教会形成の目指すべきゴール

以前、寺田由弘・ジンジャー宣教師を迎えての国外宣教研修会において教えられ、さらに河野勇一師を迎えての伝道懇談会においても教えられたことがあります。

それは、教会形成(伝道、牧会、宣教)の目指すべきゴールです。

まずは一番パーソナルな、個人伝道というレベルで考えてみましょう。ある人に祈りつつ福音を語って伝道する時、伝える側の責任は、いつ終わるのでしょうか。相手がバプテスマを(洗礼)を受けた時点で導いた人の責任が終わると考えやすいのですが、そうではありません。導かれた人が別の人を導くところまでフォローアップ&フォロースルーし、導かれた人を通して新たに救われる魂が起こされる時、はじめて導いた側の責任が終わると考えるのがより聖書的です。

教会形成というレベルでも同様のことが言えます。新しく生み出した教会を、自立するところまで導けばゴールと考えられやすいのですが、そうではないのです。新しく生み出した教会を自立させ、さらにはその教会が新しく教会を生み出すところまで涙と祈りをもって育て上げる。その教会から新しく直接献身者が起こされるまでフォローする。さらには、その教会から宣教師が派遣されるまで養い育てる。その時はじめて、教会開拓、教会形成のゴールにまで導いたということになり、産みの苦しみをした母教会の責任が終わると考えるのがより聖書的です。

それを英語で言うと、Reproduction。一言で言えば、教会形成(伝道、牧会、宣教)の目指すべきゴールは、再生のサイクルを形成するということです。

中野教会にて関東宣教区講壇交換メッセージ「目的志向の人生」

中野教会

中野教会にて関東宣教区講壇交換メッセージ「目的志向の人生」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ルカ福音書11章1-13節
今年の関東宣教区講壇交換は、中野教会で奉仕させていただきました。感謝。

礼拝メッセージ「真実な共同体」

礼拝メッセージ「真実な共同体」

聖書箇所:使徒の働き4章32-5章11節

そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちとに、非常な恐れが生じた。使徒の働き5章11節

信じた者の群れ(教会)は、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていました。

地所や家を持っている者はそれを売り、代金を携えて来て、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられました。そのため彼らの中には、ひとりも乏しい者がいませんでした。

ところがアナニヤは、妻のサッピラとともにその持ち物を売り、妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置きました。

即座にいのちを取られたほどに重い、アナニヤ夫婦の罪とは何でしょうか?アナニヤ・サッピラ夫婦の罪とは、ふたりだけで心を合わせつつも、兄弟姉妹とは心と思いを一つにしていなかった罪です。

それは、本当に困っている兄姉がいるのを見ても心が痛まず、他の兄姉が厳しい経済状況の中で助け合って生きているのに、偽ってでも、自分たちだけはリッチな生活をし続けようとする自己中心の罪でした。