄  讃美歌543 主イエスのめぐみよ
祝   祷  
後   奏  主に栄光あれ
報   告  その他

Untitled

メッセージアウトラインは以下の通りです。

第二のアダム(メッセージアウトライン)
2020年 5月17日 第3主日 オンライン礼拝式 杉戸キリスト教会から
聖書:1コリント人への手紙 15章35−49節

導入:人間のいのちの本質と不思議さ

救いの構造 神のかたちの福音

聖書は、人間のいのちの本質と不思議さを「からだ性」と「霊性」を併せ持った存在として説明している。

からだ性=身体、肉体、血肉。  外科、内科、小児科、耳鼻咽喉科、眼科、歯科、呼吸器科・・・

霊性=霊、魂、精神、心、意識。 スピリチャルケア。心療内科。クリスチャンによるケア・カウンセリング(話をよく聴く+実際的な聖書の学び)。ナースクリスチャン(NCF)、チャプレン、牧師。

起:死者はどのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか?(35-36節)

35 しかし、「死者はどのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか」と言う人がいるでしょう。 36 愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ生かされません。 37 また、 あなたが蒔くものは、後にできるからだではなく、麦であれ、そのほかの穀物であれ、ただの種粒です。

ヨハネ福音書12:24 まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。

承:しかし神は、みこころのままに、それにからだを与え、それぞれの種にそれ自身のからだをお与えになります。(38-41節)

38 しかし神は、みこころのままに、それにからだを与え、それぞれの種にそれ自身のからだをお与えになります。 39 どんな肉も同じではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉、それぞれ違います。 40 また、天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの輝きと地上のからだの輝きは異なり、 41 太陽の輝き、月の輝き、星の輝き、それぞれ違います。星と星の間でも輝きが違います。

転:死者の復活もこれと同じです。・・・血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。(42-44節)

42 死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、 43 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、力あるものによみがえらされ、 44 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。

結:「最初の人アダムは生きるものとなった。」しかし、最後のアダム(第二のアダム)はいのちを与える御霊となりました。(45-49節)

45 こう書かれています。「最初の人アダムは生きるものとなった。」しかし、最後のアダムはいのちを与える御霊となりました。 46 最初にあったのは、御霊のものではなく血肉のものです。御霊のものは後に来るのです。 47 第一の人は地から出て、土で造られた人ですが、第二の人は天から出た方です。 48 土で造られた者たちはみな、この土で造られた人に似ており、天に属する者たちはみな、この天に属する方に似ています。 49 私たちは、土で造られた人のかたちを持っていたように、天に属する方のかたちも持つことになるのです。

最初の人アダム=土地のちり(アダマー)から形造られ、神のいのちの息・霊が吹き込まれて生きた者となった最初の人間(アダム)。それは私たち。

最後の・第二のアダム=イエス・キリスト=私たちと同じ肉体となってくださった神のことば。すべての人の代表。

「焚き火を囲んで聴く神の物語・対話篇 大頭眞一(おおずしんいち)と焚き火を囲む仲間たち」より
 第2章 アダムの目にも涙 参照

結論:第二のアダムである主イエス・キリストは、いのちを与える御霊となられた。土で造られた人のかたちを持っている私たちは、死者の復活によって、天に属する方のかたちも持つことになる。

Untitled

LOVE SUGITO RADIO 2020-05-14 ある女性のビフォーアフター

LOVE SUGITO RADIOは、杉戸キリスト教会の「のまちゃん牧師」によるラジオです。杉戸町に関すること、聖書に関すること等について話しています。杉戸町と宮代町を愛するラジオです。25回目の配信。土浦ナンバーの流通トラックとカスミに感謝。聖書のメッセージはヨハネ福音書4章前半から「ある女性のビフォーアフター」について。

聖書と祈り会2020-05-13

2020年5月13日の聖書と祈り会メッセージ。破壊から再創造へ45「うなじを固くする民・その2」。旧約聖書エレミヤ書43章から。高ぶってうなじを固くし、主の御声に聞き従わない民の姿は、私たちの姿でもある。資料はhttps://flic.kr/p/2j1stg1

刹那に生きない理由 オンライン礼拝2020-05-10

動画(YouTube)によるオンライン礼拝はこちらです。

音声(LOVE SUGITO RADIO)によるオンライン礼拝はこちらです。

式次第は以下の通りです。

2020年 5月10日 第2主日母の日オンライン礼拝式
前   奏
賛   美  讃美歌354 かいぬしわが主よ

使徒信条
 われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
 われはそのひとり子、われらの主、
 イエス・キリストを信ず。
 主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより
 生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
 十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、
 三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、
 全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより
 来たりて生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。
 われは聖霊を信ず。聖なる公同の教会、
 聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、
 とこしえの命を信ず。アーメン

主の祈り(マタイ福音書6章、ルカ福音書11章参照)
 天にましますわれらの父よ。
 願わくは御名をあがめさせたまえ。
 御国をきたらせたまえ。
 みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
 われらの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 われらに罪を犯す者を、われらが赦すごとく、
 われらの罪をも赦したまえ。
 われらを試みにあわせず、
 悪より救いいだしたまえ。
 国と力と栄えとは、
 限りなくなんじのものなればなり。アーメン

祈   り  
賛   美  讃美歌122 みどりもふかき
聖   書  1コリント人への手紙15章20−34節
メッセージ 「刹那に生きない理由」
賛   美  讃美歌532 ひとたびは死にし身
献   金  感謝と献身の告白として
祈   り  
頌   栄  讃美歌543 主イエスのめぐみよ
祝   祷  
後   奏  主に栄光あれ
報   告  その他

メッセージアウトラインは以下の通りです。

刹那に生きない理由(メッセージアウトライン)
2020年 5月10日 第2主日 母の日オンライン礼拝式 杉戸キリスト教会から
聖書:1コリント人への手紙 15章20−34節

導入:なぜ人は一瞬の刹那に生きるのか?「どうせ明日は死んで終わり」という刹那的考えに囚われているから。

母の日を覚えて。お母さんありがとう。昔母に尋ねた質問「お母さんは何のために生きてる?」「家族の幸せのために」。
あなたは、何のために生きておられるでしょうか? 生きる目的、生きる意味、生きる動機が問われている。

刹那に生きない理由
刹那=きわめて短い時間。瞬間。一瞬「―の快楽を求める」
刹那的=① 非常に短い時間であるさま。瞬間的。② 目の前の快楽を求めるさま。

なぜ人は一瞬の刹那に生きるのか?「どうせ明日は死んで終わり」という刹那的考えに囚われているから。
儚いこの地上の人生が、すべてだと考えているから。死んだらすべてが終わり。死んだらすべてがゼロになると考えているから。

起:アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリスト(第二のアダム)にあってすべての人が生かされるのです。(20-22節)

20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。 21 死が一人の人を通して来たのですから、死者の復活も一人の人を通して来るのです。 22 アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリスト(第二のアダム)にあってすべての人が生かされるのです。

承:最後の敵として滅ぼされるのは、死です。(23-28節)

23 しかし、それぞれに順序があります。まず初穂であるキリスト、次にその来臨のときにキリストに属している人たちです。 24 それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、王国を父である神に渡されます。 25 すべての敵をその足の下に置くまで、キリストは王として治めることになっているからです。 26 最後の敵として滅ぼされるのは、死です。 27 「神は万物をその方の足の下に従わせた」のです。しかし、万物が従わせられたと言うとき、そこには万物をキリストに従わせた方が含まれていないことは明らかです。 28 そして、万物が御子に従うとき、御子自身も、万物をご自分に従わせてくださった方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです。

転:毎日死にそうで、毎日死ぬことばかり考え、やがて死で終わりになるのだとしたら、何のためにバプテスマ・洗礼を受けるのか?死者の復活がないなら、それは無意味だ!(29-31節)

29 そうでなかったら、死者のためにバプテスマを受ける人たちは、何をしようとしているのですか。死者が決してよみがえらないのなら、その人たちは、なぜ死者のためにバプテスマを受けるのですか。 30 なぜ私たちも、絶えず危険にさらされているのでしょうか。 31 兄弟たち。私たちの主キリスト・イエスにあって私が抱いている、あなたがたについての誇りにかけて言いますが、私は日々死んでいるのです。

河野勇一先生の本「わかるとかわる!《神のかたち》の福音」より引用(p170)
「この聖句は、死者のための代理洗礼などと解釈されるのですが、初代の教会にそのような習慣があったことは認められていません。むしろ、この世では迫害と殺害の危険のもとに生き、死に運命づけられている私たちのいのちが死で終わりになる(死者)なら、何のためにバプテスマを受けるのか、復活がないならばそれは無意味ではないか、と理解できます。」

結:もし死者がよみがえらないのなら、「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ、明日は死ぬのだから」ということになります。(32-34節)

32 もし私が人間の考えからエペソで獣と戦ったのなら、何の得があったでしょう。もし死者がよみがえらないのなら、「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ、明日は死ぬのだから」ということになります。33 惑わされてはいけません。「悪い交際は良い習慣を損なう」のです。 34 目を覚まして正しい生活を送り、罪を犯さないようにしなさい。神について無知な人たちがいます。私はあなたがたを恥じ入らせるために言っているのです。

結論:なぜキリスト者は一瞬の刹那に生きないのか。
 「たとえ今日死んでも終わりではない」という復活信仰へと招かれ続けているから。

適用:「たとえ今日死んでも終わりではない」という復活信仰を覚えつつ、よみがえられて共に生きてくださる主イエスといっしょに生活しよう。

福音の急所 オンライン礼拝2020-05-03

動画(YouTube)によるオンライン礼拝はこちらです。

音声(LOVE SUGITO RADIO)によるオンライン礼拝はこちらです。

式次第は以下の通りです。

2020年 5月 3日 第1主日オンライン礼拝式
前   奏
賛   美  讃美歌354 かいぬしわが主よ

使徒信条
 われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
 われはそのひとり子、われらの主、
 イエス・キリストを信ず。
 主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより
 生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
 十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、
 三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、
 全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより
 来たりて生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。
 われは聖霊を信ず。聖なる公同の教会、
 聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、
 とこしえの命を信ず。アーメン

主の祈り(マタイ福音書6章、ルカ福音書11章参照)
 天にましますわれらの父よ。
 願わくは御名をあがめさせたまえ。
 御国をきたらせたまえ。
 みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
 われらの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 われらに罪を犯す者を、われらが赦すごとく、
 われらの罪をも赦したまえ。
 われらを試みにあわせず、
 悪より救いいだしたまえ。
 国と力と栄えとは、
 限りなくなんじのものなればなり。アーメン

祈   り  
賛   美  讃美歌122 みどりもふかき
聖   書  1コリント人への手紙15章1−19節
メッセージ 「福音の急所」
賛   美  讃美歌496 うるわしの白百合
献   金  感謝と献身の告白として
 (郵便振替 00110-3-177729 杉戸キリスト教会)
祈   り  
頌   栄  讃美歌543 主イエスのめぐみよ
祝   祷  
後   奏  主に栄光あれ
報   告  その他

メッセージアウトラインは以下の通りです。

福音の急所(メッセージアウトライン)
2020年 5月 3日 第1主日オンライン礼拝式 杉戸キリスト教会から
聖書:1コリント人への手紙 15章1−19節

みことば:1コリント人への手紙15章19節
もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。(新改訳)

もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。(新改訳2017)

導入:福音の急所は、死者の復活にある。
イースターからオンライン礼拝を続けていますが、何とか5月最初の日曜日を共に迎えることができました。神様と皆様に心から感謝します。感謝の祈りをささげましょう。

「天にいます、私たちの父なる神様!あなたが愛するひとり子を、イエス様を与えてくださったほどに、私たちを愛してくださったことを、心から感謝します。私たちの身代わりとして、イエス様が十字架で死んでくださり、3日目の朝によみがえられたことを感謝します。あなたがすべてのことを働かせて、万事を益に変えてくださることを感謝します。日毎の糧を今日も与えてくださり感謝します。主よお語りください。しもべは聞いております。愛する主、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。」

今日から5月31日のペンテコステ礼拝までの間、4回に分けて、コリント人への手紙第一の15章に耳を傾けたいと思います。神のかたちであられるイエス・キリストは、実際のからだを持たれ、第二のアダムとなってくださった。そのことを覚えるためです。

今日は「福音の急所」という題でメッセージを語ります。急所というのは、そこを打たれると立っていることができず、崩れ落ちてしまうほど弱い所です。からだの急所は、みぞおちであったり、あごであったりします。福音の急所は、死者の復活にあります。朽ちるからだを持って天から来られたイエス・キリストが、朽ちないからだをもって死から復活されたということが、福音の急所です。死者の復活を否定するなら、信じたことがすべて無駄になってしまう。福音が福音でなくなる。福音が喜びの知らせではなくなる。

起:兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。(1-2節)

1 兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。2 私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。

承:私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと(3-11節)

3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、4 また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、5 また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。7 その後、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒たちに現れました。8 そして最後に、月足らずで生まれた者のような私にも現れてくださいました。9 私は使徒の中では最も小さい者であり、神の教会を迫害したのですから、使徒と呼ばれるに値しない者です。10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。11 とにかく、私にせよ、ほかの人たちにせよ、私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです。

転:ところで、キリストは死者の中からよみがえられたと宣べ伝えられているのに、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はないと言う人たちがいるのですか。(12-15節)

12 ところで、キリストは死者の中からよみがえられたと宣べ伝えられているのに、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はないと言う人たちがいるのですか。13 もし死者の復活がないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。14 そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。15 私たちは神についての偽証人ということにさえなります。なぜなら、かりに死者がよみがえらないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずなのに、私たちは神がキリストをよみがえらせたと言って、神に逆らう証言をしたことになるからです。

結:もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。(16-19節)

16 もし死者がよみがえらないとしたら、キリストもよみがえらなかったでしょう。17 そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。18 そうだとしたら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったことになります。19 もし私たちが、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。

結論:福音の急所は、死者の復活にある。もし私たちが死者の復活を否定し、この地上のいのちにおいてのみ、キリストに望みを抱いているのなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。

適用:死が間近に迫る今こそ、「死者の復活=死が終わりではないいのち」を覚えよう!
 牧師という職業。他のお仕事をされている方々と違って、亡くなられた方の葬儀の司式をし、遺族の方と一緒に火葬場に向かい、お骨を拾い、お墓に納骨するという機会がとても多い。葬儀の司式をさせていただく時、讃美歌を歌いながら、ご遺体を収めた棺を火葬場の炉の中にお入れする時、そしてその後、お骨を拾う時。その時牧師を慰め、遺族をなぐさめるものは何か? それが「死者の復活」です!

ところが、今コロナの時代に生かされている私たちには、とても厳しい現実があります。

「コロナの時代の僕ら」 パオロ・ジョルダーノさんの本より
まさかーーよりによってここで、それも僕たちがーー愛する者に看取ってももらえず、寂しく死ぬことになるかもしれないなんて。しかもその葬儀は音ひとつせず、立ち会う者ひとりいないかもしれないなんて(イタリアでは2020年4月5日現在、感染拡大防止のため冠婚葬祭を含む一切の集会が認められていないため)

今日本でも、入院している方がコロナでなかったとしても、入院している方へのお見舞いや面会ができない。(身近な方が入院しているが、コロナの影響で面会できない状態が続いている)

東洋経済オンラインの記事より引用
コロナの影響で「葬儀」はどのように変わるのか 悲しみとの折り合いをつける「グリーフケア」
3月29日、タレントの志村けんさんが、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった。新型コロナウイルス感染症で亡くなると、遺体はすぐに火葬され、遺族であっても次に対面できるのは骨壷に収められた状態……というニュースに、社会が騒然となった。厚生労働省は「非透過性納体袋に収納、密封されている限りは特別の感染防止策は不要で、遺体搬送を遺族らが行うことも差し支えない」としており、「故人の顔を見て葬儀をしたい」という遺族の意向に沿うため、神戸市などが市内の病院へ納体袋の配布を行っているが、問題はそれだけではない。新型コロナウイルスの影響で、それ以前から縮小化・簡素化が進んでいた葬儀が、ますます小さく簡易なものになろうとしている。緊急事態宣言が出された4月7日から1週間後の14日正午の時点で、厚生労働省によると、日本の新型コロナウイルスでの死亡者数は累計109人。死が身近に迫る今こそ、きちんとお別れをすることの大切さを知ってほしい。

死が間近に迫る今こそ、「死者の復活=死が終わりではないいのち」を覚えよう!