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家族
礼拝メッセージ「愛は隣人に対して害を与えない」ローマ34
礼拝メッセージ「愛は隣人に対して害を与えない」ローマ34(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙13章1ー10節
1 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。2 したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。3 支配者を恐ろしいと思うのは、良い行いをするときではなく、悪を行うときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行いなさい。そうすれば、支配者からほめられます。4 それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行うなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。5 ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。6 同じ理由で、あなたがたは、みつぎを納めるのです。彼らは、いつもその務めに励んでいる神のしもべなのです。7 あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい。みつぎを納めなければならない人にはみつぎを納め、税を納めなければならない人には税を納め、恐れなければならない人を恐れ、敬わなければならない人を敬いなさい。8 だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。9 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということばの中に要約されているからです。10 愛は隣人に対して害を与えません。 それゆえ、愛は律法を全うします。ローマ13章1−10節
祈 祷 課 題
★天を見上げ、聖霊に満たされることを祈り求め、星の数ほどの家族となるように(創世記15:5)
★為政者が正しく権威を用いることができるように
★関東宣教区会議のために(10月8日)
★信仰決心者がクリスマスに受洗できるように
★宣教121周年記念大会のために(11月22〜)
★家族や友人が永遠のいのちと洗礼に導かれるように
★青年たちに志・人生の目的が与えられるように
★被災された方々とボランティアのために
★すそ野が広がるように(http://sugito.church.jp/)
★来年60周年を迎える教会の将来のために
ON THE ROAD 2011 The Last Weekend
浜田省吾は、私がキリスト教の洗礼を受ける前から聞き続け、そして洗礼を受けてからもずっと聞き続けている数少ないアーティストの一人だ。3月11日に東日本大震災が起こった2011年。その2011年に、浜田省吾が行ったアリーナツアーのDVDとCDが今日届いた。一言で言うと、喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣くことのできるライブコンサート。あなたにも、ぜひ浜田省吾の曲を聞いてほしい。
次世代を担う日本の青年へ・・・日本とアジアと世界の将来のために
次世代を担う日本の青年へ・・・日本とアジアと世界の将来のために
杉戸キリスト教会牧師 野町 真理
「外国語を知らない者は、自国語についても無知である。」(ヨハン・ゲーテ)
このゲーテの言葉は、「外国を知らない者は、自国についても無知である。」と言い換えることができる。
住み慣れた地を離れて外国を訪れ、外国から自国を見つめる時、その比較の中で、そのコントラストの中で、鮮やかに自国の姿が浮かび上がって来る。その時初めて、それまで知ることのなかったユニークな自国の姿を知ることができる。
電気、ガス、上下水道、道路、トイレ、公共交通機関、学校、病院、携帯電話、インターネットといったインフラストラクチャーがきれいすぎるほど几帳面に整備された現代日本で生活を続けたとしても、日本という国を知ることはできないだろう。例外として、東日本大震災などによる被災地を訪れるならば、国内においても似たような経験をすることができると考えられる。
これまで私は、韓国(ソウル近郊)、台湾(台北、台中、高雄)、中国(北京)、モンゴル(ウランバートル)という4つの外国を訪れる機会に恵まれた。この夏はモンゴルに9日間滞在し、その後北京に2泊して日本に帰って来た。旅から帰って来た後、私はなおも自国について無知であったことを思い知らされている。
道路について
チンギスハン国際空港に降り立った後、モンゴルの大地を車で移動し始めて、脳震とうが起きそうな揺れの中で何度も頭をぶつけながら、まず思い知らされたことがある。それは日本の道路の素晴らしさだ。モンゴルでは未舗装の道路が多く、雨が降ると水たまりが至るところにできる。スピードを出した車がそこを通る度に、水たまりはえぐられ、穴となって広がっていく。日本の林道よりもひどい穴だらけのダートが、国際空港から市街地への道路においてもずっと続いている。70年間の共産主義時代の後、ソ連が崩壊した影響で突然民主化したモンゴルでは、道路にいくら穴ができようと、なかなか工事などされないのだ。東日本大震災の後、突貫工事であっという間に道路の補修をする日本。少なくとも幹線道路であるならば、穴があいたりすればすぐに補修する日本のすごさを改めて思い知らされた。
以下にモンゴル郊外の教会堂の写真を紹介しよう。穴が空いた道路に雨が降ると、この通りの大池が教会前にできてしまうのであった。
(続く)
父として勝利する秘訣
礼拝メッセージ「すべてのことの意味」ローマ19
礼拝メッセージ「すべてのことの意味」ローマ19(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙8章26ー30節
26 御霊も同じようにして、
弱い私たちを助けてくださいます。
私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、
御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、
私たちのためにとりなしてくださいます。
27 人間の心を探り窮める方は、
御霊の思いが何かをよく知っておられます。
なぜなら、御霊は、
神のみこころに従って、
聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。
28 神を愛する人々、
すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、
私たちは知っています。
29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、
御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。
それは、御子が多くの兄弟たちの中で
長子となられるためです。
30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、
召した人々をさらに義と認め、
義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。
ローマ人への手紙8章26-30節
すべてのことが益とされる。万事が益とされる。
そこにすべてのことの意味があります。
1、まずあなたが神を愛する者となるために、
神はすべてのことを働かせて益としてくださいます。
2、次に召されたあなたを磨き上げ、
キリストのような栄光の姿にあなたを変えるために、
神はすべてのことを働かせて益としてくださいます。
ペンテコステ礼拝メッセージ「聖霊とは何か」ローマ17
ペンテコステ礼拝メッセージ「聖霊とは何か」ローマ17(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙8章1ー17節
1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が
罪に定められることは決してありません。
2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、
罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
3 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、
神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、
罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、
肉において罪を処罰されたのです。
4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、
律法の要求が全うされるためなのです。
5 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、
御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。
6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。
7 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。
それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。
8 肉にある者は神を喜ばせることができません。
9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、
あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。
キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。
10 もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、
からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。
ローマ人への手紙8章1-10節
礼拝メッセージ「人間とは何か」ローマ16
礼拝メッセージ「人間とは何か」ローマ16(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙7章1ー25節
私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。ローマ人への手紙7章24-25節
聖書が語る私たち人間について、共に学びましょう。
1、非常に良かった神の作品としての人間
あなたは偶然の産物ではない。人間は神のかたちに似せて造られた神の作品だと聖書は語ります。創造主なる神によって人間が造られた時、人間は神の栄光を現す最高傑作として非常に良いものでした。
2、非常に悪くなったみじめな存在としての人間
堕落した天使(悪魔)に誘惑された人間は、罪の奴隷となり、美しい神のかたちを失ってしまいました。「神と隣人(他者)のものをむさぼってはならない」という神の戒めによって機会を捕らえた罪が、人間を欺き、戒めによって人間を殺したのです。
その結果私たち人間は、自分がしたいことではなく、したくないことをするようになりました。優しくなりたいけど優しくなれない。わかっちゃいるけど止められない。非常に悪い自分をどうしても自分で変えることができないみじめな存在。救い主が必要な存在。それが私たち人間の本当の姿です。
母の日歓迎礼拝メッセージ「永遠のいのちとは何か」ローマ15
母の日歓迎礼拝メッセージ「永遠のいのちとは何か」ローマ15(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙6章15ー23節
罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。ローマ人への手紙6章23節
草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。イザヤ書40章8節
草は枯れ、桜は散ります。確かにこの地上には永遠などありません。けれども死の向こうへと続く永遠が確かにある。永遠に変わらない神の言葉、聖書はそう語っています。
永遠のいのちとは、神の下さるプレゼントです。プレゼントですから、代金を支払わなくても感謝して受け取れば得ることができます。永遠のいのちは神のひとり子のいのちがかかっているほどに高価なものですから、代金を支払うような方法では、絶対に得ることができません。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネ福音書3章16節
『現代人の生き方に見られる最も有害な点は、その近視眼的な考え方にあります。人生を最大限に活用するためには、永遠の視点を持たなければなりません。』リック・ウォレン「人生を導く5つの目的」(The Purpose Driven Life)より