映画「パウロ 愛と赦しの物語」

PAUL

少し早いクリスマスプレゼントとして、映画鑑賞の機会が与えられた。感謝します!
忘れないうちに、渋谷まで出かけて観た映画に対する私の応答(レスポンス)を記します。

聖書はアカデミックな神学論文ではない。書斎や研究室ではなく、獄中や隠れ家のような所で書き記されたから。

聖書は愛の手紙である。絶望的な現実の中にいる仲間を励まし支えるために、命がけで書き記されたから。

聖書は真の平和を造り出す真理のメッセージである。迫害や暴力や虐殺や処刑や殉教のただ中で、それでもなお武力による報復ではなく、主イエス・キリストの十字架の赦しの愛に生きるようにと語る神からのメッセージだから。

映画『パウロ 愛と赦しの物語』オフィシャルサイト

杉戸キリスト教会礼拝メッセージ2014

コリント人への手紙第一講解
20140101新年礼拝メッセージ「男性と女性」(クリックで聴けます)
20140105聖餐礼拝メッセージ「神の教会」(クリックで聴けます)
20140112新成人祝福礼拝メッセージ「霊的ギフト」(クリックで聴けます)
20140119礼拝メッセージ「多くの部分」(クリックで聴けます)
20140126礼拝メッセージ「ひとつ」(クリックで聴けます)
20140202聖餐礼拝メッセージ「いつまでも残るもの」(クリックで聴けます)
20140209礼拝メッセージ「預言と異言」(クリックで聴けます)
20140216礼拝メッセージ「平和の神」(クリックで聴けます)
20140223礼拝メッセージ「適切に秩序をもって」(クリックで聴けます)
20140302聖餐礼拝メッセージ「最も大切なこと」(クリックで聴けます)
20140309礼拝メッセージ「一番哀れな者」(クリックで聴けます)
20140316礼拝メッセージ「万物をその足の下に」(クリックで聴けます)
20140323礼拝メッセージ「刹那に生きる理由」(クリックで聴けます)
20140330礼拝メッセージ「天上のかたち」(クリックで聴けます)
20140406聖餐礼拝メッセージ「いつも主のわざに励め」(クリックで聴けます)
20140413礼拝メッセージ「いっさいのことを愛をもって」(クリックで聴けます)
コリント人への手紙第二講解
20140420復活祭召天者記念礼拝メッセージ「すべての慰めの神」(クリックで聴けます)
20140427礼拝メッセージ「確認の印と保証」(クリックで聴けます)
20140504聖餐礼拝メッセージ「サタンの策略」(クリックで聴けます)
20140511母の日歓迎礼拝メッセージ「キリストのかおり」(クリックで聴けます)
20140518礼拝メッセージ「キリストの手紙」(クリックで聴けます)
20140525礼拝メッセージ「御霊なる主の働き」(クリックで聴けます)
20140601聖餐礼拝メッセージ「重い永遠の栄光」(クリックで聴けます)
20140608聖霊降臨日・国外宣教デー礼拝メッセージ「保証としての御霊」(クリックで聴けます)
20140615父の日歓迎礼拝メッセージ「報いを受ける」(クリックで聴けます)
20140622礼拝メッセージ「すべてが新しく」(クリックで聴けます)
20140629礼拝メッセージ「キリストの使節」(クリックで聴けます)
20140706聖餐礼拝メッセージ「恵みの時」(クリックで聴けます)
20140713バイブルキャンプデー礼拝メッセージ「生ける神の宮」(クリックで聴けます)
20140720礼拝メッセージ「気落ちした者を慰めてくださる神」(クリックで聴けます)
20140727礼拝メッセージ「神のみこころに添った悲しみ」(クリックで聴けます)
20140803聖餐礼拝メッセージ「キリストの貧しさによって」(クリックで聴けます)
20140810歓迎礼拝 with 韓国短期宣教チーム「あなたの愛を示してほしい」(クリックで聴けます)
20140817礼拝メッセージ「絶大な神の恵みのゆえに」(クリックで聴けます)
20140907聖餐礼拝メッセージ「祈りの力」(クリックで聴けます)
20140914敬老の日歓迎礼拝メッセージ「自己推薦ではなく」(クリックで聴けます)
20140921礼拝メッセージ「変装」(クリックで聴けます)
20140928礼拝メッセージ「パウロの自慢話」(クリックで聴けます)
20141005聖餐礼拝メッセージ「弱さという贈り物」(クリックで聴けます)
20141012礼拝メッセージ「愛すれば愛するほど」(クリックで聴けます)
20141019礼拝メッセージ「相手に失望しない秘訣」(クリックで聴けます)
20141026講壇交換礼拝メッセージ「閉塞感を突き破るもの」(クリックで聴けます)
20141102聖餐礼拝メッセージ「恵みと愛と交わり」(クリックで聴けます)
エペソ人への手紙から結婚に関するメッセージ
20141109礼拝メッセージ「妻たちへのメッセージ」(クリックで聴けます)
20141116礼拝メッセージ「夫たちへのメッセージ」(クリックで聴けます)

礼拝メッセージ「捨て身の願い」ローマ21

礼拝メッセージ「捨て身の願い」ローマ21(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙9章1ー5節

1 私はキリストにあって真実を言い、偽りを
 言いません。次のことは、私の良心も、
 聖霊によってあかししています。
2 私には大きな悲しみがあり、私の心には
 絶えず痛みがあります。
3 もしできることなら、私の同胞、肉による
 同国人のために、この私がキリストから引き
 離されて、のろわれた者となることさえ願い
 たいのです。
4 彼らはイスラエル人です。 子とされることも、
 栄光も、契約も、律法を与えられることも、
 礼拝も、約束も彼らのものです。
5 父祖たちも彼らのものです。またキリストも、
 人としては彼らから出られたのです。
 このキリストは万物の上にあり、とこしえに
 ほめたたえられる神です。 アーメン。
       ローマ人への手紙9章1-5節

「何者も何事も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」パウロはそう宣言しました。
そのパウロが語ります。「もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたい。」
捨て身であなたを愛しておられる主イエスの愛に触れられる時、あなたもパウロのように捨て身で願う者に変えられることでしょう。捨て身で神と隣人のために生きる者とされる。これがキリストのように変えられるという益です。

イースター召天者記念礼拝メッセージ「死者を生かす神」ローマ10

イースター召天者記念礼拝メッセージ「死者を生かす神」ローマ10(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙4章17ー25節

17 このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。18 彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。19 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。20 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、21 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。22 だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。23 しかし、「彼の義とみなされた」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、24 また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。25 主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。 ローマ4章17-25節

パウロがローマ人への手紙において語るアブラハムの姿は、罪や不信仰がおおわれたアブラハムの姿です。
おおわれる前のアブラハムの姿は、創世記17章17節に以下のように記録されています。

アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか。」

礼拝メッセージ「怒りを下す神は不正か」ローマ7

礼拝メッセージ「怒りを下す神は不正か」ローマ7(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙3章1ー18節

しかし、もし私たちの不義が神の義を明らかにするとしたら、どうなるでしょうか。人間的な言い方をしますが、怒りを下す神は不正なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。もしそうだとしたら、神はいったいどのように世をさばかれるのでしょう。でも、私の偽りによって、神の真理がますます明らかにされて神の栄光となるのであれば、なぜ私がなお罪人としてさばかれるのでしょうか。「善を現すために、悪をしようではないか」と言ってはいけないのでしょうか‐‐私たちはこの点でそしられるのです。ある人たちは、それが私たちのことばだと言っていますが。‐‐もちろんこのように論じる者どもは当然罪に定められるのです。では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。ローマ3章5-9節

悲惨な出来事の中で、「神がいるならどうしてこんなことが起こるのか?」という問いが生じます。
この問いの背後には、「怒りを下す神は不正である」という人間中心的な神学があります。「愛の神は正しいが、怒りを下す神は正しくない」、「赦す神は正しいが、裁く神は間違っている」というような考えです。このような神学は、「十字架を必要としない見せかけの神の愛と赦し」に行き着きます。
このような人間中心的な神学に対して、パウロは、「絶対にそんなことはありません」と強調します。
本当の神は、私たちの身代わりとして、十字架に磔にされたひとり子イエス・キリストの上に、容赦のない怒りを下された神です。

礼拝メッセージ「返さなければならない負債」ローマ2

礼拝メッセージ「返さなければならない負債」ローマ2(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙1章8ー15節

私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。ローマ人への手紙1章14-15節

自己紹介を兼ねた挨拶の後、パウロはまず神に感謝をささげます。なぜなら帝国の首都であるローマにおいて、パウロの手によらず既に教会が開拓され、彼らの信仰が全世界に言い伝えられていたからです。
ローマによる道路網の整備、ローマによる旅の安全、そして伝達のための共通言語(コイネーギリシヤ語)。効果的な福音宣教のために、神は着々と下準備をなさっておられたのでした。
次にパウロは、「なぜ自分がローマのキリスト者たちに切に会いたがっているのか」、その理由を切々と語ります。
1、御霊の賜物を分けて、彼らを強くしたいから
2、互いの信仰によって共に励ましを受けたいから
3、いくらかの実を得ようと思って
4、返さなければならない負債を負っているから
4番目が主な理由だと考えられます。パウロは、癌の特効薬のような福音を、神から託されていたからです。福音は死に至る病(罪)に犯されている全人類に通用する特効薬です。しかし罪に対する治療法を確立するためには、福音の説き明かしによって、健全な教会を形成することがどうしても必要です。

礼拝メッセージ「キリスト・イエスのしもべ」ローマ1

礼拝メッセージ「キリスト・イエスのしもべ」ローマ1(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙1章1ー7節

神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、ローマ人への手紙1章1節

今日からローマ人への手紙に耳を傾け始めます。
歴史において、特に危機の時代において、圧倒的な力を見せつけながら、世界を、人類を改革し続けているのが、ローマ人への手紙です。
なぜならローマ人への手紙には、福音の土台と柱が、福音の骨格がしっかりと文章化されているからです。
ローマ人への手紙は、パウロという人物が、当時の世界の中心であったローマにいるキリスト者たちに宛てて書いた手紙です。
手紙の差出人であるパウロの、自己紹介に注目しましょう。原文で読むと手紙の書き出しは以下のような順番になっています。
「パウロ しもべ キリスト・イエスの」
名前のすぐ後に記され、「しもべ」と訳されているのは、ドゥロスという言葉です。これは奴隷を意味する強烈な言葉です。
かつて教会・キリスト信者を、主イエスを熱心に迫害していたパウロ(サウロ)は、ダマスコ途上で待ち伏せしておられた神に遭遇し、復活の主イエスに打ち倒され、捕えられたのです。その結果パウロはキリスト・イエスのしもべ(奴隷)とされ、福音を異邦人に運ぶ器とされたのでした。(使徒9章参照)