礼拝メッセージ「価なしに義と認められる」ローマ8

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聖書箇所:ローマ人への手紙3章19ー31節

さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人々に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。なぜなら、律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。ローマ3章19-24節

ローマ人への手紙の主題は、「信仰義認」という四文字熟語で言い表すことができます。これは「イエス・キリストを信じる信仰によってのみ、あなたは神の前に価なしに義と認められる」という聖書の真理、イエス・キリストの福音を要約したものです。

けれども多くの人になじみ深いのは、「信仰義認」ではなく「行為義認」です。これは「自分の努力と頑張り、行為によって、代価を払うことのできた者だけが神の前に義と認められる」という考えです。

「信仰義認」の真理は、あなたを義と認め、罪責感や良心のとがめ、劣等感や優越感から解放し、あなたに喜びと平安と神への賛美を与えます。

礼拝メッセージ「怒りを下す神は不正か」ローマ7

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聖書箇所:ローマ人への手紙3章1ー18節

しかし、もし私たちの不義が神の義を明らかにするとしたら、どうなるでしょうか。人間的な言い方をしますが、怒りを下す神は不正なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。もしそうだとしたら、神はいったいどのように世をさばかれるのでしょう。でも、私の偽りによって、神の真理がますます明らかにされて神の栄光となるのであれば、なぜ私がなお罪人としてさばかれるのでしょうか。「善を現すために、悪をしようではないか」と言ってはいけないのでしょうか‐‐私たちはこの点でそしられるのです。ある人たちは、それが私たちのことばだと言っていますが。‐‐もちろんこのように論じる者どもは当然罪に定められるのです。では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。ローマ3章5-9節

悲惨な出来事の中で、「神がいるならどうしてこんなことが起こるのか?」という問いが生じます。

この問いの背後には、「怒りを下す神は不正である」という人間中心的な神学があります。「愛の神は正しいが、怒りを下す神は正しくない」、「赦す神は正しいが、裁く神は間違っている」というような考えです。このような神学は、「十字架を必要としない見せかけの神の愛と赦し」に行き着きます。

このような人間中心的な神学に対して、パウロは、「絶対にそんなことはありません」と強調します。

本当の神は、私たちの身代わりとして、十字架に磔にされたひとり子イエス・キリストの上に、容赦のない怒りを下された神です。

礼拝メッセージ「あなたがたのゆえに」ローマ6

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聖書箇所:ローマ人への手紙2章17ー29節

これは、「神の名は、あなたがたのゆえに、異邦人の中でけがされている」と書いてあるとおりです。もし律法を守るなら、割礼には価値があります。しかし、もしあなたが律法にそむいているなら、あなたの割礼は、無割礼になったのです。もし割礼を受けていない人が律法の規定を守るなら、割礼を受けていなくても、割礼を受けている者とみなされないでしょうか。また、からだに割礼を受けていないで律法を守る者が、律法の文字と割礼がありながら律法にそむいているあなたを、さばくことにならないでしょうか。外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。ローマ2章24-29節

3.11からちょうど一年が経ちました。被災された方々の上に、深い慰めと守りが豊かにありますようにと、心から祈ります。今なお揺れ動く苦しみと悲しみの地で、神があなたと共におられますように。

東日本大震災は、見せかけだけの偽物を暴き出し、人目に隠れた本物を明らかにしました。ローマ教会に呼び集められたメンバーにも、見せかけだけのユダヤ人がいて、深刻な問題を起こしていました。パウロは心痛めながら、祈りつつ、上記のような厳しい言葉を書き送っています。

本物のユダヤ人、本物の信仰者になるためには、心の扉を開き、主イエス・キリストを全面的に信頼して受け入れることがどうしても必要です。

礼拝メッセージ「弁解の余地」ローマ5

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聖書箇所:ローマ人への手紙2章1ー16節

ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行っているからです。私たちは、そのようなことを行っている人々に下る神のさばきが正しいことを知っています。そのようなことをしている人々をさばきながら、自分で同じことをしている人よ。あなたは、自分は神のさばきを免れるのだとでも思っているのですか。それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現れる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。ローマ2章1-5節

誰もが自分を基準とし、自分勝手に変わる基準を持って生きている。そう聖書は語ります。自分勝手に変わる基準は、自分を評価する時にはとても甘くなり、他人を評価する時にはとても厳しくなります。

自分勝手に変わる基準を持っていると、自分のことは棚に上げて、まるで他人事のように、平気で人を厳しくさばくことができます。なぜなら、同じことをしていても、自分はそんなに悪くなく、他人はとても悪いとしか思えないからです。

そんなあなたに対して神は語られます。あなたに弁解の余地はないと。素直に悔い改め、自分ではなく神を基準として生きる時にだけ、人は義人とされ、御怒りの日に神のさばきを免れることができます。

礼拝メッセージ「引き渡される神」ローマ4

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聖書箇所:ローマ人への手紙1章18ー32節

また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。彼らは、そのようなことを行えば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行っているだけでなく、それを行う者に心から同意しているのです。ローマ1章28-32節

福音はすべての人を救う神の力であり、福音のうちに神の義が啓示されている。我の上に小羊主イエスを迎えた義人は信仰によって生きる。そう語った後、パウロは「神の怒り」について語り始めます。

神が本気で怒られるのは、あなたを本気で愛しておられるからです。あなたが神を神とせず、造られたものを神として自分勝手に拝む時、神は怒りをもってあなたを良くない思いに引き渡されるのです。

実に神の怒りとは、どうしても言うことをきかない人間を、汚れ・恥ずべき情欲・良くない思いに引き渡すこと、勝手にしなさいと突き放すことです。

しかし神は、あなたの罪をすべて、罪のないひとり子イエスの上に負わせ、あなたの身代わりとして、主イエスを十字架の苦しみと死に引き渡されました。

礼拝メッセージ「キリスト・イエスのしもべ」

礼拝メッセージ「キリスト・イエスのしもべ」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙1章1ー7節

神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、ローマ人への手紙1章1節

今日からローマ人への手紙に耳を傾け始めます。
歴史において、特に危機の時代において、圧倒的な力を見せつけながら、世界を、人類を改革し続けているのが、ローマ人への手紙です。

なぜならローマ人への手紙には、福音の土台と柱が、福音の骨格がしっかりと文章化されているからです。

ローマ人への手紙は、パウロという人物が、当時の世界の中心であったローマにいるキリスト者たちに宛てて書いた手紙です。

手紙の差出人であるパウロの、自己紹介に注目しましょう。原文で読むと手紙の書き出しは以下のような順番になっています。

「パウロ しもべ キリスト・イエスの」

名前のすぐ後に記され、「しもべ」と訳されているのは、ドゥロスという言葉です。これは奴隷を意味する強烈な言葉です。

かつて教会・キリスト信者を、主イエスを熱心に迫害していたパウロ(サウロ)は、ダマスコ途上で待ち伏せしておられた神に遭遇し、復活の主イエスに打ち倒され、捕えられたのです。その結果パウロはキリスト・イエスのしもべ(奴隷)とされ、福音を異邦人に運ぶ器とされたのでした。(使徒9章参照)

キリスト・イエスのしもべ ローマ人への手紙の講解説教

キリスト・イエスのしもべ

ローマ人への手紙の講解説教を始めます。どなたでもお集いください。

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礼拝メッセージ「万物の支配者」

礼拝メッセージ「万物の支配者」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ヨハネの黙示録11章1ー19節

第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」それから、神の御前で自分たちの座に着いている二十四人の長老たちも、地にひれ伏し、神を礼拝して、言った。「万物の支配者、今いまし、昔います神である主。あなたが、その偉大な力を働かせて、王となられたことを感謝します。諸国の民は怒りました。しかし、あなたの御怒りの日が来ました。死者のさばかれる時、あなたのしもべである預言者たち、聖徒たち、また小さい者も大きい者もすべてあなたの御名を恐れかしこむ者たちに報いの与えられる時、地を滅ぼす者どもの滅ぼされる時です。」黙示録11章15-18節

やがての未来、万物の創造者であり支配者であられる主イエス・キリストが王となられ、この世の国を永遠に支配なさる時、3つのことが起こります。

1、死者がさばかれる

2、御名を恐れる者たちに報いが与えられる

3、地を滅ぼす者どもが滅ぼされる

「あなたもこれらのことを想定内に入れて、賢く備えて生きよ!」と聖書は未来を啓示しています。