PainofGod

Sat, 23 Aug 2008 16:00:48 JST (3319d)

1999年度 東海聖書神学塾 卒業論文

『神の痛みの神学』のキリスト中心的理解−キリスト者の生活における苦難の積極的意味を求めて−

A graduation thesis of Tokai Theological Seminary in 1999

The Christ-centric understanding of“Theology of the Pain of God”−Seeking positive meaning of the pain in Christian life−

教職志願者コース4年 野町 真理

(所属教会:日本同盟基督教団・豊橋ホサナキリスト教会)


Abstract

 Kazo Kitamori, a Japanese theologian wrote the book named "Theology of the Pain of God"(translated into English in 1965).And Karl Barth wrote "Evangelical Theology: An Introduction".In this foreword to Japanese, he presented a very serious question to Kitamori's Japanese style theology.

 In this thesis, having addressed to Jesus Christ described in the Synoptic Gospels, the author is trying to seek the Christ-centric understanding of "Theology of the Pain of God", by focusing the Greek word "splagchnizomai", which has the same nuance as the phrase in Jeremiah 31:20 : "my bowels are troubled for him".

 By "splagchnizomai", the painful heart or joy of God is in a Christ-centrically spoken of more eloquently and abundantly. It is the amazing love of God that forgives repentant betrayers without condition and brings about a reconciliation only by grace.

 The Christ-centric understanding of "Theology of the Pain of God" enabled me to avoid being affected by Japanese style theology and understand "Love based on the Pain of God" more concretely and abundantly.This concrete and abundant understanding of "the Pain of God" moves us humans from the bottoms of our hearts.The sympathy toward "Love based on the Pain of God" prompts us to love God as God in the true meaning of the word.And this moving love will improve our sensibilities to pain and become the motive for us to love and forgive each other and to live together being neighbors.

1、内容の総括

 共観福音書に記されているイエス・キリストに目を向け、エレミヤ31:20の「我が腸かれの為に痛む(わななく)」と同じ響きを持つスプランクニゾマイというギリシア語に注目することによって、キリスト中心的な『神の痛みの神学』を試みた。

 共時的に見たスプランクニゾマイは、キリストに対してだけ用いられており、まさしく神の神性の内に含まれた神の人間性を表現している。

 通時的に見た場合、あわれむ、かわいそうに思うといった隠喩(メタファー)的意味は、ユダヤ教の文献と新約聖書にしか見出すことが出来ない。スプランクニゾマイによるラハムの翻訳は70人訳においては実際に導入されていなかった、しかし後期のユダヤ人の文献(12族長の遺訓)において、新しい翻訳として明確に取り入れられた。そしてその用例は新約聖書における用法のための直接的な前提である。

 新約聖書において、イエス・キリストに対してだけ用いられたスプランクニゾマイの持つニュアンスは、エレミヤ31:20における「我が腸かれの為に痛む」という表現のニュアンス、また、同じテキストにおいて強意形で重ねて用いられているヘブル語ラハムの持つ「深くあわれまずにはおれない、必ずあわれむ」という言葉のニュアンスをさらに豊かにまた雄弁に語っていると考えられる。スプランクニゾマイによって、キリスト中心的に神の痛む心、また歓喜がさらに雄弁に、豊かに語られている。それはただ恵みによって、悔いた裏切り者を自由に赦し、和解へと招く、驚くべき愛である。

 『神の痛みの神学』のキリスト中心的理解によって、日本的思惟の影響を避けることができ、より具体的に、また豊かに「神の痛みに基礎づけられた愛」の認識が可能となった。この具体的、また豊かな「神の痛み」の認識が、私たち人間を心の底から揺り動かす。この「神の痛みに基礎づけられた愛」への共鳴が、私たちを本当の意味で神を神として愛することへと促す。そしてこの揺り動かす愛が、私たちが持っている痛みの感受性を引き上げ、隔ての壁を越えて私たちが互いに愛し、赦し、隣人となって共に生きる原動力となる。

2、結論

(1)砕かれた人間の姿によって心の底から揺り動かされる神

 エレミヤ31:20の「我が腸かれの為に痛む」という言葉、また「彼をあわれまずにはおれようか。私は彼を必ずあわれむ」という言葉によって表現される神の心の動きは、自らの高ぶり、偶像礼拝、背信によって神の怒りの懲らしめを受けたエフライムが、砕かれた、悔いた心をもって、自分の罪を嘆いているのを聞いたときに、主なる神の心の底から生じた動きであった。

 スプランクニゾマイで表現される心の動きも受動的である。まず良き羊飼いである神から迷い出た人間の、救いなき姿がイエスの瞳の中に映り、その砕かれた望みなき姿こそが、イエスの心を心底からゆり動かしているのである。それは羊飼いのいない羊のように弱り果てて倒れている姿、強盗に襲われて道端に倒れている姿、返済不可能な莫大な負債を抱えてあわれみを乞う姿である。それは、やみの中、死の影の地、涙の谷、愛のない砂漠、荒れ野を満たされることなく、自分勝手にさまよう罪人たちの姿である。

(2)イエス・キリストによって明らかにされた「絶対他者」であり「痛む神」

 スプランクニゾマイは、キリストにだけ用いられることによって、キリストの痛み・あわれみの質的差異を啓示している。同時に、この語はキリストの最も深いところからの痛み・あわれみを表現している。

 ルカ15章の放蕩息子の父親に対する用例は、文脈から失われていた息子を見つけた時の心底からの歓喜を表現している。 この心の底からの動きが、イエスを具体的な愛の行動へと揺り動かしている。これが神を受肉と受難(COMPASSION)へと向かわせる神の大いなる情熱(PASSION)であり、和解によってあくまでも私たち人間と共に生きようとする動機である。

 スプランクニゾマイは、まさしく神の神性の極みとしての神の人間性(受苦性)を表現している言葉である。イエス・キリストは地上で最も偉大な人間以上の、人間とは質的に異なった、天地万物を創造された無限の神である。しかし同時に、イエス・キリストは私たちと同じ肉体を持たれ、一人のユダヤ人として私たちの間に住んで下さった人間である。イエス・キリストは喜ぶ者と共に喜び、痛む者と共に痛んで下さった、本当の人間、神のかたちそのものであったと言える。イエス・キリストによって明らかにされた真の神は、人間とは質的には異なるという意味で「絶対他者」であるが、私たちのために仕え、痛んで下さる恵み深い神である。

(3)キリスト者の生活における苦難の積極的意味(神の5つのチャレンジ)

1、 赦し(あわれみ)による和解への招き

一万タラントの借金(罪の負債)を十字架によって赦された者として、隣人を赦し、和解の務めに生きる苦難へのチャレンジ

2、 良き隣人となることへの招き

良き隣人キリストに助けられた者として、他者のために生きる苦難へのチャレンジ (自ら造った壁を超えて、憐れみ深く共に生きること)

3、悔い改めと喜びへの招き

信仰によって神の愛を体験した者として、共に喜ぶ苦難へのチャレンジ

4、祈りによる宣教の情熱への招き

他者の為に祈る苦難へのチャレンジ

5、信仰への招き

信仰の苦難へのチャレンジ

 スプランクニゾマイの用例を見ると、上記のような5つのチャレンジが語られている。これらはいずれもキリスト者の生活における苦難の積極的意味を提示している。苦難と表現したのは、キリストの愛に揺り動かされて、本気でキリストの命令に従おうとする時、しばしば葛藤や苦痛、困難を感じる故である。キリストは「自分の十字架を負ってわたしについて来なさい。」と言われる。このキリストに従う歩みとは、キリストの苦しみの欠けたところを満たすことに他ならない。苦しむこと、自己否定が目的(ゴール)ではない。しかし、苦難を通して、人間性がその極み(真の人間であるイエス・キリスト)の身丈まで成長すると私は確信する。苦難の意味は、キリストに従うことを通して、私たちがキリストのように変えられるというところにある。それは、私たち自身が全世界の祝福の基として他者のために存在する教会となるためである。福音宣教の使命に生きる教会として、ともに公同のキリストのからだである世界教会のキリストの身丈まで成長していきたい。

第一章 序論 ―「絶対他者」か「痛む神」か?

1、神観の重要性について

 私たち人間は生まれ育った、あるいは置かれた環境の中で、それぞれ自分の言葉、ものの見方・考え方を身につけていく。環境は以下の二つに大きく分けることができると考えられる。地理的環境と歴史的環境である。

 地理的環境とは、風土と言う言葉に置き換えることもできる。日本のように海で囲まれた島国では、外部からの影響が大きな環境変化をもたらすケースが多い。

 また、歴史的環境とは、思想、宗教、哲学、文学、神学、科学、工学、音楽、芸術などを含めた広い文化の流れを指す。特に21世紀を目前にした現代社会は、近代の科学技術の発達とそれに伴う人間中心主義、合理主義、実利主義によって、大きく影響を受けている。

 具体的な思想としては啓蒙思想、進化論などを挙げることが出来る。そして私たちは今、急激に変化し続けている時代に生かされている。それらの環境が相互に影響し合い、文化、人生観、世界観が形成される。

 私たちはある一つの言葉を聞いたり、見たりした時、その言葉からある固有のイメージを心に思い描く。例えば、日本語の「神」という言葉を聞いたり、見たりした時、どのような存在を想像するだろうか?あるいはイエス・キリストという名前を聞いたとき、どのようなお方をイメージするであろうか?どんな人間であっても、自分が身に付けたそれぞれの言葉に何らかののイメージを持っている。これは先入観と言い換えることのできるものである。

 北森嘉蔵が指摘しているように、「神学とは福音の厳密なる理解であり、神学は究極においては神観に帰着する。」[1]ということができる。神観とは神をどう捉え、どう仰ぐかということである。「私たちが神ということばを聞いた時、あるいは見たとき、どういうイメージを持っているのか?」このことが神学ではまず問われる。神観がその人の人生観、世界観を決定的に方向づけ、その結果その人の生き方を定める。祈り方、礼拝の仕方といったキリスト者としての生活の仕方のすべても、まさにその人の持っている神観によって決定されるのである。

 ヘブル語で書かれた旧約聖書とギリシア語で書かれた新約聖書は、今なお、6858程もある世界各国の言語に翻訳され続けている[2]。聖書の神は、旧約聖書では、エロヒームあるいはヤーウェーという言葉で、新約聖書ではセオスあるいはキュリオス、そして何よりもイエス・キリスト(インマヌエル)という名前で伝えられてきた。これらの聖書は、福音の神からの啓示によって、人格的に出会い体験した神のイメージ、つまり「神がどのようなお方であるか」という神観を、時代を超えて、今も全世界のすべての人間に語り続けている。

2、北森嘉蔵とカール・バルトの神観の相違―第二次世界大戦前後の歴史的状況の中で

北森嘉蔵の神観―「痛む神」

 北森嘉蔵(1916−1998)は、『キリスト教神学への日本の寄与』"Japanese contributions to Christian Theology"(1960)を書いたカール・マイケルソン(Carl Michaelson)の貢献により、その主著『神の痛みの神学』によって世界に知られるようになった日本の神学者である。

 キリスト教神学事典(A.リチャードソン/J.ボウデン編、教文館)の十字架の神学の項(ユルゲン・モルトマン執筆)には、『第二次世界大戦の末期に、日本の神学者北森嘉蔵とドイツの神学者D.ボンヘッファーとは同時に「痛み」または「世界における神の苦難」の重要性を発見した。』と記されている[3]。

以下に、モルトマンの北森嘉蔵に対する評価を記す。

『わたしはもはや単にキリストの十字架が人間にとって何を意味するかを問うのみならず、神の御子の十字架は、「わが父よ」と呼ばれた神御自身にとって何を意味するかを問うたのである。わたしはこの問いに対する答えを、神の深い苦しみを知覚することに見出した。この神の苦しみは、ゴルゴダにおける御子の死と結ばれており、その死のうちに啓示されている。それは限りなき愛の苦しみである。だが、この苦しむ神という考えは、西洋の神学伝統に反した。この伝統は、神の不死性と共に、神は本質的に苦しまない(アパティー)と教えているのである。…さらに類似の思想を日本の神学者北森嘉蔵に見出した。彼は、大戦の終わり頃「神の痛み」を発見し、それでルターの十字架の神学を超えたのである。あの時代、ディートリヒ・ボンヘッファーも獄房で「苦しむ神だけが助けられる」と書いた。』[4]  アリスター・マグラス(Alister McGrath)も”Christian Theology, An Introduction(1994)”において『「神の苦難」の神学的な意義に関する議論への主要な貢献の中で、2つのものが特に重要なものとして取り上げられなくてはならない。』としてユルゲン・モルトマンの『十字架につけられた神』(1974)と北森の『神の痛みの神学』(1946)を挙げている[5]。また、マグラスは夫人との共著の中でも

『日本の神学者である北森は、神の痛みについて名著を残しています。第二次大戦後に出版された『神の痛みの神学』の中で彼は、神がどれほど被造物の苦しみと痛みを担われているかを指摘しました。神は人間の苦しみによって傷つき、人間の悲しみを、深く悲しんでおられます。神は人間の痛みを同じように体験され、罪によって人間から離れなければならないことを嘆いておられるのです。』[6] と述べている  『神の痛みの神学』は1946年、第二次世界大戦直後(1945年8月15日に日本降伏)に日本で出版されている。そしてその英訳は1965年(John Konx Press)に、ドイツ語訳は1972年に出された。1972年はモルトマンの「十字架につけられた神」が出版されたのと同じ年である。モルトマンの弟子ルドルフ・ヴェートは、『神の痛みの神学』が二つの「カイロス」を持ったと言っている。第一は「日本的なカイロス」であり、第二は「ドイツ的カイロス」であり、そのドイツ語訳が三一論的「十字架の神学」が本格的な関心事となりつつある時に出されたことである、と言う[7]。 その後、『神の痛みの神学』はスペイン語(1975)、イタリア語(1975)、韓国語(朴錫圭訳)(1987)に翻訳されている。

初期のカール・バルトの神観―「絶対他者」

 カール・バルト(Karl Birth 1886-1968)は、人間中心主義に基づいた自由主義神学に行き詰まり、聖書を通して語られている福音の神の言葉を改めて聞き、熱烈に古きものに出会い、福音主義神学への道を切り開いていった20世紀を代表する神学者である[8]。バルトは著書「ローマ書講解」(1919年初版、第二版1922年[9])において、当時の、神を神としないヒューマニズム的自由主義神学に対して、「絶対他者」としての神を強烈に提示した。

 これは結果として、神と人間との「質的差異」を強調したとも言える。真の神は人間が勝手に造り、祭り上げた神(これが偶像である)ではないこと、人間が造った神ではなく人間をも造られた神、まさに天地万物を創造した創造主、今もその御手で全宇宙を動かしておられる超越者、すべてのものの主であること、一言で言えば、バルトは「神が神であること」を提示した。言い換えれば、「神の神性」を全面的に強調したと言える。

 バルトにとって「神の神性」とは、人間と対比して、まさしく無限の「質的差異」を持った「絶対他者」である。それは、あらゆる人間的な可能なこと(今日の文化的・社会的・愛国的問題)をするかわりに、「まったく最初からやりなおす」ことであり、「神が神であることを承認すること」からの再出発であった[10]。

 ドイツがヒットラーによってナショナリズム、アウシュビッツに代表されるホロコースト、世界大戦へと行進していったただ中に、バルトは生きた。ヒットラーは政権掌握(1933年)した後、急速にその正体をむき出しにしていった。その際、過半数のプロテスタントはいわゆる「ドイツ的キリスト者」を名乗ってナチスに追随した。この事態を黙視できなくなった人々が、これに抵抗する「告白教会」を形成した。そしてこの「告白教会」によって信仰告白の形をとったバルメン宣言(1934年)がなされた[11]。このバルメン宣言の起草者の一人がバルトである。これによって自らの戦責をも告白しつつ、ナショナリズムに対して「否(ナイン)!」を叫び、神学的抵抗がなされていったのである[12]。

 以下に、1940年、ドイツが勝ち誇っていて、誰もその年には5年後のドイツ降伏を予想できなかったような状況下でのバルトの言葉を記す。

『神はただひとり在したまい、神にならぶべきいかなる存在も存しない!この命題以上に危険な、革命的なものはほかにない。世界の中にあるすべて存立しているもの、いやすべて変動するものもそうだが、それらはみな、イデオロギーとか神話とか、隠蔽されたあるいはあらわな宗教とかによって、そしてその限りにおいてあらゆる可見的不可見的神性また神的なものによって、生きているわけである。神はただひとり在したもうという命題の真理とぶつかって、アドルフ・ヒットラーの第三帝国は滅びてしまうだろう(KD供1, S.500)。』[13]  これは、戦時下の日本の教会が、国家神道のナショナリズムに対して信仰の歯止めを外し、抵抗出来なかったのと対照的である。バルトは、このような日本的(国家主義的)基督教という体質があったゆえに、著書『福音主義神学入門』の日本語版序文(1962年に執筆)[14]において、北森嘉蔵の『神の痛みの神学』が「日本的」神学であるということに対して真剣な疑問符を提示している。

 戦時下において、日本基督教団(トップ)は伊勢神宮に参拝し、アジア諸国に対して、『日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰』[15]を公的に発信したのである。このことについては第四章『神の痛みの神学』における課題点で論じる。

 『神の痛みの神学』の中で、北森嘉蔵はバルトの神観について以下のような批評をしている。

『この神学の見た神は、人間との「対立」における神であり、この神学の終始一貫せるモティーフは、「神と人間との原理的対立」を主張することであった。…対立・排他性・質的相異・否定・第一戒。…そのため彼にとって神は「裂け目や痛みのない一つの全体」ein Ganzes ohne Risse und Schmerzen(KD /1 S.690)である。包むことをしない神が痛みなき神であることは当然である。』[16]  北森の神観は「痛む神」であり、北森が受けとめたカール・バルトの神観は「痛みなき神としての絶対他者」であった。

3、神の受苦不能性について

 初代教会は、十字架につけられたイエス・キリストを神としてほめたたえた。故に彼らは徹底的に「神の受苦」について語ることができたはずである。しかし初代教会は受苦不能性の公理を保持した。このことについてJ.モルトマンは、以下のような二つの理由とコメントを述べている。

『(1)神は、その本質的な受苦不能性により、人間およびあらゆる神ではないものから区別されるのであって、それらは受苦するものであり、はかなく変易し、死すべきものである。

 (2)神が、その永遠の生命へと人間たちをあずからせることによって、人間たちに救いを与えるとすれば、この救いは、人間たちを不死で、はかなく変易しないものにし、したがってまた受苦することのないものにする。』[17]

 それ故、受苦不能性は、人間の救いにとって、土台となるような公理である。しかし、

『キリスト教神学において、受苦不能性が本来意味することは、ただ、神ははかなく変易する被造物と同じ仕方で受苦に服するものではない、ということだけである。』[18]  「絶対他者」としての神がもしあらゆる点で「苦しまない神」「痛まない神」であるならば、そのような神は、人間が自ら招いた悲惨の中で苦しんでも、痛くもかゆくもないという神となる。今日孤独の中で生き、死を迎えていく多くの人々が、自分が死んでも同じ様に世界は動き、同じ様に人々が生活し続けるのではないかと考える。そして彼らは神さえもどこか遠くにいる超越者であると考え、希望を持てないで生きている。このような人々にとって、「苦しまない神」という神観が何の救いにもならないのは当然である。次章では、北森嘉蔵の神観をその著書「神の痛みの神学」の中に見ていく。

[1] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、講談社学術文庫、1986年、24、72、223頁参照

[2] Wycliffe Bible Translatorsのホームページ

 (http://www.wycliffe.org/wbt-usa/trangoal.htm)参照

[3] A.リチャードソン/J.ボウデン編、佐柳文男訳『キリスト教神学事典』、教文館、1995年、301−302頁(J.モルトマン執筆の「十字架の神学」の項)

[4] J.モルトマン『二十世紀神学の展望』、新教出版社、1989年、200−201頁

[5] 日本基督教団千歳船橋教会『「神の痛み」の60年−北森嘉蔵牧師記念誌』、1999年、43-44頁より引用。これは千歳船橋教会のホームページからダウンロードすることが出来る。(http://www.aurora.dti.ne.jp/~cfchurch)

[6] ジョアンナ&アリスター・マグラス『自分を愛することのジレンマ(THE DILEMMA OF SELF-ESTEEM)』、いのちのことば社、1996年、166−167頁

[7] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、巻末の北森の解説(292−293頁)より引用

[8] エバーハルト・ブッシュ、小川圭治訳『カール・バルトの生涯』、新教出版社、1989年

[9] カール・バルト、小川圭治・岩波哲男訳『世界の大思想33 ローマ書講解(第2版)』、河出書房新社、1969年

[10] 富岡幸一郎『使徒的人間―カール・バルト』、講談社、1999年

[11] J.モルトマン『二十世紀神学の展望』、新教出版社、168−170頁に、バルメン宣言の日本語訳が記載されている。なおこの本にはシュトゥットガルト罪責告白(1945)、ダルムシュタット宣言(1947)と続く、ドイツ罪責告白の系譜の日本語訳も併記されている

[12] リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー、永井清彦訳『荒野の40年―ヴァイツゼッカー大統領演説(岩波ブックレットNO.55)』、岩波書店、1986年

[13] 大木英夫『人類の知的遺産72 バルト』、講談社、1984年、225項より引用

[14] カール・バルト、加藤常昭訳『福音主義神学入門―カール・バルト著作集10』、新教出版社、1968年、203−205頁

[15] 太田和功一『アジアのキリスト者とともに』、いのちのことば社、1986年、141−158頁

[16] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、29-31頁

[17] J.モルトマン、土屋清訳『組織神学論叢1 三位一体と神の国 神論』、新教出版社、1990年、52−53頁

[18] 同書、53頁

第二章 『神の痛みの神学』の中心的主張点−神の痛みに基礎づけられし愛

 『神の痛みの神学』における主題は、「痛む神」という神観である。これは包むべからざるもの(破れ果てたる破れ)を徹底的に包み給う神である。言い換えると、私たち人間の罪を徹底的に赦す、痛みに基礎づけられた愛の神である。北森は「神の痛み」という言葉を、以下の二重の意味において用いている[1]。

(1)まずそれは神が愛すべからざる者(神の敵である罪人)を愛し給うときの御心であり、

(2)次にそれは、父なる神がその愛し給う独子を死なしめ給うときの御心である。

 『神の痛みの神学』において、北森はエレミヤ31:20を神の痛みの聖書的根拠として父なる神の痛みを主に論じている。寺園喜基が指摘しているように、北森は子なるキリストの痛みをキリスト論的に展開しているわけではない[2]。

 この章では、まず「神の痛み」なる概念の根拠とされるエレミヤ31:20とイザヤ63:15の釈義的研究を概観し、次に『神の痛みの神学』のいくつかの章を概観することによって『神の痛みの神学』の中心的主張点を明らかにしたい。

1、「神の痛み」なる概念の根拠とされる釈義的研究―エレミヤ31章20節とイザヤ63章15節

 北森嘉蔵は『神の痛みの神学』において「痛む神」という神観を全面的に提示しているが、その基となる聖書個所が下記のエレミヤ31章20節とイザヤ63章15節である。新改訳、文語訳、King Jemes Versionを併記した。

(フォントの都合により、原文に記載したヘブルテキスト(WTT)、70人訳(LXX)はWebページからは除いた)

 『神の痛みの神学』の第二版から附録として加えられている『エレミヤ記31:20とイザヤ書63:15』[3]には、これら2つのテキストを中心とした北森嘉蔵による「神の痛み」なる概念の基礎的釈義的研究がなされている。(これは北森嘉蔵の日本ルーテル神学専門学校卒業論文『キリストに於ける神の認識』において、すでに釈義されている内容である[4]。)

新改訳

エフライムは、わたしの大事な子なのだろうか。それとも、喜びの子なのだろうか。わたしは彼のことを語るたびに、いつも必ず彼のことを思い出す。それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない。 ・・主の御告げ。・・ エレミヤ31:20

どうか、天から見おろし、聖なる輝かしい御住まいからご覧ください。あなたの熱心と、力あるみわざは、どこにあるのでしょう。私へのあなたのたぎる思いとあわれみを、あなたは押えておられるのですか。 イザヤ63:15

文語訳 エホバいいたまう、エフライムは我が愛するところの子、悦ぶところの子ならずや、我彼にむかいて語るごとに彼を念わざるを得ず、是をもて我が腸かれの為に痛む、我必ず彼を恤むべし。 エレミヤ31:20

ねがわくは天より俯しみそなわし、その栄光にあるきよき居所より見たまえ、なんじの熱心となんじの大能あるみわざとは今いずこにありや、なんじの切なる仁慈と憐憫とはおさえられて我にあらわれず。 イザヤ63:15

King Jemes Version Is Ephraim my dear son? is he a pleasant child? for since I spake against him, I do earnestly remember him still: therefore my bowels are troubled for him; I will surely have mercy upon him, saith the LORD. Jeremiah 31:20

Look down from heaven, and behold from the habitation of thy holiness and of thy glory: where is thy zeal and thy strength, the sounding of thy bowels and of thy mercies toward me? are they restrained? Isaiah 63:15

 ここで異常なものとして北森が注目している言葉は、「メイエッハ」という名詞と「ハーマー」という動詞の組み合わせである。「ハーマー」は第一に種々の音が「鳴り響く」(英to sound)の意に用いられ、第二にはこの言葉は人間の、そして神の心的状態、精神的状態の激しい動きを表現する言葉である。すなわち心の最も深い所から、痛みを伴って憐れむことの意である。「メイエッハ」は「腸」(英bowel)の意味であり、心(情)の存在する場所、ひいては「心」そのものの意に用いられる言葉である。この2つの単語の組み合わせが神に対して用いられているのが上記の2箇所である。

 この同じ言葉はエレミヤ31:20においては「我が腸…痛む」と訳され、イザヤ63:15では「切なる仁慈」と訳されているのである。北森は「ハーマー」なる語が同時に「痛み」と「愛」とを意味することは、単なる語学上の秘儀ではなく、恩寵の秘儀を指し示していると考える。そして、「神の痛み」を「痛みに基礎づけられた愛」と定義している。

エレミヤ31:20について

 北森はエレミヤ31:20の釈義をする際、中心的には翻訳者としてルターを、注解者としてカルヴィンを引用している。

『ルターはこのエレミヤ記31:20を次のごとくに翻訳している。―darum bricht mir mein Herz gegen ihn, das ich mich sein erbarmen mus, 而してこのmein Herz bricht mirというドイツ語は次のようにパラフレーズされる。 ―ich empfinde den heftigsten Schmerz.(我はいと激しき痛みをいだく)。(改正英訳のmine bowels are troubled for him)および現行邦訳(文語訳)の「我が腸…痛む」は大たいこのルター訳と一致する。七十人訳のespeusaおよびウルガタのconturbataもいささか程度は異なるもほぼ同一方向を示していると思う。』[5]

『ルターの翻訳と並んで注意すべきはカルヴィンの注解である。エレミヤ記31:20について次のごとく語っている。 ―「神はこの個所において、彼の大なる仁慈がイスラエル人になんらの影響をも与えなかったために、彼らについて嘆いてい給う。神が彼らを子となし給うことは非常なる恩寵であったからである。しかし彼らは忘恩の行為によってその恩寵を無にしてしまった。かくて神はここで自問し給う、イスラエル人は一体いかなる者らであったかと。

…エフライムはなんの尊敬にも値せず、決して愛の対象ではなかった。…彼らは子とせられた恩寵をば能うかぎり無にしたため、何らの憐憫にも値しなかった。…この子は貴くなく尊敬に値せず、愛の対象ではなかった。…この子は邪曲なる性質であったため、神は彼に対して何らの愛をも持ち得なかった。イスラエル人は悪しき心の子らであり、不従順なる子らであり、ただ彼らの父を苦しめ、その感情を傷つけ、彼をば悲しみをもって満たすにすぎない子らであった。…彼らの邪曲と腐敗とがかくも大であるため、一つの疑惑が起るであろう、神はなお彼らを忍ぶことができ給うであろうかと。ここにおいて我らの注意は大なる憐憫の泉へ引き戻される、すなわち神はかつて彼らを選び給うたが故に、彼らを赦すことができるという事実に。

…(かくしてカルヴィンは「我が腸…痛む」の個所に達する)。神はその和解の恩寵をさらに高め給う。そしていい給う、ここをもて我が腸は彼のために鳴り響く、我かならず彼を憐むべしと。神はここにおいて彼御自身に人間的感情を帰してい給う。なんとなれば腸は異常なる痛み(dolor)の下にあっては揺り動かされ響きを発するからである。そして、大なる悲しみに圧せられるときには、我らは深く嘆息し呻吟するからである。かくして神が優しき父としての感情を表現し給うときに彼は言い給う、我は我が民を再び恩寵の中に受け入れんと欲するが故に、わが腸は鳴り響くと。かかることはたしかに本来神には属しない。しかし、神はわれらに対する彼の愛の大きさを他の方法では表現し得給わないが故に、我らの無知に彼御自身を適応せしめるために、粗雑に語り給うのである」(C.R., Calvini Opera, 38,675-677)』[6]

 以下に、北森が退任記念講演『「神の痛み」の60年』において述べた内容を挙げる。これによってエレミヤ31:20の文語訳「我が腸かれの為に痛む」が、『神の痛みの神学』の出発点であることを確認することが出来る。

『「摂理の神」ではなくて「罪の赦し」の神ということになって、神が人となって人間の所まで来てくださって、寝転がっているわたしを抱きかかえてもう一度回復してくださることになったわけです。摂理信仰という神の愛の信仰から別の信仰に変わったわけです。  しかしながらこういう神の態度をなんと名付けたらいいかというときに、エレミヤ記三一章二〇節に出会ったわけです。ですからわたしにとってはエレミヤ記三一章二〇節というのば本当に救いになったわけです。最近わたしの書斎を整理していましたら、古い雑誌がでてまいりまして、『兄弟』という雑誌の昭和三〇年の号ですがこの中に、井上良雄さんが短い文章を書いていらっしゃいます。井上さんはバルトの紹介者として非常に功績のあった方ですが、この井上さんが口語訳聖書は駄目だと書いています。教会は文語訳聖書にいかなければ駄目だと書いておられます。エレミヤ記三一章二〇節は文語訳では「わが腸痛む」となっていたわけです。その後口語訳が出現しましたら「わたしの心は彼をしたっている」という言葉に変わってしまいました。文語訳エレミヤ記三一・二〇では「わが腸痛む」となっていましたから、「愛」という言葉だけでは足りない、愛が「痛みの愛」である、ということを文語訳聖書は言ってくれたということに気付いて、そして『神の痛みの神学』がそこからスタートしたわけです。

 これが昭和一二年で、今から六〇年前でございます。そして戦争になりまして、戦争というのは非常にひどい経験でありまして、戦争にぶつかったら人間の体験なんかは吹っ飛んでしまうわけですが、信仰を戦争中も貫いてきたということは電線から落っこちているようなわたしを抱えて再び電線に連れ戻してくださる神の愛だということで、「痛み」ということがますますピンときたわけです。

 それで、このことを非常に巧みに解説してくれた旧約聖書学者がいるのです。イギリスのピークという学者ですがエレミヤ記三一・二〇の「ハーマー」という言葉を実に巧みに解説してくれています。それは「paradox of conflicting emotions」という言葉です。つまり「我が腸痛む」と訳されているのを専門の旧約学者はconflicting emotions(戦いあう思い)のparadox(逆説)というふうに解説しているのです。これはわたしは一番いい解説だと思うのです。ですから神様のみ心が戦いあっていることを「痛み」と名付けるのだということになると、これは摂理信仰とは違う。摂理信仰は神の意志が戦いあわないでしよう。可愛い、可愛いと思うだけですから。

 先ほどのエレミヤ記の三一・二〇は新共同訳では非常にいい訳になりました。「彼を退けるたびにわたしは更に彼を深く心に留める。彼のゆえに胸は高鳴りわたしは彼を憐れまずにはいられない」という訳が新共同訳では確保されました。退けたいと思う一つの思いと、しかし彼を愛していきたい思う思いとがconflictしている状態を「ハーマー」というヘブライ語で表現しているのです。』[7]

イザヤ63:15について

 イザヤ63:15の「切なる仁慈」は、エレミヤ31:20の「我が腸痛む」とまったく同一の言葉より成立している。しかし、イザヤ63:15を見ると、このまったく同一の言葉が神の痛みとしてではなく、明確に神の愛を指し示す言葉として用いられている。北森はその根拠を、七十人訳がこのヘブル語を明確に神の「愛」を表わすeleousという言葉によって置き換えて以来、すべての翻訳と注解が同一の道を辿っていること、また「憐憫」という言葉がこの言葉と対置的に用いられていることから結論づけている[8]。

2、痛みにおける神

 北森は預言者エレミヤの言葉(エレミヤ31:20)によって、福音の心を神の痛みと見、以下のような命題を提示する。

『痛みにおける神は、御自身の痛みを解決し給う神である。イエス・キリストは、御自身の傷をもって我々人間の傷を癒し給う主である(1ペテロ2:24)』[9]。この命題に含まれている2つの契機は『(1)我々の神はあくまで解決者であり癒し主であり給うこと。(2)しかしこの神は彼御自身痛みをもち傷を負い給う主であること』[10] である。

 神の痛みの音ずれが福音である理由は、痛みにおける神が、徹底的に包み給う神であるという事実による。このことの故に、救いとは、我々のこの望みなきまでに破れたる現実を神があくまで包み給うという音ずれである。アウグスティヌスによれば、罪とはいかにしても赦さるべからざるもののことである。神にとって我々の罪の現実は、いかにしても赦すべからざるものであり、いかにしても包むべからざるものである。そして神は、いかにしても包むべからざるものを包み給うが故に、御自身破れ傷つき痛み給うのである。最大の奇跡は、神が我々のこの破れたる現実を包み給うということであり、福音とは「望みなき者にこそ望みがある」という音ずれとなる。すでに神の痛みが我々の痛みを解決するものであるかぎり、この神の痛みは直ちに痛みに基礎づけられし愛である。これを裏付ける根拠として「我がはらわた痛む」(エレミヤ31:20)と訳された同一のヘブル語が直ちに「切なる仁慈」(イザヤ63:15)と訳されていることが挙げられている。また十字架の主がただちに復活の主である。痛みに敵対する痛みが神の愛であり、神の痛みの神学は、神の痛みに基礎づけられし愛の神学である。

 テオドシウス・ハルナック(Luthers Theologie, I, N. A., S. 338)によれば、「十字架においては神の怒と神の愛という二つのものから第三のものが生じた。」この「第三のもの」こそ神の痛みである。また、ルターによれば、ゴルゴダにおいては「神が神と闘った」のである。いかにしても罪人に死を命じ給うべき神とこの罪人を愛せんとし給う神とが闘ったのである。この神が別の神ではなくして同一の神であり給うという事実こそ、神の痛みである。ここでは神の中において心と心とが対立したのである。

 植村正久(植村全集第4巻331頁)によれば、「神は言うべからざる苦痛を嘗め、痛ましき手続きを経、身を犠牲に供して、人の為めに赦罪の道を開きたり」。この「痛ましき手続き」の解明こそ贖罪論に外ならぬ。「そのうたれし傷によりてわれらは癒されたり」(イザヤ53:5)。

 北森は、痛みなき神を説く神学に対しての「折伏」として、以下の二つの立場を批判する。(1)神が徹底的に包み給う神であることを否定する立場に対して、(2)包み給う神の愛から神の痛みを押し出す立場について。(1)において北森は前述のバルト批判を行っている(6頁参照)。

3、神の痛みと歴史的イエス

 北森は「神の痛みと歴史的イエス」として、近代主義の陣営から出された二重福音の問題、すなわち、イエスかパウロか、イエスの福音とイエスについての福音という問題について論じている。この問題は以下の二つの質問と答えに要約される[11]。

(1) たといイエスが神の愛と同時に神の痛みについて語り給うたとしても、それがパウロのごとく顕わな形でなされていないのはなぜであるか?

⇒イエスの死・復活・召天に続いて聖霊が降りたもうまでは、この真理を十全に示すことができなかったからである。(ヨハネ14:26、15:26,16:7,13)。故にイエスはこの真理の十全なる示顕を使徒たちに託し給うたのである。「自己の死についてのキリストの思想は、行為においてでなければ言い表し得ないものであった」

(後述するように、北森はここで、新約聖書でキリストの痛みをパウロのごとく顕わな形で表現している、スプランクニゾマイというギリシア語については触れていない。)

(2) イエスにおいてむしろ神の痛みよりも神の愛の方に優位が置かれているごとく語られているのはなぜであるか?イエスの人格は神の痛みそのもの(神の痛みのペルソナ、すなわち救い主)であるにもかかわらず、彼の教説は神の痛みよりもむしろ神の愛に優位が置かれているごとく考えられるのは、なぜか?

⇒神の痛みとは具体的には罪の赦しである。そして「赦すということは忘れることである。赦しはするが忘れはしないというのは赦していないことである(カール・ヒルティの言葉からの引用)」。この消息こそ、歴史的イエスにおける神の痛みに対する神の愛の優位を説明するものであると、北森は考えている。

 歴史的イエスの問題と関連して、ヨハネ福音書における神の痛みについても以下のような記述がある。

『イエスの生涯全体が「痛みの途」(via dolorosa)であった。神がこの世界に入り来り給うたとき、その行為そのものがすでに死を意味していたのである。キリストにおいては死ぬことが神の痛みを意味しただけではなく、すでに生まれることが神の痛みを意味したのである。…―ともすれば今日の神学界においてはヨハネ伝1:14のみが重要視される傾向があるが、しかしこれは3:16なくしては不可能な言葉である。そして3:16はルターによれば「悲劇的な言」である。この神の悲劇的な愛を見ることなくして語られる「言の受肉」はすべて空疎な形式論である。…いわゆる「神の言の神学」に対して今日「神の痛みの神学」を挙揚せざるを得ぬゆえんである。』[12]

4、神の本質としての痛み

 北森はヘブル2:10を引用して、痛みは神にとってふさわしいこと、神の本質であるという命題を提示する。

「それ多くの子を栄光に導くに、その救の君を苦難によりて全うし給うは、万の物の帰する所、万の物を造り給う所の者に相応しき事なり(eprepen)」 ヘブル2:10(文語訳)

『…我々がこのテキストから読み出し得ることは、神の痛みが神にとって相応しきことであったということである。「相応しくある」とは本質必然的であるということである。痛みは神の本質にまではいり込んでいる!驚きとはこのことにほかならぬ。神の本質は神の永遠性に対応する。聖書においては神の痛みが永遠者としての神について語られている。「我は最先なり、最後なり、われ曾つて死にたりしが、視よ世々かぎりなく生く」(ヨハネ黙示録1:17−18)。究極的なる栄光の姿において現われ給う神もなお御自身をば、「最先にて最後なる者、死人となりて復生きし者」(同2:8)と呼びたもう。同13:8は「世の創めより屠られ給いし羔羊」と訳され得るであろう(なお「屠られ給いし羔羊」の占むる位置を見よ、同5:6,12,13)。―十字架は決して何らか外化された神の行為ではなく、神の内なる行為である。「十字架は神性の内部における行為の反映(あるいはむしろ歴史的な極)であった」(フォーサイス)…』[13]

『福音において究極的な言葉は神の痛みである。神が我々人間に御自身の痛みを告げ示さんとし給うたとき、神は我々人間の世界における痛みを通じて語ろうとし給うた。しかるに我々人間の世界において痛みの事態をもっとも激烈に表現するのは、親がその愛する子を苦しみのなかへ送りこれを死なしめるという場合である。故に「神が痛み給う」という究極的な言葉を語らんがために、「父と子」という関係が神によって取り上げられたのである。したがって「父が子を生む」という言葉は「父が子を死なしめる」という第一次的な言葉を語らんがための第二次的な言葉にほかならないのである。』[14]

5、神の痛みへの奉仕

 ここで北森は、イサク奉献におけるアブラハムを神奉仕の父とし、「己が十字架をとりて我に従え」というキリストの言葉を「自己の痛みをもって神の痛みに奉仕せよ」と言い換える。この命令の意図は我々の痛みを真実に癒すことにあるとして、北森は以下のように論じる[15]。

 人間の痛みはそれ自体としては単なる闇、無意義、非生産的であり、人間の痛みの真相は神の怒りである。しかし、神は彼御自身の痛みへの証として我々の痛みをば奉仕せしめんとし給うた。我々の痛みが神の痛みへの証として奉仕するに至るとき、我々の痛みは光に化せしめられ、意義を獲得し、生産的となる。神の怒りの現実に過ぎなかった我々の痛みは、この神の怒りを克服せる神の痛みによって、この怒りより救い出されるに至る。

 神の痛みが我々の痛みを癒すとき、それはすでに痛みの領域を突破せる愛、すなわち「神の痛みに基礎づけられし愛」である。己が十字架を負いて主に従い主のために己が生命を失う者が、これによりかえって己が生命を得るに至るのは、この神の愛によるのである。人間の世界に起こる一切の痛みは、それが神の痛みに奉仕するものとならないかぎり、無意味にして実りなきものである。我々は人間の痛みを空費しないように努めねばならぬ。

 我々においては痛みの経験そのものでさえも罪として成立するということである。愛する者の苦しみと死とによって我々人間が痛むという事実がすでに罪の現実なのである。なぜであるか。―我々は自己の愛する者の死や苦しみしか痛むことはできない。この痛みはあくまで主我的であり、種的であり、エロース的である。もし我々がこの我々自身の痛みをも色あせしむるまでに神の痛みに関心を注ぐに至るならば、その時始めて我々の痛みは罪から救われるに至るのである。我々が自己の痛みを神の痛みに奉仕せしむることこそ、自己の父母や息子娘にまさって主を愛することなのである。

 また北森は、我々の痛みが神の痛みへの証として奉仕する時に、神と我々との間に痛みを媒介として類比が成立するとし、痛みの類比(analogia doloris)という概念を導入する[16]。痛みの類比においては、神の痛みが一切の人間の行為に巣食う恣意、錯覚、不従順を完全に征服する故に、人間の痛みは、もはやいかにしても不従順に陥ることなしとの保証を与えられ、神の痛みに奉仕することが出来ると北森は結論づける。

 北森のことばを借りると、『「神の痛みの神学」は痛みの類比を媒介として神の痛みについてあえて語ろうとする。これが神の痛みへの奉仕である。しかし我々の痛みは、自己の奉仕する神の痛みによって、その不服従を征服されつつ、神の痛みに奉仕するのである。』[17]

 ここで、痛みの類比において、人間の想像を絶する神の痛みを人間のレベルまで引き下げる危険に対する保証が本当にあるのかという疑問が起こる。ここで北森は痛みの類比をキリスト論的に行うことについては触れていない。この点からも、『神の痛みの神学』にキリストにおける神の痛みの理解が欠けている原因が考えられる。また北森が神の痛みの超越性を論じながらも、神の痛みを人間のレベルまで引き下げる危険を犯していると感じられる所である。神であり人であるイエス・キリストを通してでなければ、保証される痛みの類比などはあり得ないのではないかと私は考える。

 北森は痛みの類比の例としてイエスの母マリア、父なる神について述べる。マリアの場合、なお主我的な親子の関係によって、この痛みの経験そのものが恣意や錯覚(くもり、にごり、エゴ)や不従順を持っているのではないかと考えられる。また父なる神の場合も、神に帰してはならないものをも神に帰すという過誤の可能性が十分残っていると考えられる。人間的な父親像の中には、怠惰な父、暴力的な父、無責任な父といった神に帰してはならないものが多く含まれているからである。

[1] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、235頁

[2] 寺園喜基『バルト神学の射程』、ヨルダン社、1987年、18頁

[3] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、258−289頁

[4] 北森嘉蔵の『日本ルーテル神学専門学校卒業論文―キリストに於ける神の認識』は、北森嘉蔵牧師記念誌『「神の痛み」の60年』(70−185頁)に収録されている。

[5] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、263頁

[6] 同書、263−264頁

[7] 北森嘉蔵『「神の痛み」の60年―北森嘉蔵牧師記念誌』、64−65頁

[8] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、268−269頁

[9] 同書、25頁

[10] 同書、25頁

[11] 同書、61-63頁

[12] 同書、67頁

[13] 同書、70頁

[14] 同書、74−75頁

[15] 同書、82−87頁

[16] 同書、87−91頁

[17] 同書、90頁

第三章 『神の人間性』に見る後期カール・バルトの神観―神の神性の内に含まれる神の人間性(神の受苦性)

1、かつての方向転換の回顧と新たな方向転換のための命題提起

 バルトは70歳の時、1956年9月25日、36年前あのアドルフ・フォン・ハルナックとの歴史的再会の場所、アールガウ州議会の会議場で(あのときは「絶対他者」なる神の神性について語った)、『神の人間性』(Die Menschlichkeit Gottes)を語った。また、その内容は同年(和解論第2分冊(1955年)と第3分冊(1959年)との中間)に出版された[1]。

 これは、歴史的状況によって迫られた、バルトの神学的思惟における2度目の大きな方向転換であり、彼自身の約40年間の神学の再検討であった。この講演によって提示された課題は、神の神性の認識を基盤にした、まさにそこから帰結する、「神の人間性の認識」であった。バルトが語る「神の人間性」とは、冒頭で以下のように定義されている。

『神の人間性。   ―これは、正しく理解されるなら、 次のことを意味する他はない。

  すなわち、 神の人間への関係と顧み。

       ―約束と命令において人間と語り給う神。

       ―人間のための神の存在と出現と行為。

       ―神が人間と持ち給う交わり。

       ―神の自由な恵み。

  その恵みにおいて神は人間の神としてとは違う仕方では神であろうと欲せず、現にまた神であり給わないということ。

             これである。』[2]

 バルトは聖書に啓示された神観を具体的かつ的確にとらえるために、キリスト中心的(キリスト論的)神学の大切さを主張した。しかし、この『神の人間性』を見るだけでも、彼自身、絶えずよりキリスト中心的に神学をし続けたことがうかがえる。

 約40年前、バルトは、絶対他者としての神の神性、無限の質的差異を強調する必要があった状況の中で、方向転換を行った。それは当時の自由主義神学が人間中心主義的、ヒューマニズム的神学になり、神を犠牲にして人間が偉大なものとされていた危機的状況であった。

 『一体しかし、以前の神学は神の神性について何かをしっており、また何かを言ったであろうか。その神学にとっては神について考えるということは、ほとんどおおい隠すべくもなく、人間について考えるということ、まさしく宗教的、キリスト教的人間について考えるということであった。』[3]

 しかしその際、キリスト中心的に方向転換をしなかったがゆえに、神があくまでも人間と関係を持って共に生きるという意味での「神の人間性」を片隅に追いやる、あるいは排斥するような形でしか神の神性を強調できなかったことをバルトは後になって覚えた。自らの神学の歩みを振り返って、バルトは以下のような吟味をする。

 『しかし、これは確かに言えることだが、われわれを先ず魅了していたのは「絶対他者」という像と概念だったのである。これをわれわれはよく検討もしなかったというわけではないがしかし、聖書で「ヤハウェ・主」と呼ばれている方の神性と同一視出来ると思っていた。この絶対他者は、孤立性、抽象性、絶対性の内に在り、そしてこのあり方においてわれわれは絶対他者を考察し、人間、この哀れな愚か者に対して―彼の耳をひっぱたくとは言わないまでも―対立させた。この絶対他者はアブラハム、イサク、ヤコブの神に似ているというより、むしろ相変わらず、またしても再び、よりいっそう哲学者たちの神の神性に似ていたのである。そこにはもう一度偶像が生まれようとしていたのではなかろうか。』[4]

『生ける神の−そしてこの神に我々はやはり関わりを持ちたいと願った−神性がその意味と力を持つのは、ただ神の人間との歴史と対話という関連においてのみ、したがって神の人間との共なる存在においてのみであるということが、われわれにはかなり見落とされていたのではなかったろうか。確かにその通りである。』[5]

 なお、『神の人間性』が講演される3年前(1953年)に出版された和解論機殖押59節)において、神の人間性へと向かう、バルトの明確な自己批判と軌道修正を見ることが出来る。

 『神が一切の相対的なものとは反対に、ただ全く絶対的であり、一切の有限なものを排除して、ただ全く無限であり、一切の卑賤と反対に、ただ全く高き方であり、一切の受動と反対に、ただ全く活動的であり、一切の試練と反対に、ただ全く不可侵であり、一切の内在と反対に、ただ全く超越的であり、したがってまた、一切の人間的なものと反対に、ただ全く神的であり―一言で言えば、ただ「絶対に他なる」者、或いは「絶対に他なる」ものであり得るとか、あることが許されるとかいう、われわれの考え―そのようなわれわれの考えは、神がイエス・キリストにおいて実際にそのようなものであり、またそのようなことを為し給うということにおいて、無根拠なもの、顛倒したもの、異教的なものであることが、示される。…神は絶対であり、無限であり、いと高き方であり、働き給う方であり、不可侵であり、超越的であり給うが、しかし彼はそれらすべてのことにおいて、自由において愛する方、その愛において自由な方であり給う。従って、彼は、御自身の囚人ではないのである。むしろ、神は、主として、それらすべてのものであり、従って、これらの概念によって示された対立を超えることによって、それらを包括し給う。』[6]

 このバルト自身の言葉から、かつてバルトを魅了した「絶対他者」という神観(神の神性)は、北森が指摘したように痛むこと、包むことをしないような対立する神であったのではないかと考えられる。それは神が、自ら招いた罪から来る苦難の中で苦しむ人間を見られても、人間と対立した超越者として、人間の痛みや苦しみとは関わりを持とうとしない苦しまない神であったとも言えるのではないか。

 しかしバルト自身が、イエス・キリストにだけ注目し、イエス・キリストを通して神を知ろうとし続けた時、「正しく理解された神の神性は、神の人間性を内に含む」、「正しく理解された神の人間性は神の神性の中に含まれる」という命題の認識へと導かれたのである。

2、命題のキリスト論的展開―「神の神性」と「神の人間性」のキリスト中心的理解

 バルトが改めて発見した上記の命題は「神の神性とは、それ自身人間性の性格をも持つような神聖性である」とも表現されている。そしてこの認識が、新たな方向転換のための動機と原動力となったのである。

 『そのことを、われわれはどこから知るのであろうか。どこから、この命題が許され、命じられているのであろうか。この命題はキリスト論的命題である。否むしろ、キリスト論によって基礎付けられ、またそこから展開されるべき命題なのである。』[7] バルトはこの命題を、キリスト論によって基礎付けられ、またそこから展開されるべき命題として提示した。キリスト中心的にこの問題に取り組むことによって、バルトは神の神性の認識を基盤にした、まさにそこから帰結する、神の人間性の認識へと導かれたのである。それゆえにバルトが釘打っている大切な点は、 『あのかつての方向転換を共に経験しなかった人や、神が神であるということがいまだに決定的となっていないような人は、今神の人間性について真実な言葉としてさらに何が言われようとも、決してそれを理解しないであろう。』[8] ということである。

 バルトは、聖書においてわれわれに証しされているイエス・キリストこそが、神学における『聖書証言の中心にして全体という、より良い、より厳密な前提』であると主張する。それゆえバルトは、「神はイエス・キリストにおいて誰であり、何であり給うのか。」と問うのである。バルト自身が、当時のあの第一の方向転換の際に、もしキリスト論的に神学を試みていたならば、第二の方向転換の必要はなかったと考えるのである。

 聖書においてわれわれに証しされている、神であり人であるイエス・キリストにおいて神を見る時にこそ、人間は抽象的な神や抽象的な人間に関わるのではなく、具体的な神性と人間性を知ることが出来る。それは決して人間との関わりを持たない神ではなく、まさに恵みの契約によって人間に関わりを持ち、人間と共に歩もうとし続けて下さっている福音の神、誠実なパートナーとしての神である。イエス・キリストは人間との交わりにまで身を低く卑しめた主であり、同様にまた神との交わりへと高く挙げられた僕である。

 『神が御自身を啓示し、それと同時にその本性を、また神的なものの本質を、啓示し給うたそのところにおいてこそ、われわれは、神とは誰であり、神的とは何であるかということを、学ばねばならない。そして、神が、イエス・キリストにおいて、そのようなことを為し給う神として、御自身を啓示し給うたのであれば、その神よりもさらに賢くなろうとしたり、そのようなことは神的本質と矛盾するなどと主張したりすることが、われわれの為すべきことではない。その場合には、われわれは、むしろ、自分たちが、神についてあまりにささやかに、従って顛倒した仕方で、偽りの神概念の枠の中で、考えて来たということを、彼御自身によって教えられなければならない。』[9]

「神の神性」のキリスト論的理解

 「神はイエス・キリストにおいて誰であり、何であり給うのか。」この問いを持って、バルトは聖書においてわれわれに証しされたイエス・キリストの現実存在に目を向ける。(それは、聖霊によりてやどり、おとめマリアより生まれポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえる主イエス・キリストの姿である。)

 その際、最初に目に飛び込んでくる根本的なことは、疑いもなく神の神性に他ならない。そしてまた、イエス・キリストにおける神の神性は、神ご自身がイエス・キリストにおいて主権を持って語り行為する主体であり給う、ということを意味する。

 イエス・キリストとの関連において、神の神性は人間性を排除するのでなく、それ自身の中に含む。神の神性はまさに愛へ向かう神の自由だからである。

 神の神性とは、神がご自身の中で、ご自身のためだけのために存在することが出来るという、牢獄では決してない。神はご自身の中で、ご自身のために存在する。しかし、神の神性はわれわれと共に、われわれのためにも存在するという神の自由である[10]。

「神の人間性」のキリスト論的理解と「神の受苦性」

 バルトが語る「神の人間性」とは、前述したように「神の人間への関係と顧み」として定義されている。それは、自由な恵みによって人間に語りかけ、約束と命令を与え、交わりの中に招いてくださる神であり。存在と出現と行為において人間のための神であるということであった。

 バルトはイエスのたとえの中に登場する失われた息子を憐れむ父、返済能力のない負債人を憐れむ王、強盗に襲われた人を憐れむサマリヤ人に目を留める。ここで憐れむということばをバルトは以下のように説明する[11]。

 『憐れむとは、すなわち、予期せぬ寛大な徹底的な憐れみの行為において受け入れて下さるということ。そしてまた、これらの譬えがすべて天国の譬えとして指し示しているのは、憐れみの行為である。そこには一人の方がおられる。−まさしくこの方こそ、これらの譬えによって語っているお方である!―この方は、自分のまわりの群集の弱さと罪過、困惑と悲惨を深く心に留め、あるがままのこの群集を軽んじることなく、理解できないほどに重んじ、またこの群集を深く心に受け入れ、彼らの場所を自分の場所となす。』[12]

 以上のことから、「神の人間性」という言葉を、バルトは明らかに関係概念の言葉として用いていることがわかる。バルトが『神の人間性』でアクセントをつけ、「神の人間性」という言葉で語っていることは、キリストによって具体的に明らかにされた、「人間と関係を持って生きる神のご性質」である。言い換えれば、神は人間と関係を絶って存在するという意味での「絶対他者」ではないということをバルトは主張している。

 創世記を見ると、もともと人間は神のかたちに似せて造られたと記されている。故に神性のうちにもともと人間性が含まれていたと考えられる。しかし、新約聖書によってさらに明確に明らかにされたことは、キリスト自身が神のかたちであるということである。それ故に、神は神のかたちに創造した人間に対して、キリストにおいて交わりを持たずにはおれない存在であると言える。神は「人間の友」であり給う。

 罪を犯して恵みの神に背を向け、神の敵となった私たち人間のことを考えると、バルトの語る「神の人間性」とは、たとえ人間が神を神とすることを止めて自らを神とし、神の敵として歩み始めたとしても、神は人間と関わりを持つことを決して拒まれないで、あくまでも苦難の中でうめいている人間と苦しみを共にすることを選ばれたということ。つまり、私たち人間と共に苦しんで下さるという「神の受苦性」をも意味するのではないかと私は考える。後期バルトの神観である、神の神性の内に含まれる神の人間性とは、絶対他者である神の受苦性であると考えられる。

 カール・バルトは、キリスト中心的に神学を続ける歩みの中で、神の神性の内に含まれる「神の人間性」を見た。このことは、『神の人間性』においてはっきりとアクセントをつけて語られた。「神の人間性」は、神を憐れみの行為(共に苦しむこと)へと揺り動かす故に「神の受苦性」とも言える。バルトは絶対他者としての神の神性の中に、この神の人間性、神の受苦性を見た。

 図1は上記の「神の神性」と「神の人間性(受苦性)」との関係のモデル(二重の同心円)である。

fig1.jpg

図1「神の神性」と「神の人間性」との関係のモデル


[1] カール・バルト、寺園喜基訳『神の人間性―カール・バルト著作集3』、新教出版社、1997年

[2] 同書、349頁

[3] 同書、351頁

[4] 同書、356−357頁

[5] 同書、357頁

[6] カール・バルト、井上良雄訳『教会教義学 和解論機殖押)佑箸靴討亮イエス・キリスト<上>』、新教出版社、1960年、54−55頁

[7] カール・バルト『神の人間性―カール・バルト著作集3』、358頁

[8] 同書、354頁

[9] カール・バルト『教会教義学 和解論機殖押)佑箸靴討亮腑ぅ┘后Εリスト<上>』、54頁

[10] カール・バルト『神の人間性―カール・バルト著作集3』、359−361頁参照

[11] 五章参照

[12] カール・バルト『神の人間性―カール・バルト著作集3』、363頁

第四章 『神の痛みの神学』における課題点

1、「日本的な」神学であることについて、バルトが真剣な疑問符を提示した理由

 バルトは、著書『福音主義神学入門』の日本語版序文(1962年:バルト76歳の時)において、北森嘉蔵の『神の痛みの神学』が「日本的」神学であるということに対して、真剣な疑問符を提示している。以下にその内容を記す。

 『正しい神学者というものは、どこにあっても自分の足で立ち、歩くものであるし、神学者の思考がある種の国民的特性を有するということは、当然そのことのうちに含まれていることであろう。そして、日本における神学者たちが、「非植民地化」の一般的な健康な行程に従いながら、このような意味でなお日本的であることに着手しているとすれば、それは秩序正しいことであり、わたくしも率直にこれを励まし、心から喜びを共にするのは、初めから当然のことと言える。しかしながら、たとえばドイツにおいて、特に「ドイツ的な」キリスト教と、それにふさわしい特に「ドイツ的な」神学を展開し、育てることに着手した時、それがうまくいかなかったことは、周知の通りである。それと同じように、特に「アメリカ的な」、あるいは「スイス的な」神学を試みたところで、喜ばしい結果は何も生じないことは明らかであろう。そしてそれは、特に「日本的な」神学においても同様であろう。神学の、正当にして、必然的な、聖書に根ざし、世界教会的に妥当する神学だということである。この点でわたくしは、まさに北森嘉蔵氏の『神の痛みの神学』に対して、真剣な疑問符を付することを許されたいと思う。この神学はマイケルソンの書物によれば、そこで述べられているさまざまな企てのうちで、最も才気煥発なものであるばかりでなく、最も「日本的」でもあるように、わたくしには思われる。北森氏がまだ老人ではおられないと聞いてわたくしはうれしい。日本的な固有性を持ちながら、「日本的」ではなくて、福音主義的であり、聖書に根ざし、世界教会的に妥当するようなひとつの神学を目指して、さらに解明を加えるだけの時間も能力も、北森氏は持っておられるのである。』[1]

 この章では、『神の痛みの神学』が「日本的なもの」である故の課題点を考察するために、まず日本的神学が最も顕著な形で表れていると思われる『日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰(1944年)』[2]に目を通したい。この書翰を見なければ、バルトがなぜ『神の痛みの神学』に対して真剣な疑問符を提示したのかが理解できないと考えるからである。

 そして次に、日本的なもの、日本的思惟とは何かを考えたい。そして最後に『神の痛みの神学』における課題点を考えていきたい。

 前述したように、戦時下の日本の教会は、国家神道のナショナリズムに対して信仰の歯止めを外し、抵抗出来なかった。戦時下において、日本基督教団教団統理者であった富田満は伊勢神宮に参拝し、アジア諸国に対して、『日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰』を公的に発信し、アジア諸国のキリスト者に神社参拝を強要したのである。この書翰によって当時の教会が国家に対する妥協というよりも、国家との無恥な自己同一化があったことを目の当たりにすることができる[3]。

 この書翰において、見逃すことが出来ない点は、この書翰が日本基督教団の公式の文章であるということである。戦時下の強力な日本的思惟の流れに流され続けた日本の教会の到達点が、ここにはっきりと示されていると思われる。なお、日本同盟基督教団・横浜上野町教会役員会は、この日本のキリスト教会のアイデンティティが問われている公式の書翰を真剣に受け止め、主イエス・キリストに対する真摯な悔い改めから再出発し、公の文章『横浜上野町教会よりアジアの中の日本にある基督教徒に送る手紙(1995年)』を日本のキリスト教会・諸関係者に発信している[4]。

日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰

(1944年)

「福音と世界」一九六七年五月号より転載

『 序文  キリスト教は福音である。すなわち「大いなる歓喜の音信」である。ゆえに四福音書あり、福音を伝えるために遣わされた徒の旅行記あり、使徒パウロの著作はいずれも教会あるいは同信同志の人々に送った書翰である。福音に始まった聖書はアジアの七教会に贈ったヨハネの書翰で終わっている。キリスト教は実に福音である。

 今ここに日本基督教団が東亜共栄圏内の諸教会および同信同志の兄弟たちに書翰を贈るゆえんは、キリスト教が「大いなる歓喜の音信」であるという信仰に基づくためにしてこれを現代の使徒的書翰と称するも言い過ぎでなかろう。

 日本基督教団は東亜共栄圏内のキリスト教会に対して常に関心を有しその発達のため熱祷してやまない。これがため教団は共働者を遣わし、また必要なるものを送ろうと計画しているが、今日の事情においてはその志望のごとく実行できないのをはなはだ遺憾としている。やむを得ず、先ず教団を代表する公同的使徒的書翰を送って挨拶し、われらの平素の志を略述することにした。その詳しき内容については受信者が本書翰を詳らかに通読せられんことを望む。

 日本基督教団の現代的使徒書翰は、本書が第一信であって、続いてしばしば書翰を送る計画である。望むらくは諸君がこれらの書翰を隔意なく迎えて、これを文字通りに解釈して、我らの志を理解し、信望愛を同じうせられんことである。少数ではあるが日本基督教団より特派した伝道者あり、書翰中にもし諸君に理解し難き所あらばこれを詳らかに懇ろに説明するであろう。彼らもまた、使徒パウロの記せしごとく「キリストの徒」であるから諸君は隔意なく彼らと親交せられんことを併せ望まざるをえない。

 予は教団の統理者として種々記したいこと多いが、今は書翰を紹介する文だけに留め、後便に譲ることとした。書翰を読んだ人々にしてその腹蔵なき応答を寄せられるならば、われらの喜悦これより大なるはない。

 最後に予は二千年来伝え来たった使徒的挨拶をもってこの序文を終わろう。「願わくは、主イエス・キリストの恩恵、神の愛、聖霊の交感、汝らすべての者とともにあらんことを」。

昭和十九年 千九百四十四年復活節の日

日本基督教団教団統理者 富田 満

第一章

 われら、日本に在りてキリスト・イエスとその福音とを告白し、その恩寵の佑助によりて一国一教会となれる日本基督教団およびそれに属するもろもろの肢は、東亜共栄圏内に在る主にありて忠信なるキリスト者たちに心よりの挨拶を送る。願わくはわれらの主イエス・キリストの恩寵と平安、常に諸君の上にあらんことを。

 主に在りて忠信なる兄弟たちよ。われらは未だ面識の機会なく、互いに伝統と生活の習慣とを異にしているが、かかるもろもろの相違にかかわらずわれらを一つに結ぶ鞏固なる…紐帯が二つあると思う。その一つは、われらの共同の敵に対する共同の戦いという運命的課題である。彼ら敵国人は白人種の優越性という聖書に悖る思想の上に立って、諸君の国と土地との収益を壟断し、口に人道と平和とを唱えつつわれらを人種差別待遇の下に繋ぎ留め、東亜の諸民族に向かって王者のごとく君臨せんと欲し、皮膚の色の差別をもって人間そのものの相違ででもあるかのように妄断し、かくしてわれら東洋人を自己の安逸と享楽とのために頤使し奴隷化せんと欲し、遂に東亜をして自国の領土的延長たらしめようとする非望をあえてした。確かに彼らはわれらよりも一日早く主イエスの福音を知ったのであり、われらも初め信仰に召されたのは彼らの福音宣教に負うものであることを率直に認むるにやぶさかではないが、その彼らが、今日あくなき貪りと支配慾との誘惑に打ち負かされ、聖なる福音から脱落してさまざまの誇りと驕慢とに陥り、いかに貪婪と偽善と不信仰とを作り出したかを眼のあたり見て、全く戦慄を覚えざるをえない。かくのごとき形態を採るにいたった敵米英のキリスト教は、自己を絶対者のごとく偶像化し、かつて使徒がまともにその攻撃に終始したユダヤ的キリスト者と同一の型にはまったのである。「汝ユダヤ人と称えられ、盲人の手引、暗黒における者の光明、愚なる者の守役、幼児の教師なりと自ら信ずる者よ。何ゆえ人を教えて己れを教えぬか。窃む勿れと宣べて自ら窃むか。姦淫する勿れと言いて姦淫するか。偶像を悪みて宮の物を奪うか」(ローマ書二・十七ー二二)。これはことごとく先進キリスト教国をもって自認する彼らの所業に当てはまってはいないであろうか。彼らがもしこのような自己の罪に目覚め、悔改めをなし、一日遅れて信じたわれらと同一線上に立って初めて信ずる者のごとく日ごとに主を告白する純真な信仰を有っていたならば、かかる反聖書的な東亜政策を採るに到らなかったであろう。彼らがもし主への真の従順と奉仕とを日ごとに決断し実行していたなら、自国の内外の政治軍事経済文化のあらゆる領域にわたってあのような敗退と混乱とを演じないですんだであろう。

 われらは聖書に基づく洞察と認識とによって彼らの現状を憐れむと共に、この不正不義を許すべからざるものとして憎まずにはいられない。

 日本はこの敵性国家群の不正義に対してあらゆる平和的手段に出でたるにもかかわらず、彼らの傲慢は遂にこれを容れず、日本は自存自衛の必要上敢然と干戈を取って立った。しかも緒戦以来皇軍によって挙げられた諸戦果とその跡に打ち樹てられた諸事実とは、わが日本の聖戦の意義をいよいよ明確に表示しつつあるではないか。彼らの不正不義から東亜諸民族が解放されることは神の聖なる意志である。「神は高ぶる者を拒ぎ、謙る者に恩恵を与え給う」(ヤコブ書四・八)。それでは米英の高ぶりは何によって排撃されるであろうか。皇軍の将兵によってであり、地上の正義のために立ち上がった東亜諸民族の手によってである。そして諸君の民族がこの大聖戦にわれら日本と共に同甘共苦、所期の目的を達成するまで戦い抜こうと深く決意し、欣然参加協力せられたことによって、大東亜の天地には、われら日本人と共に諸君の、すなわち大東亜諸民族の一大解放の戦い、サタンの狂暴に対する一大殲滅戦の進軍を告ぐる角笛は高らかに吹き鳴らされたのである。聖にして義なる神よ、願わくは起き給え、しかしてわれらの出てゆく途に常に共に在して、行く手を照らし助け導き給え。兄弟たちよ、諸君とわれらとを結ぶ第一の絆は、われらが相共にこの聖戦に出て征く戦友同志であるという深い意識である。

 次にわれらを種々の相違にもかかわらず一つに結ぶ第二の、しかも決定的な絆は、われらが共に主キリストを信じ霊的に彼の所属であるということである。彼はわれらの生と死における唯一の慰めであり、教会の主であり給う。われらはこの天地の主なる神の御言葉また御子が肉体を取り、われらのごときものの一人として、われらの兄弟として今ここに立ち給うことによって、何らの代償なくして、ただ御恩寵により主イエスの兄弟としての破格の待遇に浴し、一切の罪を赦され、罪と死との彼岸にある永遠の生命の約束に与る神の子たちの新しい身分に移されたのである。信仰者の生にとってこの主を認識し、この主に奉仕すること以上に貴重なる財産は何一つない。兄弟たちよ、われらは、この信仰の認識と奉仕とを、この感謝と讃美とを、われらより奪い去りうるものは何一つとしてないという確信において一致している。この主より賜わりたる貴き福音の富を、われらの同胞と隣人に持ち運ぶ愛の委託をわれらより奪いうるものは何一つとしてないのである。「しかして御国のこの喜びの使信はもろもろの民族への証言として全世界にわたって宣べ伝えられん」(マタイ伝二四・十四)。われらがかかる約束を賜わったということは、福音宣教の唯一の命令に縛りつけられたということにほかならない。われらは罪人たるわれらの業や言葉に頼って、どれだけこの約束を実証し、どれだけこの命令を果たしうるであろうかを知らない。しかしわれわれの罪ある被造的な、相対的な決意と努力と業とを通じて、真にこの命令を成し遂げ給う者は、われらではなく命令者イエス・キリスト御自身であり、ただ彼のみであるという確信において一致していると信ずる。またこの主イエスは、神を愛するとともに、「己れの如く汝の隣りを愛すべし」と命じ給うた。われらが主の福音を聞いたということは、必然的にこの主の誡命に聞き従ったということでなければならぬ。大東亜共栄圏の理想は、この主の隣人愛の誡めを信仰において聞き、服従の行為によって実践躬行することをわれらに迫る。われらはこの主の誡命の下に立ち、あらゆる障害を排して一直線に前進すべきである。この必然の道においてわれらは全き一致を示しうるではないか。「汝ら召されたる召しにかないて歩み、平和の繋ぎ(靭帯)のうちに勉めて御霊の賜う一致を守れ」(エペソ書四・一、三)。兄弟たちよ、われらは牛が力を合わせて犂を牽くように、この強靭なる紐を牽いてゆかなくてはならぬ。これが諸君とわれらとを結ぶ第二の決定的な索縄である。

第二章

 愛する兄弟たちよ。 われらは諸君に期待し、諸君を信頼している。諸君は、「おおよそ真なること、おおよそ尊ぶべきこと、おおよそ正しきこと、おおよそいさぎよきこと、おおよそ愛すべきこと、おおよそ聞こえあること、いかなる徳、いかなる誉にても汝らこれを念い」(ピリピ書四・八)これを認むるにやぶさかでないであろうことを。この大東亜戦争遂行にあたって、わが日本と日本国民とがいかなる高遠の理想と抱負とを抱いているかは、次第に諸君の了解されつつあるところであろう。われらもまた政治経済文化の各部面で諸君と提携するために腐心し挺身しつつあるわが朝野の、軍官民の先達たちの報告によって、諸君の中にわれらの学ぶべき「おおよそ愛すべきこと、おおよそ聞こえあるべきこと」のあるを聞き知り、尊敬と共感と親愛の情を覚え、諸君に強く牽かるる思いがする。諸君が地域の如何を問わず、文化の傾向を論ぜず、よきものに共感し、尊きものを尊しとする公明正大の心を有ち、敵性国民の無責任にして放縦なる個人主義とは全く類を異にすることを確信する。しかも諸君は人間の個性的な面においてまことに深きものを包蔵し、各自の職域にあってあくまでも自己の深い信念に生き、それと密接に繋がっている高い公の犠牲的精神を備えていらるる様子を聞くに及んで、早く諸君の風?に接したいと願う念いや切である。神もし許し給わばいつかわれらは諸君のもとに往き、諸君もわれらのもとに来たって、互いに個人的に親しく相交わり、顔と顔とを合わせて相識り、固く手を握り合うことも許されるであろう。しかし、われらも諸君自身を相識ること浅いごとく、諸君もまたわが日本の真の姿を識ることにおいて未だ不十分であるかも知れない。乞う、われらが今少しく「大胆に誇りて言う」(コリント後書一一・十七)ことを許せ。

 そもそもわが日本帝国は、万世一系の天皇これを統治し給い、国民は皇室を宗家と仰ぎ、天皇は国民を顧み給うこと親の子におけるが如き慈愛を以てし給い、国民は忠孝一本の高遠なる道徳に生き、この国柄を遠き祖先より末々の子孫に伝えつつある一大家族国家である。われら国民は、畏くも民を思い民安かれと祈り給う天皇の御徳に応え奉り、この大君のために己れ自身は申すまでもなく親も子も、夫も妻も、家も郷も、ことごとくを捧げて忠誠の限りを致さんと日夜念願しているのである。この事実は諸君が既に大東亜戦争下皇軍将士の世界を驚倒せしむる勇猛勇敢なる働きをみて、その背後に潜む神秘な力として感づいていらるる所であろうが、一度でもわが国の歴史をひもといた者は、その各頁がこの精神に充ち満ちていることに驚異せられるに違いない。

 兄弟たちよ。諸君は使徒が「おおよそ真なること、おおよそ尊ぶべきこと」と語っているところのものは、単に教会の中なる諸徳について言っているのではなく、教会の外の一般社会の中にあるかのごときものを、思念せよ、尊敬せよ、と言っているのであることを十分御承知と思う。この美徳を慕う感情においても諸君はわれらと一つであられるであろう。分裂崩壊の前夜にある個人主義西欧文明が未だ一度も識らなかった「おおよそ尊ぶべきもの」が、東洋には残っている。われらはこの東洋的なものが、今後の全世界を導き救うであろうという希望と信念において諸君と一致している。全世界をまことに指導し救済しうるものは、世界に冠絶せる万邦無比なるわが日本の国体であるという事実を、信仰によって判断しつつわれらに信頼せられんことを。

 諸君の既にしばしば聞き知っていられるように、われら日本人の先祖は非常に謙遜に、しかも積極的に、心を打ち開いて外来の文化を摂取したのである。中国よりは、君らの優れたる父祖である孔、孟の教えを。インドよりは、君たちの聖者釈迦を開祖とする仏教とこれと共にインド文明を、しかもわれらの先祖たちは決して当時の先進諸外国の文化に心酔したのではなく、非常に博大な心と謙虚な思いをもってこれを摂取し習得したのみならず、高い強い国体への信念とこれに基づく自主性に立って、これをわが国ぶりに副うように醇化し日本化して来たのである。かの聖徳太子の準備せられ中大兄皇子の完成し給うた大化の改新は、支那古代の儒教と制度文化が日本化して具現された最初の結実である。次にわが鎌倉時代の日本仏教特に道元の開いた日本禅は、インドの仏教が中国を経てわが国の土壌に吸収消化され、これに全く日本的な新生面を開いたもので、この時代以後わが国民精神の基調となり日本武士道の培養の素となったものである。また支那の曇鸞、善導の浄土門信仰は、日本の法然、親鸞によって世界の宗教学者達が驚歎するほどの絶対恩寵宗教の立場に醇化発展を遂げたのである。わが飛鳥天平の文化、平安時代の文芸より、鎌倉時代の武芸、禅学、彫刻にいたるまで、さらに室町、安土、桃山時代の豪華なる建築、茶道、絵画、江戸時代の儒学、国学、蘭学より、さては明治維新以後のヨーロッパ文明の摂取醇化にいたるまで、すべて日本人の深い謙虚さと己れを失わない高い信念との所産でないものはない。われらの父祖はこれらの外国のよきものを虚心坦懐に学ぼうとしたと共に、深い批評精神に基づいてこれに創意を加え、日本化し、独特の日本文化を産出し、今日の隆盛をいたしたのである。 かくのごとき歴史の盛観を現出することを得たゆえんは、日本精神の創造的活動の根柢に儼乎(げんこ)たる尊厳無比の国体が存したるに由る。殊に外来文化の摂取に当たって指導者たちが常に新文化の先覚者であったことは、日本精神がいかに強靭にしてしかも柔軟性に富んでいるかを物語る。まことに霊峰富士に象徴せらるる明るき清き直き心である。 右のごとき大精神は、ただ日本の国土内に留まるにはあまりに崇高にして広大無辺である。今より一〇余年前に独立し爾来ますます発展を遂げつつある満州帝国といい、われらと協力して敵米英に宣戦した中華民国といい、盟邦泰国、過ぐる日独立を祝祭した新生ビルマ国家、最近独立して新政府を組織したわれらの兄弟フィリッピン、その他いかなる地域いかなる辺境といえども、あたかも太陽が万物を光被化育するように、この大精神に照らし掩われていないものはなく、相共に深い決意をもって互いに助け、互いに尊敬し、互いに愛し、正義と共栄との美しい国土を東亜の天地に建設することによって神の国をさながらに地上に出現せしめることは、われらキリスト者にしてこの東亜に生を享けし者の衷心の祈念であり、最高の義務であると信ずる。

第三章

 わが国の有力なキリスト者の一人である内村鑑三は、当時欧米文明の滔々たる輸入と憧憬との支配していた時代風潮の中にあって、「世界は畢竟キリスト教によりて救わるるのである。しかも武士道の上に接木せられたるキリスト教に由りて救われるのである」と喝破した。彼は夙に欧米の特に米国の宣教師が成功と称して勢力と利益と快楽とを追求する信仰を非信仰として排斥し、宣教師の一日も早く日本より退散して、日本人の手による日本国自生のキリスト教の必要を叫んだ先覚者である。

 彼の予言はまた諸君にもあてはまるところであり、心ある士が既に考えられているように、大東亜には大東亜の伝統と歴史と民族性とに即した「大東亜のキリスト教」が樹立さるべきである。われらは今信仰における喜びと感謝と誇りとをもって、日本には日本の社会と伝統と民族性とに基づいた独特の日本のキリスト教会が建設されるに至った。しかもそれが、いよいよ確立しつつあるという事実を報じたいのである。今その日本キリスト教確立の歴史的沿革と独自固有の性格とを簡略に述べたいと思う。

 日本にキリスト教が渡来したのは、遠く天文十八年(一五四九)にフランシス・ザヴィエルが最初の宣教師として来朝したことに遡る。しかしこれはローマ・カトリック教会のキリスト教であって、プロテスタント教会の伝道は明治維新以後近代日本国家が世界に向かって開国したのちのことである。当時武士の子弟にして青雲の志を抱く前途有為の青年たちが、宣教師の開きし聖書学校に最初は英語を学ぼうとして集い来たったが、実に測りがたき神の恩恵によって彼らの中の或る人々に御言葉の種が植えつけられることとなった。沢山保羅、新島襄、本多庸一、植村正久、海老名弾正、小崎弘道等みな純然たる日本武士が、この教えを聴くに及んでその中に日本武士道に通ずる深い奥義の秘められてあることを悟り、ただに一人のキリスト教信徒たりしのみならず、進んでイエスの命令「汝は往きて宣べ伝えよ」に全身全霊をもって従い、パウロのごとく「されど母の胎を出でしよりわれを選び別ち、その恩恵をもて召し給える者」の声を聴き「御子をわが内に顕してその福音を異邦人に宣べ伝えしむるをよしとし給える時」という信仰と自覚との下に、御言葉をこの国土と同胞との間に持ち運ぼうと深く決意した。彼らは走った。しかし彼らと共に御言葉が、主御自身が走り給うた。彼らも倒れもした。しかし主は彼らと共に倒れ給わぬ。福音の宣教は未だ数少なき幼い教会によって大胆に行われた。この様子を看て宣教師たちは驚いた。そして心ある者は秘かに考えたと言う。「日本人は変っている。日本人の伝道は日本人の手にゆだねるべきである」と。かくして日本における『使徒行伝』は彼ら初代伝道者先覚者たちによって綴られていった。ある時は同胞の無理解と侮蔑と嘲笑を買ったがこのような状況下に次第に信ずる者の数増し加えられ、日本のキリスト教会は生い立っていった。主イエスは彼らの真実な活動によってこの国にますます偉大となり、彼らの弱きときに彼らの中に神の力をもって強く在した。ことにキリスト教は日本武士道に接樹され、儒教と仏教とによって最善の地ならしをされた日本精神の土壌に根を下ろし花を開き結実していったのである。

 先代先覚者によって薫陶された第二、第三の後継者たちも大君に捧ぐる清明心と隣人を敬愛する情誼と千万人といえども我往かんという勇気とをもって地上的一切の栄達を擲ち、キリスト教に把えられつつ後のものを忘れ前方の目標を追い求めていった。そして個人主義・自然主義・社会主義・無政府主義・共産主義などの諸思想が猛り狂い、怒濤のごとく押し寄せて来る大正時代より昭和の初期にかけて、よくこれに戦いを挑み、キリストの真理を護り、肇国の大義に生き抜いたのである。これら日本キリスト教の指導者たちを偲ぶにつけても、わが国体の本義と日本精神の美しくて厳しいものが遺憾なく発揚せられた事実を想起し感慨無量である。

 しかして遂に名実とも日本のキリスト教会を樹立するの日は来た、わが皇紀二千六百年の祝典の盛儀を前にしてわれら日本のキリスト教諸教会諸教派は東都の一角に集い、神と国との前にこれらの諸教派の在来の伝統、慣習、機構、教理一切の差別を払拭し、全く外国宣教師たちの精神的・物質的援助と羈絆から脱却、独立し、諸教派を打って一丸とする一国一教会となりて、世界教会史上先例と類例を見ざる驚異すべき事実が出来したのである。これはただ神の恵みの佑助にのみよるわれらの久しき祈りの聴許であると共に、わが国体の尊厳無比なる基礎に立ち、天業翼賛の皇道倫理を身に体したる日本人キリスト者にして初めてよくなしえたところである。

 かかる経過を経て成立したものが、ここに諸君に呼びかけ語っている「日本基督教団」である。その後教団統理者は、畏くも宮中に参内、賜謁の恩典に浴するという破格の光栄に与り、教団の一同は大御心の有難さに感泣し、一意宗教報国の熱意に燃え、大御心の万分の一にも応え奉ろうと深く決意したのである。

 本年四月には在来の諸学校が教団立神学校として統一され、教団の制度組織も形式内容も日日に整備せられ、全一体たる教会の実をますます具現しつつある。これを国史に徴するも一大盛事と謂うべく、これを古より闘争に終始した西欧の教会史に徴するも、まことに主の日の予兆の大なる標識というべきであろう。「遂に一つの群れ一人の牧者となるべし」(ヨハネ伝一〇・十六)。

第四章

 われらの敬愛する兄弟たちよ。

 われらは諸君にわれらの信仰を告白しわれらの衷情を披瀝したこの長い書翰を結ぶ前に今少しく熟慮して頂きたいことがある。使徒パウロがピリピの教会に勧めているように、われらはキリストの慰めによって呼びかけられている者として同じ愛と同じ思念とを懐き一つとならなければならない。われらは敵性国民らのキリスト教にのみならず、われらの自らの中にも、自己に立ち、己れを高しとし、他を己れに優れりとなしえぬ罪が「唯一つの事」(ピリピ二・二)を念おうと欲せざる人間固有の分裂的遠心作用が働いていることを人間存在の秘奥の底に認めざるをえない。キリストはかかるわれらに代わってわれらの成しえずまた成そうと欲しない所を成し遂げ給うた。すなわち彼は神の子であり神と同等の者であり給うたが、この彼の本来固有の所有をさえわれら人間のごとく固執する事とし給わず、かえって己れを空虚にし、己れの神的本質とは全く異質の人間的本性を身に纏い、人と成り給い、それのみならずさらに進んでわれらのために十字架上に苦しみ、死し、この彼の道を地の底なきところにまで進み給うた。しかして父なる神の意志にわれらに代わって完全に従い給うた。ここに神の人間に向かって成し給うた宥和と啓示との行動は、隠されつつしかも現実に起こった。このゆえに神は彼を死の床より起こし給うた。死人の中より甦えらしめ給うた。そうして彼の死人の復活をわれらの救い、助け、力として栄光の中に証示し給うたのである。まことに、イエスは教会と共に全世界に父を示した予言者であり、教会と共に全世界に代わって父のもとに執成をなし給うた祭司であり、全教会の主にていまし給う。

 兄弟たちよ。われわれはこのキリストを証しする証人であり、彼の体であるということを銘記しようではないか。彼よりこの宥和を宣べ伝える職務を賜わっていない者は彼の恩寵を受けているとはいえない。彼なしには失われており彼においてのみ救いの約束をもっている全世界の、被造物の嘆きを聞かないでは、われらは教会の主の御声を聞いているのではない。われら大東亜のキリスト者が同胞諸民族の間でこの主の光を反射してから輝いていなければ、光を有っているのではない。ナザレのイエスの使信の犠牲の死と権能の証示とこそ、われらの慰めである。ただにわれらキリスト者のみならず、われらの属する大東亜諸民族の慰めである。彼の中にわれらの途の終りがあると共にすべての人の一切の途の終りがある。彼の中にわれらの途の始めがあると共にわれらの同胞すべての生くる途の真の発端がある。このことこそわれらの希望である。ただにわれらキリスト者のみならず、東亜諸民族の希望である。繰り返して言う、かのイスラエル民族によって捨てられ、天地の主なる神によって栄光の中に証示され給える者、彼がわれら教会とその肢のみならず全世界の慰めである。われらが様々の運命と謎と苦難と死との中に存在しつつしかもそこで生命への信頼を有ちうる基礎は、イエス・キリストの栄光の日において、天地の更新において顕示せられるものにほかならぬ。これがわれらの希望である。

 兄弟たちよ。われらはこの慰めとこの希望とを一つにするがゆえに、同じ愛、同じ思念の中に一つとならなければならぬ。隣人愛の高き誡命の中にあの福音を聞き信じつつ大東亜共栄圏の建設という地上における次の目標に全人を挙げ全力を尽さなければならぬ。われらはこの信仰とこの愛とを一つにする者共であるから、同じ念い、共同の戦友意識、鞏固なる精神的靭帯に一つに結び合わされて、不義を挫き、正義と愛の共栄圏を樹立するためにこの戦争を最後まで戦いぬかなければならぬ。われらはこのことを諸君に語る前に自分自らに語っている。われらの盟友にして戦友よ!「汝らキリスト・イエスのよき兵卒としてわれらと共に苦難を忍べ」(テモテ後書二・三)。

 われらは祈る。キリストの恩恵、父なる神の愛、聖霊の交際、われらがその現実の一日も早からんことを望みてやまざる大東亜共栄圏のすべての兄弟姉妹の上にあらんことを。アァメン。』

日本的思惟とは

 土居健郎はその著書『「甘え」の構造』において、日本的なもの、つまり日本的思惟を一言で表現するキーワードは「甘え」という言葉であることを論じている[5]。

 土居によると、日本的思惟の特徴は非論理的な甘えの心理である。そこでは自己と他者との境界を消し去り、情緒的に自他一致の状態をかもしだすということが生じる。甘えの世界ではすべての他者性が消失し、同一化、あるいは摂取が行われる。甘えは相手との一体感、連続性を求めるのである。それゆえに日本人の求める神は非常に母性的な包む神である。天皇信仰と祖先崇拝はいずれも甘えの葛藤の彼岸にある者を神と呼んでいる。そして、天照大神も女神なのである。ここに日本人の神観の本質がある。天皇制は、「異教」の本質としての「民族や学問や《人格性》や徳などの神格化(Apotheose)」を最も典型的に表明するものであるとのバルトの理解は非常に鋭い[6]。

 日本政府による、教育勅語、日の丸、君が代を用いた、天皇を神格化し、天皇に絶対献身するための教育が、この日本的思惟を著しく強めるために用いられたことも見逃すことのできない事実である。それは教育と情報操作という両輪によって行われた国家レベルのマインドコントロールであったといっても過言ではないと思われる。これによって、「日本のため(国のため)にしたかどうか」という絶対的な価値判断基準が個人の中に根付いていったと考えられる[7]。

 『日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰』によって提示されている問題は、第一戒、最も大切な戒めの問題である。この「神を神としない」、「基督を主としない」という罪の根によって、日本の基督教会が天皇教会へと変質し、傲慢・虚偽・怠惰を身にまとっている姿がここに明らかにされている。

2、『神の痛みの神学』における課題点

 日本的思惟についての以上のような考察と、バルトの『神の痛みの神学』に対する真剣な疑問符を受け止めた上で、『神の痛みの神学』における課題点を考えたい。その際、まず痛みの類比における課題点を考え、次に神観についての課題点を考察したい。

A、痛みの類比における課題点

  北森は『神の痛みの神学』において、痛みの類比(analogia doloris)を用いることによって神の痛みを証ししようと試みている[8]。しかしその際、キリスト中心的に類比を行なわず、日本人としての痛みの感覚によって類比を試みる故に、日本的思惟の影響を受け、以下の3つの問題を引き起こしていると考えられる。

(1)神の痛みの超越性を引き下げる傾向にある。

  それゆえ、神の痛みが人間的な(感傷的あるいは浪花節的)レベルにまで引き下げられる。

(2)人間の持つ痛みの感覚の限定性を越えることを困難にする。

   他者に対しての痛みの感覚を持つことを困難にする。

   特に他民族に対しての痛みの感覚が持てない。

 その結果、責任転嫁、開き直りといった虚偽によって、すべての過去の過ちを水に流す、 過去に目を閉ざす、心に刻まないという歩みをあくまでも続けることになりかねない。

(3)日本民族優越性の主張、高慢。

   これらの問題は、北森が神の痛みと日本的つらさの比較をする時に生じている問題である。北森自身がそのことについて言及しているので、まずそれを見たい。

『神の痛みと日本のこころとをめぐる以上のごとき考察は、以下に述べるごとき反省を伴わねばならぬ。  第一、日本の悲劇における「つらさ」すなわち痛みは、他者を生かすために自己を死なしめ、もしくは自己の愛する子を死なしめるとき、具体化したのであるが、しかしこの時の他者は自己にとってもっとも尊きものであった。しかるに神の痛みという言葉は、二重の意味において用いられた。まずそれは神が愛すべからざる者を愛し給うときの御心であり、次にそれは、神がその愛し給う独子を死なしめ給うときの御心であった。そして、前者のために後者が生起したのである。しかるに日本の悲劇における痛みは、もっぱら後者をのみ指し示すものであった。人間が価値なき者・愛すべからざる者を愛し、さらには敵をさえも愛するというとき生起する痛みについては、日本の悲劇といえども知らなかった。(たとい相手が敵の様相を帯びるにせよ―例えば『寺子屋』の菅秀才や『熊谷陣屋』の平敦盛や『鮨屋』の平維盛のごとく―しかし内実においてはあくまで尊き者である)。したがって日本の悲劇における痛みは、神の痛みの一面のみを指示し、他の一面は脱落している(ローマ5:7−8参照)。

 第二、痛みへの感覚をもって神の痛みを捕らえるとき、その感覚は神の痛みに対する奉仕者ではあるが、しかし、それが人間の感覚であるかぎり、なおそこには恣意と錯覚とが潜んでいる。痛みへの感覚のもつ不従順は、神の痛みそのものによって克服されねばならぬ。…

 第三、痛みへの感覚は、神の痛みに奉仕するとき始めて真に生産的となり、真理として結実する。痛みへの感覚はそれ自身として放任されるときには、真実さを失う危険性がある。Spielやplayは劇と遊戯との二義をもつ。痛みへの感覚が遊戯となるとき、もはや致命的である。遊戯の特質は倫理と絶縁することにある。日本の庶民のこころが痛みへの感覚をもちながらも、倫理との絶縁への傾向をもつことは、寒心すべきこととして反省されねばならぬ。この傾向は、痛みへの感覚が神の痛みに奉仕するに至っていないために生ずるものと考えられる。神の痛みのみが倫理の根本たる痛みの切実さを可能ならしめるのである。』[9]

 北森は日本の悲劇における「つらさ」、すなわち痛みの例として『寺子屋』を挙げ、「神の痛み」との痛みの類比を試みている。父松王丸は主君への忠誠を示すために、愛する子を犠牲にし、死におもむかせる。主君への封建主義的な忠誠心と、わが子への父としての愛情にはさまれて、松王丸はつらさを感じる。北森はこの『寺子屋』における「女房喜べ、倅は御役に立ったぞ」という松王丸のことばを日本的つらさ、痛みとして提示するのである[10]。

 これは戦時下の日本において、天皇のために、日本国のために子どもを死なせることが最も尊きものであったことと同じ感覚であると思われる。同様の感覚は北森が本居宣長の古事記伝(二七)の言葉を引用して述べることについても当てはまる。以下にその引用を記す。

『本居宣長が日本(やまと)武尊(たけるのみこと)の悲運に連関して述べている次のごとき言葉は十分注目されねばならぬ。―「此後しも、いささかも勇気は撓(たゆ)み給はず成功をへて大御父天皇の大命を、違へ給わぬばかりの勇き正しき御心ながらも、如此恨み奉るべき事をば恨み、悲しむべき事をば悲しみ泣賜ふ、これぞ人の真心にはありける。此若漢人ならば、かばかりの人は、心の裏には甚く恨み悲みながらも、其はつつみ隠して其色を見せず、かかる時も、ただ例の言痛きこと武勇きことをのみ云てぞあらまし、此を以て戎人のうはべをかざり偽ると皇国の古人の真心なるとを万の事にも思ひわたしてさとるべし」(古事記伝二七)。日本的なるものは「悲しむべき事をば悲しみ泣」くことであって、これを「つつみ隠して其色を見せ」ぬことではない。』[11]

 敗戦を迎えた日本の教会が、まずキリストを裏切ったことに対する痛みを持つことができなかった理由がここに潜んでいると思われる。北森はここで「父」なる神の痛みについては語っている。しかし寺園が指摘しているように、北森は痛みの類比を試みているが、神の痛みを「子」の痛みとして、キリスト論的に展開しているわけではない。ここでは子なる神の痛みは主題とはなっていない。

 また、日本人としての痛みの感覚をもって神の痛みを捕らえようと試みる際、北森が指摘しているようにあくまでもそれが人間の感覚である故に、恣意と錯覚がまさに潜んでいると考えられる。北森は神の痛みそのものによってこの問題の解決を求めようとしているが、実際には神の痛みを認識する手段として痛みの類比を試みている故に、問題は解決されず、神の痛みの超越性が引き下げられることになる。それゆえ、神の痛みが人間的な(感傷的あるいは浪花節的)レベルに引き下げられている。

 痛みの類比を行う際、北森は日本の庶民のこころが他の民族のこころよりも痛みへの感覚を持っていることを前提にしている。しかし、本当にそんなことがいえるのであろうか?日本人が持っている痛みへの感覚は、他の民族と同様に、あくまでも、愛すべき人間、価値ある者、同胞に対してのみ有効であると考えられる。そして、日本人は、日本人以外、特にアジア諸国の民族に対して、痛みの感覚を持ち合わせていないとさえ考えられる。更に言えば、生まれながらの日本人は、罪に対して痛む感覚、つまりまず神に対する罪の痛みの感覚を持っていないのである。神を神としない日本人が、今でも倫理との絶縁への傾向を持つこと、痛みの感覚を持ち得ないことは当然であるといえる。

B、神観についての課題点

 北森は『神の痛みの神学』において、絶対他者としての神観、神学的公理としての第1戒、人間との「対立」における神を否定する。これはキリスト中心的に神学をしない故に、日本的思惟の影響を受けるためだと考えられる。これによって、以下の2つの問題を引き起こしていると考えられる。

(1)神と人間の質的差異、つまり神の超越性を認識して「神を神とする」ということを困難にする。

 ⇒ 偶像礼拝の罪

 ⇒ あるいは神を自分のために利用する信仰、

   私のためのキリストにとどまる信仰

(2)律法を福音の内に含まれる恵みとして認識することを困難にする。

 ⇒ 安価な恵み、服従を伴わない信仰、実質的には自分が主である信仰

 北森は『神の痛みの神学』において、「絶対他者」という神概念を否定する。この点はまさに北森が強烈なバルト批判をしたことによって明らかである。北森はキリスト論的に神学を試みようとしているが、実質的にはエレミヤ31:20を土台とし、父なる神を中心にした神論によって『神の痛みの神学』を構築している。それゆえに日本的思惟の影響を避けることが出来ず、結果的に神の神性を犠牲にするような形で神の受苦性(人間性)を強調していると考えられる。

 このことは十戒に代表される律法、そして主イエスが示された一番大切な戒めに関する重大な問題である。北森はバルトの『神の人間性』をあくまでも転向として受けとめ、また、バルト神学のモティーフ、神学的公理が十戒の第一戒であることを最も受け入れ難いこととして批判している[12]。このことは第一戒に代表される律法を、北森が福音として聞くことができないことに起因しているのではないか。十戒に代表される律法は人間に真の自由を与えることのできる恵みである。そして、十戒の語られる大前提は、恵みによる救いである。

 かつて日本の教会は神社参拝が宗教であるかどうかという判断をキリスト(聖書)に聞かず、日本政府に聞いた。その結果、教会は教会としてのアイデンティティを喪失し、神社参拝は宗教ではないとの政府の意見を受け入れて積極的に神社参拝を行ったのである。韓国のキリスト者にまで神社参拝を勧めに赴いた日本の教会の指導者たちに対して、韓国の抵抗して殉教していったキリスト者は「それは第一戒に反することではないのですか?」と命をかけて問うたのである。しかし、日本人キリスト者は信仰の堕落を食い止めるための歯止めを次から次へと外し、最後の歯止めである第一戒さえも外してしまったのである[13]。

 この日本的思惟の問題は、まさに私たちに真剣な疑問符を提示する。言い換えれば、「神を神とする」という所まで、福音がしっかりと根ざすかどうかという大きな問題が提示されているのである。私たちは今、本当に主を主としてこの国でキリストに従っているのだろうか?本当に聖書を神の言葉として受けとめているのだろうか?もしそうでないならば、今こそキリストによる和解に立って、過去にしっかりと目を向け、神を神とするということから、すべてをやり直し始めなければならないのではないか?私のためのキリストからキリストのための私へと導かれるようにと祈る。他者のための祝福の基、世の光、地の塩としての使命に生きるために。


[1] カール・バルト『福音主義神学入門―カール・バルト著作集10』、204−205頁

[2] 太田和功一『アジアのキリスト者とともに』、いのちのことば社、1986年、141−158頁

[3] 井上良雄『戦後教会史と共に1950−1989』、新教出版社、1995年

[4] 日本同盟基督教団・横浜上野町教会役員会一同、

  『横浜上野町教会よりアジアの中の日本にある基督教徒に送る手紙』、1995年2月26日

  http://www.imasy.or.jp/~yasu-yok/church/tegami01.html

[5] 土居健郎『「甘え」の構造』、弘文堂、1971年

[6] 『新教コイノニア3 日本のキリスト教とバルト』、新教出版社、1986年、33頁の小川圭治「バルトから何を学ぶか」より引用

[7] 井戸垣彰『このくにで主に従う―日本人とキリストの福音』、いのちのことば社、1985年、17−19頁参照

[8] 北森嘉蔵『神の痛みの神学』、89−91頁、2章参照

[9] 同書、235-236頁

[10] 同書、229-232頁

[11] 同書、45頁

[12] 『新教コイノニア3 日本のキリスト教とバルト』、新教出版社、1986年、10−11頁の北森嘉蔵「個人的遍歴の角度から」参照

[13] 渡辺信夫『教会が教会であるために 教会論再考』、新教出版社、28−29項参照

第五章 『神の痛みの神学』のキリスト中心的理解

−新約聖書におけるスプランクニゾマイ

−神の神性の極み(核)としての神の人間性

 四章において、『神の痛みの神学』が日本的思惟に影響される理由は、キリスト中心的に神学を試みないことによることが明らかになった。従って本章では『神の痛みの神学』をキリスト論的に試みる。

 キリスト中心的に神観を受けとめていく最も適切な方法は、まず新約聖書におけるイエス・キリストについての証言に耳を傾けることであると考えられる。それは、祈りつつイエス・キリストの言動に対して用いられている言葉に聞き、文脈の中で、イエス・キリストがどのようなお方であるかということを思い巡らすことである。

  ここで、新約聖書に用いられている「スプランクニゾマイ」というギリシア語の動詞に注目したい。この語は共観福音書において、12回だけ用いられている。しかも、いずれもイエス・キリストの心の動きに対してだけ用いられている言葉で、決して人に対しては用いられていない。

 新改訳聖書において、「スプランクニゾマイ」は、「かわいそうに思われた」、「かわいそうに」、あるいは「深くあわれんで」、「深くあわれみ」、と翻訳されている。しかしこの言葉は、内臓・はらわたを指す「スプランクナ」ということばから派生した動詞で、多くの方がすでに指摘しているように、「内臓が揺り動かされる」、「はらわたわななく」という激しい痛みのニュアンスを持つ言葉である。ギリシャ語の中にいくつかのあわれみを意味することばがあるが、中でもこの「スプランクニゾマイ」は最も強いあわれみを表現することばである。

 したがってこの語は、北森が『神の痛みの神学』における「神の痛み」の根拠として、中心的に引用しているエレミヤ31:20の「我が腸かれの為に痛む(文語訳)」「わたしのはらわたは彼のためにわななき(新改訳)」と同じ響きを持つギリシャ語であると考えられる。しかし、ここで指摘したいことは、北森は『神の痛みの神学』において、この言葉が持つ痛みのニュアンスには触れていないという事実である。従って、この「スプランクニゾマイ」というギリシャ語に注目することによって、『神の痛みの神学』のキリスト中心的理解をすることができると考えられる。注目すべきことは、この語がイエス・キリストが語られたたとえ話の中でも特に印象的な3つのたとえ話の要(核)に用いられているということである。それらのたとえ話とは、まず一万タラントの借金を赦す王のたとえ(マタイ18:21−35)、次に良きサマリヤ人のたとえ(ルカ10:25−37)、そして放蕩息子の父のたとえ(ルカ15:11−32)である。

 バルトは『神の人間性』において、直接この言葉には触れていないが、スプランクニゾマイが使われているこの3つのたとえに言及し、この言葉を神の憐れみの行為として提示している。

『われわれに聖書で証しされているイエス・キリストにおいては、まさしく真の神性が真の人間性をも含んでいる、ということではないだろうか。そこにはまさしく、失われた息子を憐れむ父がおり、返済能力のない負債人を憐れむ王がおり、強盗に襲われた人を憐れむサマリヤ人がいる。憐れむとは、すなわち、予期せぬ寛大な徹底的な憐れみの行為において受け入れて下さるということである。そしてまた、これらの譬えがすべて天国の譬えとして指し示しているのは、憐れみの行為である。そこには一人の方がおられる。−まさしくこの方こそ、これらの譬えによって語っているお方である!―この方は、自分のまわりの群集の弱さと罪過、困惑と悲惨を深く心に留め、あるがままのこの群集を軽んじることなく、理解できないほどに重んじ、またこの群集を深く心に受け入れ、彼らの場所を自分の場所となす。』[1]。

 まず最初に、それぞれの新約聖書の文脈の中で、この「スプランクニゾマイ」がどのようなニュアンスで用いられているのかを、共時的に見ることにする。次に当時の世俗ギリシャ世界での用例、後期ユダヤ文献における用例を通時的に見ながらワードスタディを試み、エレミヤ31:20で用いられているヘブライ語「ラハム」との関連を考察したいと思う。このイエス・キリストにだけ用いられている言葉に着目することによって、御子イエス・キリストの痛み、あわれみについて明白に知ることができ、それを通して御父の痛み、あわれみをも具体的に知ることができると考えられる。

1、共時的に見た新約聖書におけるスプランクニゾマイ

 新約聖書における「スプランクニゾマイ」の用例が見られるのは福音書のみであり、しかもマタイ、マルコ、ルカという三つの共観福音書にのみ限定される。ヨハネの福音書には用いられていない。従って、以下に各共観福音書における「スプランクニゾマイ」の用例のコンテキストを共時的に概観する。

splagcnizomai@viao--3s  6 (verb ind aor pass dep 3rd per sing )  Mt9:36,14:14, Mk6:34, Lk7:13,10:33,15:20

splagcnizomai@vipn--1s  2 (verb ind pres mid or pass dep 1st per sing ) Mt15:32, Mk8:2

splagcnizomai@vpaonm-s 3 (verb part aor pass dep nom masc sing ) Mt18:27,20:34, Mk1:41

splagcnizomai@vraonm2s 1 (verb part (imper) aor pass dep nom masc 2nd per sing ) Mk9:22

マタイの福音書におけるスプランクニゾマイ

*マタイ9:36(比較マルコ6:34)

羊飼いとしてのイエスの、失われていた羊に対する深い愛と宣教の情熱を表わすスプランクニゾマイ

また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。 マタイ9:36

  マタイ9:35−10:1参照

 ここでスプランクニゾマイは、12弟子を遣わす直前に、イエスが、羊飼いのない羊のような、そして弱り果てて倒れている群衆を見られた時の、心の動きを表現している。苦しめられ、疲れ果てている群衆を見られて(マタイ9:36)のイエスの心の動きで、「はらわたが震えるほどのあわれみを覚えられた」というような意味だと思われる。

 羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている大勢の群衆を見られたイエスは、そのとき、収穫は多いが働き手が少ないと言われた!つまり、イエスは羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている大勢の群衆を刈り取りを待っている大きな収穫として見られた。収穫の豊かさを見て取られたイエス様のまなざしがここに記されている。

 J・シュニ―ヴァントは9:36に対して、『しかしイエスは困窮に心を痛められる―彼の生き方の特徴である―。』とコメントしている[2]。ウイリアム・バークレーは『深くあわれまれた、という意味のギリシャ語はスプランクニスサイスで、あわれみをあらわす一番強い言葉である。これはスプランクナ、すなわち腹という語から出たもので、心の奥底からあわれみ、同情する、という意味である。福音書ではこの語は、譬話の中に何度か用いられているほかは、イエスについてだけしか使われていない。』と記している[3]。

 増田誉雄は『<かわいそうに思われた>と訳されたスプランクニゾマイは、強烈な心情の動きを表わすことばである。これは内臓を意味するスプランクナから出ている。ヘブル思想では内臓は人間の深い感情の宿る所と考えられていた。心底から激しく動かされて、積極的にあわれみの働きをせざるをえない心を示している。ここにイエスの宣教の動機を見出す。』と記している[4]。

 なお、加藤常昭はこのテキストによる説教において、以下のようにスプランクニゾマイに言及している。

『…この「深くあわれむ」ということばは、少しも苦しんでいない神さまが、気の毒そうに、人間を高い所から見下ろされるのではありません。私は、何度でも喜んで説明をするのですが、「深くあわれむ」と訳されております言葉の語源は、<はらわた>です。<内臓>と言ってもよいのです。その「内臓が痛む」、「はらわたが痛む」という言葉であったのです。私どもも、激しい同情で胸まで痛くなるということがあるのです。はらわたが痛むほどに、主イエスは、同情に生きてくださったのです。いや、<同情>と言う言葉すら、もうここでは不十分です。人びとの愚かさに取り囲まれながら、主イエスはその愚かさを軽蔑することもせず、その愚かなことしか、言うことの出来ない人びとの惨めさに、自分の肉体が、心が、切り刻まれるような、思いを抱かれたというのであります。  これほどに、はらわたが痛むほどに、愛を注ぐ神というのは、当時の人の知らない、神の姿でした。当時の世界の知恵者、ギリシアの哲学者も、知らなかったことでした。想像もつかないことでした。福音書の用語はギリシア語です。しかし、ギリシア人は、この言葉で、神について語ったことがなかったのです。むしろそれを拒否したのです。なぜかというと、心を痛めてしまうような神は、自分を、そのように苦しめるものに振り回されることになる。神が、自分に悩みを負わせる者に振り回されるというのは、全く神さまらしくない。頭の中でそう考えて、だから神というのは、あらゆるものを超越していなければいけない。あらゆるものを超越している神には、同情に、心を痛めるなどということは、あるはずがないと考えたのです。

  このギリシア人の考え方はよく分かります。神々だけではないでしょう。私ども人間もそうです。私どもは本能的に、同情によって、心がとことんまで動かされることを拒否するところがあります。気づいていないかもしれませんけれども、そうなのです。映画や芝居やテレビドラマを見て心から涙を流し、かわいそうになどと、思うことはあっても、目の前に、同じ悲劇が起こった時には、私どもはそんなに簡単に涙を流したり、心を痛めたりしません。なぜかというと、うっかりここで同情し、うっかりここで心を痛めたら、この他者の悩みが、自分たちの生活の中に入ってきて、たまったものではないと思うからです。だから、私どもは、あるところまでは、同情するけれども、それ以上、他者に踏み込まれることは拒否するのです。ここで、はらわた痛むほどに、主イエスが<あわれみ>を抱かれたということは、この人々の愚かさの中で、自分自身が踏みにじられることを、お許しになったということであります。ギリシアの人びとの考えからすれば、神にふさわしいことでは、なかったかもしれません。しかし、他方、今のように問い詰めてまいりますと、実は、まさに神さまでなければ、できないほどの深い憐れみに生きられたのであります。人間には、こんなに深い憐れみの心はありません。私ども自身、正直に認めなければならないことなのです。私どもが、自分がどんなに同情深い人間、優しい人間だと思っていても、こんなに深く憐れみの中で、生きることはなかったのです。それが、すでに私どもの罪であります。

  ここに述べられている、神の子イエスのお姿は、その通りギリシアの知者が、言う意味からすれば、そんなに深い同情を抱いたら、神が神でなくなってしまうほどでした。その通り、神が神であることを、おやめになるくらいに、「深いあわれみ」に生きられたのです。そこに、主イエスにおいて、現れた神のみわざの秘密があります。だいたい、神のみ子がこの世にお生まれになって、人びとに苦しめられ続けて、十字架につけられて、殺されるなどということほど、神さまらしくないことは、なかったのです。十字架につけられた、イエスを見た時に、人びとは言ったのです。「神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい。自分は神の子だと言っていたのだから」。これにも理屈は通っているのです。だがそこで、そのような意味において、神であられることを貫かれないで、<あわれみ>の中で、自分自身の肉体を裂いてしまうほどの、愛に生きられる。聖書が語る神は、そういう神であり、そのような神のみ子のお姿であったのです。ここまで忍耐深く、人びとの罵り、誤解、愚かさに対して、罵りをもって報いることなく、「深いあわれみ」を抱くことが、おできになったのは、それほどまで「深いあわれみ」の自由に生きることが、おできになったのは、神だけでしか、なかったと私は信じるのです。私どもには不可能なことです。こういう主イエスのお姿を見ると、私自身の愛とか、同情とかいうものに絶望せざるを得ないのです。私ども自身の愛とか同情から、人びとのために何かできると思ったり、神さまのために、何かできると思うのは、傲慢としか言いようがないのです。このようなことからも、与えられている、み言葉の中でも、私どもの心を捕らえる、三七節の主イエスのみ言葉の意味もなおよく分かってくると思います。…』[5]

*マタイ14:14(参照マルコ6:34)

 イエスの後を追ってくる病んでいる人々を癒すスプランクニゾマイ

イエスは舟から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれんで、彼らの病気を直された。 マタイ14:14

  マタイ14:12−14:22 参照

 ここでもスプランクニゾマイはイエスの心の動きに対して用いられている。イエスの後を追ってくる多くの群衆の姿がイエスの目に映った時、イエスの心の中に生じた動きである。その後、イエスは病気の癒しを行っている。増田誉雄は以下のように、この個所で用いられたスプランクニゾマイについて言及している[6]。

『<深くあわれんで>(スプランクニゾマイ)は、内臓まで動かされる切なるあわれみのこと。ヘブル思想では内臓は人間の深い感情の宿る所と考えられていた(→9:36注解)。マルコはこのイエスのあわれみをさらに詳しく描き、「彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた」(マルコ6:34)と記している。マタイはイエスが<病気を直された>ことを記し、イエスの宣教と奇跡の動機が常に深いあわれみによるものであることを再度示している(→9:36)。』

*マタイ15:32(参照マルコ8:2)

 空腹の群衆を見られたイエスの口から、弟子たちに対して出たスプランクニゾマイ イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「かわいそうに、この群衆はもう三日間もわたしといっしょにいて、食べる物を持っていないのです。彼らを空腹のままで帰らせたくありません。途中で動けなくなるといけないから。」 マタイ15:32

  マタイ15:29−39 参照

  ここではスプランクニゾマイが、弟子たちに対して直接語られた、イエスの言葉として記されている。J・シュニ―ヴァントは、15:32に関して、『イエスは外的困窮を「かわいそうに思われる」、すなわち内心が騒ぐ。そして神のあわれみについて最大最後のこととして言われることがここで飢えている者たちに対して言われる。』とコメントしている[7]。

  その時にイエスの目に映っていたものは、三日間何も食べずにイエスについて来ている故に、極度の空腹を覚えて疲れ果てている多くの群衆たち(女と子どもを除いて、男四千人)の姿であった。この群衆はイスラエルの神を賛美していた異邦人だったと考えられる。空腹で倒れそうになっている異邦人の群衆を見ても、何も感じていない弟子たちとの強烈な対比が描かれている。イエスはその後、4千人以上の群衆に対する給食(女と子どもを除いて、男四千人)の奇跡をなさった。

  加藤常昭はこの個所から説教しているが、このときのイエスの心と弟子たちへのチャレンジを的確に述べていると思われるので、以下に記す[8]。

『三二節によれば、そのようにイスラエルの神への賛美が歌われている中で、イエスは弟子たちを呼び寄せておられます。これは、とても大事なことです。なぜかというと、前の五千人の奇跡の時には、どうして、主イエスは集まって来ている人びとに、パンをお与えになるようになったかというと、弟子たちが、主イエスに声をかけたからです。主イエスが、一生懸命癒しをしておられた時に、弟子たちが、主イエスに声をかけたのです。「ここは寂しい所でもあり、もう時も遅くなりました。群衆を解散させ、めいめいで食物を買いに、村々へ行かせてください」。弟子たちが心配したのです。しかし、ここでは、弟子たちはしらん顔をしているのです。群衆の飢えに気づき、それではかわいそうだ、と思ったのは弟子たちではないのです。主が言われたのです。「この群衆がかわいそうである」。この「かわいそう」という言葉は、「憐れに思う」とも訳されている言葉です。私が何度でも喜んで説明することですが、これは、とても具体的な心の痛みを意味する言葉です。「はらわたが痛む」、おなかが痛くなるほどに他者の悩みに心が動くのです。主イエスは、群衆のことを考えると、わたしは胸が痛い、はらわたが痛い、あなたがたはその痛みを知らないのか、と言われたのです。なぜここでは、そのように言われたのでしょうか。主の周りにいた人びとは異邦人でした。弟子たちはユダヤ人でした。ユダヤ人が、ユダヤ人でない人びとを差別すること深く、そのために異邦人の悩みに自分が痛む思いをすることは少なかったのです。白人と黒人が一緒にいる時に、黒人の飢えなど知らぬままに、白人が豊かな生活をしてきた歴史を、われわれは続けてきました。それと同じです。あるいは、また逆にのちの歴史においてはキリスト者たちが、共に生きるユダヤ人のために、心を痛めることを忘れました。ユダヤ人である弟子たちは、主イエスが一生懸命癒しをなさっている、その傍らに立っていました。癒しを受けて、今は、異邦の人びとが、自分たちの神を賛美している声を聞きました。しかし、その人びとの飢えに心を動かすことがなかったのです。    いや、それだけではないのです。「もう三日間もわたしと一緒にいるのに、何も食べるものがない。しかし、彼らを空腹のままで帰らせたくはない。恐らく途中で弱り切ってしまうであろう」。三日かかってやって来たのです。主イエスは、その群衆とここで別れるのです。別れた群衆が、ツロ、シドンの地方に、また帰って行くその道すがら、お腹がすいて倒れ伏してしまう、その姿をすでにここで愛の幻の中で見ておられるのです。そして、群衆に対する、そのご自分の愛の痛みのなかに、弟子たちを呼び込んでおられるのです。招き入れておられるのです。そして「ほら、あの時のわざを、もう一度ここでしよう、あそこでしたように、あなたがたの手で、腹満ちるほど食べさせた、愛のわざをもう一度ここでしよう」と言われるのであります。』

*マタイ18:27(マタイ18:21−35)

1万タラント(6千億円)の借金を赦す王のたとえ―赦し難い罪の負債を徹底的に赦すスプランクニゾマイ

 しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。 マタイ18:27

  マタイ18:15−35参照

たとえが語られた背景  マタイの福音書において、スプランクニゾマイが用いられているたとえである。コンテキストを見ると、このたとえをイエスが話されたきっかけは、赦しについてのシモン・ペテロの質問『主よ。兄弟が私に対して罪を犯したばあい、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。』である。これに対してイエスは『七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。このことから、天の御国は、地上の王にたとえることができます。』(⇒7X70=490回⇒7は完全数ということも考えられるが、実際には無制限に赦すということ!)という言葉をもって質問に答え、たとえを語り始めている。

 このたとえでイエスが語ろうとされたことは、「天の御国の様子」であることが、この導入の言葉によって明示されている。しかも天の御国が、地上の王にたとえられているのである。故に第一に着目すべきことはこのたとえの中に登場する「王」である。さらに、『七度を七十倍するまで赦しなさい。』という言葉からのつながりを考えるならば、この王の赦しに対する態度にそれは結晶化されていると考えられる。

たとえの内容  驚いたペテロにイエスがたとえを話し始められた。「王はそのしもべたちと清算をしたいと思った。」という状況設定のナレーションからこのたとえの幕は開く。そして王によって清算が始まる。ここで登場する王は清算をする王である。清算が始まると、一人ずつ王に借りのあるしもべが連れて来られることになった。そして最初に連れて来られたしもべは、一万タラントの負債を持っていた。

  ここでたとえで語られている状況を把握するために、一万タラントという金額が今の日本円に換算すると具体的にはどれほどの額なのかを、確認しておきたい。当時のパレスチナの通貨にはデナリとタラントという単位が用いられていたようである。1デナリは当時の一日の日当であったと言われている。また1タラントは6000デナリに相当した。従って1タラントは6000日分(16、17年分)の給料ということになる。たとえの中に負債額として設定されている額は一万タラントであった。一万タラントをデナリに換算すると、以下の数式のようになる。

 10000タラント=6000デナリX10000=60,000,000デナリ=6千万日(16、17万年)分の給料

 仮に日当1万円とすると、一万タラントとは、6千万日X1万円=600,000,000,000(6千億)円!という途方もない額の負債であることが理解出来る。18:25を見ると、「しかし、彼は返済することができなかったので、」とあるが、一生働き続けても絶対に返済することができない理由が理解出来る。故に、この主人である王は彼に、自分も妻子も持ち物全部も売って返済するように命じた。これに対して、このしもべは主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします。』とあわれみを乞うたのである。そして、次に来るスプランクニゾマイが用いられている文章が、このたとえの大きな転換点となる。これは、以下に示す文学的集中構造(私案)によってもこのたとえの核であると考えられる[9]。

<集中構造―私案> A 七度を七十倍するまで赦しなさい(イエスの言葉)

 B 清算をしたい王

  C 王のところに連れて来られる一万タラントの借りのあるしもべ

   D 牢に投げ入れられそうになる返済できないしもべ

    E 主人の前にひれ伏して赦しを乞うしもべ

     F 深いあわれみによって(スプランクニゾマイ)しもべを赦し、借金を免除する主人(核)

     F‘一万タラント赦されたのに100デナリの借りのある者の首を絞めるあわれみのないしもべ

    E‘ あわれみのないしもべの前にひれ伏して赦しを乞う100デナリの借りのあるしもべ

   D‘返済できないしもべを牢に投げ入れる、あわれみのないしもべ

  C‘主人のところに呼びつけられる赦さなかったしもべ

 B‘清算をした王

A’心から赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたを赦さない(イエスの言葉)

スプランクニゾマイについて(誰の何に対して用いられているか?) 18:27 しもべの主人は、かわいそうに思って(スプランクニゾマイ)、彼を赦し、借金を免除してやった。  ここで、スプランクニゾマイはキリストがたとえを語る中で用いた言葉である。この語は1万タラントの借金を抱えたしもべの主人(地上の王=天の御国)の心の動きを描き出すために用いられている。そしてそれは、負債を抱えていたが返済することができないしもべの姿を見たことに対する反応として、心の中に生起した心の動きである。王の目に映ったものは、王の前にひれ伏し『どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします。』と言うしもべの姿であった。そしてそれを見たことによって生じた思いがスプランクニゾマイなのである。新改訳聖書ではスプランクニゾマイをかわいそうに思ってと翻訳している。

  「かわいそう」という言葉を国語辞典で引くと、『〔形動〕あわれで、人の同情をさそうようなさま。気の毒なさま。ふびんなさま。』とある[10]。一般的に、日本語の「かわいそうに思う」という表現は、表面的なあわれみ、一時的な同情といった浅い、単なる心の動きである場合が多いと考えられる。しかし、この文脈の中で、つまり、王である主人が免除した一万タラントが、6千億円という途方もない額であるということを知った上で、ここに訳された「かわいそうに思って」という表現を読む時、少なくとも表面的あるいは痛みを伴わないあわれみではないことを、はっきりと聞き取ることが出来る。こういう文脈で「かわいそうに思って」という言葉が用いられた時、この言葉は非常に深く、心から、しかも痛みを伴ってあわれむというニュアンスを持つ言葉となる。

 さらにこの言葉の後には、赦すという行為、借金を免除するという行為を王が行ったことが書かれている。この文脈によって、この思いが、単なる思い、心の中だけの動きに留まらず、王を揺り動かし、6千億円の負債を赦すという行為、借金をすべて免除するという行為へと向かわせた原動力となったことを知ることができる。スプランクニゾマイという言葉は、ここに語られているこの地上の王が、私たちには考えられないほどあわれみ深いお方であることを雄弁に語っている。

なぜ王はこれほどの借金を免除したのか?[11]  ここで改めて考えたいことは、なぜ王はこれほどの借金を免除したのかという理由である。王が赦した動機、借金を免除した動機はただ王のあわれみによる。決してしもべが一生懸命願った熱心さや誠実さの故ではない。これは、神が私たちの罪をご覧になると、決して赦すわけにはいかないほど大きなものであることを意味している。

 私たちは、ただ神の憐れみによって赦されている自分の罪がそんなにも大きいと考えることはあまりない。自分は他の人々よりも多少は真面目な人間だと思っていたりする。そうであれば、神から赦された自分の罪はごくわずかなものとしか思えない。そしてその結果は、神に対しては感謝が少ないこと、人に対して自分を誇る傾向が強いこと、人についてはささいなことで非難するようになるというような形で、生活の中に現れてくる。実はこのことは、このたとえの後半において現実のものとなる。10000タラント(=6千億円)もの借金が免除されたはずのしもべは、その後、100デナリを貸していた仲間に出会うが、彼に対してまったくあわれみのない態度をとるのである。このことは前述した集中構造の核において、あざやかに対置されている。

ところが、そのしもべは、出て行くと、同じしもべ仲間で、彼から百デナリの借りのある者に出会った。彼はその人をつかまえ、首を絞めて、『借金を返せ。』と言った。彼の仲間は、ひれ伏して、『もう少し待ってくれ。そうしたら返すから。』と言って頼んだ。 しかし彼は承知せず、連れて行って、借金を返すまで牢に投げ入れた。 マタイ18:28−30

  ここで100デナリとはどれぐらいの金額なのかを考えたい。1デナリ=当時の一日の日当であった。100デナリ=100日(3、4ヶ月)分の給料である。仮に日当1万円とすると、100万円となる。これは大きい金額であろうか。彼が10000タラント=6千億円赦されたことを考えるとどうであろうか。

  このたとえの展開は、自分が多くを赦されていながら、なぜ、ささいな他の人のことを赦せないのかという疑問を私たちにもつきつける。これは、自分の受けた赦しが、ただ主人の憐れみだけによって与えられたものであることを理解せず、また、それゆえにそのことを真実に感謝できないからではないだろうか。むしろ赦しを求めた自分の熱心さのために憐れみを与えられたと、自分の熱心さを誇っているのではないか。自分は憐れみを受けていながら、人にはその憐れみを反映することをしないで、自分の正当性だけを主張している姿がここにある。

 次に、この様子を見ていた仲間たちの反応と主人の反応を見ることにする。

彼の仲間たちは事の成り行きを見て、非常に悲しみ、行って、その一部始終を主人に話した。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。 『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。 私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』 こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。 マタイ18:31−34

  ここで王は、返すことのできない借金をしたことを責めているのではない。それはあわれみによって赦してもらえたことである。王からあわれんでもらったのに、仲間をあわれまなかったことを、主人は怒ったのである。しもべは王の憐れみを本当に理解していなかったゆえに、仲間を赦すことができなかったと言える。彼は、無慈悲になることによって、自分が赦されているという事実を拒んだのである。

この憐れみ深い地上の王は主イエス・キリストによって啓示された三位一体の神である  スプランクニゾマイという言葉は、他の聖書個所を見るとき、イエス・キリストに対してだけ用いられている。イエスがこのたとえの中で用いたスプランクニゾマイは、神の無限の愛、抑えきれないあわれみを目に見えるようにはっきりと表現している言葉であるといえる。

 スプランクニゾマイは神の憐れみの極みとしてのキリストの十字架と復活による和解の動機を表現していると思われる。イエスが十字架に架けられていた時に、テテレスタイという言葉を語られ、それから息を引き取られた。この言葉は借金の返済(刑法的代償ではなく民法的代償[12][13])をあらわす言葉で、「借金はすべて返済した!」という意味である[14]。罪のない主イエス・キリストが、自らその身に私たちの罪を背負って十字架にかかってくださり、私たちの罪の負債をすべて支払って下さった。イエス・キリストによってこの一万タラントの負債をただあわれみによって赦すあわれみ深い神がはっきりと明らかにされているのである。

 天の御国は、ただ、キリストのあわれみ(私たちに対する神の自由な恵み・愛)によってだけ入れる所である!私たちは神に対して、生れた時から罪を犯し続けている。そしてその罪の負債は、人間の常識ではとても考えられないような大きなものである。普通、人はそのような負債があることさえ気づかない、気づいても素直に認めない。しかもそれは、自分の努力では決して返すことができないほど大きなものである。しかし、この天の御国のたとえは、その罪の負債が赦されている者の幸いを教えている。 福音とはただ神のあわれみによって、信じるものはその罪の負債を赦していただけるという神の約束である。赦しはただ神の方から来る。そして神の憐れみを信じる人は、確かに天の御国の幸いをすでに受け、赦されるだけではなく、神によって赦すことができる者に変えられる!福音に生きるチャレンジがここにある。

*マタイ20:34

 二人の目の見えない人たちの嘆願に応えて癒されるスプランクニゾマイ(マルコ10:46−52、ルカ18:35−43参照)

イエスはかわいそうに思って、彼らの目にさわられた。すると、すぐさま彼らは見えるようになり、イエスについて行った。 マタイ20:34

  マタイ20:27−21:2参照

  このテキストは他の共観福音書にも記載されている記事であるが、マルコ、ルカの平行記事には「イエスはかわいそうに思って」という言葉がない。マタイだけがこの物語においてイエスの深いあわれみを記している[15]。ここでもスプランクニゾマイはイエスの心の動きを表わす言葉として用いられている。イエスの目に映ったものは、「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」と叫び立てて懇願する、道ばたにすわっていた2人の目の見えない人であった。イエスは立ち止まって彼らを呼び、「わたしに何をしてほしいのか。」と言われた。彼らは「主よ。この目をあけていただきたいのです。」とイエスに言った。この言葉を聞かれた時、イエスはスプランクニゾマイという言葉で表現される心からのあわれみを抱かれ、熱心にイエスに懇願する彼らの目にさわられ、そして彼らの目を開いて下さったのである。

 E・シュヴァイッアーはこのイエスの憐れみが「わたしたちを憐れんで下さい」という典礼的叫びに対応していることを指摘する。また、イエスに用いられているこの言葉は、旧約聖書の比較的おそい部分でよく使われる言葉で、それがダビデの子について述べられているのは、ここにおいてのみであるとコメントしている[16]。

マルコの福音書におけるスプランクニゾマイ 

*マルコ1:41

ひとりのらい病人の信仰による嘆願に応えられ、癒しをもたらすスプランクニゾマイ イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」マルコ1:41

  マルコ1:40−2:1参照

 ここでもスプランクニゾマイは、イエスの心の動きを表現するために用いられている。イエスの目に映ったものは、イエスのもとに来てひざまずいて嘆願するひとりのらい病人であった。彼は「お心一つで、私はきよくしていただけます。」と信仰をもってイエスに願った。当時、らい病人に触れればその人も汚れると考えられていた。しかしイエスは、あえて彼にさわられた。それは、イエスがその病人に対して心の底から揺り動かされるほどの深いあわれみを持っていた表われであると考えられる。なお森彬は、前後の文脈を含めたこのテキストに、以下のような集中構造があることを指摘している。この構造においても、スプランクニゾマイが用いられている節が核になっている。森はここでスプランクニゾマイに言及し、この語を「腸まで揺り動かされる」という激しい感情であるとしている[17]。

<イエスの教えといやし> マルコ1:16−2:17  Aイエスの召命に従った4人の漁師たち

  B教えたもうイエス

   Cイエスの教えに驚く人々

    Dイエスの命令で出て行く悪霊

     Eイエスの権威(新しい教え)

      F熱病で寝たままのシモンの姑

       G病人たちをイエスの所に連れて来た人々

        H戸口に集まった町中の人々とイエスのいやし

         I寂しい所へ出て行くイエス

          J「出て行って宣べ伝えよう」

           K清められることを願うらい病人

            Lイエスの深いあわれみと按手(核)

           K‘らい病人を清めたもうイエス

          J‘出て行って言い広める者

         I‘寂しい所にとどまるイエス

        H‘戸口にまであふれる人々とイエスの宣教

       G‘中風の者をイエスの所に連れてきた人々

      F‘中風で寝たままの男

     E‘イエスの権威(罪の赦し)

    D‘イエスの命令で出て行く中風の者

   C‘イエスのいやしに驚く人々

  B‘教えたもうイエス

A‘イエスの召命に従った徴税人レビ

*マルコ6:34(参照マタイ14:14)

羊飼いとしてのイエスの、失われていた羊に対する深い愛を表わすスプランクニゾマイ

イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。  マルコ6:34   マルコ6:29−45参照

  ここでもスプランクニゾマイはイエスの心の動きに対して用いられている。イエスと弟子たちは人々の出入りが多くて、ゆっくり食事する時間さえなかったので、舟で寂しい所へ行って、しばらく休もうと試みていた。しかし群衆は、舟に乗ったイエスを徒歩で追いかけてきたのである。イエスの目に映った羊飼いのいない羊のような多くの群衆によって、スプランクニゾマイで表現される心の底からあわれみが湧き上がった。そしてイエスは神の言葉によって、群衆を養われたのである。

*マルコ8:2(参照マタイ15:32)

空腹の群衆を見られたイエスの口から、弟子たちに対して出たスプランクニゾマイ

「かわいそうに、この群衆はもう三日間もわたしといっしょにいて、食べる物を持っていないのです。 マルコ8:2

  マルコ7:31−8:10参照

 異邦人の地で、大ぜいの人の群れが集まっていたが、食べる物がなかったので、人々は3日も何も食べていない状態であった。6:34−44の場合は、その日一日、しかもその日の夕方に食べ物がなかった場合であるが、ここでは3日間も食べ物がなかったのである。この点で、5000人の給食と異なる。イエスは群衆の痛みを感じることが出来ない弟子たちを呼んで、愛の働きへとチャレンジされた。

*マルコ9:22

イエスに対しての不信仰な祈りの中で用いられたスプランクニゾマイ

この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。」 マルコ9:22   マルコ9:14−9:32参照

<てんかん息子のいやし> マルコ9:9−32

A復活・受難告知と弟子の無理解

 B解決策を求めての論争

  C弟子の無能力(父親の言葉の中で)

   D地に倒れる息子

    E悪霊による発作のため転げまわる息子

     Fたびかさなる悪霊の脅威

      G「おできになるなら、…お助けください」(←ここでスプランクニゾマイ

       H信仰に不可能なし(イエスの答え)(核)

      G‘「信仰のないわたしをお助けください」

     F‘「二度と入るな」(悪霊に対するイエスの叱責)

    E‘悪霊による発作のため死んだようになる息子

   D‘立ち上がった息子

  C‘弟子の無能力(彼ら自身の問い)

 B‘祈りこそ解決の秘訣(イエスの答え)

A‘受難・復活予告と弟子の無理解

  マルコ9:22においては、汚れた霊を追い出してもらうための嘆願の祈りの中で、この言葉が使われている(マタイ17:15ではエレオスが使われている)。スプランクニゾマイは、イエスに対しての懇願の言葉の中に用いられている。しかし、その願いは「ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで(スプランクニゾマイ)、お助けください。」という非常に不信仰な願いであった。これは弟子たちが癒すことができなかったのを見て、失望していた時に出た父親の言葉であると考えられる。しかしイエスはそれに対して、「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」と叱責される。これがこのテキストの核、中心主題になっている。するとすぐに、その子の父は「信じます。不信仰な私をお助けください。」とイエスに叫んだ。イエスはその後、汚れた霊を追い出されるという御業をなさった。森彬はこのテキストにおいても、上記のような集中構造があることを指摘するとともに、「信仰は祈りであり、祈りは力である」という命題をここから汲み取っている[18]。

ルカの福音書におけるスプランクニゾマイ

*ルカ7:13

ひとり息子の死を嘆き悲しんでいるナインのやもめを見た時のイエスの思い―死を打ち破るスプランクニゾマイ

主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい。」と言われた。 ルカ7:13   ルカ7:11−7:23参照

 イエスと弟子たちは、ナインという町の門に近づかれた。すると、やもめとなった母親のひとり息子が、死んでかつぎ出されたところであった。町の人たちが大ぜいその母親につき添っていた。そこでイエスの目に映ったものは、ひとり息子に先立たれ、やもめとなって出棺に立会い、嘆き悲しんでいるナインの母親の涙であった。ここでスプランクニゾマイは、ひとり息子の死に嘆き悲しんでいるナインのやもめを見られたときに、イエスが持たれた、はらわたが震えるほどの深いあわれみを語っている。主はその母親に、「泣かなくてもよい。」と言われ、死んだ息子を生き返らせる奇跡を行われたのである。榊原康夫はこの個所に用いられているスプランクニゾマイについて、以下のようなコメントをしている。

『<かわいそうに思う>は腸を揺り動かされること。死の問題はある意味では死ぬ本人よりも愛する者に先だたれる遺族の心にあるから(→創世記44:22、競汽爛┘襭隠検В械魁法⊆腓里笋發瓩紡个垢觀磴靴て云陲和腓な福音である。主が来れば<泣かなくてもよい>(汽謄汽蹈縫隠粥В隠外焚次。 <棺に手をかけられると>、普通なら自分自身汚れた者となる(民数19:11)』[19]

*ルカ10:33(ルカ10:25−37)

良きサマリヤ人のたとえ:強盗に襲われた敵の隣人になった動機 ―(民族間の・神と人との間の)敵意の壁を打ち破るスプランクニゾマイ

ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、 … ルカ10:33   ルカ10:25−37参照

たとえが語られた背景  このたとえが語られた背景は、ある律法学者がイエスをためそうとして「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」という質問によって始まる。それに対して、イエスは「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」と言われた。すると彼は「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」と模範解答を答えたのである。それに対してイエスは「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」言われた。しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とは、だれのことですか。」と逆にイエスに問い掛けるのである。

  おそらく彼には、隣人を限定し自分の好きな人々ということにするなら、自分は隣人を愛しているという自負があったと思われる。「では、私の隣人とは、だれのことですか。」という質問に対して、イエスは良きサマリアのたとえを語ることによって答えられたのである。イエスがこのたとえを彼に語った理由は、彼に憐れみによって生きてないことを悟らせ、神の憐れみによって永遠のいのちに生きるように招くためであったと思われる。森彬が指摘している、このたとえにおける集中構造を以下に示す[20]。

<集中構造―良きサマリア人のたとえ> ルカ10:25−37 A「何をしたら…?」(律法学者の問い)

 B隣人愛

  C「隣人とはだれですか」

   D奪う者

    E傷つける者

     F行き過ぎる者

      G到来し、深くあわれむサマリア人(核)(←スプランクニゾマイ

     F‘近寄る者

    E‘介抱する者

   D‘差し出す者

  C‘「だれが隣人になったと思うか」

 B‘慈悲深い行い

A‘「同じようにしなさい」(イエスの答え)

たとえの内容 10:30 イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。…  エルサレムからエリコまでは距離約27キロメートル、高低差約1200メートルの行程である。岩の多い下り坂が続き、強盗がよく出没したことから、別名「血の道」と呼ばれていたほどの難所で、この道は今でも危険である。

  ここでエルサレムからエリコへ下る道で強盗に襲われた人は、ユダヤ人であったと考えられる。そこに三人の人が順番に通りかかった。一人目は祭司、二人目はレビ人、そして三人目はサマリア人であった。祭司とレビ人は同じユダヤ人の同胞を見たが、目をふさいで反対側を通り過ぎていった。しかし、あるサマリヤ人は、強盗に襲われた人の隣人になったのである。サマリア人とは、ユダヤ人とは敵対関係にあった民である。ユダヤ人にとって、サマリア人は隣人とは思えない存在であった。榊原康夫はこの個所で、サマリア人とユダヤ人との関係について触れつつ、以下のようなコメントをしている。

『<サマリヤ人>は混血の「外国人」(17:18)だからユダヤ人の「隣人」規定に含まれないのに、ユダヤ人の隣人になり、「宿屋の主人」(35)にも被害者をあなたの隣人だと言って押しつけず、「帰り」まで自分の隣人として扱い通す。サマリヤ教団はエルサレム祭司階級の血統問題(ネヘミヤ13:28)から分裂した異端教団なので、「祭司」「レビ人」が最も敵視していた。』[21]   このたとえでは驚くべきことに、このユダヤ人とは民族的に敵対関係にあったサマリア人が、ユダヤ人が倒れているのを見て、心の底から揺り動かされ(スプランクニゾマイ)、応急処置をし、宿屋に連れて行って介抱したのである。次の日、このサマリア人は、宿屋の主人にお金を払って倒れていた人を介抱してくれるように頼んで用事に出かけようとする。しかもその際、もっと費用がかかったなら、帰りに払うという約束までしたのである。

  ここでサマリヤ人は旅の途中であったが、そこに来合わせた状況であった。危険を冒して旅をしていた故に、とても大切な用事があっての旅であったと考えられる。ひまがあったわけではない。むしろ一刻も早く危険な所を通り過ぎたいという思いであったと考えられる。しかしこのサマリア人は、3つのものをその人のために割いた。すなわち時間、労力、お金である。なぜサマリヤ人はこれら3つのものを割いたのか?その理由をスプランクニゾマイは雄弁に語っていると思われる。

スプランクニゾマイについて(誰の何に対して用いられているか?) 10:33 ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、 10:34 近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。…

 10:33においてスプランクニゾマイは、サマリア人が旅の途中に、強盗に襲われて倒れているユダヤ人を見た時の心の動きを表わしている。新改訳では「かわいそうに思い」と訳されているが。しかし彼が、危険を犯して、時間、労力、お金を割き、彼を介抱する行動に移ることから、「心の底から揺り動かされるほどの憐れみに駆られて」というような意味であると考えられる。

  ここでスプランクニゾマイは、サマリア人が強盗に襲われた敵(ユダヤ人)の隣人になった動機そのものであると考えられる。それは民族間の敵意の壁を打ち破る情熱である。そして神と人との間の敵意の壁を打ち破る情熱でもあると考えられる。心の最も深いところから揺り動かされた時、その揺り動かされた心が愛の行動を生み出したのである。

イエス・キリストによって明らかにされた憐れみ深い神  ここで、イエス・キリストによって明らかにされた憐れみ深い神に思いを向けたい。イエス・キリストはこの愛と希望の無い、競争によって殺伐とした世に降りて来て下さり、飼い葉桶の中に生れて下さった。天地万物を創造された神が、私たちと同じ肉体を身にまとわれ、私たちと共に住んで下さるために異郷に赴いて下さったのである。イエス・キリストは強盗に襲われた人の傍らを祭司やレビ人が通り過ぎたように、その傍を通り過ぎることをなさらなかった。イエス・キリストによって明らかにされた憐れみ深い神は、神に敵対した結果、罪にまみれて倒れている私たち人間の隣人となってくださるために、多大な犠牲を払って仕えて下さる僕となって下さったのである。まず神が、私たちのために献身して下さったのである。神はそのような事実においてこそ偉大であり、また真の神はそのような仕える姿においてこそ真の神として現れ給うのである。ここにおいて、仕えられることを求める人間の高慢の映像である偶像の神々と、真の神との違いが最も明確になる[22]。

  そのイエス・キリストが私たちの罪の負債をすべて支払うために十字架に架かって下さった。そして、キリストは復活して今も生きておられ、わたしたちのためにとりなしの祈りをしてくださっているお方である。イエス・キリストは、今も私たちをごらんになって、深くあわれんでくださっているお方である。キリストがこのような行為をなして下さっている動機がスプランクニゾマイではないだろうか? 自分が憐れみによって生きていないことを自覚する者は、この神の憐れみを受け取ることができ、永遠のいのちに生きることが出来る。この律法学者は、ただ憐れみによってのみ生きることができ、ただそのようにしてだけ永遠の生命を受け継ぐ者になることができるということを知らなかったのである。しかし、神の憐れみによって生きることがもたらす結果は、敵をも愛する隣人になる生き方が出来るようになることである。キリスト者がこの地上に生かされている使命は祝福の基として他者のための存在として共に生きるということである。「あなたも行って同じようにしなさい。」というキリストの命令は私たちにも語られている。それは、敵意とすべての隔ての壁を越えて、私自身が隣人になり、共にあわれみ深く生きる生活をすることである。

*ルカ15:20(ルカ15:1−32)

ルカ15章のたとえ:父が遠くに帰ってきた放蕩息子を見つけた時の思い ―失われた息子を見出した父親の歓喜を表わすスプランクニゾマイ

こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。  ルカ 15:20   ルカ15:1−32参照

ルカ15章のたとえが語られた背景

 15:1―3節の文脈に、イエスがこのたとえを話されたきっかけが書かれている。またそこには、誰に対してイエスがこのたとえを語られたのかということも明記されている。

15:1 さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。 15:2 すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」 15:3 そこでイエスは、彼らにこのようなたとえ(単数形=一つのたとえ)を話された。

 取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして近寄って来たその時、それを見ていたパリサイ人、律法学者たちがイエスに「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」とつぶやいた。そうつぶやいたパリサイ人、律法学者たちに向かって、イエスは以下の3つのたとえ(羊のたとえ、銀貨のたとえ、息子のたとえ)を話されたのである。彼らはちょうどたとえの最後の部分に登場して父親を非難する兄息子のようである。彼らはイエスと共に喜べないでイエスを非難したのである。

たとえの内容

 一見するとルカ15章には、羊のたとえ、銀貨のたとえ、息子のたとえという3つのたとえが書かれているように見える。しかしこれら3つのたとえは関連した1つのたとえであると解釈することができる。たとえという単語(テン パラボレン)が単数形で書かれていること、3つのたとえがいずれも、パリサイ人や律法学者たちに対して語られていること、そして3つのたとえが以下のような共通点を持っていることが、このことを裏付ける根拠である。

3つのたとえ(羊のたとえ、銀貨のたとえ、息子のたとえ)は、以下のような共通点を持っている。

 1、3つの失われたもの(羊、銀貨、息子)

 2、3つの回復されたもの(いのち、価値、関係)

 3、3つの歓喜:失われたものが見つかることによってわき起こる非常な喜び    (天に、神の御使いたちに、父に)!

   神の前に失われたものが見つかること(回復されること)を非常に喜ばれる神!

 4、悔い改めて、イエスと共に喜ぶことへの3度の招き: 「恵みを知って、わたしといっしょに喜んで下さい!」

 しかし、3つのたとえはまったく同じことを語っているわけではなくそれぞれ以下の事柄に焦点をあてて記されていると思われる。羊のたとえではいのちの回復という側面、銀貨(ドラクマ)のたとえでは存在価値・使命(目的)の回復という側面、そして息子のたとえでは関係の回復(子どもとして下さること)という側面がそれぞれ強調されていると思われる[23]。今回は、スプランクニゾマイが用いられている放蕩息子の父のたとえに焦点をあてて考察する。

  おそらく救いという概念において、最も豊かな表現は、信仰によって「神の子どもとされる」ということではないかと考える。なぜなら神の子どもとされる時、そこには三位一体の神との関係の回復があり、神を「天のお父さん!」と呼ぶことの出来る身分とされ、神の持っている豊かなものをすべて共有することが出来、神に似た者とされていくからである。

 森彬が指摘しているように、このたとえには以下の二つの集中構造があると考えられる[24]。放蕩息子のたとえの中心は、明らかにスプランクニゾマイによって表現された父親の法外な愛である。

<集中構造1―放蕩息子の父のたとえ> ルカ15:11−32 A「あなたのものを私に」(弟が父に)

 B弟の家出

  C放尽

   D飢えに苦しむ弟

    E豚飼への零落と人々の冷遇

     F父へのざんげ(決意として)

      G父の所へ出かける子

       H息子を見つけて、深くあわれむ父(核)(←スプランクニゾマイ

      G‘走り寄る父

     F‘父へのざんげ

    E‘子としての復権と父の厚遇

   D‘「食べて楽しもう」(父が弟息子に)

  C‘蕩尽(兄が言及)

 B‘弟の帰還(兄が言及)

A‘「私のものはお前のものだ」(父が兄息子に)

<集中構造2―放蕩息子の兄> ルカ15:24−32 A生き返り、見つかった弟

 B開かれる祝宴

  C帰還した弟(これまで父と別居)

   Dほふらせた肥えた子牛

    E孝行息子(兄)

     F兄の不服の申し立て(核)

    E‘放蕩息子(弟)

   D‘ほふらせた肥えた子牛

  C‘兄(いつも父と同居)

 B‘開かれる祝宴

A‘生き返り、見つかった弟

スプランクニゾマイについて(誰の何に対して用いられているか?)

15:20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。 ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、 かわいそうに思い(スプランクニゾマイ)、走り寄って彼を抱き、口づけした。

 ここでスプランクニゾマイは、父が遠くに帰ってきた放蕩息子を見つけた時の思い、つまり失われた息子を見出した時の父親の歓喜を表わしていると考えられる。放蕩息子の父親に対して用いられたスプランクニゾマイは、前後の文脈に共通して見られる喜びという調べから、失われていた息子を見つけた時の心底からの歓喜を表現するという意味で、痛みではなく喜びのニュアンスを持つと理解したほうがよいと思われる。「走りよって彼を抱き口づけした」という父親のその後の行動からも、喜びのニュアンスを感じることができる。フィリップ・ヤンシーは、中東で立派な人物は決して走らず威厳を持って歩くということに言及し、このイエスの話の父親が、長い間いなくなっていた息子を迎えるために「走った」ことは、聴衆にとって息を飲むほどの衝撃であったことを指摘している[25]。

  ここに自由な赦しの愛により、再び子どもとして受け入れられる恵み・関係の回復を見ることが出来る。そして、先行する大きな父の愛・恵みを知る(体験する)ことが、息子を心からの悔い改め、罪の自覚と真摯な告白へと導いたと考えられる。放蕩息子の信仰による悔い改め(方向転換)が父の恵みを体験する鍵になっていることも見逃すことが出来ない事実である。

 以下にJ・シュニーヴァントによる、このテキストにおけるスプランクニゾマイについてのコメントを引用する。

『さて、かくして、息子は帰っていった。異国でかれを帰省にかりたてたもの、それは父の家の思い出であった。かれは父を心に思ったゆえに、あるがままの姿で、そのもとへとあえて帰っていったのである。かれがほんとうに帰ってゆく、まさにその時、かれに先立っていたのは父の愛である。父はただ息子を遠くから認めただけで、心をいためた。人はこのことばが物語りの一番初めにこなくてはならないと考えるかもしれない、「息子が父親からはなれてゆくとき、父は心をいためる」と。けれど、そこにはなくて、ここに、息子が帰ってきたところに初めて、このことばが語られている。ここでもやはり旧約のことばが思いおこされるのである。「わたしの心は彼をしたっている。わたしは必ず彼をあわれむ」(エレミヤ31:20:口語訳)、「わたしはしばしあなたを捨てたけれども、大いなるあわれみをもってあなたを集める」(イザヤ54:7:口語訳)と。ルターが「哀れに思った」(es jammert eihn)と訳した、憐れみについてのこのことばは、ヘブル語でもギリシャ語でも心の内奥が動かされることを意味している。まさに、神から迷いでたものの救いなき姿こそ、神の心を動かすのである。イエスのみことばにおいておなじことば(スプランクニゾマイ)が「ゆるさない僕のたとえ」(マタイ18:27)にもあらわれてくる。そこにもまた、負債をおった者にたいする王の憐みがしるされている。さらに福音書には、多くの個所で、イエスご自身の憐みを描くことばが用いられている。イエスは、民衆の困窮をごらんになり、彼らを飼う者なく、見すてられ散らされた羊の群れにたとえられ(マタイ9:36)、民のまた個々人の外的・内的な苦悩を抱擁されるのである(マルコ6:34、マタイ20:34、ルカ7:13)。それはイエスの憐みのなかに反映している神の憐である―そして、迷える者の苦悩のところを尊大ぶって通りすぎる敬虔な者たちには、まさにこの憐みがかけているのである。』[26]

  ここでJ・シュニーヴァントが指摘しているように、スプランクニゾマイという言葉は、息子が父のもとを去っていく時ではなく、あわれな姿で家に帰って来るのを見たときの父の心の動きとして語られている。これは、父のもとを去っていく時の父の心の内が、なすがままにさせる(引き渡す)という意味での怒りであったことを示唆しているように考えられる(ローマ1章参照)。「おやじ早く死んでくれ!」というような態度[27]で父親から相続財産を受け取り、家を出て行こうとする息子に、父親は「おまえの好きなように、勝手にしなさい!」という怒りの態度を持って引きとめることをしなかったと思われる。神は高ぶる者に対しては敵対し、へりくだる者には恵みとあわれみを注がれる方であることが、この文脈から理解できる。

まとめ

 ここで、共時的に見た新約聖書におけるスプランクニゾマイの用例の外観を以下のようにまとめる。

Mat 9:36 (⇔マルコ6:34) 羊飼いとしてのイエスの、失われていた羊に対する深い愛と宣教の情熱を表わすスプランクニゾマイ

Mat 14:14(⇔マルコ6:34) イエスの後を追ってくる病んでいる人々を癒すスプランクニゾマイ

Mat 15:32(⇔マルコ8:2) 空腹の群衆を見られたイエスの口から、弟子たちに対して出たスプランクニゾマイ

Mat 18:27 1万タラント(6千億円)の借金を赦す王のたとえ ―赦し難い罪の負債を徹底的に赦すスプランクニゾマイ

Mat 20:34 二人の目の見えない人たちの嘆願に応えて癒されるスプランクニゾマイ

  マタイの福音書において、この語は5回用いられている。1回は、イエスが話された1万タラント(6千億円)の借金を赦す王のたとえにおいて、要になる言葉として用いられている。そこでは、王が赦し難い罪の負債を徹底的に赦す動機としてスプランクニゾマイという言葉が使われている。他の4回は、羊飼いのいない羊のように弱り果て倒れている群衆の姿、イエスの後を追ってくる病んでいる人々の姿、飢え渇いている群集の姿、目の見えない人たちが必死に嘆願する姿を見られた時のイエス・キリストの心の動きを表現している。マタイ15:32において、イエスはその思いを直接弟子たちに対して語られた。

Mar 1:41 ひとりのらい病人の信仰による嘆願に応えられ、癒しをもたらすスプランクニゾマイ

Mar 6:34 羊飼いとしてのイエスの、失われていた羊に対する深い愛を表わすスプランクニゾマイ (⇔マタイ9:36、14:14)

Mar 8:2 (⇔マタイ15:32) 空腹の群衆を見られたイエスの口から、弟子たちに対して出たスプランクニゾマイ

Mar 9:22 イエスに対しての不信仰な祈りの中で用いられたスプランクニゾマイ

  マルコの福音書において、この語は4回用いられている。マルコ固有の記事としては、らい病人が嘆願する姿を見られた時のイエス・キリストの心の動きを表現しているスプランクニゾマイ(マルコ1:41)と、イエスに対しての不信仰な祈りの中で用いられたスプランクニゾマイ(9:22)が挙げられる。

Luk 7:13 ひとり息子の死を嘆き悲しんでいるナインのやもめを見た時のイエスの思い ―死を打ち破るスプランクニゾマイ

Luk 10:33 良きサマリヤ人のたとえ:強盗に襲われた敵の隣人になった動機 ―(民族間の・神と人との間の)敵意の壁を打ち破るスプランクニゾマイ

Luk 15:20 ルカ15章のたとえ:父が遠くに帰ってきた放蕩息子を見つけた時の思い ―失われた(死んでいた)息子を見出した父親の歓喜を表わすスプランクニゾマイ

  ルカの福音書において、この語は3回用いられているが、いずれもルカ固有の記事である。まず、ひとり息子の死を嘆き悲しんでいるナインのやもめを見た時のイエスの思いを表わす言葉としてスプランクニゾマイが用いられている。これはそのあと息子をよみがえらせる奇跡をなさったことから、死を打ち破るスプランクニゾマイということができる。あとの2回は良きサマリヤ人のたとえとルカ15章のたとえにおいて用いられている。それらのたとえの中で、スプランクニゾマイは強盗に襲われた敵の隣人になった動機として、また、父が遠くに帰ってきた放蕩息子を見つけた時の歓喜を表わす言葉として用いられている。いずれの場合もスプランクニゾマイは要となる決定的な言葉として用いられている。

 以上のように、この語はイエス・キリストにだけ用いられることによって、私たち人間の痛み・あわれみと類比した場合のキリストの痛み・あわれみの質的差異を主張し、イエスを絶対他者として提示している。そしてこの語の用いられている文脈では、その思いが、思いだけに留まらず、具体的な愛の行動として奇跡や癒しなどが行われたことが記されている。ここでは神の痛み・あわれみの超越性が主張されている。そして同時に、この語はイエス・キリストの最も深いところからの痛み・あわれみを表現している。ただし、ルカの15章において放蕩息子の父親に対して用いられたスプランクニゾマイは、前後の文脈に共通して見られる喜びという調べから、失われていた息子を見つけた時の心底からの歓喜を表現するという意味で、痛みではなく喜びのニュアンスを持つと理解したほうがよいと思われる。

 まとめると、スプランクニゾマイは、まさしく神の神性の内に含まれた神の受苦性を表現している言葉であると言える。イエス・キリストは地上で最も偉大な人間以上の、人間とは質的に異なった、天地万物を創造された無限の神であり、同時に私たちと同じ肉体を持たれ、一人のユダヤ人として私たちの間に住んで下さって、喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣いて下さった、本当の人間、神のかたちそのものであったと言える。

 スプランクニゾマイということばで表現される心の動きは受動的である。まず良き羊飼いである神から迷い出た人間の、救いなき姿がイエスの瞳の中に映り、その砕かれた望みなき姿こそが、イエスの心を心底からゆり動かしているのである。それは羊飼いのいない羊のように弱り果てて倒れている姿であり、強盗に襲われて道端に倒れている姿であり、返済不可能な莫大な負債を抱えてあわれみを乞う姿である。やみの中、死の影の地、涙の谷、砂漠を満たされることなくさまよう者たちの姿である。

2、通時的に見たスプランクニゾマイ ―世俗ギリシア語、後期ユダヤ文献、新約聖書におけるスプランクニゾマイ

 ここではスプランクニゾマイ、スプランクナというギリシャ語が、世俗ギリシア語においてどのような意味で用いらていたのか、また、後期ユダヤのギリシア語の文献において旧約聖書の言葉がどのように翻訳されているのかを通時的に見る。そのことによって、新約聖書におけるスプランクニゾマイの旧約聖書とのつながり、特にエレミヤ31:20においてはらわたわななくという表現とともに、深くあわれむの意味で用いられているヘブル語ラハムとの関係を見たいと思う。

  スプランクニゾマイを通時的に見た場合、あわれむ、かわいそうに思うといった隠喩(メタファー)的意味は、ユダヤ教の文献と新約聖書にしか見出すことが出来ない。スプランクニゾマイによるラハムの翻訳は70人訳においては実際に導入されていなかった、しかし後期のユダヤ人の文献(12族長の遺訓)において、明確に取り入れられた。そしてその用例は特に、ヘブル語における終末的な要素を保ち、疑いもなく新約聖書における用法のための直接的な前提である。

A、ギリシア語の用例

The New International Dictionary of New Testament Theology Editor:Colin Brown より以下私訳を記す

 ギリシア語には、あわれみを表す3つの異なった単語Eleos, oiktirmos, splanchnaがある。Eleosはあわれみを感じることを表す。Oiktirmosは他人の不運を見ることによるあわれみの叫び、感嘆を表す。そしてSplanchnaは感情の座、内臓あるいは今日ではおそらくハートと呼ばれるものを表す。ここでは特に、スプランクナとその語群についての用例に注目する。

Mercy, Compassion

splavgcna(スプランクナ):内臓、はらわた、腸、よって感情、心、愛の座。

splagcnivzomai(スプランクニゾマイ):あわれむ、あわれみを示す、同情する

 スプランクノンについて(ホメロス(B.C.8世紀)からたどって)、ほとんど完全に複数形で使われている。最初は内臓やはらわた(いけにえの動物の)を意味し、特に高価な部分、心臓、肺、肝臓を意味していた。しかし脾臓や腎臓をも意味していた。いけにえの動物を殺した後直ちに、それらは取り出され、焼かれ、いけにえの食事の最初に食されたので、この言葉はいけにえの食事そのものを指して使われるようになった。アイスキュロス(B.C.5世紀)以降は、スプランクナを人間の内臓、特に受胎と誕生の力の置かれている所としての男性の生殖器官や女性の子宮を指す言葉としても使っている。したがって子供たちが時々スプランクナと呼ばれ、エク・スプランクノンはその人自身の肉と血とからという意味である。

 腸は自然なパッション(怒り、落ち着かない願望、愛)のある所と考えられていたので、この言葉は心(感情や心の動きの器官としての)の象徴的意味、あるいは予感の感覚を持つようになる。最後にこの語はまさに愛情や愛を表すに至る。したがって、紀元前5世紀の文献において、この語はあわれみ、コンパッション、愛を意味する。

  この動詞の最古の形はスプランクネウオーで、内臓を食べる、内蔵によって予言することを意味する。後のスプランクニゾマイという形は、紀元前4世紀の世俗ギリシア語碑文において一度だけ用いられているだけで、同じ意味である。あわれむ、かわいそうに思うといった隠喩(メタファー)的意味は、ユダヤ教の文献と新約聖書にしか見出すことが出来ない。H.-H. Esser

Theological Dictionary of the New Testament(TDNT) Vol.VII  By EDITORS:GERHARD KITTEL,GERHARD FRIEDRICH より以下私訳を記す 1、 名詞

 初期のギリシアの文献において、この名詞はほとんどいつも複数形で用いられている。もともとこの単語はいけにえの内臓、(エウテラ、エグカタと区別されて)特に高価な部分、すなわち、心臓、肝臓、肺、腎臓を意味する。それらはいけにえから取り出され、いけにえを食する際、最初に関係者によって食される。このため、この単語はいけにえ自身を意味するようになる。5世紀から人類学的に、この言葉が人間の内臓を指して使われるようになる。…肝臓、肺、脾臓のようなそれぞれの部分はスプランクナと呼ばれる。最後に、人類学的な用語として、この語は特に、体の下部を表す力強い言葉である。特に出産の力の座としての子宮や腰部を意味する。この用法から派生して、子どもがスプランクナと表現されている記述が時折見られる。しかしこれは自立的なものではなく、内臓ということに深く関係して派生した意味である。

 転じた用法として、スプランクナは衝動的なパッション(例えば、怒り、切望した願い、愛といったもの)の座として見られる。この語は最終的に、転じた意味として、ほとんどheartと同じ意味を持つに至る。それは個人的な感情(feeling)、感受性(sensibility)の中心である。愛、憎しみ、勇気、恐れ、喜びと悲しみといった、より高尚な愛情の座としてのカルディアと比較した場合、スプランクナはより包括的な、あるいはしばしばよりあからさまな、力強いそして明白な用語である。

 ギリシア語の用法、少なくともキリスト教以前の時代においては、後期ユダヤ教や最初のキリスト教文章において見られるように、スプランクナが心からのあわれみの座として用いられている例を見ることは出来ない。発展したあるいは転じられた用法は見られず、スプランクナはあわれみそのものの意味では決して用いられていない。この荒削りな用語は、キリスト者の徳あるいは神的なふるまいを表現するためにはまったく適合しないように見られる。

2、 動詞

 動詞スプランクネウオーはいけにえの内臓のためのスプランクナの用法に基づいている。意味は(a)“いけにえの内臓を食べること”(いけにえの食事の際に)、(b)“内臓を占いのために用いること”である。世俗ギリシア語において、スプランクニゾーはKos(紀元前4世紀)に一度だけ(a)の意味で使われている。転じたこの語の意味はユダヤ教や初期のキリスト教文章以外では見つけることが出来ない。

3、 合成(複合)語

 ユダヤ教や初期のキリスト教文章の中に使われたこの語の合成語として、私たちは時折アスプランクノスだけを見ることが出来、キリスト教以前のギリシア文章ではエウスプランクニアを見つけることが出来る。ポリュ(エウ)スプランクノスは今までのところ、古典世界において見いだすことは出来ていない。アスプランクノスは“勇気のない”“力あるいは救済者なしで”(cf “no guts”)を意味する。エウスプランクニアは“大胆さ”(あるいはおそらく“度量の大きいこと、寛大”)を意味する。このように、他の合成語も何者かの“気性”と関連する。参照として、メガロスプランクノスは女魔法使いメディアの“抑えきれないプライド”を表し…。

  しかし、ポストクラシックの用法においては意味の変化が起こり、あわれみが勇気にとって変る可能性がある。… H. Koster

B、後期ユダヤの文献における用例

1、 70人訳(LXX) The New International Dictionary of New Testament Theology Editor:Colin Brown より以下私訳を記す  LXX(70人訳)には、この単語が名詞形で15回、動詞形で2回使われている。二回のみ、この単語の名詞はヘブル語の単語に訳すことができる。箴言12:10ではこの単語はラハミム(→エレオスOTとoiktirmos OT)、(ヘブル語で)あわれみ(mercy)を表し、箴言26:22ではbeten、内臓、はらわたを表す。残りのケースは2マカベヤや4マカベヤといった外典において、ヘブル語の原文はないが見られる。そこにおいて、腸(2マカベヤ9:5、4マカベヤ5:30、10:8)、母の愛(4マカベヤ15:22、29)、心(heart)(2マカベヤ9:6)といった意味を見ることができる。H.-H. Esser

Theological Dictionary of the New Testament(TDNT) Vol.VII  By EDITORS:GERHARD KITTEL,GERHARD FRIEDRICH より以下私訳を記す  この語の名詞(複数形のみ)と動詞は、70人訳において決して普通に見られるものではない。名詞はたいてい後の部分に制限されている。従って2、3の用例においてのみ、ヘブル語の同意語を参照できる。箴言12:10(ラハミム)、26:22…、Sir. 30:7 Syr. “heart”。他の12回の用例すべてにおいては、ヘブル語がないか、あるいはギリシア語がオリジナルである(こちらが通説)かどちらかである。

 動詞は箴言17:5(中態)と2マカベア6:8(能動態)にしか見られない。どちらの用例においてもヘブル語のオリジナルではない。従ってギリシア語におけるユダヤ人のスプランクナの用法に関して、70人訳によって旧約聖書のヘブル語的背景が何であるかを語ることは出来ない。70人訳において、通常ラハミムと同意の言葉はスプランクナではなく、オイクティルモイである。同様に70人訳において、ラハムの同意語はオイクティロー(新約においてはR.9:15における旧約からの引用のみ)またはエレオーであって、決してスプランクニゾマイではない。2マカベヤ6:8において、この語はいけにえのための用語である。…他の参照個所においてこの語の一般的な意味は「内臓」である。

  しかし、ときどきスプランクナが“感情の座”を意味する用法が見られる。この意味への移行が見られる一つは2マカベヤ9:5f.である。LXT 2 Maccabees 9:5f.(“耐えられない悲しみが彼の上に彼のはらわたに迫った”、“他の者の心”)。この関連において箴言26:22も参照する。“陰口をたたく者のことばは、おいしい食べ物のようだ。腹(スプランクナ)の奥に下っていく。”Sir.30:7:…

 少なくとも、さらに明確な用法のヒントが箴言の2つの個所に見られる。箴言12:10の(悪者のあわれみ(スプランクナ)は、残忍である。)はおそらくスプランクナを明白にあわれみがわき起こる座であると見なしていることを前提とする。70人訳の箴言17:5は、スプランクニゾマイ(中態)が現れる唯一の例であり、初めてこの動詞が“あわれみ深くあること”という意味で使われている。他の場合に転じた用例におけるスプランクナはただ“自然な感情”を意味する。4マカベヤ14:13ではこの語は“母の愛”を意味している。…終りに、アブラハムはこの感情の戦いのモデルとして明白に示されている。14:20,15:28。Wis. 10:5 においてもまた、アブラハムは… H. Koster

2、12族長の遺訓(Test.将供 The New International Dictionary of New Testament Theology Editor:Colin Brown より以下私訳を記す  Test.将供複隠佳可垢琉箏院Ц經ユダヤ文献)は顕著にあわれみ深い、あわれみを示すといった意味が含まれる最初の文献であり、名詞、動詞共に頻繁に用いられている。またここではスプランクナとスプランクニゾマイがそれぞれラハミムとラハムの代りにされており、新約聖書における用法のための備えを作り出している。(cf. Test.Zeb. 7:3; 8:2, 6 with 1QS1:21; 2:1; cf. H Koster, TDNT VII 552)。H.-H. Esser

Theological Dictionary of the New Testament(TDNT) Vol.VII  By EDITORS:GERHARD KITTEL,GERHARD FRIEDRICH より以下私訳を記す  総括的に12部族の遺訓における用例を見ると、スプランクナ、スプランクニゾマイ、エウスプランクノスは、70人訳において用いられていたオイクティルモイ、オイクティロー、オイクティルモーンに代って、完全に置き換えられているということを見ることができる。従ってそれらは、ヘブル語ラハミム、ラハム、ラフ―ムの新しい翻訳(a new translation)である。ヘセッドとラハミムという組み合わせは旧約聖書においてよく見られるが、12部族の遺訓においては、もはや70人訳で見られたエレオスとオイクティルモイ(ホセア2:21)ではなくエレオスとスプランクナである。 特に、スプランクナ エレウースという属格の組み合わせ(Test. Zeb. 7:3; 8:2,6)によって、後期ヘブル語における用例、すなわち死海写本における用例に戻って参照することができる。これはヘブル語の逐語的な翻訳である (1QS1:22、1QS2:1)。

 スプランクナによるラハミムの翻訳は70人訳においては実際に導入されていなかった、しかし後期のユダヤ人の文献において、明確に取り入れられた。そしてその用例は特に、ヘブル語における終末的な要素を保ち、疑いもなく新約聖書における用法のための直接的な前提である。このことは70人訳でよく用いられているオイクティルモイの語群が、なぜ新約聖書において非常にまれにしか見られないのかという理由を説明する。それはいくつかの初期のキリスト者の文献において、スプランクナの語群が、非常に明確にヘブル語ラハミムの感覚を表現しているからである。 H. Koster

C、新約聖書における用例

The New International Dictionary of New Testament Theology Editor:Colin Brown より以下私訳を記す NT1 ルカ1:78における用法は別として、共観福音書において、スプランクナ(名詞)とその形容詞の派生語を見つけることは出来ない。しかし共観福音書においてのみ、その動詞形を見つけることが出来る。

NT2 動詞スプランクニゾマイは次に示す2つのケースにおいて用いられている。

   (a)イエス・キリストの態度、感じ方において

   (b)3つのたとえ話の転換点における重要人物の行動において

(a)この単語の意味は、人々の必要の叫びを目にして“イエス・キリストの心は急激に締め付けられた”という逐語的な意味を超え、イエス・キリストのメシアニック・コンパッションを表している(cf.H. Koster, TDNT VII 554)。そのような例は以下の箇所に見られる。→嘆願するひとりのらい病人(マルコ1:41)、羊飼いのいない羊のような人々(マルコ6:34、マタイ14:14、またマルコ8:2、マタイ15:32も参照:“I have compassion(新改訳:かわいそうに)”と直接語っている)、12弟子を遣わす直前に、苦しめられ、疲れ果てている群衆(マタイ9:36)、イエスに懇願する2人の目の見えない人(マタイ20:34)、ひとり息子が死んで嘆き悲しんでいるナインのやもめ(ルカ7:13)。マルコ9:22においては、悪霊を追い出してもらうための嘆願の祈りの中で、この言葉が使われている!(マタイ17:15ではエレオスが使われている)

(b)以下の2つのたとえ話、すなわち、マタイ18:23−35の赦さないしもべのたとえ、そしてルカ15:11−32における放蕩息子のたとえにおいて、スプランクニゾマイは最も強いあわれみの感情(the strongest feeling of a merciful)(マタイ18:27)、あるいは最も強い愛の反応(loving reaction)(ルカ15:20)を表現している。そしてそれらのたとえ話において、スプランクニゾマイは物語の転換点を形成している。そして対照的に、どちらのケースにおいても、私たちはもっともな拒絶(righteous rejection)の極み(→怒り)の表現を見ることが出来る(マタイ18:34、ルカ15:28、 TDNT VII 554参照)。いずれのたとえ話においても、スプランクニゾマイは抑えきれない神の無限のあわれみを、あきらかに感じとれるように表現している。最初のたとえ話においては、致命的、決定的な怒りをも、私たちは見る。それは、あわれみを体験し続けているが、彼自身が無慈悲になることによって、そのあわれみを受けているという事実を拒んだしもべに対しての怒りである。

 良きサマリヤ人のたとえ(ルカ10:30−37)において、33節のスプランクニゾマイはあらゆる手段、時間、力、そしていのちを、危機的な状況において救助のために用いることをいとわない態度(the attitude of complete willingness)を表している。それは反対側を通り過ぎていくことと対照的である(31,31節)。見ることと、助けるために備えることは一つであるので、それはイエスご自身がそうであったように、eleos(37a)と呼ばれているこの一連の出来事のような行動に向かわせる。人間性と隣人愛は質ではなく、行動である(37節)。H.-H. Esser

Theological Dictionary of the New Testament(TDNT) Vol.VII  By EDITORS:GERHARD KITTEL,GERHARD FRIEDRICH より以下私訳を記す 1、 共観福音書におけるsplagcnivzomai Test. XII(→551,14ff.)における用法がここでも用いられている。しかし、イエスの語られた独創的なたとえ以外においては、人間に対して使われている用例はない。この語はいつでもイエスの態度を記述するために用いられており、彼の神性を特徴づけている。共観福音書以外においてこの動詞が用いられている初期のクリスチャン文章のひとつ、すなわちヘルマスの牧者においても、この語は神に対してだけ用いられている。→558,5ff. 最終的に、このsplagcnivzomaiという動詞はただ単に神に関する属性を表現するものとなった。

a.この動詞はイエスの3つのたとえにおいて中心的位置を占める。そしてここで、非常に明確に人間の特別な態度を示す。最初に記されるべきことは、その3つのうち2つのたとえではあるが、この人間の態度は究極的には神の国の到来の視点から詳細に説明するものとなる。ひどいしもべのたとえ(Mt.18:23-35)において、しもべは…と祈り(26節)、そしてその答を私たちは27節に読む:…。 H. Koster

スプランクニゾマイのヘブル語ラハムとの関連性について

 ここで、改めてエレミヤ31:20において「我が腸かれの為に痛む」と並行して用いられているラハムという動詞に注目したい。北森はこの語についてコメントしていないが、ラハムは子宮を意味する名詞レヘムあるいはラハムから派生した動詞で「あわれむ」という意味である。エレミヤ31:20において、このラハムという語は以下のように重ねて2回用いられている。

(WTT Jeremiah 31:20 参照)

 ここでレヘイムはラハムの不定詞の独立形(強意法)であり、強意語幹の能動態(piel形)である。さらにその直後に重ねて用いられている語は、同じくラハムの強意語幹の能動態(piel形)であるが、未完了形、1人称、両性、単数である。これに「彼を」を意味する3人称男性単数の接尾辞がついている。

 ここではラハムが強調形で重ねて用いられることによって非常に強調され、「私は必ず深くあわれむ!いや、私は彼をあわれまずにはおれないのだ!」というようなニュアンスの言葉になっていると考えられる。このようなニュアンスはまさに平行してその直前に記されている「我が腸かれの為に痛む」と同じニュアンスを持つ言葉であると言える。従って、このラハムというヘブル語はギリシア語スプランクニゾマイと同じニュアンスを持った言葉であると言える。12部族の遺訓における翻訳の用例も、このことを確証づける強力な根拠となる。ヘンリー・J.M.ノーエン[28]、J・シュニ―ヴァント[29]、らもこのことを指示している。

 けれども新約聖書において、スプランクニゾマイによって、キリスト中心的に神の心が語られているのを見る時、エレミヤ31:20における「我が腸かれの為に痛む」という表現のニュアンス、また、同じテキストにおいて強意形で重ねて用いられているヘブル語ラハムの持つ「深くあわれまずにはおれない、必ずあわれむ」という言葉のニュアンスを、さらに豊かにまた雄弁に語っていると考えられる。

  なお、エレミヤ31:20の前の文脈を見ると、このように神の心を深いあわれみへと揺り動かしたものが何であったのかが記されている。

わたしは、エフライムが嘆いているのを確かに聞いた。『あなたが私を懲らしめられたので、くびきに慣れない子牛のように、私は懲らしめを受けました。私を帰らせてください。そうすれば、帰ります。主よ。あなたは私の神だからです。私は、そむいたあとで、悔い、悟って後、ももを打ちました。私は恥を見、はずかしめを受けました。私の若いころのそしりを負っているからです。』と。 エレミヤ31:18−19

  これは自らの高ぶり、偶像礼拝、背信によって神の怒りの懲らしめを受けたエフライムが、砕かれた魂、砕かれた悔いた心をもって、自分の罪を嘆いているのを聞いたときに主なる神の心の底から生じた動きであった。このことについても北森はコメントをしていない。 ラハミム(ラハム)とヘセッドについて  ラハムの名詞形ラハミムというヘブル語はヘセッドと組み合わせて用いられることが多い。以下にラハミム(ラハム)とヘセッドの違いを、レオン・モリスの著書『愛―聖書における愛の研究』から引用する。ヘセッドは相応しくない者と一方的に結んだ恵みの契約に対する誠実である。しかしラハミム(ラハム)は、契約を破り、裏切った相手に対する愛であると言える。本来ならば、相手が契約を破った故に、裏切られた者には相手に誠実を尽くし続ける何の義務もない。しかしラハムは、ただ恵みによって、悔いた裏切り者を自由に赦す驚くべき愛である。

『ラハミムが用いられるときには、ヘセッドの場合のように義務に対する忠誠という意味あいは含まれていない(2)。ヘセッドは普通、対応する義務(おそらく契約)との関係を含むように思われる。それゆえ、W・アイヒロットは、その語[ラハミム]は「いかなる義務によっても喚起されない愛の全く自然な表現(3)」を指すと主張している。  この用語が用いられるとき、「愛」の意味内容は、それが特に悩みや窮乏のうちにある人々に対する愛であるにもかかわらず、表面的である。だが、これで全部というわけではない。なぜなら、この語はすべての人に対する神の愛を記述するためにも用いられているからである―事実、それは、すべての被造物に対する神の愛を指している。「主はすべてのものに恵みを与え、造られたすべてのものをあわれんでくださいます」(詩145:9)と言われている。この愛には限界がない。そして、神のあわれみは神のすべての被造物に及んでいる。(4)この用語は、さらに限定された意味において、ヤハウエとイスラエルの結婚の「結納」の決定的な要素である。すなわち、「わたしはあなたと…いつくしみとあわれみとをもってちぎりを結ぶ」(ホセ2:19)と言われている。N・グレックは、ラハミムは「ヘセッドの境界を越える」と注釈している。彼は、「ヘセッドは契約に対する誠実であり、ラハミムはゆるす愛である(5)」と言って、両者の対照をいっそう簡潔にしている。名詞は全部で三九回用いられているが、そのうちの二七回が神に言及するために、そして、わずかに一二回が人間に言及するために用いられている。この種の愛は特に神(LORD)に特有なものであり、その用語は、神の恵みが豊かであることを強調するために用いられている。

 これに対応する動詞ラハムも、全く同じ仕方で用いられている。この語に固有な訳は「あわれむ」(出33:19、など)であり、ヤハウエとの関連が、名詞の場合よりもいっそう明らかに認められる。四九回出てくるうち四十回も、主が、慈愛、あわれみ、愛を示し給うことについて語っている。形容詞ラフムは、語根を同じくする他の語ほど頻繁には用いられていない(全部で一三回出てくる)。それは常に神について語るために用いられている。それは普通、恵みの思想と関連づけられている(一一回)。そのことは、「主よ、あなたはあわれみと恵みに富む」(詩86:15―この節はさらに神のヘセッドについて語っており、これはこの形容詞が用いられている他の個所にも見られる現象である)とある通りである。悩みのうちにある者に対する神の恵み深い愛という思想は、旧約聖書の重要な要素である。』[30]


[1] カール・バルト『神の人間性―カール・バルト著作集3』、363頁

[2] J・シュニ―ヴァント『NTD 別巻 マタイの福音書』、257頁

[3] ウイリアム・バークレー『聖書注解シリーズ マタイ福音書上』、ヨルダン社、385頁

[4] 増田誉雄『新聖書注解 新約1』、いのちのことば社、1973年、118頁

[5] 加藤常昭『加藤常昭説教全集7 マタイによる福音書2』、ヨルダン社、1990年、479−481頁

[6] 増田誉雄『新聖書注解 新約1』、135頁

[7] J・シュニ―ヴァント『NTD 別巻 マタイの福音書』、393頁

[8] 加藤常昭『加藤常昭説教全集8 マタイによる福音書3』、393−395頁

[9] 集中構造については、ヨルダン社から刊行されている森彬の『聖書の集中構造上―旧約篇』(1991年)と『聖書の集中構造下―新約篇』(1994年)を参照

[10] 国語大辞典(新装版)小学館 1988

[11] 鈴木英昭『神の国への招き−たとえ話のこころ』、いのちのことば社、1999年、216−221頁を参照した

[12] 河野勇一『神学概論−東海聖書神学塾・基礎科(組織神学部門)』、1997年度改訂第二版、58−61頁参照

[13] J・ジースラー、森田武夫訳『パウロの福音理解−オックスフォード聖書概説シリーズ』、ヨルダン社、146−147頁参照

[14] D・ジェームズ・ケネディ、『拡大する伝道プログラム』、日本EE推進委員会、1995年、55頁

[15] J・シュニ―ヴァント『NTD 別巻 マタイの福音書』、454頁参照

[16] E・シュヴァイッアー『NTD マタイの福音書』、548頁

[17] 森彬『聖書の集中構造下―新約篇』、ヨルダン社、1994年、25−28頁

[18] 森彬『聖書の集中構造下―新約篇』、32−35頁

[19] 榊原康夫『新聖書注解 新約1(ルカの福音書)』、347頁

[20] 森彬『聖書の集中構造下―新約篇』、60−63頁

[21] 榊原康夫『新聖書注解 新約1(ルカの福音書)』、365頁

[22] カール・バルト、井上良雄訳『教会教義学 和解論機殖押)佑箸靴討亮イエス・キリスト<上>』、6−7頁参照

[23] 河野勇一『神学概論−東海聖書神学塾・基礎科(組織神学部門)』、53-54頁参照

[24] 森彬著、聖書の集中構造下―新約篇、ヨルダン社、1994年

[25] フィリップ・ヤンシー、山下章子訳『だれも知らなかった恵み』、いのちのことば社、1998年、87−88頁

[26] J・シュニーヴァント『放蕩息子』、新教出版社、55−56頁

[27] フィリップ・ヤンシー『だれも知らなかった恵み』、87頁参照

[28] ヘンリー・J.M.ノーエン共著『コンパッション―揺り動かす愛』、女子パウロ会、1994年、25−26頁

[29] J・シュニ―ヴァント『放蕩息子』、新教出版社、1961年、55-56頁

[30] レオン・モリス『愛―聖書における愛の研究』、教文館、1989年、106-107頁

総括

 北森嘉蔵は『神の痛みの神学』において、預言者エレミヤの聞いた「我が腸かれの為に痛む」という神の言葉(エレミヤ31:20)によって、福音の心を神の痛みとして見た。これは自らの高ぶり、偶像礼拝、背信によって神の怒りの懲らしめを受けたエフライムが、砕かれた魂、砕かれた悔いた心をもって、自分の罪を嘆いているのを聞いたときに主なる神の心の底から生じた動きであった。

 カール・バルトは、キリスト中心的に神学を続ける歩みの中で、神の神性の内に含まれる「神の人間性」を見た。このことは、『神の人間性』においてはっきりとアクセントをつけて語られた。「神の人間性」は、神を憐れみの行為(共に苦しむこと)へと揺り動かす故に「神の受苦性」とも言える。バルトは絶対他者としての神の神性の中に、この神の人間性、神の受苦性を見た。

 共観福音書に記されているイエス・キリストに目を向け、エレミヤ31:20の「我が腸かれの為に痛む」と同じ響きを持つスプランクニゾマイというギリシア語に注目することによって、キリスト中心的な『神の痛みの神学』を試みた。

 共時的に見たスプランクニゾマイは、イエス・キリストに対してだけ用いられており、まさしく神の神性の内に含まれた神の人間性を表現している言葉であると言える。イエス・キリストは地上で最も偉大な人間以上の、人間とは質的に異なった、天地万物を創造された無限の神であり、同時に私たちと同じ肉体を持たれ、一人のユダヤ人として私たちの間に住んで下さって、喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣いて下さった、本当の人間、神のかたちそのものであったと言えるのではないか。

 スプランクニゾマイということばで表現される心の動きは受動的である。まず良き羊飼いである神から迷い出た人間の、救いなき姿がイエスの瞳の中に映り、その砕かれた望みなき姿こそが、イエスの心を心底からゆり動かしているのである。それは羊飼いのいない羊のように弱り果てて倒れている姿であり、強盗に襲われて道端に倒れている姿であり、返済不可能な莫大な負債を抱えてあわれみを乞う姿である。やみの中、死の影の地、涙の谷、砂漠を満たされることなくさまよう者たちの姿である。

 スプランクニゾマイを通時的に見た場合、あわれむ、かわいそうに思うといった隠喩(メタファー)的意味は、ユダヤ教の文献と新約聖書にしか見出すことが出来ない。スプランクニゾマイによるラハムの翻訳は70人訳においては実際に導入されていなかった、しかし後期のユダヤ人の文献(12族長の遺訓)において、新しい翻訳として明確に取り入れられた。そしてその用例は特に、ヘブル語における終末的な要素を保ち、疑いもなく新約聖書における用法のための直接的な前提である。

 新約聖書において、イエス・キリストに対してだけ用いられたスプランクニゾマイの持つニュアンスは、エレミヤ31:20における「我が腸かれの為に痛む」という表現のニュアンス、また、同じテキストにおいて強意形で重ねて用いられているヘブル語ラハムの持つ「深くあわれまずにはおれない、必ずあわれむ」という言葉のニュアンスをさらに豊かにまた雄弁に語っていると考えられる。スプランクニゾマイによって、キリスト中心的に神の痛む心、また歓喜がさらに雄弁に、豊かに語られている。それはただ恵みによって、悔いた裏切り者を自由に赦し、和解へと招く驚くべき愛である。

 『神の痛みの神学』のキリスト中心的理解によって、より具体的に、また明確に「神の痛み」の認識が可能となる。具体的、また明確な「神の痛み」の認識が、「人の痛み」が持つ壁を破る力となる。

結論

1、砕かれた人間の姿によって心の底から揺り動かされる神

 預言者エレミヤの聞いた「我が腸かれの為に痛む」という神の言葉(エレミヤ31:20)によって、福音の心を神の痛みとして見た。また同じテキストに重ねて用いられているラハムも「彼をあわれまずにはおれようか。私は彼を必ずあわれむ」というニュアンスであった。そして、これらの言葉によって表現される神の心の動きは、自らの高ぶり、偶像礼拝、背信によって神の怒りの懲らしめを受けたエフライムが、砕かれた魂、砕かれた悔いた心をもって、自分の罪を嘆いているのを聞いたときに、主なる神の心の底から生じた動きであった。

 スプランクニゾマイということばで表現される心の動きも受動的である。まず良き羊飼いである神から迷い出た人間の、救いなき姿がイエスの瞳の中に映り、その砕かれた望みなき姿こそが、イエスの心を心底からゆり動かしているのである。それは羊飼いのいない羊のように弱り果てて倒れている姿であり、強盗に襲われて道端に倒れている姿であり、返済不可能な莫大な負債を抱えてあわれみを乞う姿である。それは、やみの中、死の影の地、涙の谷、愛のない砂漠、荒れ野を満たされることなく、自分勝手にさまよう罪人たちの姿である。

2、イエス・キリストによって明らかにされた「絶対他者」であり「痛む神」

 スプランクニゾマイは、イエス・キリストにだけ用いられることによって、私たち人間の痛み・あわれみと類比した場合のキリストの痛み・あわれみの質的差異を啓示している。そして同時に、この語はイエス・キリストの最も深いところからの痛み・あわれみを表現している。ただし、ルカの15章において放蕩息子の父親に対して用いられたスプランクニゾマイは、前後の文脈に共通して見られる喜びという調べから、失われていた息子を見つけた時の心底からの歓喜を表現している。

 そしてこの心の底からの動きが、イエスを具体的な愛の行動へと揺り動かしている。これが神を受肉と受難(COMPASSION)へと向かわせる神の大いなる情熱(PASSION)であり、和解によってあくまでも私たち人間と共に生きようとする動機である。

 スプランクニゾマイは、まさしく神の神性の極みとしての神の人間性(受苦性)を表現している言葉である。イエス・キリストは地上で最も偉大な人間以上の、人間とは質的に異なった、天地万物を創造された無限の神である。しかし同時に、イエス・キリストは私たちと同じ肉体を持たれ、一人のユダヤ人として私たちの間に住んで下さった人間である。イエス・キリストは喜ぶ者と共に喜び、痛む者と共に痛んで下さった、本当の人間、神のかたちそのものであったと言える。イエス・キリストによって明らかにされた真の神は、人間とは質的には異なるという意味で「絶対他者」であるが、私たちのために仕え、痛んで下さる恵み深い神である。スプランクニゾマイによって、キリスト中心的に神の痛む心、あわれむ心、喜ぶ心が雄弁に、豊かに語られている。それはただ恵みによって、悔いた裏切り者を自由に赦し、和解へと招く驚くべき愛である。

 『神の痛みの神学』のキリスト中心的理解によって、より具体的に、また豊かに「神の痛みに基礎づけられた愛」の認識が可能となった。この具体的、また豊かな「神の痛み」の認識が、私たち人間を心の底から揺り動かす。そして、この「神の痛みに基礎づけられた愛」への共鳴が、私たちを本当の意味で神を神として愛することへと促す。そしてこの揺り動かす愛が、私たちが持っている痛みの感受性を引き上げ、私たちが互いに愛し、赦し、隣人となって共に生きる原動力となる。

3、キリスト者の生活における苦難の積極的意味−神の苦難へのチャレンジ

 新約聖書においてスプランクニゾマイが用いられている用例を見ると、以下のような苦難への招き、チャレンジが語られていると考えられる。これらはいずれもキリスト者の生活における苦難の積極的意味を提示している。

 赦す苦難、他者の為に生きる苦難、共に喜ぶ苦難、他者のために祈る苦難、信仰の苦難と表現したのは、キリストの愛に揺り動かされて、本気でキリストの命令に従おうとする時、しばしば葛藤や苦痛、困難を感じるチャレンジである故である。キリストは「自分の十字架を負ってわたしについて来なさい。」と言われる。このキリストに従う歩みとは、キリストの苦しみの欠けたところを満たすことに他ならない。苦しむこと、自己否定が目的(ゴール)ではない。しかし、苦難を通して、人間性がその極み(真の人間であるイエス・キリスト)の身丈まで成長すると私は確信する。

 これらの苦難の積極的な意味は、これらの御言葉に従うことを通して、私たちがイエス・キリストのように変えられるというところにある。それは、ちょうどアブラハムの生涯に見られるような、本当に私たち自身が全世界の祝福の基として他者のために存在する教会、キリスト者となるためであると考えられる。福音宣教の使命に生きる教会として、ともに公同のキリストのからだである世界教会のキリストの身丈まで成長していきたいと願わされている。

1、 赦し(あわれみ)による和解への招き

  一万タラントの借金(罪の負債)を十字架によって赦された者として、 隣人を赦し、和解の務めに生きる苦難へのチャレンジ

Mat 18:27 1万タラント(6千億円)の借金を赦す王のたとえ        ―赦し難い罪の負債を徹底的に赦すスプランクニゾマイ Mat 18:27 しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。 Mat 18:33 私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。

2、 良き隣人となることへの招き

  良き隣人キリストに助けられた者として、他者のために生きる苦難へのチャレンジ   (自ら造ったの壁を超えて、憐れみ深く共に生きること) Luk 10:33 良きサマリヤ人のたとえ:強盗に襲われた敵の隣人になった動機 ―(民族間の・神と人との間の)敵意の壁を打ち破るスプランクニゾマイ

Mat 15:32(⇔マルコ8:2) 空腹の群衆を見られたイエスの口から、弟子たちに対して出たスプランクニゾマイ

Mar 8:2 (⇔マタイ15:32) 空腹の群衆を見られたイエスの口から、弟子たちに対して出たスプランクニゾマイ

Mar 6:34 羊飼いとしてのイエスの、失われていた羊に対する深い愛を表わすスプランクニゾマイ (⇔マタイ9:36、14:14)

Luk 7:13 ひとり息子の死を嘆き悲しんでいるナインのやもめを見た時のイエスの思い ―死を打ち破るスプランクニゾマイ

Luk 10:33-37 ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、 自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。 『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」 するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」

Luk 6:36 あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたもあわれみ深い者となりなさい。

 

3、悔い改めと喜びへの招き

  信仰によって神の愛を体験した者として、共に喜ぶ苦難へのチャレンジ Luk 15:20 ルカ15章のたとえ:父が遠くに帰ってきた放蕩息子を見つけた時の思い ―失われた(死んでいた)息子を見出した父親の歓喜を表わすスプランクニゾマイ

Luk 15:20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。 ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、 走り寄って彼を抱き、口づけした。

Luk 15:31 父は彼に言った。『おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。

Luk 15:32 だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。 いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」

4、祈りによる宣教の情熱への招き

  他者の為に祈る苦難へのチャレンジ Mat 9:36 (⇔マルコ6:34) 羊飼いとしてのイエスの、失われていた羊に対する深い愛と宣教の情熱を表わす スプランクニゾマイ

Mat 9:36 また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。

Mat 9:37-38 そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」

5、信仰への招き

  信仰の苦難へのチャレンジ Mat 14:14(⇔マルコ6:34) イエスの後を追ってくる病んでいる人々を癒すスプランクニゾマイ

Mat 20:34 二人の目の見えない人たちの嘆願に応えて癒されるスプランクニゾマイ

Mar 1:41 ひとりのらい病人の信仰による嘆願に応えられ、癒しをもたらすスプランクニゾマイ

Mar 9:22 イエスに対しての不信仰な祈りの中で用いられたスプランクニゾマイ

Mat 14:13-14 イエスはこのことを聞かれると、舟でそこを去り、自分だけで寂しい所に行かれた。 すると、群衆がそれと聞いて、町々から、歩いてイエスのあとを追った。イエスは舟から上がられると、多くの群衆を見られ、 彼らを深くあわれんで、彼らの病気を直された。

Mat 20:29-34 彼らがエリコを出て行くと、大ぜいの群衆がイエスについて行った。すると、道ばたにすわっていたふたりの盲人が、イエスが通られると聞いて、叫んで言った。「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」そこで、群衆は彼らを黙らせようとして、たしなめたが、彼らはますます、「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」と叫び立てた。すると、イエスは立ち止まって、彼らを呼んで言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」彼らはイエスに言った。「主よ。この目をあけていただきたいのです。」イエスはかわいそうに思って、彼らの目にさわられた。 すると、すぐさま彼らは見えるようになり、イエスについて行った。

Mar 1:40-42 さて、ひとりのらい病人が、イエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。「お心一つで、私はきよくしていただけます。」イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」すると、すぐに、そのらい病が消えて、その人はきよくなった。

Mar 9:22-24 この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。」するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」

謝辞

 この卒業論文を書くにあたり、いつも笑顔をもって私を支えてくれた妻敦子にまず感謝をしたい。また、私をここまで育てて下さった父泰造と母瞳に、また妹紅理にも感謝をする。また親族の方々にも感謝をする。

 私が現在所属している日本同盟基督教団・豊橋ホサナキリスト教会の森川昌芳牧師夫妻、阿部起士牧師夫妻、田中秀之牧師夫妻、阿部真和師、ケアン宣教師、また役員の方々、スタッフの方々、教会員の方々、青年会、ファミリー、豊橋技術科学大学・聖書研究会の卒業生と在学生の兄弟姉妹に心から感謝する。特に、豊橋ホサナキリスト教会の兄姉は、この4年間、私を教会献身者として受け入れて下さり、祈りと尊い捧げ物によって私を支え、東海聖書神学塾に送り出して下さった。またアルバイトをさせて頂いた竹下電気設備商会の兄姉にも心から感謝をする。また、神学生として私のことを祈りに覚え、学びを支えて下さった、東海地区を中心とする諸教会、またCCC、KGKの兄弟姉妹にも心から感謝をする。

 そして、本論文の執筆に関して、特に御指導を頂いた河野勇一師に感謝する。また、私が受講したクラスにおいて、手弁当で教鞭をとって下さった鈴木健之師、後藤喜良師、末松隆太郎師、ブルッテル・モニカ師、エミー・ミュラー師、富沢誠治師、水上勲師、入川達夫師、兼松一二師、渡辺睦夫師、川口一彦師、隈上正敏師、村上久師、安村仁志師、黒川知文師、明田勝利師、吉永真師、赤坂泉師、杉山明師、小峰明師、相馬伸郎師、橋谷英徳師、鍛治勉師、服部真光師、岡本伸之師、服部滋樹師ら、そして羽鳥純二塾長に心から感謝する。

 また、羽鳥泰樹師、野田英敏師、野田喜裕師、湯沢英房師、森澤伸次師、井森隆司師、神明宏師、鴨下直樹師、小岩井健師、佐野泰道師、吉田和郎兄、馬場茂寿兄、林栄人兄、荒川善久兄、河合昭雄兄をはじめとする東海聖書神学塾の卒業生と在塾生にも心より感謝する。また、『横浜上野町教会よりアジアの中の日本にある基督教徒に送る手紙』を送って下さった横尾茂安兄にも感謝する。

 たくさんの方々の励ましと祈りによって、これからの伝道・牧会のために必要な学びと訓練の時を持たして下さったことに心から感謝をする。そして何よりも、私に永遠のいのちを与えるために、十字架に架かって死んで下さり、復活され、世の終りまでもいつも共にいてくださる、恵みとまことに富んでおられる主イエス・キリストの三位一体の神に、心から感謝と賛美とすべての栄光を捧げる。

栄光在主

A.D.2000年2月25日

豊橋ホサナキリスト教会・東田チャペルにて

野町 真理

参考文献

 ここでは、本文中に脚注という形で引用した文献に加えて、参考にした文献を項目ごとに挙げる。なお、本論文中の聖書テキストは文語訳を除いてJ・BIBLE 1stと2nd(日本コンピュータ聖書研究会)及びBible Works4.0(HERMENEUTIKA)から引用した。

北森嘉蔵に関する文献

日本基督教団千歳船橋教会『「神の痛み」の60年−北森嘉蔵牧師記念誌』、1999年

北森嘉蔵『ガラテヤ人への手紙講解説教』、教文館、1999年

ジョアンナ&アリスター・マグラス『自分を愛することのジレンマ(THE DILEMMA OF SELF-ESTEEM)』、いのちのことば社、1996年

北森嘉蔵『日本人と聖書』、教文館、1995年

A.リチャードソン/J.ボウデン編、佐柳文男訳『キリスト教神学事典』、教文館、1995年

井上良雄『戦後教会史と共に1950−1989』、新教出版社、1995年

佐藤敏夫『キリスト教神学概論』、新教出版社、1994年

宮本威『神の痛みの神学を読む』、キリスト新聞社、1993年

中島修平『ホスピスの窓から−産みの痛みの神学』、キリスト新聞社、1993年

中島修平、中島美知子『福音主義神学16「実践的神義論をめざして:痛みの神学的解釈と牧会的応用−末期癌性痛を中心として」』、日本福音主義神学会、1985年

北森嘉蔵『憂いなき神―聖書と文学』、講談社学術文庫、1991年

J.モルトマン『二十世紀神学の展望』、新教出版社、1989年

北森嘉蔵『神の痛みの神学』、講談社学術文庫、1986年

『新教コイノニア3 日本のキリスト教とバルト』、新教出版社、1986年

E.S.ゲルステンベルガー/W.シュラーゲ、吉田泰/鵜殿博喜訳『苦しみ(Leiden)』、ヨルダン社、1985年

H.G.ペールマン、蓮見和男訳『現代教義学総説』、新教出版社、1982年

北森嘉蔵『自乗された神』、日本之薔薇出版社、1981年

北森嘉蔵以外による神の受苦性に関しての文献

J.モルトマン、沖野政弘訳『今日キリストは私たちにとって何者か』、新教出版社、1996年

A.リチャードソン/J.ボウデン編、『キリスト教神学事典』、教文館、1995年

中島修平『ホスピスの窓から−産みの痛みの神学』、キリスト新聞社、1993年

J.モルトマン、土屋清訳『組織神学論叢1 三位一体と神の国 神論』、新教出版社、1990年

寺園喜基『バルト神学の射程』、ヨルダン社、1987年

E.S.ゲルステンベルガー/W.シュラーゲ、吉田泰/鵜殿博喜訳『苦しみ(Leiden)』、ヨルダン社、1985年

H.G.ペールマン、蓮見和男訳『現代教義学総説』、新教出版社、1982年

エバハルト・ユンゲル、大木英夫・佐藤司郎訳『神の存在−バルト神学研究』、ヨルダン社、1984年

ヘルムート・ティーリケ、大崎節郎訳『主の祈り−世界を包む祈り』、新教出版社、1962年

カール・バルトに関する文献

カール・バルト、小川圭治・岩波哲男訳『世界の大思想33 ローマ書講解(第2版)』、河出書房新社、1969年

カール・バルト、井上良雄訳『教会教義学 和解論機殖院]族鯱世梁仂櫃般簑蝓戞⊃袈欺佝納辧1959年

カール・バルト、井上良雄訳『教会教義学 和解論機殖押)佑箸靴討亮イエス・キリスト<上>』、新教出版社、1960年

カール・バルト、井上良雄訳『教会教義学 和解論機殖魁)佑箸靴討亮イエス・キリスト<中>』、新教出版社、1960年

カール・バルト、井上良雄訳『教会教義学 和解論機殖粥)佑箸靴討亮イエス・キリスト<下>』、新教出版社、1961年

カール・バルト、井上良雄訳『地上を旅する神の民−バルト「和解論」の教会論』、新教出版社、1990年

カール・バルト、鈴木正久訳『キリスト教倫理供欷鬚錣蠅砲ける自由』、新教出版社、1964年

カール・バルト、井上良雄訳『啓示・教会・神学/福音と律法』、新教出版社、1960年

カール・バルト、寺園喜基訳『神の人間性―カール・バルト著作集3』、新教出版社、1997年

カール・バルト、加藤常昭訳『福音主義神学入門―カール・バルト著作集10』、新教出版社、1968年

カール・バルト、天野有訳『キリスト教的生機戞⊃袈欺佝納辧1998年

カール・バルト、天野有訳『キリスト教的生供戞⊃袈欺佝納辧1998年

カール・バルト、佐藤敏夫訳『バルト自伝』、新教出版社、1996年復刊第1刷

エバーハルト・ブッシュ、小川圭治訳『カール・バルトの生涯』、新教出版社、1989年

富岡幸一郎『使徒的人間―カール・バルト』、講談社、1999年

大木英夫『人類の知的遺産72 バルト』、講談社、1984年

大島末男『人と思想75 カール=バルト』、清水書院、1986年

『新教コイノニア3 日本のキリスト教とバルト』、新教出版社、1986年

寺園喜基『バルト神学の射程』、ヨルダン社、1987年

吉永正義『受肉と聖霊の注ぎ−バルト神学とその特質供戞⊃袈欺佝納辧1992年

エバハルト・ユンゲル、大木英夫・佐藤司郎訳『神の存在−バルト神学研究』、ヨルダン社、1984年

日本的思惟・罪責告白に関する文献

大内三郎、土肥昭夫、堀光男、柏井創編纂、『日本基督教団史資料集 第2篇 戦時下の日本基督教団(1941〜1945年)』、日本基督教団出版局、1998年

土居健郎『「甘え」の構造』、弘文堂、1971年

太田和功一『アジアのキリスト者とともに』、いのちのことば社、1986年

井戸垣彰『このくにで主に従う―日本人とキリストの福音』、いのちのことば社、1985年

井戸垣彰『日本の教会はどこへ―戦前・戦中・戦後の教会の姿』、いのちのことば社、1992年

井上良雄『戦後教会史と共に1950−1989』、新教出版社、1995年

日本同盟基督教団・横浜上野町教会役員会一同、『横浜上野町教会よりアジアの中の日本にある基督教徒に送る手紙』、1995年2月26日

渡辺信夫『教会が教会であるために 教会論再考』、新教出版社、1992年

渡辺信夫『今、教会を考える』、新教出版社、1997年

リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー、永井清彦訳『荒野の40年―ヴァイツゼッカー大統領演説(岩波ブックレットNO.55)』、岩波書店、1986年

J.モルトマン『二十世紀神学の展望』、新教出版社、1989年

スプランクニゾマイ、ラハムに関する文献

Editor:Colin Brown, ”The New International Dictionary of New Testament Theology”

Editors:GERHARD KITTEL, GERHARD FRIEDRICH, “Theological Dictionary of the New Testament(TDNT) Vol.VII”, EERDMANS

Horst Balz, Gerhard Schneider, ”EXEGETICAL DICTIONARY OF THE NEW TESTAMENT(EDNT) Vol.1-3”, EERDMANS

森彬『聖書の集中構造上―旧約篇』、ヨルダン社、1991年

森彬『聖書の集中構造下―新約篇』、ヨルダン社、1994年

ヘンリー・J.M.ノーエン共著『コンパッション―揺り動かす愛』、女子パウロ会、1994年

レオン・モリス『愛―聖書における愛の研究』、教文館、1989年

加藤常昭『加藤常昭説教全集7 マタイによる福音書2』、ヨルダン社、1990年

加藤常昭『加藤常昭説教全集8 マタイによる福音書3』、ヨルダン社、1991年

J・シュニ―ヴァント『NTD 別巻 マタイの福音書』

E・シュヴァイッアー『NTD マタイの福音書』

ウイリアム・バークレー『聖書注解シリーズ マタイ福音書上』、ヨルダン社

増田誉雄『新聖書注解 新約1(マタイの福音書)』、いのちのことば社、1973年

山口昇『新聖書注解 新約1(マルコの福音書)』、いのちのことば社、1973年

榊原康夫『新聖書注解 新約1(ルカの福音書)』、いのちのことば社、1973年

鈴木英昭『新聖書講解シリーズ3 ルカの福音書』、いのちのことば社、1983年

J・シュニ―ヴァント『放蕩息子』、新教出版社、1961年

鈴木英昭『神の国への招き−たとえ話のこころ』、いのちのことば社、1999年

A.M.ハンター、吉田信夫訳『イエスの譬えの意味』、新教出版社、1982年

河野勇一『神学概論−東海聖書神学塾・基礎科(組織神学部門)』、1997年度改訂第二版

J・ジースラー、森田武夫訳『パウロの福音理解−オックスフォード聖書概説シリーズ』、ヨルダン社

D・ジェームズ・ケネディ、『拡大する伝道プログラム』、日本EE推進委員会、1995年

国語大辞典(新装版)小学館、1988年

その他

R.ボーレン、加藤常昭訳『憧れと福音』、教文館、1998年

D.ボンヘッファー、森平太訳『ボンヘッファ−選集3 キリストに従う(NACHFOLGE)』、新教出版社、1975年

D.ボンヘッファー、森野善右衛門訳『共に生きる生活』、新教出版社、1975年

ヘンリー・J.M.ノーエン、太田和功一訳『いま、ここに生きる』、1997年

フィリップ・ヤンシー、村瀬俊夫訳『痛むキリスト者とともに』、いのちのことば社、1996年(改題発行)

フィリップ・ヤンシー、山下章子訳『神に失望した時』、いのちのことば社、1996年

フィリップ・ヤンシー、山下章子訳『だれも知らなかった恵み』、いのちのことば社、1998年