Yokohama Bay 横浜港大桟橋埠頭

Yokohama Bay

横浜の大桟橋埠頭は歴史的な場所です。日本同盟基督教団の礎となった最初の宣教師たちも、日本を愛する情熱と夢と使命に押し出され、多大な犠牲を払って、ここに降り立ちました。国外宣教は私たちの救いの原点であり、日本の教会の原点です。

ますます英語力などが必要となる時代

11年ほど前に作られたプレゼンテーションですが、ますます英語力などが必要となっている時代に私たちは生かされています。

怒りや憎しみに支配されているあなたへ

最近外に出ると、キレて怒りを爆発させている人々に多く出会います。怒りや憎しみに支配されているあなた!ぜひこの歌を聴いてください!そしてキリスト教会にぜひ来てください!等身大のあなたを、神は愛しておられます!

IN GOD’S HANDS(イン・ゴッズ・ハンズ)

ジョーズ(JAWS)という言葉には、以下の3つの意味がある。

1、1975年公開のアメリカ映画。
2、英語で「顎」(あご)という意味。
3、アメリカ合衆国ハワイ州のマウイ島の東側の沖に発生する、世界でも最大級のうねり。

JAWS(ジョーズ)と呼ばれる伝説のビッグウエーブに、命をかけて挑戦していくトップ・プロサーファーたちのドラマ、IN GOD’S HANDS(イン・ゴッズ・ハンズ)。スタントなし、本物のサーファーたちが主役を演じる素晴らしい映画です。死という問題も真っ向から取り上げています。

実は私、愛知県豊橋市にいた時、ある方の勧めでサーフィンをほんの少しだけ体験したことがあります。遠州灘にはサーフィンができるいい波が打ち寄せているのです。立つことが出来ず、ボディボードのようにしか乗れませんでしたが、ザビエル野町というあだ名と共に、波乗り牧師と呼ばれたこともあります。

今は、主イエス様の大宣教教育命令に従って、主なる神が起こされる世界最大級のうねり、JAWSに乗って、JapanとAsiaとWorldに仕えるServant、波乗り牧師を目指します。

世界最大級の波、JAWSに乗ってワールドミッションサーフィンをするためには、情熱と共に、熟練技術が必要不可欠である。

自ら波を作ろうなどと不可能なことに力を注ぐと、徒労に終わる。

労苦奮闘しても、熟練技術を身につける努力を怠っているなら、大波が来ても、乗ることが出来ず、波に呑まれてしまう。

伝道者の書に「もし斧が鈍くなったとき、その刃をとがないと、もっと力がいる」と記されている通り。

JAWSに乗る、すなわち、日本(Japan)と、アジア(Asia)と、世界(World)に仕えるしもべ(Servant)となるためには、聖書通読、聖霊に満たされ続ける祈り、礼拝する日常、聖書研究といった、日々の地道な訓練によって、体力、気力、バランス感覚、霊的判断力などを磨き上げなければならない。

P.S.杉戸にはRADIXというサーフショップがあります。

真のセキュリティ

真のセキュリティ

所有欲・物欲が、人生のすべて(人生のゴール・目的)となってしまう場合があります。もっと所有できたとしたら、もっと幸せになれ、もっと偉くなれ、もっと安全(セキュリティ)を得ることが出来るといった考えは、ウソです。一時的な幸せしか、所有物(モノ)はもたらしてくれないのです。

なぜなら既に得たモノは古くなっていくので、やがて私たちはそれらに飽き、もっと新しいもの、もっと大きいもの、もっと良いバーションのものを、次に欲しがることになるからです。

もっと所有できれば、もっと偉くなれるという考えも、根拠の無い神話です。あなたの値打ちは、あなたが所有しているモノによっては、決まらないのです。神は言われます。人生において最も価値あるものは、モノではないと。

お金に関する最も共通の神話は、もっとお金持ちになれば、もっと安全になれるというものです。でもそうではありません。富はコントロールすることの出来ない様々な要因によって、すぐに失われ得るものです。

真のセキュリティは、決してあなたから奪うことの出来ないただ一つのものの中にしか見出すことは出来ません。それはあなたに与えられている神との関係です。

THE PURPOSE DRIVEN LIFE(WARREN)「人生を導く5つの目的(リック・ウォレン)」より

三浦綾子さんの小説、「塩狩峠」の中で紹介される遺書と遺言

三浦綾子さんの小説、「塩狩峠」の中で紹介される遺書と遺言

主人公の父、永野貞行の遺書と遺言

「人間はいつ死ぬものか自分の死期を予知することはできない。ここにあらためて言い残すほどのことはわたしにはない。わたしの意志はすべて菊が承知している。日常の生活において、菊に言ったこと、信夫、待子に言ったこと、そして父が為したこと、すべてこれ遺言と思ってもらいたい。わたしは、そのようなつもりで、日々を生きて来たつもりである。とは言え、わたしの死に会って心乱れている時には、この書も何かの力になることと思う。

一、信夫は永野家の長男として母に孝養を尽し、妹を導き、よき家庭の柱となって欲しい。

一、ただし、立身出世を父は決して望んではいない。人間としての生き方は、母に学ぶがよい。

一、信夫は、特に人間として生まれたということを、大事に心に受け止めて、真の人間になるために、格別の努力を為されたい。

一、わたしは菊の夫とし、信夫、待子の父として幸福な一生であった。それはすべて神が与えたもうたからである。

一、父の死によって経済的に困窮することがあるとしても、驚きあわてないこと。必要なものは必ず神が与えたもう。

一、わたしの葬儀は、キリスト教式で行われたい。

以上、このごろ時々疲れを甚だしく覚えるので、万一の為に記して置く。

貞行

一月十四日

菊殿

信夫殿

待子殿」

自分の日常がすなわち遺言であるような、そんなたしかな生き方。

常に死を覚悟して生きて来た姿。

聖書の中に記されたJesusのリビング・ウイル

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」…ヨハネ13:34-35