スピリチャル川柳
人は知る 目からウロコが 落ちる時
スピリチャル 大切なもの 目に見えず
熱心さ 的外れなら テロリスト
方向を 確認したら アクセルを
いつまでも 残るものとは 信望愛
実践が 伴わなければ 砂の上
生き方が 変えられてこそ 本物だ
タグ: 霊的
音楽を奏でることの意味や音楽が果たす役割について
浜田省吾のツアー「ON THE ROAD 2011 “The Last Weekend”」は、史上希に見るツアーだった。それは、2011年に起きた人類史に残る悲劇的な出来事に起因していたことは言うまでもない。こんな時に音楽なんかやっていて良いのか、という空気も経験したことのないものだったし、そうだったからこそ、音楽を奏でることの意味や音楽が果たす役割、コンサート、あるいはツアーという形が、観客やスタッフも含めたチームワークの産物であることも再確認させられた。 田家秀樹著「僕と彼女と週末に」あとがきより
人間が音楽を奏でることの意味や音楽が果たす役割。それは次の言葉に要約されているかもしれない。
いつか子ども達に この時代を伝えたい
どんなふうに人が 希望(ゆめ)をつないできたか
One day I want to tell the children about this era,
How hope was passed on through mankind.
by Shogo Hamada
「ON THE ROAD 2011 “The Last Weekend”」ツアーDVDの最後に、”Dedicated to J.”と書かれていることも興味深い。
JOHN7:37-39
礼拝メッセージ「霊的な礼拝とは何か」ローマ30
礼拝メッセージ「霊的な礼拝とは何か」ローマ30(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙12章1ー2節
1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。ローマ12章1-2節
霊的な礼拝とは何か
聖霊とは何か
礼拝メッセージ「怒りを下す神は不正か」ローマ7
礼拝メッセージ「怒りを下す神は不正か」ローマ7(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙3章1ー18節
しかし、もし私たちの不義が神の義を明らかにするとしたら、どうなるでしょうか。人間的な言い方をしますが、怒りを下す神は不正なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。もしそうだとしたら、神はいったいどのように世をさばかれるのでしょう。でも、私の偽りによって、神の真理がますます明らかにされて神の栄光となるのであれば、なぜ私がなお罪人としてさばかれるのでしょうか。「善を現すために、悪をしようではないか」と言ってはいけないのでしょうか‐‐私たちはこの点でそしられるのです。ある人たちは、それが私たちのことばだと言っていますが。‐‐もちろんこのように論じる者どもは当然罪に定められるのです。では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。ローマ3章5-9節
悲惨な出来事の中で、「神がいるならどうしてこんなことが起こるのか?」という問いが生じます。
この問いの背後には、「怒りを下す神は不正である」という人間中心的な神学があります。「愛の神は正しいが、怒りを下す神は正しくない」、「赦す神は正しいが、裁く神は間違っている」というような考えです。このような神学は、「十字架を必要としない見せかけの神の愛と赦し」に行き着きます。
このような人間中心的な神学に対して、パウロは、「絶対にそんなことはありません」と強調します。
本当の神は、私たちの身代わりとして、十字架に磔にされたひとり子イエス・キリストの上に、容赦のない怒りを下された神です。
賛美と礼拝・喜びと感謝への招き 旧約聖書・詩篇95篇より
賛美と礼拝・喜びと感謝への招き 旧約聖書・詩篇95篇より
もしも心の中に、叫び歌いたいほどの喜びや感謝がなく、逆に不平不満や苦々しい思いがあるなら、それはあなたが、神との絆・神との正しい関係・神の義を失っている証拠です。
そのような「霊的うつ状態」になっている場合、出来るだけ早く聖書の御声に耳を傾け、
神の偉大さをもう一度思い起こし、心をかたくなにしないことが、回復への近道です。
もしそうしなければ、 あなたは「霊的うつ状態」のまま40年間荒野を流離い続け、
神の恵みとあなたの残りの人生を無駄にすることになります。
1 さあ、主に向かって、喜び歌おう。
われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。
2 感謝の歌をもって、御前に進み行き、
賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。
3 主は大いなる神であり、すべての神々にまさって、大いなる王である。
4 地の深みは主の御手のうちにあり、
山々の頂も主のものである。
5 海は主のもの。主がそれを造られた。
陸地も主の御手が造られた。
6 来たれ。私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。
私たちを造られた方、主の御前に、ひざまずこう。
7 主は、私たちの神。
私たちは、その牧場の民、その御手の羊である。
きょう、もし御声を聞くなら、
8 メリバでのときのように、
荒野のマサでの日のように、
あなたがたの心をかたくなにしてはならない。
9 あのとき、あなたがたの先祖たちはすでにわたしのわざを見ておりながら、
わたしを試み、わたしをためした。
10 わたしは四十年の間、その世代の者たちを忌みきらい、そして言った。
「彼らは、心の迷っている民だ。彼らは、わたしの道を知ってはいない」と。
11 それゆえ、わたしは怒って誓った。
「確かに彼らは、わたしの安息に、入れない」と。
礼拝メッセージ「宇宙戦争」
聖書箇所:ヨハネの黙示録12章1ー18節
また、別のしるしが天に現れた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。黙示録12章3-5節
黙示録12章には、神の国と悪魔の国の宇宙戦争が啓示されています。最初の場面は、クリスマスを巡っての霊的戦いです。イエス・キリストがクリスマスに降誕なさる時、大きな赤い竜として描かれる悪魔は、産まれて来る幼子イエスを食い尽くそうと待ちかまえていたのでした。
二つ目の場面は、天における天使たちと悪魔たちの戦いです。巨大な竜、悪魔とかサタンとか呼ばれて全世界を惑わすあの古い蛇は、その使い(悪霊たち)とともに、天から地上に投げ落とされました。
三つ目の場面は、地上に投げ落とされた悪魔が怒り狂って神の民(主イエスに従うキリスト者たち)に戦いを挑む場面です。
日夜キリスト者たちを神の御前で訴えていた悪魔は、既に天から投げ落とされました。キリスト者は、小羊イエスの十字架の血と、自分たちのあかしのことばによって、悪魔に打ち勝つことができるのです。