プログレッシブ・ロックというジャンルに入れられているアラン・パーソンズ・プロジェクトの曲に、このGenesis Ch. 1 Vs. 32という曲がある。
聖書を見ると、創世記1章は31節までしかない。そしてそこには、造られたすべてのものは非常に良かったという記述がある。どうやらその後の世界の様子を、この曲は奏でているようだ。
現実のこの世の中を見渡すなら、まさにこの曲に表現されているような悲愴感、無常感、恐れとおののき、不安と戦慄がある。
今日も日本に何人かの宣教師たちが遣わされている。彼らが日本に来た大きな動機は、日本の自殺者の多さに対する驚きと痛みである。毎日90名前後の方々が自らいのちを絶っている異常な国。それがこの国の現実だ。統計に出てこない部分や自殺未遂者を含めると、これは氷山の一角だ。
また、小さないのちを守る会が真剣になって取り組んでいる性に対する正しい教育と啓蒙活動。それがどうしても必要なのは、この国の中で、生まれて来る前に葬られていく恐ろしい数の小さないのちがあるからだ。
人工妊娠中絶によって闇に葬られている小さないのちは、日本で年間30万弱と言われている(2006年度厚生労働省発表では276,352件)。出生数と比べると、だいたい3人の赤ちゃんが母の胎に宿ったら、そのうち1人しか生まれ出でることが出来ない。産ぶ声をあげることもなく、赤ちゃんが闇に葬り去られている。出生前DNA検査がこれに拍車をかけている。 「お母さんぼくを殺さないで!」・・・声なき声をあげて小さないのちは泣き叫んでいる。 人命軽視と虐待はここから始まっている。
また、狭い日本から目を世界に向けると、平均すると1分間に約17人、1日に25,000人、1年間に1,000万~1,500万人の人々が飢えで死んでいる。世界中から食料を輸入し、余ったものを捨てている日本の現状が問われている。この問題に関しては、日本国際飢餓対策機構が真剣に取り組んでいる。
かつて森総理は「日本は天皇を中心とした神の国である」と発言した。その思想と日の丸・君が代のもとに、どれほどの暴虐が行われ、どれほどの血が流されたのか。韓国、台湾、フィリピン、インドネシア、中国、シンガポール、タイ、ビルマ(ミャンマー)、マレーシアといったアジア諸国の方々の痛みや、沖縄の方々の痛み、在日の方たちの痛みをまったく感じることができないようだ。
日本同盟基督教団105周年記念大会 -横浜宣言-
第二次大戦における日本の教会の罪責に関する私たちの悔い改め
それがまさに、この曲が奏でている現実である。
なぜこの国は、このように夢も希望もない国になってしまったのか。
なぜこの世界は、そのように壊れ逝くのか。
その理由は、創世記3章にはっきりと記されている。
その原因は、・・・神を神としない私に、そしてあなたにある。
善悪の知識の木の実を食べるということは、神を善悪の絶対的基準とすることを止めて、自分を善悪の基準・ものさしとして生きること、つまりそれは、自分を神として、自己中心に自分勝手に生きることだ。聖書はそれを罪と言っている。
自己中心に自分勝手に長さが変わるものさし。人をはかる時には厳しいものさしになり、自分をはかる時には甘いものさしになる。自分にとって都合の悪い人が悪人になり、自分にとって都合の良い人が善人になるものさし。これを持って生活するとどうなるか。
・・・地球の上に夜が来る。
しかし、天地万物を統べ治めておられる主なる神は、やがて8日目の朝を迎えさせてくださる。