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カテゴリー: BIBLE
一つのからだ 互いに器官
敬老の日歓迎礼拝のご案内
礼拝メッセージ「霊的な礼拝とは何か」ローマ30
礼拝メッセージ「霊的な礼拝とは何か」ローマ30(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙12章1ー2節
1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。ローマ12章1-2節
次世代を担う日本の青年へ・・・日本とアジアと世界の将来のために
次世代を担う日本の青年へ・・・日本とアジアと世界の将来のために
杉戸キリスト教会牧師 野町 真理
「外国語を知らない者は、自国語についても無知である。」(ヨハン・ゲーテ)
このゲーテの言葉は、「外国を知らない者は、自国についても無知である。」と言い換えることができる。
住み慣れた地を離れて外国を訪れ、外国から自国を見つめる時、その比較の中で、そのコントラストの中で、鮮やかに自国の姿が浮かび上がって来る。その時初めて、それまで知ることのなかったユニークな自国の姿を知ることができる。
電気、ガス、上下水道、道路、トイレ、公共交通機関、学校、病院、携帯電話、インターネットといったインフラストラクチャーがきれいすぎるほど几帳面に整備された現代日本で生活を続けたとしても、日本という国を知ることはできないだろう。例外として、東日本大震災などによる被災地を訪れるならば、国内においても似たような経験をすることができると考えられる。
これまで私は、韓国(ソウル近郊)、台湾(台北、台中、高雄)、中国(北京)、モンゴル(ウランバートル)という4つの外国を訪れる機会に恵まれた。この夏はモンゴルに9日間滞在し、その後北京に2泊して日本に帰って来た。旅から帰って来た後、私はなおも自国について無知であったことを思い知らされている。
道路について
チンギスハン国際空港に降り立った後、モンゴルの大地を車で移動し始めて、脳震とうが起きそうな揺れの中で何度も頭をぶつけながら、まず思い知らされたことがある。それは日本の道路の素晴らしさだ。モンゴルでは未舗装の道路が多く、雨が降ると水たまりが至るところにできる。スピードを出した車がそこを通る度に、水たまりはえぐられ、穴となって広がっていく。日本の林道よりもひどい穴だらけのダートが、国際空港から市街地への道路においてもずっと続いている。70年間の共産主義時代の後、ソ連が崩壊した影響で突然民主化したモンゴルでは、道路にいくら穴ができようと、なかなか工事などされないのだ。東日本大震災の後、突貫工事であっという間に道路の補修をする日本。少なくとも幹線道路であるならば、穴があいたりすればすぐに補修する日本のすごさを改めて思い知らされた。
以下にモンゴル郊外の教会堂の写真を紹介しよう。穴が空いた道路に雨が降ると、この通りの大池が教会前にできてしまうのであった。
(続く)
霊的な礼拝とは何か
最も小さい者のひとりに
8月26日 第4主日礼拝のご案内
説教題:「最も小さい者のひとりに」
聖書個所:マタイ福音書25章31−40節
説教者: 朝岡満喜子師
礼拝メッセージ「神の賜物と召命」ローマ29
礼拝メッセージ「神の賜物と召命」ローマ29(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙11章25ー36節
28 彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです。29 神の賜物と召命とは変わることがありません。30 ちょうどあなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は、彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けているのと同様に、31 彼らも、今は不従順になっていますが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです。32 なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。33 ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。34 なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。35 また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。36 というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。ローマ人への手紙11章28−36節