カテゴリー: 子育てネットワーク
As a J.BOY
As a J.BOY
京都まで繋がるシルクロードによって、昔から国際交流していたJapan
戦国時代、血で血を洗う戦いに明け暮れたJapan
1549年8月15日、鹿児島にフランシスコ・ザビエルが上陸し、多くのキリシタンが起こされたJapan
徳川幕府と明治政府によって、厳しいキリシタン迫害が数百年続き、数え切れない殉教者の血が全国で流されたJapan
幕末に黒船によって目覚め、鎖国を解き、明治維新によって和魂洋才、脱亜入欧を目指したJapan
ロシアのバルチック艦隊に勝利して自信過剰になり、大国アメリカやアジア諸国に世界的な侵略戦争を仕掛けたJapan
アジア諸国にも神社参拝を強要し、兄弟姉妹たちを迫害し、主イエス・キリストを迫害したJapan
島々では壮絶な地上戦、本土も焼夷弾によって焼け野原にされ、ヒロシマとナガサキに世界で最初に原子爆弾を投下され、敗戦を迎えたJapan
焼け跡の灰の中から、アメリカに憧れ、世界的な経済大国となり、バブルがはじけても、原発がはじけても、マネー(利権)によってクレイジーなJapan
戦後世界中から宣教師が続々と派遣され続けている国Japan
世界で最も深刻な原発事故をフクシマで起こし、地震大国なのに今なお原発再稼働を試みるJapan
ひび割れた原子力(NUCLEAR POWER)
雨に溶け 風に乗って
受け止めるか 立ち止まるか
どこへも隠れる場所は無い
It’s A NEW STYLE WAR
「A NEW STYLE WAR」浜田省吾より
僕はそんなこの国で生まれ育った、一人のJapanese Boy
J.BOY、どこに向かっているの?J.BOY、何を手にしたいの?
SHOW ME YOUR WAY, J.BOY!
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だから、自分が変わらない限りは、誰を愛しても結局は同じ結末を迎えてしまうという気がしますよね by 浜田省吾 青空のゆくえp138
だから、男の人と女の人が愛し合う上でとても大切なことは、互いに1人で立っていられるということだと思うんですよね。1人で立っていられないから、それで相手を求めて、共に倒れてしまうことが凄く多くて。1人で立っていられる人間同士が、1人では生きていけないから一緒に歩いていくという、そういう自分になれればきっと、凄くピュアでストレートなラブソングが書けると思うし、そうなれればいいなあ、とは思うんですよね。 by 浜田省吾 青空のゆくえp139
こんな話があるんですよ。僕が凄い好きな話なんですけども、2人の人が、それは男でも女でもいいんですけど、一緒に砂浜を歩いてて、その後ろにずーっと2人の足跡が続いていく。で、ある時片方の男が凄く辛かった。苦痛で、いろんな重荷を背負って、すごく辛かった時に後ろをふと振り返ると、足跡が一つしかなかった。そして、やっとその困難を克服すると、また足跡は二つになっていたと。それでその人は相手に『何であなたは僕が一番辛い時に僕を見捨てたんだ、僕は1人で歩いてきたんだ』と言ったら、相手が『そうじゃなくて、あなたが一番辛かった時、私があなたを背負っていたんだ』という話なんです。そういった”愛”というのにたどり着ければいいな、と。でも2人は基本的には自分の足で歩いているという」 by 浜田省吾 青空のゆくえp139
「それで、この曲は8月6日に作ったんです。僕の父は被爆者でガンで亡くなりました。で、核兵器ってものが存在するわけですね。まあ僕は広島生まれだし、8月6日は厳かな気持ちになるんですよ。父は救助に行って被曝してるわけですから。やっぱりそれについて歌を書こうと思った時に、核兵器が存在した世代というーもう人類が誕生して何万年っていう時代は地球に核というものが存在しなかったわけ。で、1945年以降には核が存在してるわけでしょう。このわずか35年間とその前の何万年ってのは全く違う世代だと。何故なら一瞬にして我々が消滅してしまう可能性が生まれた。そこには凄く巨大な虚無感があるわけじゃないですか、無力感と。要するに核兵器があるそういう世代観みたいなものを思ったんですね。だから、全ての核兵器が全部ゼロになった以降の世代がほんとのラブ・ジェネレーションじゃないのかなあと。愛の世代なんじゃないかなあと。」 by 浜田省吾 青空のゆくえp258
だから、僕が”AMERICA”っていう歌を作ったり、アメリカをテーマにした歌を沢山作るから、すごくアメリカへの憧憬が強いんじゃないかって思われがちなんですけど、そうじゃなくて、僕は、避けて通れない事なんだと。日本っていう国はアメリカを絶対避けて通れないという。だからテーマなんです。 by 浜田省吾 青空のゆくえp303
いつもの生活って、奇跡でした。
いのちのことば2017-3
閉塞感を突き破る神の言葉<3> 神のことば=出来事
日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会牧師 野町真理
『雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。』イザヤ書55章10−11節
「神のことば」を表すヘブル語「ダバール」は、「出来事」とも訳すことができます。神のことばは必ず出来事になるからです。上記のみことばは、そんな神のことばの力強さを教えています。
旧約聖書には、閉塞感に囚われ、神の約束を信じられなかったアブラハムとその妻サラの姿が記されています。創世記17章17節が語るアブラハムは、本音と建前を使い分け、ひれ伏しながら作り笑いをします。信仰の父アブラハムも、閉塞感に囚われて神の約束を信じられなかったのです。夫婦は似てきます。創世記18章12節が語るサラもまた、神の約束を信じられませんでした。ニヒルな笑いが響くサラの心の中は、まるで氷点下です。
厳密な意味で、私たちが信じたとおりにしかならないのなら、閉塞感に囚われた者に救いはありません。静かにあきらめ、ニヒルに笑う仮面の道化師として、行き止まりの路地裏で死ぬ以外に道はありません。アブラハム夫婦がイサクを授かることもなかったでしょう。アブラハムの子孫としてイエス・キリストが来られるクリスマスも、十字架で私たちのために死なれたキリストが復活するイースターもなかったでしょう。
しかし、「神のことば」は、聖書信仰によって「出来事」と訳すことができます。なぜなら聖書に書き記された神のことばは、私たちの閉塞感を突き破って、時が来れば必ず出来事になるからです。アーメン。主イエスの再臨と救いの完成がますます近づいています。閉塞感を突き破る神のことばをしっかりと握りしめ、天を見上げて地上を旅しましょう。
いのちのことば2017-2
閉塞感を突き破る神の言葉<2> 天を見上げて地上を旅する
日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会牧師 野町真理
『さあ天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。・・・あなたの子孫はこのようになる。』創世記15章5節
上記のみことばから3つのことを記します。第1に、このみことばは北極星のように不動です。ですからこのみことばを指針とし、天を見上げて地上を旅するなら、確かな方向性をもって旅ができます。目先のことに囚われて見るべきものを見失ってしまう。そのような私たちには、北極星のように変わらない確かなみことばが必要です。
第2に、天を見上げて生きていくように人間はデザインされています。ギリシア語で人間を意味する「アンスローポス」には「上を見上げる」という意味があります。自分の内側を見ても、横を見て人と自分を比べても、暗くて頑固で厳しくなり、俯くことしかできません。上を向いて歩く時、明るく柔和で優しい人に変えられます。人間は上を見上げて生きていくようにデザインされているからです。天を見上げる一番楽な方法は、仰向けになることです。朝目覚めた時、車に轢かれて干からびたカエルのような心であっても、仰向けで天を見上げればいいのです。天を見上げて主を待ち望むなら、新しく力が与えられ、元気に起き上がることができます。
第3に、天国はにぎやかな所です。閉塞感に囚われている人は、天国にはあまり沢山の人がいないというイメージを持っています。しかし全知全能の神は、そのような私たちの不信仰を突き破って、数え切れない人々を天国に招かれます。星の数ほどの人々、だれにも数えることのできない人々を、神は救いに招かれます。天国はにぎやかな所です。私は信じます。神のことばは私たちの不信仰を突き破って、時が来ると出来事になると。私は信じます。万軍の主の真実と熱心によって、注がれる聖なる神の霊によって、近い将来、日本のキリスト者にリバイバルが起き、青年は幻を見、老人は夢を見、そして諸教会に行列が出来ることを。
聖書が語るのは世界泥沼論!
日本泥沼論で終わっていたら、井の中の蛙!聖書が語るのは、世界泥沼論!
ユダヤ人も異邦人も同じ泥沼。日本もアジア諸国も、アメリカもヨーロッパもみんな泥沼。
全ての人間の心の中が泥沼である!つまり、あなたの心の中も泥沼である!
しかし、どんな泥沼であっても、福音の花は美しく咲き乱れ、いつまでも残る豊かな実を結ぶ。
ちょうど泥沼から美しく咲く蓮の花のように。
ペテロを始めとする12弟子たちは全員踏み絵を踏んだような弱い者たち。
主イエスを見捨てて全員逃げ出したから。
特にシモン・ペテロは、3回駄目押しのように、踏み絵を踏みにじったような弱い者。
しかし彼は、先行する恵み、先行する赦し、先行するとりなしによって立ち直り、兄弟たちを力づけることができる強い者、岩(ペテロ)へと変えられた!
ふさわしくない時・弱い時にあなたを愛して、将来必ずあなたをふさわしい者・強い者・勝利者に変えてくださる!これが聖書が語る福音。
空港にて 村上龍
駅前、カラオケルーム、空港、披露宴会場という、どこにでもある四つの場所を舞台にした短編は「オール讀物」に連載した。わたしはそれらの短編に何か希望のようなものを書き込みたかった。希望というのは、将来が今よりも良いものになるだろうという思いだ。近代化途上の日本は貧しかったが、希望だけはあった。
「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」
そういう台詞を中学生が言う長編小説を書いてから、希望について考えることが多くなった。社会の絶望や退廃を描くことは、今や非常に簡単だ。ありとあらゆる場所に、絶望と退廃があふれかえっている。・・・この短編集には、それぞれの登場人物固有の希望を書き込みたかった。社会的な希望ではない。他人と共有することのできない個別の希望だ。 村上龍著「空港にて」あとがきより
2016年に教えられたことの一つ
わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。エレミヤ29:7
2016年に教えられたことの一つは、その町の繁栄を求めて、そのために祈るということ。教会(その地域に呼び集められたキリスト者一人一人)は地域の祝福のために存在し、派遣されているから。
主イエス・キリストの父なる神さま!どうか杉戸町と宮代町を祝福してください。若者たちが移り住み、この町で子どもたちを育てたいと願うような魅力と希望に溢れた町にしてください。年配の方々が移り住み、地上を旅する人生において、終の住処にしたいと願うような愛と平安(シャローム)に溢れた町にしてください。そのために、私たち杉戸キリスト教会が地域にお仕えすることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
先行する恵み
聖書の中に命令が出てきたら、まず神がその命令を私に対して実践してくださったこと(先行する恵み)に思いを向ける。例えば、マタイ22章34−40節に記されている聖書の中で一番大切な命令について、実践してみよう。
心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ
<1>まず神が、心(カルディア・ハート・感情)を尽くして私を愛してくださったことに思いを向ける。
まず神が、喜ぶあなたとともに喜び、泣くあなたとともに泣いてくださっている。
<2>まず神が、思い(プシュケー・ソウル・魂)を尽くして私を愛してくださったことに思いを向ける。
魂の叫び、心の奥底から、スプランクニゾマイ(内臓がわななく)
<3>まず神が、知力(ディアノイア・マインド・アンダスタンディング・頭・考え、理解)を尽くして私を愛してくださったことに思いを向ける。
知力を尽くして
総合的・統合的・包括的・全人的知識・情報を尽くして
設計、デザイン
人体の不思議、地球、宇宙の不思議
Designed by God in Heaven
あなたの隣人を自分自身のように愛せよ
まず神が、私の良き隣人となって寄り添い、私をご自身のように愛してくださったことに思いを向ける。(ルカ福音書10:30−37 良きサマリヤ人のように、反対側を見て見ぬふりをして通り過ぎずに)
このようにまず私を愛してくださった神に思いを向けるなら、神を喜び、神に感謝し、神を愛することはそんなに難しいことではなくなる。これが福音的な聖書の読み方のコツ。先行する恵みにいつも思いを向けること。
十戒における先行する恵み
一番大切な十戒の前文=まず語られている先行する恵み(救い、愛、赦し)
出エジプト20章、申命記5章
わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した(自由へと解放した)、あなたの神、主である(救い主・キリストである)。(だから)
そして先行する恵みの後に続く十戒
十戒の前半と後半で、それぞれ具体的に展開されていく大切な二つの戒め(十字架の縦棒と横棒)
前半:たいせつな第一の戒め=十戒の前半=対神関係=十字架の縦棒
「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
1、ほかの神々をもたない
2、自分のために偶像を造らない
3、主の御名をみだりに唱えない
4、安息日を覚えて聖なる日とする
後半:同じようにたいせつな第二の戒め=十戒の後半=対人関係=十字架の横棒
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』
5、生まれてきた時に最初の隣人となってくれた父と母を敬う
6、隣人を殺さない
7、隣人と姦淫しない
8、隣人のものを盗まない
9、隣人に対して偽りの証言をしない
10、隣人の家・妻を欲しがらない=むさぼり
主の祈りにおける先行する恵み
マタイ6章7−8節に、「先行する恵み」が明記されています。驚くべきことに、私たちが願う前に、父なる神は、私たちに必要なものを知ってくださっています!
また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです
だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕
⭐️先行する恵みをいつも覚えることができるように
私たちは愛しています。**(なぜなら)神がまず私たちを愛してくださったから**です。
1ヨハネの手紙4章19節
ヨハネ福音書の主イエスの新しい戒め 福音的な聖書の読み方
あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。**わたしがあなたがたを愛したように**、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。ヨハネ福音書13章34−35節
互いに愛し合いなさい。なぜなら、主がまず私たちを本気で愛してくださったから。
互いに仕え合いなさい。なぜなら、主がまず私たちに仕え、汚れた足を洗ってくださったから。
互いに赦し合いなさい。なぜなら、主がまず私たちを赦してくださったから。
実は主の愛と赦しは、実は私たちの悔い改めにも先行します。
あらゆるものに先行する恵み。それを知った時初めて、私たちは真に悔い改めることができるのです。
ルカ福音書23章34節には、私たちの悔い改めに先立つ神の赦しが、十字架の主イエスによって明確に啓示されています。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」
私たちがまだ神の敵であった時。
閉塞感を突き破る神の言葉<3>神のことば=出来事
閉塞感を突き破る神の言葉<3>神のことば=出来事
日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会牧師 野町真理
『雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。』イザヤ書55章10−11節
「神のことば」を表すヘブル語「ダバール」は、「出来事」とも訳すことができます。神のことばは必ず出来事になるからです。上記のみことばは、そんな神のことばの力強さを教えています。
旧約聖書には、閉塞感に囚われ、神の約束を信じられなかったアブラハムとその妻サラの姿が記されています。創世記17章17節が語るアブラハムは、本音と建前を使い分け、ひれ伏しながら作り笑いをします。信仰の父アブラハムも、閉塞感に囚われて神の約束を信じられなかったのです。夫婦は似てきます。創世記18章12節が語るサラもまた、神の約束を信じられませんでした。ニヒルな笑いが響くサラの心の中は、まるで氷点下です。
厳密な意味で、私たちが信じたとおりにしかならないのなら、閉塞感に囚われた者に救いはありません。静かにあきらめ、ニヒルに笑う仮面の道化師として、行き止まりの路地裏で死ぬ以外に道はありません。アブラハム夫婦がイサクを授かることもなかったでしょう。アブラハムの子孫としてイエス・キリストが来られるクリスマスも、十字架で私たちのために死なれたキリストが復活するイースターもなかったでしょう。
しかし、「神のことば」は、聖書信仰によって「出来事」と訳すことができます。なぜなら聖書に書き記された神のことばは、私たちの閉塞感を突き破って、時が来れば必ず出来事になるからです。アーメン。主イエスの再臨と救いの完成がますます近づいています。閉塞感を突き破る神のことばをしっかりと握りしめ、天を見上げて地上を旅しましょう。