カテゴリー: 人間論
カラヴァッジョ展の恵み
昨日、これまで敬遠していた東京の良さと、東京に隣接する埼玉の良さを改めて知る素敵な時が与えられた。
いろいろな事が重なって、素敵な時が与えられたことに深く感謝。まず、私が牧師をしている杉戸キリスト教会のある方が、「上野の国立西洋美術館で開催されているカラヴァッジョ展をぜひ見に行ってください」と言って先立つものをプレゼントしてくださった。そして、昨日予定していた求道中の方との聖書の学びが急遽キャンセルになり、午後の予定が空いた。さらに、外に出かけたくなるような青空と陽光と新緑が眩しい5月の晴れた日だった。
私の住んでいる埼玉県北葛飾郡杉戸町から東京の上野までは、東武スカイツリーラインと地下鉄日比谷線の相互乗り入れのおかげで約1時間で行ける。飛行機や電車を乗り継いではるばる東京に出てこられる方も多いのに、わずか1時間で上野の美術館に行けるというのは埼玉の素晴らしい点。
東京と言っても超高層ビルが立ち並ぶ所だけではない。上野公園には新緑の木々や正岡子規記念球場や西郷さんの像がある。関東大空襲による戦後の焼け野原では、遠くから上野の西郷さんの像だけが見えたと聞く。
さて、最初私はカラヴァッジョと聞くと、残酷な首切り画家というような印象しかなく、あまり行きたくないなと思っていた。けれども調べてみると、私の大好きなレンブラントにも大きく影響を与えた画家だということがわかり、楽しみにしながらいろいろとネットで下調べをして鑑賞に備えたが、百聞は一見に如かずだった。
西洋の文学や美術には、BIBLE・聖書の内容をテーマにしたものが多いが、もちろんカラヴァッジョの作品にも多い。「洗礼者ヨハネ(バプテスマのヨハネ)」、「エマオの晩餐」における復活の主イエス・キリスト、「エッケ・ホモ(この人を見よ)」、「法悦のマグダラのマリア」などが今回の公開作品にはあった。
世界初公開という「法悦のマグダラのマリア」。実は彼女の前になるキャンバスの左上には、ライティングによって背景の闇の中からかすかに浮かび上がってくる十字架が描かれている。彼女は、手をしっかりと水平に組みながら仰け反り、左腕を後ろによじらせながら、骸骨の上に左肘をつけて体重を支えている。
注目すべきは左上の十字架と右下の骸骨を結ぶライン。そしてもう一つは左上に仰け反り右下に下半身を投げ出している彼女の体の傾きによって描かれているライン。この二つのラインがキャンバスにXの構図を描き出している。そして対照的なのは左右の腕の色。十字架に近い右腕は明るく白く描かれているが、骸骨に上半身の体重を預けている左腕は暗く、ほとんど黒に近い濃さで描かれている。そして彼女が見上げている左上、十字架の上だけにはうっすらと光がある。彼女は上半身は白い衣を着て、下半身は赤い衣をまとっている。彼女のお腹は妊婦さんのように膨らんでいるが、腹部の衣は白がかなり黒ずんでいることから、罪を孕んでいることの象徴のように見える。
この作品は、人を殺め、逃亡しながらも最後までカラヴァッジョが手放さなかった作品だそうだ。恐らくカラヴァッジョは、罪を孕み、赦しを求め、死との闘いの中で十字架を見上げ、神のあわれみを求め、晩年には罪の赦しに基づく平安と歓喜の中で、自ら描いたマグダラのマリアのように法悦していたのではないかと私は想像する。
十字架も骸骨も死の象徴である。けれども十字架は罪の赦しの象徴であり、罪から来る報酬である死に打ち勝ち、復活の命を与える神の愛の象徴である。罪のない神の御子、主イエス・キリストが、私たちの罪の身代わりに十字架で死なれた。けれども主イエスは3日目に復活なさり、罪と死に勝利された。そのような主イエス・キリストの福音による罪と死に対する勝利がこの絵には描かれているように感じた。
『氷点』解凍 森下辰衛
神から離れているために生きる目的がわからないとき、人は自分の存在価値を見失って凍える。
神から離れているために愛されていることがわからないとき、人は自分の存在価値を見失って凍える。
神から離れているために愛することができなくなるとき、人は自分の存在価値を見失って凍える。
神から離れているために罪をゆるされることがわからないとき、人は自分の存在価値を見失って凍える。
p239-240
同じことをしても、人がしたら悪く、自分がしたら悪くないのだ。不倫の場合などは更に顕著だ。他人のしている不倫は世にも汚らわしいものだが、自分がするのは美しい運命の恋ということになる。そして他人のした善行は「当たり前のこと」なのに、自分のそれは世界に伝えるべき美談になるのだ。人間を計る尺度に自分用と他人用がある。それは、神の方を向かないから可能なのだ。そして、人は皆、自己中心に生きたいので、神の方を向こうとはしない。p69
漱石は、自由や独立や自己という概念をよきものとして移入してきた近代の日本人の心を観察して、その「淋しみ」を描いたのだが、三浦綾子はもうひとつの日本近代の節目であり、また彼女自身の人生の転換点でもあった敗戦後において、日本人の心の実験を始めようとしている。見本林の「すぐ傍ら」に辻口家が設定され、戦後の十七年余の時代を背景にその家族と彼らをめぐる人間たちの愛し憎み、葛藤する心が実験観察されることになる。つまり辻口家は戦後の日本の家族と日本人の心の見本であるのだ。「和、洋館から成る辻口病院長邸」にもそれは表れている。・・・日本的なものと西洋的なものが折衷した家、それはそのまま戦後の日本人の心の時代状況なのだ。p57
「地獄とは、もう愛せないということだ」by ドストエフスキー
「罪とは、もう愛さないということだ」by 森下辰衛
ここには三浦綾子の、そして同時に神の、胸の裂けるような痛みと懊悩と涙があるように感じられる。誰でもいいほど淋しかったのに、誰にも愛されず、誰をも愛せない。それが人間なのか。そこに愛の本源たる神を離れた人間の悲惨がある。p105
家族で休日
キリエ KYRIE 宗教詩集よりクリスマスの歌
キリエ KYRIE 宗教詩集
ヨッヘン・クレッパー 著
富田恵美子・ドロテア 富田裕 訳
p46-49より
クリスマスの歌
やめなさい、あなたの罪と弱さの中で
あなたが何者かを見つめるのは。
あなたの弁護のために来られた
御子に目をとめなさい、
見なさい、今日あなたの身に起こることを。
今日救い主があなたを訪れ、
あなたを再び故郷へ導いていく、
鷲のように力強い翼に乗せて。
自ら己のものを奪い去る
罪人である自分の貧しいさまを見つめるのは、やめなさい。
助け主イエス・キリストを見上げなさい。
御子のことばにひたすら依り頼みなさい。
御子の慈しみのほかは何ものも助けをもたらさず、
御子こそがあなたを救うために来られると信じるなら、
いかに大きな罪であれ、あなたは忘れてかまわないのだ。
あなたが信じなくとも、御子は誠実を保ち、
宣べ伝えたことを変わらず守られる。
御子は自ら造られたものとなって
災いの只中にいるあなたを探し出し、
新たに創造する。
御子は自らに背くことはないから、
御子を見なさい、いつまでもあなたの罪を見ていてはならない。
御子は自ら堅く約束した。
御子は探し求め、あなたは見出される。
あなたが誰であれ、もう自分をみつめてはならない。
あなたはあなた自身からすでに解き放たれた。
神自らが来られた、
これを知ること以上に、今あなたに必要なものはない。
御子の名は不思議な助言者、力の君、永遠の平和をもたらす主。
あなたの罪を見つめる眼差しから
御子自らがあなたを解き放たれる。
御子の産着がどんなに粗末でも、
たゆまず望みなさい。
なおも神の子、人の子が
それに包まれているのだから。
ここであなたを解き放とうと、御子は待ち焦がれている。
御子の耳に届く叫びがいかに底知れぬ罪のものであっても、
御子はそれをもう帳消しにされた。
嘆くのは、やめなさい。むしろ讃えなさい。
就職&仕事のための老婆心
就職&仕事のための老婆心
1、ツイッターやフェイスブックといったSNSやネットを利用する際には、投稿する内容に注意する。
情報社会ですから、入社試験の面接担当などは、入社を希望して面接に来る人のことを知るために、その人の投稿内容などを参考にすることが多いからです。
そしてこれは入社してからも要注意です。SNSやネットは基本的に不特定多数への情報発信ですから、不適切な投稿が発覚すると、せっかくの仕事を辞めなければいけないことにもなりかねません。
あなたの才能や持ち味がいちばん活かせる職場に、1日も早く就職できますように。
2、いきなり正社員を目指すのではなく、まずはアルバイトでも派遣でもさせていただく。
この不況の時代に、会社も余裕がほとんどありません。ですから最初から正社員を目指しての就職活動は無謀です。でも、雇ってもらった所で、信頼されて任された仕事を誠実に一つずつ成し遂げていくなら、近い将来きっと正社員にしてもらえることでしょう。小さなことに忠実であれば、やがて大きな仕事も委ねられることでしょう。
3、今与えられている人間関係を大切にする。
家族や友人、先輩や同僚や後輩との関係を大切にしましょう。特に耳の痛いことを言ってくれる人との関係を大切にしましょう。本当に愛してくれている人は、たとえその時その人が傷ついたとしても、あえて語ります。そして家族のありがたさを本当に理解するためには、逆説的ですが親元を離れて寮やアパートなどに住むことも必要です。親から経済的にも精神的にも自立する。その時、本当の意味で与えられている人間関係を大切にすることができるでしょう。
4、心を尽くして主なる神に拠り頼む。自分の悟りに頼らない
これはとても信仰的かつ霊的なことです。この世的には「己こそ己の寄る辺」、「頼れるのは自分しかいない」、「神に頼るなんて弱い人間のすること」となります。ですからこの世的には、「心を尽くして自分に拠り頼み、自分の悟りに頼る」ということになります。けれども、自分の弱さや限界や無力さを少しでも覚えるならば、その時こそ素直に、「自分は頼りにならない」「私は神に頼らないと生きていけない弱い人間だ」と認めて、苦しい時こそ神頼みをするのです。しかしそこで問題になるのは、どの神を頼りとするのかということです。鼻で息をする人間が勝手に作ったり祭り上げた神々を頼りとしても、救われません。天地万物を創造し、あなたをデザインされた神、あなたを造られたメーカーである神、聖書で「主」と呼ばれている神を頼りとすることが大切です。主なる神にとって、力のある者を助けることも力のない者を助けることも同じです。主なる神にとって能力のある者を助けることも能力のない者を助けることも同じです。主なる神は、助けを求める者を豊かに力強く助け、就職への道を切り開き、そしてその仕事を続けていける力を与えてくださいます。その時あなたは、劣等感と優越感の間から解放され、自由に生きることができます。
父となる旅路 聖書の失敗例に学ぶ子育て
幸せはあなたの心が決める 渡辺和子
目次より
第1章 人は不完全なもの
人は不完全なもの
人を許せば自分も救われる
人と人とのあいだを美しくみよう
意地悪く批判しない
真の愛にはきびしさがある
聞きたくない意見にたいせつなヒントがある
依頼心を捨てた時に力が生まれる
幸・不幸は、自分に由る
社会に歩みだすあなたへ
第2章 求めたものが与えられなくても
挫折のすすめ
失ったものではなく得たものに目を向けて生きよう
「あなたは何さまなの?」
人間には問題をどうとらえるかを選ぶ自由がある
不条理を受け入れる
人生は思い通りにならないのが当たり前
第3章 自分を見捨てない
相手をより自由にするのが本当の愛
受け入れがたい自分を受け入れる
劣等感のかたまり
自分の花を咲かせなさい
愛する力を育てるために
第4章 輝いて生きる秘訣
大学とは何をするところ?
雑用に祈りをこめて
自分を美しくきたえる
「美しさ」を保つ秘訣
第5章 愛ある人になる
「させていただく」
お金で買えないもの
人間関係の秘訣
あなたの近くにも「カルカッタ」はある
我以外、皆師なり
雪の日に 吉野弘詩集より
雪の日に 吉野弘詩集より
雪がはげしく ふりつづける
雪の白さを こらえながら
欺きやすい 雪の白さ
誰もが信じる 雪の白さ
信じられている雪は せつない
どこに 純白な心など あろう
どこに 汚れぬ雪など あろう
雪がはげしく ふりつづける
うわべの白さで 輝きながら
うわべの白さを こらえながら
雪は 汚れぬものとして
いつまでも白いものとして
空の高みに生まれたのだ
その悲しみを どうふらそう
雪はひとたび ふりはじめると
あとからあとから ふりつづく
雪の汚れを かくすため
純白を 花びらのように かさねていって
あとからあとから かさねていって
雪の汚れを かくすのだ
雪がはげしく ふりつづける
雪はおのれを どうしたら
欺かないで生きられるだろう
それが もはや
みずからの手に負えなくなってしまったかのように
雪ははげしく ふりつづける
雪の上に 雪が
その上から 雪が
たとえようのない 重さで
音もなく かさなってゆく
かさねられてゆく
かさなってゆく かさねられてゆく