聖書の中に永眠というものはない。あるのは死者の復活。

聖書の中に永眠というものはない。あるのは死者の復活。

福音的な聖書の読み方のコツ

福音的な聖書の読み方のコツ
先行する恵みにいつも思いを向ける。
聖書の中に命令が出てきたら、まず神がその命令を私に対して実践してくださったことに思いを向ける。
例えば、マタイ22章34−40節に記されている聖書の中で一番大切な命令について、実践してみよう。

1、心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、
あなたの神である主を愛せよ
2、あなたの隣人を自分自身のように愛せよ

まず神が、心を尽くして私を愛してくださったことに思いを向ける。
まず神が、思いを尽くして私を愛してくださったことに思いを向ける。
まず神が、知力を尽くして私を愛してくださったことに思いを向ける。
まず神が、私の良き隣人となって寄り添い、私をご自身のように愛してくださったことに思いを向ける。
そのように私を愛してくださった神に思いを向けるなら、神を喜び、神に感謝し、神を愛することはそんなに難しいことではなくなる。
これが福音的な聖書の読み方のコツ。先行する恵みにいつも思いを向けること。

私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
1ヨハネの手紙4章19節

ヨハネ福音書の中で、主イエスの新しい戒めとして提示されている内容を覚えても、上記の内容を福音的な聖書の読み方として裏付けることができます。

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。
互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。
ヨハネ福音書13章34−35節


互いに愛し合いなさい。なぜなら主がまず私たちを本気で愛してくださったから。
互いに仕え合いなさい。なぜなら主がまず私たちに仕え、汚れた足を洗ってくださったから。
互いに赦し合いなさい。なぜなら主がまず私たちを赦してくださったから。
そして主の愛と赦しは、実は私たちの悔い改めにも先行します。あらゆるものに先行する恵み。それを知った時初めて、私たちは真に悔い改めることができるのです。
ルカ福音書23章34節には、私たちの悔い改めに先立つ神の赦しが、十字架の主イエスによって明確に啓示されています。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」

キリエ KYRIE 宗教詩集より教会暦

キリエ KYRIE 宗教詩集
ヨッヘン・クレッパー 著
富田恵美子・ドロテア 富田裕 訳
キリエ宗教詩集 ヨッヘン・クレッパー
p34-37より

教会暦

あなたは星としてわたしたちの上にのぼり、
初めから輝きとして近づかれた。
わたしたちは闇に包まれていたが、
突然に道を見出した。
雲間から射す光の後を
わたしたちは胸を弾ませてついて行った。
長い旅路の終わりに
あなたは馬屋でわたしたちに休息を与えた。
藁と飼い葉桶が示したものを、
ただただ驚きのうちに掴んだ。
描き出された約束ではなく、
その約束は果たされていた。
そして、飼い葉桶と星と羊飼いたちの上に
あなたの山ゴルゴタの山が聳えたち、
道に迷った人たちの目前に
闇の中からあなたの十字架が浮かび上がった。
わたしたちのためにあなたが死んだ十字架の立つところで、
わたしたちは信じた。
岩に穿たれた墓の前に
堅い、重い石が置かれた。
翌朝、香油を塗るためにやって来て
わたしたちが目にしたものは、ただあなたの屍衣。
いかなる岩もあなたの道を阻むことなく、
わたしたちは、主よ、あなたに立ち帰り、ついて行った。
あなたの脇腹に開いた傷に
あなた自らがわたしたちの手を取って触れさせた。
そしてあなたと別れる時まで
あなたの傍においてパンと葡萄酒でもてなした。
あなたを天に引き上げた雲は、
私たちを恐れと恥から解き放った。
鳩のように、光の降り注ぐ中を、
あなたはそっと降りて来られた、
わたしたちに炎の輝きを注ぎ、
残された者たちに賜物をお与えになった。
天が開かれ、
あなたがわたしたちに祈りを授けられた。
星と飼い葉桶、十字架と鳩を通して、
岩と雲、パンと葡萄酒を通して
たゆまずわたしたちの信仰は
ひたすら御言葉の深みに入りゆく。
飛び去るわれらの時代にも、
あなたの到来を見ない年月はない。

キリエ KYRIE 宗教詩集よりクリスマスの歌

キリエ KYRIE 宗教詩集
ヨッヘン・クレッパー 著
富田恵美子・ドロテア 富田裕 訳
キリエ宗教詩集 ヨッヘン・クレッパー
p46-49より

クリスマスの歌

やめなさい、あなたの罪と弱さの中で
あなたが何者かを見つめるのは。
あなたの弁護のために来られた
御子に目をとめなさい、
見なさい、今日あなたの身に起こることを。
今日救い主があなたを訪れ、
あなたを再び故郷へ導いていく、
鷲のように力強い翼に乗せて。
自ら己のものを奪い去る
罪人である自分の貧しいさまを見つめるのは、やめなさい。
助け主イエス・キリストを見上げなさい。
御子のことばにひたすら依り頼みなさい。
御子の慈しみのほかは何ものも助けをもたらさず、
御子こそがあなたを救うために来られると信じるなら、
いかに大きな罪であれ、あなたは忘れてかまわないのだ。
あなたが信じなくとも、御子は誠実を保ち、
宣べ伝えたことを変わらず守られる。
御子は自ら造られたものとなって
災いの只中にいるあなたを探し出し、
新たに創造する。
御子は自らに背くことはないから、
御子を見なさい、いつまでもあなたの罪を見ていてはならない。
御子は自ら堅く約束した。
御子は探し求め、あなたは見出される。
あなたが誰であれ、もう自分をみつめてはならない。
あなたはあなた自身からすでに解き放たれた。
神自らが来られた、
これを知ること以上に、今あなたに必要なものはない。
御子の名は不思議な助言者、力の君、永遠の平和をもたらす主。
あなたの罪を見つめる眼差しから
御子自らがあなたを解き放たれる。
御子の産着がどんなに粗末でも、
たゆまず望みなさい。
なおも神の子、人の子が
それに包まれているのだから。
ここであなたを解き放とうと、御子は待ち焦がれている。
御子の耳に届く叫びがいかに底知れぬ罪のものであっても、
御子はそれをもう帳消しにされた。
嘆くのは、やめなさい。むしろ讃えなさい。

U2の歌「SONG FOR SOMEONE」の意訳

U2の歌「SONG FOR SOMEONE」の意訳
You got a face not spoiled by beauty
I have some scars from where I’ve been
イエス様、あなたは美しさでだめになってない顔を持っておられ、
僕はこれまでほんと大変なことだらけで、深い傷を負っていた。
You’ve got eyes that can see right through me
You’re not afraid of anything they’ve seen
あなたは僕の本当の姿を見抜くことができる目を持っておられ、
あなたは恐れないで僕のすべてを受け止めてくれた。
I was told that I would feel nothing the first time
I don’t know how these cuts heal
But in you I found a rhyme
最初は何も感じないでしょうと言われ、
どのように癒されるのかわからなかった。
だけど、僕はあなたの中に歌を見つけたんだ。
If there is a light you can’t always see
And there is a world we can’t always be
もし光があるなら、それはいつも見えるわけじゃない。
それでも神の国という霊的な世界が存在する。僕らはいつもそちら側にいることはできないが。
If there is a dark that we shouldn’t doubt
And there is a light, don’t let it go out
もし僕らが疑うべきでない闇があるとしても、
それでも光はやみの中に輝いている。だからその光を消しちゃいけない。
And this is a song, song for someone
This is a song, a song for someone
この歌は誰かのための歌。
この歌は、誰かのための歌。
You let me in to a conversation
A conversation only we could make
イエス様、あなたは僕を会話に招いてくださる。
僕らだけができる会話の中に。
You break and enter my imagination
Whatever’s in there it’s yours to take
あなたは僕の空想の中に割って入られる。
だから僕の中に何があろうと、どう受け止めるかはあなた次第。
I was told I’d feel nothing the first time
You were slow to heal but this could be the night
最初は何も感じないでしょうと言われた。
でもあなたはゆっくりと癒された。時間がかかったのは夜の闇が深かったからでしょう。
If there is a light you can’t always see
And there is a world we can’t always be
もし光があるなら、それはいつも見えるわけじゃない。
それでも神の国という霊的な世界が存在する。僕らはいつもそちら側にいることはできないが。
If there is a dark within and without
And there is a light, don’t let it go out
闇が心の内にも外にも存在したとしても、
それでも光はやみの中に輝いている。だからその光を消しちゃいけない。
And this is a song, song for someone
This is a song, a song for someone
この歌は誰かのための歌。
この歌は、誰かのための歌。
And I’m a long long way from your Hill of Calvary
And I’m a long way from where I was and where I need to be
そして僕は長い長い道の途上にある。イエス様、あなたが十字架にかけられたカルバリの丘からの道に。
僕は長い旅の途上にある。かつていた場所、僕がいなければならなかったあの場所からの道に。
If there is a light you can’t always see
And there is a world we can’t always be
もし光があるなら、それはいつも見えるわけじゃない。
それでも神の国という霊的な世界が存在する。僕らはいつもそちら側にいることはできないが。
If there is a kiss I stole from your mouth
And there is a light, don’t let it go out
もし口づけがあるなら、僕があなたから奪った裏切りの口づけ。あのイスカリオテ・ユダのように。
それでも光はやみの中に輝いている。その光を消しちゃいけない。

先行する引き渡しと使徒的引き渡し

主イエスに対して、高価なものを捧げるのはもったいないと思う人がいるなら、
その人はやがて、主イエスを売り渡すことになるでしょう。
イスカリオテ・ユダに代表される12使徒たちがそうであったように、
主イエスはあなたにとって売り物となるでしょう。
イスカリオテのユダ
カール・バルト教会教義学神論Ⅱ/2 神の恵みの選び<下>

いまや、神がイエスを、イエスがご自身を、引き渡し給う。われわれは、ここで明らかに、すべてのそのほかの引き渡しに対して、威厳、重要さ、意味深さにおいて、先行する引き渡しとかかわらなければならない。ユダがイエスを引き渡す以前に、神はイエスを、イエスはご自身を、引き渡し給うた。イエスが使徒的引き渡し〔伝えること〕の対象となり給う前に、神はイエスを、イエスはご自身を、引き渡し給うた。神の怒りが異邦人とユダヤ人を引き渡し、捨て、自分自身にゆだねる前に、神はご自身のみ子を惜しまないで、われわれすべての者のために引き渡された(ローマ8・32)。明らかに、すべての引き渡しの必然性、力、意味は、この最初の、徹底的な引き渡しーその中で、神がイエスの人格の中で、あるいはイエスが神の子として、ご自身を、引き渡しの対象とし給う最初の、徹底的な引き渡しーの中に基礎づけられている。カール・バルト教会教義学 神論Ⅱ/2 神の恵みの選び 下 p338-339

パウロは、正確に、ユダが、その後悔によれば、逆転させたいと思い、また既に起こったことを撤回させたいと願ったそのところで、業を継続する。ーすなわち、ユダが気も転倒せんばかりに恐れたことであるが、大祭司と長老たちが、あの悪い系列の中の第二の輪としてなしたことをなすことによって、継続する。換言すれば、パウロは、まさに異邦人へのイエスの引き渡しを実行する。しかも、イスラエルの召命と派遣に対する不真実をもってではなく、それらに対する真実をもって、もはやイエスを殺すためではなく、むしろ、この殺されたが、しかしまた甦らされた方の支配を全世界にわたってうち立てるために、異邦人へのイエスの引き渡しを実行する。そのようなわけで、ユダが、使徒職の任命と樹立を無にしてしまうなどということは全くなかったのであり、十二使徒の円は、ただ単にすぐに再び塞がれるだけでなく、むしろそのことを越えて、この定員外の人物の中で、マタイ28・19の意味で、まことの使徒行伝が、すなわち、イエスを異邦人に正しく引き渡す〔伝えていく〕ことが、いまこそ始まるのである。カール・バルト教会教義学 神論Ⅱ/2 神の恵みの選び 下 p319-320

神がなし給うたイエス・キリストの引き渡しこそが、本来的な、実在の引き渡し(言い伝え)である。その引き渡しの中で、神の全能の愛が、人間に、力を発揮しつつ向けられた。この引き渡しの中で、神と人間の間の深淵に橋がかけられた。この引き渡しの中で、神は人間を探し求め、見出し給うた。この引き渡しの中で、人間が神の前に立ち、神と共に生きることができる可能性が造り出された。この引き渡しの中で、その点で人間を妨げていたこと、人間を神の敵として、神との契約から閉め出さなければならなかったことが、取り除かれた。この引き渡しの中で、人間が、その罪からきよめられることによって、神の国にはいる門が開かれ、永遠の生命へのその確かな希望の基礎づけにまできた。この引き渡しの中で、教会は、誰かの人間的な手が、それに対してただ指一本だけでもふれる前に、基礎づけられたし、また基礎づけられている。その引き渡しの中で、神はわれわれのために危険におもむき給うた。なぜといって人間と、神ご自身人間となり、人間としてほかの人たちの間にまじって、彼らのもとでご自分の事柄をなしてゆくという仕方で、人間と、かかわることは、どうして神にとって危険で、迷惑となることでなく、人間の栄誉を脅かすものでないはずがあろうか。この引き渡しの中で、神は、この危険に、事実、屈し、人間としてほかの人間たちによって無力にされ、捨てられ、殺されることを進んで身にうけ給うたのである。しかし、まさにこの引き渡しの中で、神は人間にかかわるそのよき意志を、まさに次のことー神がこの危険に身をさらし、まさにこの危険に屈することの中でこそ、人間のため、その益のため、その救いのため、永遠の生命の希望の基礎づけのために、決定的な一歩をなすことーによって、実行に移し給うた。カール・バルト教会教義学 神論Ⅱ/2 神の恵みの選び 下 p356

しかし、そのことでもって、また、神が、捨てられた人間、選ばれなかった人間、に関して、意志し、計画の中に入れておられることを問う一般的な問いに対して、必要なすべてのことが語られたのである。答えは、ただ次のようでありうる。神は、まさに彼〔捨てられた人間〕こそが福音を聞き、それと共にまた彼の選びの約束を聞くようになることを欲し給う。したがって、神は、彼に対してこの福音が宣べ伝えられることを欲し給う。神は、彼が希望ー彼に対して、福音の中で与えられている希望ーをつかみ、その希望によって生きることを欲し給う。神は、捨てられた者が信じるようになり、信じる者として選ばれた捨てられた者となることを欲し給う、と。彼は神の前で、捨てられた者としての独立した存在をもっていない。彼は、神によって、ただ、捨てられた者でしかないようにと定められてはおらず、むしろ、彼が選ばれた捨てられた者であることを自分に向かって語らせ、自分自身語ることがゆるされるということに向かって定められている。これが、新約聖書の選ばれた者である。すなわち、その棄却の中で、棄却からして、選ばれた捨てられた者ーそのものたちの中にユダが生きていたが、しかしまた、(パウロにおいてそのことが起こったように)殺された、捨てられた者ーである。彼らは捨てられた者ーそのようなものとして、信仰へと呼び召されている捨てられた者、イエス・キリストの選びに基づいて、またイエス・キリストがご自身、彼らのために引き渡されたということを念頭において、自分たちの選びを信じる捨てられた者ーである。カール・バルト教会教義学 神論Ⅱ/2 神の恵みの選び 下 p372

アイルランド出身のロックバンドU2は、イスカリオテ・ユダである私たちのことを幾つかの歌にしている。

Shine Jesus Shine 輝け主の栄光 教会福音讃美歌156


愛の光輝き 暗闇を照らし出す
わが主イエス世の光 自由を与える力
いのちのみことば
輝け 主の栄光 地の上に
心を燃やしたまえ
あふれよ 主の恵み 憐れみ
この地を生かしたまえ

福音、その最もたいせつなこと

福音、その最もたいせつなこと
万年筆聖句書道

杉戸キリスト教会礼拝メッセージ2016

マタイ福音書講解の続き
20160103新年聖餐礼拝メッセージ「預言者ヨナのしるし」(クリックで聴けます)
20160110礼拝メッセージ「キリストの母と兄弟たち」(クリックで聴けます)
20160117礼拝メッセージ「実を結ぶ人の秘訣」(クリックで聴けます)
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ヨハネ福音書14章1ー4節

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