関東宣教区における開拓伝道の可能性

野町真理(ノマチシンリ) 関東宣教区長、杉戸キリスト教会牧師

関東宣教区は、群馬、埼玉、そして東京都内にまたがっています。

群馬には安中聖書教会と高崎福音キリスト教会があり、太田などにもう一つ開拓できると面になります。

埼玉では、先日、西部にある原市場聖書教会が独立記念礼拝を行うことができました。原市場聖書教会は、高麗聖書教会の教会レベル開拓によって生み出されました。続く足立愛の教会は、埼玉の越谷にて伝道を始めています。

また、TEAM宣教師のスティーブ・バーン師が和光に移り住み、開拓伝道の導きを祈り求めておられます。大宮や新都心といった埼玉中心部には同盟の教会がまだありませんが、都市伝道の必要があります。

都内では豊洲に近い枝川愛の教会において都市伝道の可能性が大です。都内には北区と練馬区にそれぞれ2つ、足立区、江東区、中野区、豊島区、板橋区にそれぞれ1つ、各区の拠点として教会が建てられています。

(世の光のために書いた内容です。)

祈りのベースボール

祈りのベースボール

杉戸キリスト教会牧師 野町真理(のまちしんり)

聖書が教えている祈りは、例えて言うと、ベースボールのようだ。草野球、少年野球、高校野球、プロ野球、メジャーリーグ、マスターズ甲子園。いろんなベースボールがあるが、聖書に耳を傾けると、祈りのベースボールというスピリチャルな試合があり、僕たち選手一人一人に対して、励ましと応援の声が聞こえてくる。

誰かのために何かを祈り始めると、まずは1累にランナーを送り出すことができる。続けて祈り続けると、ランナーを2累に進めることができる。さらに祈り続けると、やがてランナーを3塁に立たせることができる。さらに粘り強く祈り続けるなら、最後にはランナーをホームベースに戻すことができる。けれども、ホームベースに戻すプロセスのどこかで、あきらめて祈ることを止めてしまったらどうだろうか。せっかくの祈りの労苦が、残念ながら無駄になってしまう。

聖書が教えている祈りは、インスタントに答えられない。だから祈りが応えられるまで、チーム全員で励まし合い、支え合って、決してあきらめないで祈り続けることが必要だ。あくまで求め続けること、粘り強く叩き続けること、忍耐強く探し続けることが聖書には教えられている。

Luke 18:1 いつでも祈るべきであり、 失望してはならないことを教えるために、 イエスは彼らにたとえを話された。 2 「ある町に、 神を恐れず、 人を人とも思わない裁判官がいた。 3 その町に、 ひとりのやもめがいたが、 彼のところにやって来ては、 『私の相手をさばいて、 私を守ってください』と言っていた。 4 彼は、 しばらくは取り合わないでいたが、 後には心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、 5 どうも、 このやもめは、 うるさくてしかたがないから、 この女のために裁判をしてやることにしよう。 でないと、 ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った。 」 6 主は言われた。 「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。 7 まして神は、 夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、 いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。 8 あなたがたに言いますが、 神は、 すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。 しかし、 人の子が来たとき、 はたして地上に信仰が見られるでしょうか。 」

弱くて不信仰な僕たちは、すぐにあきらめて祈ることを止めてしまうかもしれない。でも、祈っていたことを思い出した時、その時にまた祈りを再開すればいい。七転び八起き。何度つまづいても、また起き上がって祈り続けるなら、必ず祈りの手応えを覚えることができる。そしたらしめたもの。

祈りに味を占めることができたなら、ホームベースは遠くない。1点入るという形で目に見える結果が出る時、僕たちは祈りのベースボールにおいて、勝利への道を走り続けることができる。

高価な恵み

高価な恵み

ディートリヒ・ボンヘッファーの著作「キリストに従う NACHFOLGE 1937」より

 高価な恵みは、畑に隠された宝であって、そのためには人間は出かけて行って自分の持物を全部喜んで売り払うのである。それは値段の張る真珠であって、それの支払いのために商人は自分の全財産を犠牲にするのである。それはまたキリストの王的支配であって、そのためには人間は自分を躓かせる目をえぐり取ることも辞さないものである。さらにそれはイエス・キリストの招きであって、それを聞いた時弟子たちは網を捨てて従ったのである。

 高価な恵みーそれは繰り返し探ね求められるべき福音であり、祈り求められるべき賜物であり、叩かれるべき戸である。それは、服従へと招くがゆえに高価であり、イエス・キリストに対する服従へと招くがゆえに恵みである。それは、人間の生命をかける値打ちがするゆえに高価であり、またそうすることによって人間に初めて生命を贈り物として与えるがゆえに恵みである。それは罪を罰するがゆえに高価であり、罪人を義とするがゆえに恵みである。恵みが高価であるのは、先ず何よりも、それが神にとって高価であったから、すなわち、それが神に対してー「あなたがたは、代価を払って買い取られたのだ」(1コリント6:20)とある通りー・・・

牧師家族夏休みグランドツーリング

牧師家族夏休みグランドツーリング

LEGACY B4

日時:2017年8月21日(月)から8月26日(土)
目的:夫婦それぞれの実家帰省、教会員お見舞い、杉戸キリスト教会出身の前原牧師夫妻訪問
走行距離:約2,395km
https://drive.google.com/open?id=1EHaTHynbm6vSclTTdnVpwkROcsE&usp=sharing
車種:スバルレガシィB4(セダン) 2.5iアイサイト(2010年5月発売モデル)
7年型落ちの中古車レガシィB4、第五世代レガシィのゆったりとした5人乗りセダンで、おじいちゃんおばあちゃんも一緒にドライブできました。
長距離運転でも疲れが少なく、アイサイトのおかげで高速移動も快適でした。
唯一の欠点はやや大きめのサイズかもしれませんが、ミニバンと比べたらそんなに大きいわけではありません。
パワーも十二分あります。山道の登りなどではS#モードにすればぐんぐん登ります。
サスペンションはふわふわではなくちょっと硬めですが、乗り心地は快適です。
室内の静寂性も十二分です。
気になる燃費は、効率の良いCVTのおかげで高速道路では約16km、一般道では約12kmぐらいです。

杉戸キリスト教会  から  長野県長野市 248km 妻の実家で1泊 おじいちゃんおばあちゃんと

長野県長野市    から  徳島ユースホステル 589km 中央道、名神、淡路島経由 徳島で1泊

徳島ユースホステル前の海

徳島ユースホステル

徳島ユースホステル から  高知県高知市  171km 高知で2泊 おじいちゃんおばあちゃん、そしてばあちゃんと
高知県高知市    から  天狗高原    93km
天狗高原      から  高知県高知市  116km

四国カルスト天狗高原

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四国カルスト天狗高原

天狗高原の牛

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高知のおじいちゃんとおばあちゃん

高知のおばあちゃんと

高知のおばあちゃんと

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高知のおじいちゃん

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唐岩番所跡

高知県高知市    から  松井病院    82km  教会員お見舞い
松井病院      から  広福音キリスト教会 232km しまなみ海道で前原牧師夫妻を訪問 呉のホテルで1泊

しまなみ海道多々羅大橋

レモンの島から見える瀬戸内海

こどもバザーゆうすずみかい

前原園長先生のあいさつ

広福音キリスト教会 から  杉戸キリスト教会 864km

牧師家族夏休みグランドツーリング2017

教会を成長に導くには、献身以上のものが必要

THE PURPOSE DRIVEN CHURCH 健康な教会へのかぎ、5つの目的が教会を動かす(全訳版)

第2章 教会成長についての神話

神話その5 あなたの献身が十分なら、教会は成長する より

 教会を成長に導くには、献身以上のものが必要である。それは熟練技術である。私の好きな聖句の一つは、伝道者の書10:10の「もし斧が鈍くなったとき、その刃をとがないと、もっと力がいる。しかし熟練技術(SKILL)は人を成功させるのに益になる」(NIV)である。人を成功させるのは献身ではなく熟練技術であると神は言っておられる。木をうまく切ろうとするなら、まず斧をとぐ。大切なのは労苦することではなく、賢く働くことである。

 必要な技術に習熟するには時間がいる。しかし長い目で見れば、そのほうが時間を節約するし、はるかに効果的である。本を読み、集会に参加し、テープを聞き、良いモデルを観察することで、あなたの働きのための斧をといでほしい。斧をとぐ時間が無駄ではないように、熟練した技術を身につけることが成功をもたらす。

 私たちの教会には、大航空会社のパイロットがたくさんいる。経歴の長さに関係なく、彼らは年に二回、一週間の再訓練を受けて技術に磨きをかけるよう義務づけられている。なぜそんなに再訓練が必要なのかと尋ねると、「人のいのちが、私たちの熟練度にかかっているからです」と答える。これは教会の働きにも言えることである。何よりも私たちの技術が、いつも最高、最新であるよう関心を払うべきではないだろうか。

日本同盟基督教団の3つのビジョン

日本同盟基督教団の3つのビジョン
1、青年宣教 DS(DOMEI SEINEN) キャンプ伝道
信仰継承

2、国内宣教
教会開拓 チャーチプランティング
点から線、線から面へ
1億2000万宣教、全県に同盟の教会を
鹿児島、三重、徳島、和歌山、佐賀、秋田、島根

3、国外宣教
教会形成 アジア21 そして世界へ JAWS21

宣教協力のための教団、宣教区制
世界宣教
地の果ては 背中合わせの 隣人
日本とアジアと世界に仕える僕

家族伝道 親族伝道

なぜ同盟教団?
大学編入学のため移り住んだ先で導かれた教会が同盟教団の教会だったから。(最初に導かれて洗礼を受けたのはナザレン)
同盟教団の宣教大会への参加、HBC、東海ブロック
同盟教団の血筋 宣教協力、聖書信仰、合議制

個人のビジョン
教会のビジョン
宣教区のビジョン
教団のビジョン
神のビジョン 聖書のビジョン 星の数、砂の数

聖書から人生における勝利の条件を考える

人生は競争・レース? 足の速さが勝利の条件? スピードという偶像

人生は戦い・バトル? 勇士であることが勝利の条件? 勇士・強さという偶像

人生はパン・食料?  知恵が勝利の条件? 知恵・技術という偶像

人生は富・お金・経済? 儲けるための悟りが勝利の条件? お金・経済・仕事という偶像

人生は愛顧・目をかけられること? 注目を集める知識が勝利の条件? 他人の評価という偶像

私は再び、日の下を見たが、競走は足の早い人のものではなく、戦いは勇士のものではなく、またパンは知恵ある人のものではなく、また富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではないことがわかった。すべての人が時と機会に出会うからだ。しかも、人は自分の時を知らない。悪い網にかかった魚のように、わなにかかった鳥のように、人の子らもまた、わざわいの時が突然彼らを襲うと、それにかかってしまう。旧約聖書・伝道者の書9章11−12節

関東宣教区有志による伊豆大島プロジェクト2017-08

日本同盟基督教団・関東宣教区有志たちが、宣教師のフロンティアスピリットを学びに伊豆大島に行きました。

多くの方々の祈りと支援に支えられて、無事に帰ってくることができました。心より感謝します。

終始お世話になった「いずみのいえ」の古谷牧師ファミリーにも心から感謝します。どうもありがとうございました。

さるびあ丸

伊豆大島プロジェクト。行きは竹芝から「さるびあ丸」に乗り、船中泊でした。

岡田港から上陸

行きは岡田港から伊豆大島に上陸。

いずみのいえ1日目の朝

いずみのいえ1日目の朝。海を眺める素敵な時間。

いずみのいえ

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いずみのいえの展望台にて

ここからの眺めは最高です。夜にはムーン・リバーと満天の星空を見上げることができました。聖書(創世記15章5節)によると、数え切れない星の数ほどの人たちが天国に招かれています。

MOON RIVER

伊豆大島から天を見上げて

いずみのいえのチャペル

いずみのいえのチャペル。ピアノ、ギター、ドラムなど、楽器がありました。チャペルの後ろにはクライミングボードもあります。

クライミングボード

朝食後の分かち合い

大島元村教会の菅野牧師夫妻

河村冴牧師

大島元村教会にてお交わり

大島元村教会にて

移設された大島元村教会の旧会堂

終始お世話になったいずみのいえの古谷牧師

伊豆大島土砂災害で亡くなられた方々の献花台

1日で800ミリほどの豪雨があり、多くの方々が犠牲になりました。

伊豆大島土砂災害の爪痕

大島から伊豆半島眺望

これから三原山に登ります

かつて宣教師は波浮から元村まで徒歩で山越えをして、福音宣教、開拓伝道を行ったとのこと。少しでもそのスピリットを覚えるために、三原山に登りました。

三原山火口

ゴジラ

ゴジラは伊豆大島の三原山火口から出てきました!

いずみのいえ夕食はバーベキュー

最後に「くさや」が出ました!昔大島などでは米の代わりに塩を年貢として納めていたため、塩を自分たちで使うことはできませんでした。そのため、海水に腹を裂いた魚を入れて「くさや」を作り、塩分を取っていたようです。強烈な匂いの故に、好き嫌いがはっきり分かれます。台湾の臭豆腐のような強烈な匂いです。

地層大切断面

道路を建設していたら、このような地層が出てきたようです。

地層切断面にて

波浮教会

波浮教会会堂

波浮教会でのお交わり

波浮教会にて

歌の贈り物

波浮港 踊子の里

旧甚の丸邸

宣教師がここを宿として大島に福音宣教を行なったようです。

波浮港

アンコ椿は恋の花

トウシキ海岸にて海水浴

海坊主と海水浴

キリシタン「ジュリアおたあ」を偲ぶ十字架

筆島

いずみのいえにて記念撮影

帰りはジェット船にて

海上もラッシュ

飛行機もラッシュ

東京都心に近づくと、海上もラッシュ、飛行機もラッシュ。おそらく首都高もいつものようにラッシュ。さすが文化の中心、経済の中心、そして政治の中心としての世界的な都市TOKYOを覚えました。(ちなみにアメリカでは文化の中心と経済の中心と政治の中心は3つの都市に分散しています)

https://flic.kr/s/aHsm69xr8b

聖書入門

新旧約聖書66巻には、様々なジャンルの文章が収録されているが、メルヴィルの白鯨(Moby-Dick)のようなデータベースでも百科事典でもない。

けれども、白鯨以上にグローバルでユニバーサルで世界標準な本。全世界のすべての民族が登場する。そして生ける神の御言葉である故に、いつも新しい言葉の響きを持つ。だからミッションチームによって、全世界の言語に翻訳され続けている。

聖書全体を貫く文脈・コンテストは、次の3部によって構成されている。第1に万物のデザインと創造・存在への招き、第2に創造の冠・マスターピースである人間の堕落、そして第3に全世界の創造主、メシア・キリスト・救い主である主イエスによる万物の再創造。神と人間が織りなす救済の歴史。

異郷に赴く神の子の道

和解論14章 僕としての主イエス・キリスト
59節 神の子の従順
1 異郷に赴く神の子の道 p173-174

しかし、神は、超然とした態度を取らずに、イエス・キリストにおいて人間に恵みを与え給うことによって、同時に異郷へと赴き給うのである。すなわち、この全く異なった神的でない存在、否、神に背く存在の悪しき世界へと、赴き給うのである。神は、このような存在に対して、尻ごみし給わない。また、盗賊に襲われた人の傍を祭司やレビ人が通りすぎたように、神はその傍を通りすぎ給わない。彼を放置し給わない。彼の状況を御自身のものと為給う。もちろん、神は、そのようなことを為ることによって、その栄光を失い給いはしない。人間の隣人となり、隣人として人間と交渉し、人間に対して働き給う時、神はもちろん神性のことを、少しも気遣い給う必要はない。否、むしろその反対である。

われわれは、この最初の節において、やがて決定的・基礎的なものとして示されるはずの次のような思想を、今すでに語っておこう。それは<神の恵みはそのような犠牲を払うことを欲し、また払い得給うのであるがーすなわち、神は、そのように謙虚となり、そのような過多な業を行い、そのような異郷への道を歩むことが出来、またそのことを欲し、またその用意を持ち給うのであるがー神はそのような事実においてこそ偉大であり、また真の神はそのような事実においてこそ真の神として現れ給うのだ>という思想である。

神を他のすべての神々と区別し卓絶させるのは、神々にはそのようなことが不可能であり、またそのようなことを欲しもせず、またそのような用意も持ってはいないという事実である。それらの神々は、その他界性・超自然性・彼岸性等のすべてによって、人間の高慢の映像である。すなわち、下に位するものに対して身を屈しようとせず・身を低くしようとしない高慢の映像である。神は高慢ではあり給わない。むしろ、神は、その高貴な尊厳さの中にありながら、謙遜であり給う。このような高貴な謙遜において、神は、世を自らと和解せしめる神として、語りまた働き給う。われわれは、和解の歴史を、まず第一に、そして何よりも先に、このような観点において、評価しなければならない。