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心の停電(ブラックアウト)からの回復 旧約聖書詩篇77篇より
牧師の心のケアについて
休日もずっと職場に居続ける社会人を想像して見てほしい。遠からずその人は些細なことで苛立ち、心身共に疲労困憊し、病んでしまうだろう。
牧師館と教会堂が一体化しているような奉仕生活をしている人の場合、休日に努めて外出することによって、心身共にリフレッシュすることができる。良い奉仕をするためには、定期的に遣わされた場と奉仕を離れて休む必要がある。
牧師は休みをとって遊ばなければ、決して良い働きを継続することはできない。仕事中毒からは本当に良い奉仕、豊かに残る実を結ぶクリエイティブな奉仕は生まれない。
by のまちゃん牧師
礼拝メッセージ「惜しまないでいられようか」
礼拝メッセージ「惜しまないでいられようか」(クリックで聴けます)
聖書箇所:ヨナ4章
主は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。ヨナ書4章10-11節
『風刺作家の目的が読者を感動させて真実を認めさせることにあるなら、ヨナ書の作者ほど見事に成功した風刺作家はいまにいたるまで存在しない。
この風刺作家は狂信、残酷、浅い神学を攻撃するだけでなく、憐れみと深い関心をあらゆる国家に示す神の姿を見事に描き、読者の積極的反応を呼び起こしている。
たいていの風刺作家は悪徳の姿を醜悪に描いて見せるが、善を美しく見せる力に不足している。「ヨナ書」を書いた人に力量的に劣る風刺作家なら、ヨナの態度に対する自分の怒りを作品にぶちまけることによって、作品の肯定面を曖昧にしてしまったであろう。
「ヨナ書」を書いた人は客観的で、おしゃれな筆致を捨てることなく、攻撃対象である悪行だけでなく、肯定的規範にも配慮すべく苦心しているのである。』
リーランド・ライケン『聖書の文学』すぐ書房、
1990年、405-406頁より引用