SUGITO GOSPEL CAFE(杉戸福音喫茶)

お知らせ

福音喫茶、今日も19時半から、集まる形でOPENします!食事はまだありません。食べてから、マスクをもってお集いください。おいしいコーヒーはあります。20時からはFACEBOOKでライブ配信も行います。後からYouTubeLOVE SUGITO RADIOで配信します。

sugitogospelcafe

杉戸キリスト教会地図2016


YouTubeにて、これまでの試験配信を視聴できます。

聖霊の祝福をあなたに ペンテコステ・オンライン礼拝2020-05-31

動画(YouTube)によるオンライン礼拝はこちらです。

音声(LOVE SUGITO RADIO)によるオンライン礼拝はこちらです。

式次第は以下の通りです。

2020年 5月31日 第5主日ペンテコステ・オンライン礼拝式・国外宣教デー

前   奏
賛   美  讃美歌501 いのちのみことば

使徒信条
 われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
 われはそのひとり子、われらの主、
 イエス・キリストを信ず。
 主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより
 生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
 十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、
 三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、
 全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより
 来たりて生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。
 われは聖霊を信ず。聖なる公同の教会、
 聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、
 とこしえの命を信ず。アーメン

主の祈り(マタイ福音書6章、ルカ福音書11章参照)
 天にましますわれらの父よ。
 願わくは御名をあがめさせたまえ。
 御国をきたらせたまえ。
 みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
 われらの日用の糧を、今日も与えたまえ。
 われらに罪を犯す者を、われらが赦すごとく、
 われらの罪をも赦したまえ。
 われらを試みにあわせず、
 悪より救いいだしたまえ。
 国と力と栄えとは、
 限りなくなんじのものなればなり。アーメン

祈   り  
賛   美  讃美歌499 みたまよくだりて
聖   書  使徒の働き2章1−21節
メッセージ 「聖霊の祝福をあなたに」
賛   美  讃美歌500 みたまなるきよき神
献   金  感謝と献身の告白として
祈   り  
頌   栄  讃美歌543 主イエスのめぐみよ
祝   祷  
後   奏  主に栄光あれ
報   告  その他

週報2020-05-31

メッセージアウトラインは以下の通りです。

メッセージアウトライン2020-05-31

#聖霊の祝福をあなたに
2020年 5月31日 第5主日 ペンテコステ礼拝式・国外宣教デー 杉戸キリスト教会から
聖書:使徒の働き2章1−21節
#結論:ペンテコステの時、神の言葉が出来事となり、誰でも求める者には聖霊が与えられる時代が訪れた。

#導入:ペンテコステ(聖霊降臨まつり)と国外宣教デー
今日はペンテコステです。ペンテコステをキリスト教の立場から日本語に訳しますと、「聖霊降臨まつり」です。主イエス・キリストによって約束されていた聖霊が、降臨、つまり天から降りてこられた。そして、祈り続け、待ち望んでいた弟子たちの上に、ついに聖霊、聖なる神の霊が、力強く臨まれた。

ペンテコステをユダヤ教の立場から日本語に訳しますと、「五旬節」あるいは「7週のまつり」です。旧約聖書に記されていることですが、大麦の収穫の、初穂の束をささげてから50日目。すなわち、過越のまつりの後の最初の日曜日から数えて50日目に祝われるので、五旬節、とか7週の祭。あるいは、初穂の日とも呼ばれている。小麦の収穫の初穂を神に捧げる日。

過越節の後の最初の日曜日、これは、キリスト教の立場で考えるならイースター(イースター:春分の後の最初の満月の日の次の日曜日)。イースターの日曜日から数えて50日目。奇しくも私たち杉戸キリスト教会では、4月12日、イースターの日曜日から集まる礼拝を控え、7週、つまり49日間過ごして参りました。そして今日が50日目!まさにペンテコステ!

復活されたイエス様の約束と導きに聞き従い、エルサレムを離れないで、父の約束、聖霊のバプテスマ、聖霊降臨を求め続けていた人々の祈りが、ついに応えられ、約束の聖霊が降臨された日。一人一人が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた日。宣教師泣かせの外国語習得、言葉の壁をゆうゆうと超えて、福音、良き訪れのメッセージが、様々な外国語で語られた日。それがペンテコステに起こった、歴史的出来事。

私たち杉戸キリスト教会が所属する、日本同盟基督教団では、毎年ペンテコステの日を国外宣教デーとして、世界宣教を覚え、宣教師や諸外国のことを覚えます。その理由は、今日の聖書の箇所を見るとよくわかります。

今日の聖書の箇所は、新約聖書の使徒の働き2章、1節から21節。使徒の働き=ルカの福音書の続編。ルカの福音書が上巻で、使徒の働きが下巻。同じルカが、聖霊に導かれて書き記した、イエス・キリストの福音と世界宣教の物語。物語と言っても作り話ではなく実際にあったストーリー。宛先はいずれもテオフィロという名前の方。ルカの福音書はエルサレムに向かう旅。そして使徒の働きは、エルサレムから地の果て、エルサレムから全世界に向かう旅!そしてこの旅は現在進行形!使徒の働きは28章までしか記されていませんが、世界中に植えられたキリスト教会が、29章以降を実際に旅している。ルカは、聖霊の降臨を、特別な意味で、福音の世界宣教の準備、始まりと考えていた。

いつものように、起承転結に分けて耳を傾けましょう。

#起(1-4節):皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。
1 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。2 すると天から突然、激しい風(霊)が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。 3 また、炎のような舌(言葉を話す器官)が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。4 すると皆が聖霊に満たされ、御霊(聖霊)が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。

聖霊は、言葉の壁・文化の壁を超えて、福音を語らせてくださる。福音宣教は異文化コミュニケーション。

#承(5-13節):それなのに、あの人たちが、私たちのことばで神の大きなみわざを語るのを聞くとは。
5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国々から来て住んでいたが、 6 この物音がしたため、大勢の人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、呆気にとられてしまった。 7 彼らは驚き、不思議に思って言った。「見なさい。話しているこの人たちはみな、ガリラヤの人(無学な田舎者)ではないか。 8 それなのに、私たち(離散して外国で生まれ育ったユダヤ人=ディアスポラ)それぞれが生まれた国のことばで話を聞くとは、いったいどうしたことか。 9 私たちは、パルティア人、メディア人、エラム人、またメソポタミア(エルサレムから北東の諸国)、ユダヤ(エルサレム)、カパドキア、ポントスとアジア、 10 フリュギアとパンフィリア(北西の小アジア諸国)、エジプト、クレネに近いリビア地方などに住む者(南西の諸国)、また滞在中のローマ人(西)で、 11 ユダヤ人もいれば改宗者(異邦人)もいる。またクレタ人とアラビア人(南)もいる。それなのに、あの人たちが、私たちのことば(それぞれ自分たちが生まれ育った異国のことば)で神の大きなみわざ(福音)を語るのを聞くとは。」 12 人々はみな驚き当惑して、「いったい、これはどうしたことか」と言い合った。 13 だが、「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、嘲る者たちもいた。

地の果てまでキリストの証人となる教会の誕生と、世界宣教の門出を飾るのにふさわしい、世界各国のことばによる福音宣教のしるし!聖霊はガリラヤなまりの田舎者(アニメ、ワンピースの中に登場するキャラクターの中に〜だっぺ、〜だべ)に外国語をしゃべらせ、インフルエンサーに変えます!聖霊は無学な田舎者を、影響力を及ぼす人、世間に大きな影響力をもつ人に変えるのです。そして聖霊は、行き交う人々、街ゆく人々の足を止めます!聖霊は交通を止めるのです!(ロックンロールのストリートライブもそうですが)間違いなく聖霊は、エルサレム在住の帰国子女たち、異文化経験をしたエルサレム在住ユダヤ人たちの注目を、見事に引き起こしたのであります!

そして、このタイミングで、立ち直ることができたあのシモン・ペテロが、声を大にして語り始めるのです。「権力によらず、能力によらず、わたしの霊(聖霊)によって!」

#転(14-16節):これは、預言者ヨエルによって語られたことです。
14 ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々に語りかけた。「ユダヤの皆さん、ならびにエルサレムに住むすべての皆さん、あなたがたにこのことを知っていただきたい。私のことばに耳を傾けていただきたい。 15 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが思っているように酔っているのではありません。(酒に酔っているのではなく、聖霊に酔っているのです!) 16 これは、預言者ヨエルによって語られたことです。

聖霊は、わたしたちを神の愛に酔わせ、神の喜びに溢れさせ、最高のタイミングで、周りの人々に驚きと関心を引き起こす!

#結(17-21節):神は言われる。 終わりの日に、わたしは すべての人にわたしの霊を注ぐ。 あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。

17『神は言われる。 終わりの日に、わたしは すべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、 青年は幻を見、老人は夢を見る。18 その日わたしは、 わたしのしもべにも、はしためにも、 わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。19 また、わたしは上は天に不思議を、下は地にしるしを現れさせる。それは血と火と立ち上る煙。20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。21 しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。』

#結論:ペンテコステの時、神の言葉が出来事となり、誰でも求める者には聖霊が与えられる時代が訪れた。

#適用:あなたも今日、主イエス・キリストに祈り求めるなら、イエス様を信じ受け入れるなら、力強い聖霊を受けることができる。聖霊は無学な田舎者を、世間に大きな影響力をもつ人に変える。そして聖霊は、夢と幻、ドリームとビジョンを見させてくださり、私たちを世界宣教のために豊かに用いてくださる!

ヨハネ福音書7章
37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。 38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」 39 イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光(十字架と復活、そして昇天を通して)を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。

#(以前私が国外宣教委員であった時、2014年に書いた文書)
教会は全地に 国外宣教50周年記念誌 編集後記1
特別寄稿文までの最初の部分を、編集後記としてまとめてみたいと思います。

時期尚早と思われても熱い祈りが積まれ、世界宣教に果敢にチャレンジし続けた50年。宣教された経験を生かして、日本とアジアと世界に仕えることを試みた日本同盟基督教団の歴史。

最初の15年は「準備と派遣」、次の10年は「継続と発展」、その後の15年は「成熟と調整」、そして最近の10年は「新たな挑戦」の時です。戦争の70年があり、戦争放棄の70年がありました。今は「人・もの・情報」の世界的大移動がもたらすグローバル化と多元化が急激に起こっています。次の半世紀を見据えた新たな挑戦の時です。

20年後に迎える国外宣教70周年(2034年)に向けて、アジア全域に宣教師を派遣することをビジョンとして掲げています。日本国内にいる外国人や国外にいる日本人がますます増え続けています。毎年1600名以上を数える海外で主イエスに出会った帰国者のフォローも急務です。国内と国外。実はそんなふうに考えることが改めて問われています。置かれている場所がエルサレムであり、そこにおいても世界宣教が可能であり、そこから世界を宣教区として、地の果てを目指します。

教師と信徒。それぞれに日本人もいますが国籍や文化の違う人たちもいます。多様化は今後ますます進むと思われます。正教師を中心とした教職宣教師と信徒宣教師、長期と短期、技術宣教師、医療宣教師、委託派遣などなど。特に各教会から海外に遣わされる信徒の一人一人が、これからの宣教の鍵を握っていると思われます。

各教会において、各宣教区において、各大会において、共に主イエス・キリストの御声に聞く祈りから始めることができたなら、「権力によらず、能力によらず、わたしの霊(聖霊)によって」と仰せられる主が、私たち日本同盟基督教団をこれまで以上に豊かに用いてくださり、様々な教団や宣教団体との宣教協力の中で、世界宣教を成し遂げてくださると私は堅く信じています。

主日礼拝(日曜礼拝)に関するお知らせ

聖霊の祝福をあなたに

主日礼拝(日曜礼拝)に関するお知らせ

愛する皆様へ

いつもありがとうございます。杉戸キリスト教会牧師の野町です。

新型コロナウイルス感染症の広がりの中、これまで様々なことを配慮し、主日礼拝だけは集まり続けたいと願い、日々祈って参りました。けれども、私を含めて、共に集うことへの不安や恐れを覚えておられる方々が増えていることを深慮し、4月12日からしばらく、主日礼拝のために集まることを控えることにいたしました。本日(5月3日)改めて役員会を行い、5月いっぱいも控えることになりました。再開の際には改めて連絡致します。

教会のホームページにて、日曜午前10時半から動画と音声で礼拝メッセージを配信致します。それぞれ生活の場において、礼拝を捧げてください。なお、教会は月曜と祝日以外は、朝8時半から夜9時まで開いています。祈祷会などは有志で行っています。ぜひお集いください。

「ゆうちょ銀行の総合口座通帳」から「ニホンドウメイキリストキョウダンスギトキリストキョウカ」「記号10300 番号27225421」に1件100円で送金できます。献金にご利用ください。

キリスト教会にとって、集まること、一緒に礼拝すること、一緒に祈り賛美すること、一緒に食事することは、教会そのものです。コロナウイルスの脅威が取り除かれ、再び皆様と、喜びのうちに共に集うことができる日が、1日も早く来ますようにと切に祈りつつ。

2020年 5月 3日
野町 真理

なぜ杉戸キリスト教会は、2020年4月12日から、集まる礼拝を一時的に止めたのか?

理由1、弱さを覚えている隣人を、自分にしてもらいたいように愛するため
この状況で集まる礼拝を続け、そこに大切な未信者の方々を喜んでお招きできるのか?
無自覚・無症状の人が感染を広げる怖さ、自分自身が保菌者である可能性が高い怖さ
礼拝出席者に高齢者や持病持ちの方が多い怖さ
教会員の背後におられる家族、学校、職場(高齢者施設等含む)、地域の方々のために
信仰の強い人が信仰の弱い人を裁く怖さ
(3度主を裏切る前のペテロと主のとりなし。ルカ福音書22章31ー34節参照)

理由2、教会の礼拝式が集団感染の場(クラスター)にならないため
もし教会がクラスターになったら、福音宣教の前進になるのか?
無理心中や集団自殺をするカルト集団と見られる可能性は?
集まる礼拝を持つと、社会的距離(ソーシャル・ディスタンス)を保つことが困難
(近距離でマスクなしの長時間会話などを避けるのは、現実的には非常に難しい)
マスクやアルコール消毒液が入手困難な状況が続いている。受付の消毒液は残りわずか
短距離走ではなくマラソンに例えられる長期戦

★プロセス:時間をかけて祈りつつ、段階的に役員会で決めたこと。
 3月 1日(日)役員会で以下のことを決定し、役員会報告に掲載。
「教会で感染者が出た時、杉戸宮代で感染者が出た時や、他に礼拝中止などの措置が必要と認めた場合は、牧師が幾人かと相談の上、指示を連絡網で知らせる。緊急時は牧師に一任。」
 3月22日(日)臨時役員会でも上記のことを再度確認し、役員会報告に再度掲載。
 3月29日(日)及び4月5日(日)は以下のアナウンスを事前に連絡網で回して礼拝を行う。
  礼拝に参加される方へ 新型コロナウイルス感染症を覚えて
 4月 5日(日)役員会で審議し、杉戸、宮代で発生したらオンライン礼拝礼拝も考える。
 4月 7日(火)夜に埼玉県にも緊急事態宣言が出される。5月6日までの予定。
 4月 8日(水)役員全員に打診する。
 4月 9日(木)朝に全員から了承の返事をいただく。午前に教会ホームページに掲載し、教会員や来会者に連絡網を回す。夜に杉戸町から2名の感染者、幸手市から1名の感染者が出たことを知る。
 4月12日(日)最初のオンライン礼拝を行う。当日朝に収録した動画と音声を通常の礼拝時間の午前10時半にホームページで配信する。
 5月 3日(日)午後14時から役員会を行い、5月いっぱいはオンライン礼拝を続けることを決める。

新型コロナウイルス感染症に関する資料2020

真実な言葉に感謝

明日のランチは「流しそうめん」です!どなたでもぜひお集いください。
なお、今日から明日の夜にかけて、杉戸まつりが開催されます。なお、明日は13:30から21:30分まで教会前の道路が歩行者天国になります。

真実な言葉に感謝

杉戸キリスト教会地図2016

生ける水の川

今度の日曜日は、ペンテコステと呼ばれる特別な日です。ペンテコステとは、聖なる神の霊が注がれ、教会が誕生した日です。ぜひお集いください。

生ける水の川

杉戸キリスト教会地図2016

パンとぶどうの杯

パンとぶどうの杯

杉戸キリスト教会地図2016

ハイデルベルク信仰問答より

ハイデルベルク信仰問答より

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序 ただ一つの慰め

問1 生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。

答 わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです。

 この方は御自分の尊い血をもってわたしのすべての罪を完全に償い、悪魔のあらゆる力からわたしを解放してくださいました。

 また、天にいますわたしの父の御旨でなければ髪の毛一本も落ちることができないほどに、わたしを守っていてくださいます。実に万事がわたしの救いのために働くのです。

 そしてまた、御自身の聖霊によりわたしに永遠の命を保証し、今から後この方のために生きることを心から喜び、またそれにふさわしくなるように、整えてもくださるのです。

問2 この慰めの中で喜びに満ちて生きまた死ぬために、あなたはどれだけのことを知る必要がありますか。

答 三つのことです。
 第一に、どれほどわたしの罪と悲惨が大きいか(第一部の内容)、

 第二に、どうすればあらゆる罪と悲惨から救われるか(第二部の内容)、

 第三に、どのようにこの救いに対して神に感謝すべきか(第三部の内容)、

 ということです。

第一部 人間の悲惨さについて

問3 何によって、あなたは自分の悲惨さに気づきますか。

答 神の律法によってです。

問4 神の律法は、
わたしたちに何を求めていますか。

答 それについてキリストは、
マタイ福音書22章で次のように
要約して教えておられます。

「『心を尽くし、精神を尽くし、
思いを尽くし、力を尽くして、
あなたの神である主を愛しなさい。
』これが最も重要な第一の掟である。



第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、
この二つの掟に基づいている。」

問5 あなたはこれらすべてのことを
完全に行うことができますか。

答 できません。なぜなら、わたしは
神と自分の隣人を憎む方へと
生まれつき心が傾いているからです。

問6 それでは、神は人をそのように邪悪で歪んだものに創造なさったのですか。

答 いいえ。むしろ神は人を良いものに、また御自分にかたどって、すなわち、まことの義と聖において創造なさいました。それは、人が自らの造り主なる神をただしく知り、心から愛し、永遠の幸いのうちを神と共に生き、そうして神をほめ歌い讃美するためでした。

問7 それでは、人のこのような腐敗した性質は何に由来するのですか。

答 わたしたちの始祖アダムとエバの、楽園における堕落と不従順からです。それで、わたしたちの本性はこのように毒され、わたしたちは皆、罪のうちにはらまれて生まれてくるのです。

問8 それでは、どのような善に対しても全く無能であらゆる悪にかたむいているというほどに、わたしたちは堕落しているのですか。

答 そうです。わたしたちが神の霊によって再生されないかぎりは。

問9 御自身の律法において人ができないようなことを求めるとは、神は人に対して不正を犯しているのではありませんか。

答 そうではありません。なぜなら、神は人がそれを行えるように人を創造されたからです。にもかかわらず、人が悪魔にそそのかされ、身勝手な不従順によって自分自身とそのすべての子孫からこの賜物を奪い去ったのです。

問10 神はそのような不従順と背反とを罰せずに見逃されるのですか。

答 断じてそうではありません。それどころか、神は生まれながらの罪についても実際に犯した罪についても、激しく怒っておられ、それらをただしい裁きによってこの世においても永遠にわたっても罰したもうのです。それは、「律法の書に書かれているすべての事を絶えず守(り行わ)ない者は皆、呪われている」と神がお語りになったとおりです。

問11 しかし、神は憐れみ深い方でもありませんか。

答 確かに神は憐れみ深い方ですが、またただしい方でもあられます。ですから、神の義は、神の至高の尊厳に対して犯される罪が、同じく最高の、すなわち永遠の刑罰をもって体と魂とにおいて罰せられることを要求するのです。

第二部 人間の救い(和解)について

ただ一人の仲保者 問12-19

問12 わたしたちが神のただしい裁きによってこの世と永遠との刑罰に値するのであれば、この刑罰を逃れ再び恵みにあずかるにはどうすればよいのですか。

答 神は、ご自身の義が満たされることを望んでおられます。ですから、わたしたちはそれに対して、自分自身によってか他のものによって、完全な償いをしなければなりません。

問13 しかし、わたしたちは自分自身で償いをすることができますか。

答 決してできません。それどころか、わたしたちは日ごとにその負債を増し加えています。

問14 それでは、単なる被造物である何かがわたしたちのために償えるのですか。

答 いいえ、できません。なぜなら、第一に、神は人間が犯した罪の罰を他の被造物に加えようとはなさらないからです。第二に、単なる被造物では、罪に対する神の永遠の怒りの重荷に耐え、かつ他のものをそこから救うことなどできないからです。

問15 それでは、わたしたちはどのような仲保者また救い主を求めるべきなのですか。

答 まことの、ただしい人間であると同時に、あらゆる被造物にまさって力ある方、すなわち、まことの神でもあられるお方です。

問16 なぜその方は、まことの、ただしい人間でなければならないのですか。

答 なぜなら、神の義は、罪を犯した人間自身がその罪を償うことを求めていますが、自ら罪人であるような人が他の人の償いをすることなどできないからです。

問17 なぜその方は、同時にまことの神でなければならないのですか。

答 その方が、御自分の神性の力によって、神の怒りの重荷をその人間性において耐え忍び、わたしたちのために義と命とを獲得し、それらを再びわたしたちに与えてくださるためです。

問18 それでは、まことの神であると同時にまことのただしい人間でもある、その仲保者とはいったいどなたですか。

答 わたしたちの主イエス・キリストです。この方は、完全な贖いと義のために、わたしたちに与えられているお方なのです。

問19 あなたはそのことを何によって知るのですか。

答 聖なる福音によってです。それを神は自ら、まず楽園で啓示し、その後、聖なる族長たちや預言者たちを通して宣べ伝え、律法による犠牲や他の儀式によって象り、御自身の愛する御子によってついに成就なさいました。

問20 それでは、アダムを通して、すべての人が堕落したのと同様に、キリストを通してすべての人が救われるのですか。

答 いいえ。まことの信仰によってこの方と結び合わされ、そのすべての恵みを受け入れる人だけが救われるのです。 

問21 まことの信仰とは何ですか。

答 それは、神が御言葉においてわたしたちに啓示されたことすべてをわたしが真実であると確信する、その確かな認識のことだけでなく、福音を通して聖霊がわたしのうちに起こしてくださる、心からの信頼のことでもあります。それによって、他の人々のみならずこのわたしにも、罪の赦しと永遠の義と救いとが神から与えられるのです。それは全く恵みにより、ただキリストの功績によるものです。

問22 それでは、キリスト者が信じるべきこととは何ですか。

答 福音において(新旧約聖書が一貫して語っている聖なる福音において)
わたしたちに約束されていることすべてです。わたしたちの公同の疑いなきキリスト教信仰箇条が、それを要約して教えています。

問23 それはどのようなものですか。

答  (使徒信条全文引用 裏面参照)
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
  主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ、
  ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、
  死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、
  天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。
  かしこより来りて生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。
我は聖霊を信ず。
 聖なる公同の教会、聖徒の交わり、
 罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠の命を信ず。
 アーメン。
  

問24 これらの箇条はどのように分けられますか。

答 三つに分けられます。
  第一に、父なる神と、わたしたちの創造について、
  第二に、子なる神と、わたしたちの贖いについて、
  第三に、聖霊なる神と、わたしたちの聖化についてです。

問25 ただ一人の神がおられるだけなのに、なぜあなたは父、子、聖霊と三通りに呼ぶのですか。

答 それは、神が御自身についてそのように、
  すなわち、これら三つの位格が唯一まことの永遠の神であると、
  その御言葉において啓示なさったからです。 

問26 「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と唱える時、あなたは何を信じているのですか。

答 天と地とその中にあるすべてのものを無から創造され、それらを永遠の熟慮と摂理とによって、今も保ち支配しておられる、わたしたちの主イエス・キリストの永遠の御父が、御子キリストのゆえに、わたしの神またわたしの父であられる、ということです。

わたしはこの方により頼んでいますので、この方が体と魂に必要なものすべてを、わたしに備えてくださること、また、たとえこの涙の谷間へ、いかなる災いを下されたとしても、それらをわたしのために益としてくださることを、信じて疑わないのです。

なぜなら、この方は、全能の神としてそのことがおできになるばかりか、真実な父としてそれを望んでもおられるからです。

問27 神の摂理について、あなたは何を理解していますか。

 
答 全能かつ現実の、神の力です。それによって神は天と地とすべての被造物を、いわばその御手をもって、今なお保ちまた支配しておられるので、木の葉も草も、雨もひでりも、豊作の年も不作の年も、食べ物も飲み物も、健康も病も、富も貧困も、すべてが偶然によることなく、父親らしい御手によって、わたしたちにもたらされるのです。

問28 神の創造と摂理を知ることによって、わたしたちはどのような益を受けますか。

 
答 わたしたちが逆境においては忍耐強く、順境においては感謝し、将来についてはわたしたちの真実な父なる神をかたく信じ、どんな被造物も、この方の愛からわたしたちを引き離すことはできないと確信できるようになる、ということです。
なぜなら、あらゆる被造物はこの方の御手の中にあるので、御心によらないでは、動くことも動かされることもできないからです。

問29 なぜ神の御子は「イエス」すなわち「救済者」と呼ばれるのですか。

答 それは、この方がわたしたちを、わたしたちの罪から救ってくださるからであり、唯一の救いをほかの誰かに求めたり、ましてや見出すことなどできないからです。

問30 それでは、自分の幸福や救いを聖人や自分自身やほかのどこかに求めている人々は、唯一の救済者イエスを信じていると言えますか。

答 いいえ。たとえ彼らがこの方を誇っていたとしても、その行いにおいて、彼らは唯一の救済者また救い主であられるイエスを否定しているのです。なぜなら、イエスが完全な救い主ではないとするか、そうでなければ、この救い主を真実な信仰をもって受け入れ、自分の救いに必要なことすべてを、この方のうちに持たねばならないか、どちらかだからです。

問31 なぜこの方は「キリスト」すなわち「油注がれた者」と呼ばれるのですか。

答 なぜなら、この方は父なる神から次のように任職され、聖霊によって油注がれたからです。すなわち、わたしたちの最高の預言者また教師として、わたしたちの贖いに関する、神の隠された熟慮と御意志とを、余すところなくわたしたちに啓示し、わたしたちの唯一の大祭司として、ご自身の体による唯一の犠牲によってわたしたちを贖い、御父の御前でわたしたちのために絶えず執り成し、わたしたちの永遠の王として、御自分の言葉と霊とによってわたしたちを治め、獲得なさった贖いのもとにわたしたちを守り保ってくださるのです。

問32 しかし、なぜあなたが「キリスト」者と呼ばれるのですか。

答 なぜなら、わたしは信仰によってキリストの一部となり、その油注ぎにあずかっているからです。それは、わたしもまたこの方の御名を告白し、生きた感謝の献げ物として自らをこの方に献げ、この世においては自由な良心をもって罪や悪魔と戦い、ついには全被造物をこの方と共に永遠に支配するためです。

問33 わたしたちも神の子であるのに、なぜこの方は神の「独り子」と呼ばれるのですか。

 
答 なぜなら、キリストだけが永遠からの本来の神の御子だからです。わたしたちはこの方のおかげで、恵みによって神の子とされているのです。

問34 あなたはなぜこの方を「我らの主」と呼ぶのですか。

 
答 この方が、金や銀ではなく御自身の尊い血によって、わたしたちを罪と悪魔のすべての力から解放し、また買い取ってくださり、わたしたちの体も魂もすべてを御自分のものとしてくださったからです。

問35 「主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ」とは、どういう意味ですか。

答 永遠の神の御子、すなわち、まことの永遠の神であり、またあり続けるお方が、聖霊の働きによって、処女マリヤの血と肉とから、まことの人間性をお取りになった、ということです。それは、御自身もまたダビデのまことの子孫となり、罪を別にしては、すべての点で兄弟たちと同じようになるためでした。

問36 キリストの聖なる受肉と誕生によって、あなたはどのような益を受けますか。

答 この方がわたしたちの仲保者であられ、御自身の無罪性と完全なきよさとによって、罪のうちにはらまれたわたしのその罪を、神の御顔の前で覆ってくださる、ということです。

問37 「苦しみを受け」という言葉によって、あなたは何を理解しますか。

答 キリストがその地上での全生涯、とりわけその終わりにおいて、全人類の罪に対する神の御怒りを体と魂に負われた、ということです。それは、この方が唯一のいけにえとして、御自身の苦しみによって、わたしたちの体と魂とを永遠の刑罰から解放し、わたしたちのために神の恵みと義と永遠の命とを獲得してくださるためでした。

問38 なぜこの方は、裁判官「ポンテオ・ピラトのもとに」苦しみを受けられたのですか。

答 それは、罪のないこの方が、この世の裁判官による刑罰をお受けになることによって、わたしたちに下されるはずの神の厳しい審判から、わたしたちを免れさせるためでした。

問39 その方が「十字架につけられ」たことには、何か別の死に方をする以上の意味があるのですか。

答 あります。それによって、わたしは、この方がわたしの上にかかっていた呪いを、御自身の上に引き受けてくださったことを、確信するのです。なぜなら、十字架の死は神に呪われたものだからです。

問40 なぜキリストは「死」を苦しまなければならなかったのですか。

答 なぜなら、神の義と真実のゆえに、神の御子の死による以外には、わたしたちの罪を償うことができなかったからです。

問41 なぜこの方は「葬られ」たのですか。

答 それによって、この方が本当に死なれたということを証しするためです。

問42 キリストがわたしたちのために死んでくださったのなら、どうしてわたしたちも死ななければならないのですか。

答 わたしたちの死は、自分の罪に対する償いなのではなく、むしろ罪との決別であり、永遠の命への入口なのです。

問43 十字架上でのキリストの犠牲と死から、わたしたちはさらにどのような益を受けますか。

答 この方の御力によって、わたしたちの古い自分が、
この方と共に十字架につけられ、死んで、葬られる、
ということです。
それによって、肉の邪悪な欲望が、もはやわたしたちを支配することなく、かえってわたしたちは、自分自身を感謝のいけにえとして、この方へ献げるようになるのです。

問44 なぜ「陰府にくだり」と続くのですか。

答 それは、わたしが最も激しい試みの時にも次のように確信するためです。すなわち、わたしの主キリストは、十字架上とそこに至るまで、御自身もまたその魂において忍ばれてきた、言い難い不安と苦痛と恐れとによって、地獄のような不安と痛みから、わたしを解放してくださったのだ、と。

問45 キリストの「よみがえり」は、わたしたちにどのような益をもたらしますか。

答 第一に、この方がそのよみがえりによって死に打ち勝たれ、そうして、御自身の死によって、わたしたちのために獲得された義に、わたしたちをあずからせてくださる、ということ。
第二に、その御力によって、わたしたちも今や新しい命に生き返らされている、ということ。
第三に、わたしたちにとって、キリストのよみがえりは、わたしたちの祝福に満ちたよみがえりの確かな保証である、ということです。

問46 あなたは「天にのぼり」をどのように理解しますか。

答 キリストが弟子たちの目の前で地上から天に上げられ、生きている者と死んだ者とを裁くために再び来られる時まで、わたしたちのためにそこにいてくださる、ということです。

問47 それでは、キリストは、約束なさったとおり、世の終わりまでわたしたちと共におられる、というわけではないのですか。

答 キリストは、まことの人間でありまことの神であられます。この方は、その人間としてのご性質においては、今は地上におられませんが、その神性、威厳、恩恵、霊においては、片時もわたしたちから離れてはおられないのです。

問48 しかし、人間性が神性のある所どこにでもある、というわけではないのならば、キリストの二つの性質は、互いに分離しているのではありませんか。

答 決してそうではありません。なぜなら、神性は捉えることができず、どこにでも臨在するのですから、確かにそれが取った人間性の外にもあれば、同時に人間性の内にもあって、絶えず人間性と人格的に結合しているのです。

問49 キリストの昇天は、わたしたちにどのような益をもたらしますか。


第一に、この方が天において御父の面前で、わたしたちの弁護者となっておられる、ということ。

第二に、わたしたちがその肉体を天において持っている、ということ。それは、頭であるキリストが、この方の一部であるわたしたちを、御自身のもとにまで引き上げてくださる一つの確かな保証である、ということです。

第三に、この方がその保証のしるしとして、御自分の霊をわたしたちに送ってくださる、ということ。その御力によってわたしたちは、地上のことではなく、キリストが神の右に座しておられる天上のことを求めるのです。

問50 なぜ「神の右に座したまえり」と付け加えるのですか。

答 なぜなら、キリストが天に昇られたのは、そこにおいて御自身がキリスト教会の頭であることをお示しになるためであり、この方によって御父は万物を統治なさるからです。

問51 わたしたちの頭であるキリストのこの栄光は、わたしたちにどのような益をもたらしますか。

答 第一に、この方が御自身の聖霊を通して、御自身の部分であるわたしたちのうちに、天からの賜物を注ぎ込んでくださる、ということ。そうして次に、わたしたちをその御力によって、すべての敵から守り支えてくださる、ということです。

問52 「生ける者と死ねる者とを審」かれるためのキリストの再臨は、あなたをどのように慰めるのですか。

答 わたしがあらゆる悲しみや迫害の中でも頭を上げて、かつてわたしのために神の裁きに自らを差し出し、すべての呪いをわたしから取り去ってくださった、まさにその裁き主が天から来られることを待ち望むように、です。
 この方は、御自分とわたしの敵を、ことごとく永遠の刑罰に投げ込まれる一方、わたしを、すべての選ばれた者たちと共にその御許へ、すなわち天の喜びと栄光の中へと、迎え入れてくださるのです。

問53 「聖霊」について、あなたは何を信じていますか。

答 第一に、この方が御父や御子と同様に永遠の神であられる、ということ、
第二に、この方はわたしに与えられたお方でもあり、まことの信仰によって、キリストとそのすべての恵みにわたしをあずからせ、わたしを慰め、永遠にわたしと共にいてくださる、ということです。

問54 「聖なる公同の教会」について、あなたは何を信じていますか。

答 神の御子が、全人類の中から、
御自身のために永遠の命へと選ばれた一つの群れを、
御自分の御霊と御言葉とにより、
まことの信仰の一致において、
世の初めから終わりまで集め、守り、保たれる、
ということ。
そしてまた、わたしがその群れの生きた部分であり、
永遠にそうあり続ける、ということです。

問55 「聖徒の交わり」について、あなたは何を理解していますか。


第一に、信徒は誰であれ、群れの一部として、
主イエスとこの方のあらゆる富と賜物に
あずかっている、ということ。
第二に、各自は自分の賜物を、
他の部分の益と救いとのために、
自発的に喜んで用いる責任があることを
わきまえなければならない、ということです。

問56 「罪のゆるし」について、あなたは何を信じていますか。

答 神が、キリストの償いのゆえに、わたしのすべての罪と、さらにわたしが生涯戦わなければならない罪深い性質をも、もはや覚えようとはなさらず、それどころか、恵みにより、キリストの義をわたしに与えて、わたしがもはや決して、裁きにあうことのないようにしてくださる、ということです。

問57 「身体のよみがえり」は、あなたにどのような慰めを与えますか。

答 わたしの魂が、この生涯の後直ちに、
頭なるキリストのもとへ迎え入れられる、
というだけではなく、やがてわたしのこの体もまた、
キリストの御力によって引き起こされ、
再びわたしの魂と結び合わされて、
キリストの栄光の御体と同じ形に変えられる、
ということです。

問58 「永遠の命」という箇条は、あなたにどのような慰めを与えますか。

答 わたしが今、永遠の喜びの始まりを
心に感じているように
この生涯の後には、目が見もせず耳が聞きもせず、
人の心に思い浮かびもしなかったような
完全な祝福を受け、
神を永遠にほめたたえるようになる、ということです。

問59 それでは、これらすべてを信じることは、あなたにとって今どのような助けになりますか。

答 わたしが、キリストにあって神の御前で義とされ、永遠の命の相続人となる、ということです。

問60 どのようにしてあなたは神の御前で義とされるのですか。

答 ただイエス・キリストを信じる、まことの信仰によってのみです。すなわち、たとえわたしの良心がわたしに向かって、「お前は神の戒めすべてに対して、はなはだしく罪を犯しており、それを何一つ守ったこともなく、今なお絶えずあらゆる悪に傾いている」と責め立てたとしても、神は、わたしのいかなる功績にもよらず、ただ恵みによって、キリストの完全な償いと義と聖とをわたしに与え、わたしのものとし、あたかもわたしが何一つ罪を犯したことも罪人であったこともなく、キリストがわたしに代わって果たされた服従を、すべてわたし自身が成し遂げたかのように、みなしてくださいます。そして、そうなるのはただ、わたしがこのような恩恵を、信仰の心で受け入れる時だけなのです。

問61 なぜあなたは信仰によってのみ義とされる、と言うのですか。

答 それは、わたしが自分の信仰の価値のゆえに神に喜ばれる、というのではなく、ただキリストの償いと義と聖だけが、神の御前におけるわたしの義なのであり、わたしは、ただ信仰による以外に、それを受け取ることも、自分のものにすることもできないからです。

問62 しかしなぜ、わたしたちの善い行いは、神の御前で義またはその一部にすらなることができないのですか。

答 なぜなら、神の裁きに耐えうる義とは、あらゆる点で完全であり、神の律法に全く一致するものでなければなりませんが、この世におけるわたしたちの最善の行いですら、ことごとく不完全であり、罪に汚れているからです。

問63 しかし、わたしたちの善い行いは、神がこの世と後の世でそれに報いてくださるというのに、それでも何の値打ちもないのですか。

答 その報酬は、功績によるのではなく、恵みによるのです。

問64 この教えは、無分別で放縦な人々を作るのではありませんか。

答 いいえ。なぜなら、まことの信仰によってキリストに接ぎ木された人々が、感謝の実を結ばないことなど、ありえないからです。

問65 ただ信仰のみが、わたしたちをキリストとそのすべての恵みにあずからせるのだとすれば、そのような信仰はどこから来るのですか。

答 聖霊が、わたしたちの心に、聖なる福音の説教を通してそれを起こし、聖礼典の執行を通してそれを確かにしてくださるのです。

問66 礼典とは何ですか。

答 それは、神によって制定された、目に見える聖なるしるしまた封印であって、神は、その執行を通して、福音の約束をよりよくわたしたちに理解させ、封印なさるのです。その約束とは、十字架上で成就されたキリストの唯一の犠牲のゆえに、神が、恵みによって、罪の赦しと永遠の命とをわたしたちに注いでくださる、ということです。

問67 それでは、御言葉と礼典というこれら二つのことは、わたしたちの救いの唯一の土台である十字架のイエス・キリストの犠牲へと、わたしたちの信仰を向けるためにあるのですか。

答 そのとおりです。なぜなら、聖霊が福音において教え、聖礼典を通して確証しておられることは、わたしたちのために十字架上でなされたキリストの唯一の犠牲に、わたしたちの救い全体がかかっている、ということだからです。

問68 新約において、キリストはいくつの礼典を制定なさいましたか。

答 二つです。聖なる洗礼と聖晩餐です。

問69 あなたは聖なる洗礼において、十字架上でのキリストの唯一の犠牲があなたの益になることを、どのように思い起こしまた確信させられるのですか。

答 次のようにです。キリストがこの外的な水の洗いを制定された時、約束なさったことは、わたしがわたしの魂の汚れ、すなわち、わたしのすべての罪を、この方の血と霊とによって確実に洗っていただける、ということ。そして、それは日頃体の汚(よご)れを落としているその水で、わたしが外的に洗われるのと同じくらい確実である、ということです。

問70 キリストの血と霊とによって洗われるとは、どういうことですか。

答 それは、十字架上での犠牲において、わたしたちのために流されたキリストの血のゆえに、恵みによって、神から罪の赦しを得る、ということです。さらに、聖霊によって新しくされ、キリストの一部分として聖別される、ということでもあります。それは、わたしたちが次第(しだい)次第に罪に死に、いっそう敬虔で潔白な生涯を歩むためなのです。

問71 わたしたちが洗礼の水によるのと同じく、この方の血と霊とによって確実に洗っていただけるということを、キリストはどこで約束なさいましたか。

答 洗礼の制定の箇所に、次のように記されています。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」、(「信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける」。)
この約束は、聖書が洗礼を「新たに造りかえる洗い」とか「罪の洗い清め」と呼んでいる箇所でも繰り返されています。

問72 それでは、外的な水の洗いは、罪の洗い清めそのものなのですか。

答 いいえ。ただイエス・キリストの血と聖霊のみが、わたしたちをすべての罪から清めてくださるのです。

杉戸キリスト教会地図2016

新年礼拝 あなたの口を大きく開けよ

今年もどうぞよろしくお願い致します。

新年礼拝 あなたの口を大きく開けよ

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身体のよみがえり

身体のよみがえり

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聖なる公同の教会

聖なる公同の教会

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