国内宣教と国外宣教の関係について

国内宣教と国外宣教の関係について

スカンヂナビア人宣教師の日本伝道事始

1、国内宣教の原点、私たちの救いの原点は何か?それは国外宣教である。

 国外から宣教師が外国に派遣され、海や国境を越えて国外宣教がなされる。宣教師は、外国に住み、外国の言葉を覚え、そして外国の文化の中で生活する。宣教師は、現地の人々を愛し、現地の人々のために祈り、現地の人々に仕え、聖書を翻訳する。宣教師は、肌の色、目の色、髪の毛の色を越えて、言葉や文化の壁を越えて、福音を宣教する。宣教師は、現地の魂の救いから人育てに深く関わり、現地の教会を形成をする。

2、国外宣教は、現地の働き人にバトンタッチされる時、国内宣教となる。

 自分たちがやった働きだと思わせる宣教、それが最高の宣教。新しい教会を生み出していくことのできる教会。そのような生殖健康(リプロダクティブ・ヘルス)を持った教会を、現地に建て上げる。

3、国外宣教と国内宣教はコインの裏表である。

 国外宣教と国内宣教はコインの裏表の関係にある。どちら側から見るかによって、国外宣教も国内宣教も入れ替わってしまう。

教会は全地に 国外宣教50周年記念誌

聖書が語る大切なこと

聖書が語る大切なこと
 しかし、あなたがたの天の父は、
 それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。
 そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
 だから、あすのための心配は無用です。
 あすのことはあすが心配します。
 労苦はその日その日に、十分あります。
 マタイ6:32-34→主の祈りの前半と後半、十字架の縦棒と横棒
『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
 これがたいせつな第一の戒めです。
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』
 という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。
 マタイ22:37−40→十戒の前半と後半、十字架の縦棒と横棒
「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。
 そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、
 彼らを教えなさい。
 見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
 マタイ28:18−20→世界宣教教育命令

礼拝メッセージ「まだ語られていない所に福音を」ローマ40

礼拝メッセージ「まだ語られていない所に福音を」ローマ40(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙15章14ー21節

14 私の兄弟たちよ。あなたがた自身が善意にあふれ、 すべての知恵に満たされ、また互いに訓戒し合うことができることを、この私は確信しています。15 ただ私が所々、かなり大胆に書いたのは、あなたがたにもう一度思い起こしてもらうためでした。16 それも私が、異邦人のためにキリスト・イエスの仕え人となるために、神から恵みをいただいているからです。私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人を、聖霊によって聖なるものとされた、神に受け入れられる供え物とするためです。17 それで、神に仕えることに関して、私はキリスト・イエスにあって誇りを持っているのです。18 私は、キリストが異邦人を従順にならせるため、この私を用いて成し遂げてくださったこと以外に、何かを話そうなどとはしません。キリストは、ことばと行いにより、19 また、しるしと不思議をなす力により、さらにまた、御霊の力によって、それを成し遂げてくださいました。その結果、私はエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音をくまなく伝えました。20 このように、私は、他人の土台の上に建てないように、キリストの御名がまだ語られていない所に福音を宣べ伝えることを切に求めたのです。21 それは、こう書いてあるとおりです。「彼のことを伝えられなかった人々が見るようになり、聞いたことのなかった人々が悟るようになる。」ローマ人への手紙15章14−21節

礼拝メッセージ「忍耐と励ましの神」ローマ38

礼拝メッセージ「忍耐と励ましの神」ローマ38(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙15章1ー6節

1 私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。2 私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。3 キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、「あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった」と書いてあるとおりです。4 昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。5 どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。 6 それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。ローマ人への手紙15章1−6節