礼拝メッセージ「普通の人を用いる神」

礼拝メッセージ「普通の人を用いる神」

聖書箇所:使徒の働き4章1-22節

彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。使徒の働き4章13節

神に豊かに用いられたペテロとヨハネ。ふたりは、無学な、普通の人でした。

ペテロは主イエスに呼ばれるまで漁師でした。彼は一番弟子であると自負していましたが、鶏が鳴くまでに3度、受難の主イエスを否みました。しかし先行する主イエスのとりなしの祈りによって、彼は涙の中から立ち直り、兄弟たちを力づける者に変えられていきました。

ヨハネも主イエスに呼ばれるまで漁師でした。彼は「ボアネルゲ」(「雷の子」の意)と呼ばれたほどに、短気で激しい性格の持ち主でした。しかし主イエスの愛によって、やがて彼は「愛の使徒」に変えられていきました。

ふたりはかつて、主イエスとともにいました。そしてふたりは、いつも主イエスとともにいました。無学な、普通の人が、神に豊かに用いられた秘訣がここにあります。

復活され、今も生きておられる主イエスは、現代を生きる私たちにも『見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』と語っておられます。

礼拝メッセージ「邪悪な生活からの救い」

礼拝メッセージ「邪悪な生活からの救い」

聖書箇所:使徒の働き3章17-26節

神は、まずそのしもべを立てて、あなたがたにお遣わしになりました。それは、この方があなたがたを祝福して、ひとりひとりをその邪悪な生活から立ち返らせてくださるためなのです。」使徒の働き3章26節

生放送や生演奏等をライブと言います。ライブとは、生きているなまの状態であり、躍動するいのちです。緊張感の中でいきいきと輝き、元気はつらつの状態。それがライブです。

大変興味深いことに、英語においてライブ(LIVE)を反対から綴ると、悪を意味する言葉(EVIL)になります。ライブ(LIVE)をひっくり返したものが悪(EVIL)だとすると、「悪とはいのちを奪い、元気を奪うものである」と定義できます。

「あなたがたひとりひとりが、いのちや元気を奪う邪悪な生活をしている」と聖書は告発します。しかし続けて聖書は、「驚くばかりの恵みによって、人の悪が、人を生かし元気づけることのできるライブに変えられる」と福音を宣べ伝えています。

あなたから有害な毒のようなものをすべて取り除き、あなたをいきいきと生かす。その時、人々に元気を与え、人々を生かすことのできるライブな人としてあなたが生かされる。それが、ひとりひとりをその邪悪な生活から立ち返らせてくださる神の祝福です。

礼拝メッセージ「金銀はないがあるものを」

礼拝メッセージ「金銀はないがあるものを」

聖書箇所:使徒の働き3章1-16節

すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、・・・使徒の働き3章6節

美しの門と呼ばれる門の前で、毎日のように施しを求める男がいました。この男は、生まれつき足を動かすことが出来ず、一度も自分の足で立ったり歩いたりしたことがありませんでした。

男はペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、いつものように施しを求めました。ペテロはヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい」と言いました。

男は、当然何かもらえると思って、ふたりに目を注ぎました。男が期待したのは金銀程度でした。しかし男は、期待を遙かに超えた素晴らしいギフトを、上からいただくことができ、自由にされたのです。

一度も力を入れることが出来なかった男の両足が、完全に強められ、自分の足でまっすぐに立ち、歩いたりスキップができるようになりました。

人々は、ペテロが自分の力とか信仰深さによって男を歩かせたかのように見つめました。しかしペテロはすべての栄光を主イエス・キリストにお返ししました。主イエス・キリストによって与えられる信仰。このキリスト信仰にこそ、真の自立支援があります。

礼拝メッセージ「父を用いられる神」

09 Father's Day

礼拝メッセージ「父を用いられる神」

聖書箇所:ヘブル人への手紙12章1-13節

すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。ヘブル人への手紙12章11-12節

父というのは、山の稜線の急峻な岩肌に、しがみつくようにして立っている大きな木のようです。

稜線は山々における馬の背のような部分ですから、いつも風や雨の当たりが強く、しばしば落雷がある所です。しかしどこにも逃げ場はなく、まさに矢面です。そんな過酷な所に、父は立ち続けなければならないのです。

ですから父の一週間は、まるで懲らしめを受け続けるかのような毎日です。週末になる前に、「やってられない今日この頃!」と叫びたくもなるでしょう。

しかし上記のみことばは、そのような苦しみの中に置かれている父、そして私たちに対する、天の父からの語りかけです。

天の父なる神は、地上の父たちに平安な義の実を結ばせようとしておられます。天の父なる神は、地上の父たちを豊かに用いて、やがて矢面に立ち、明日の家族と社会を背負って立つ子どもたちを、将来に備えて育成されるのです。

Trees like Father

礼拝メッセージ「愛の共同体」

礼拝メッセージ「愛の共同体」

聖書箇所:使徒の働き2章42ー47節

そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。使徒の働き2章42節

教会とは、神によって呼び集められたキリスト信者一人一人のことです。生み出された教会は、使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていました。教会は、そのようにして形成され、愛の共同体とされました。

使徒たちの教えとは、主イエス・キリストの教えです。ヨハネ福音書13章34-35節にその要約があります。『…わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。』

交わりとは絆を意味します。パン裂きとはキリストの愛を覚える聖餐式を意味します。

神との絆が回復する時にだけ、隣人との絆も回復します。そして人は、お金、モノ、仕事、自己実現よりも絆を大切にし、一緒に食事をし、語り合い、共に生きる交わりを喜びとする者に変えられます。

自分さえよければ他人はどうなってもかまわないと思っている人が、そのような人に新しく造り変えられる。これこそ神のなさる美しい奇跡です。

礼拝メッセージ「悔い改めなさい」

礼拝メッセージ「悔い改めなさい」

聖書箇所:使徒の働き2章22ー41節

「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」使徒の働き2章38節

聖霊に満たされたペテロは、まさしく「神の伝令」として、イエス・キリストを真っ直ぐに伝える伝道説教を熱く語り続けます。

ペテロが語る伝道説教は、鋭いメスによってなされる切開手術のようです。なぜなら、ペテロが上から預かって語っているのは、私たち人間の心に溜まっている膿や癌のような罪をすべて取り除き、私たちを死と永遠の滅びから救おうとする神の言葉だからです。

心を刺され、ペテロのことばを神の言葉として受け入れた人々は悔い改め(向きを変え)、行列となってバプテスマ(洗礼)を受けました。その日3000人ほどが弟子に加えられたと聖書は記録しています。

神の言葉と聖霊が、にわか雨のように豊かに降り注ぐ時、そこに行列のできる教会ができるのです。にわか雨は予測できません。恵みの雨は神の主権の中で局地的に注がれます。しかし私たち教会が、十字架のもとに力を合わせ、祈りに専念するなら、神はこの地域にも、豊かに雨を降らせてくださるでしょう。

礼拝メッセージ「青年は幻、老人は夢」

礼拝メッセージ「青年は幻、老人は夢」

聖書箇所:使徒の働き2章1ー21節

『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。使徒の働き2章17節

「あ」であり、「ん」である神。つまり万物の最初であり、最後である神。歴史(History)は、そのような神による壮大なストーリー(His Story)です。そして聖書66巻は、あらゆる時代と文化を貫く壮大な歴史絵巻です。

神という串によって貫かれている3つの団子を想像してみてください。3つの団子には、創造、堕落、再創造という名前が付けられています。

創造。初めに神は、天地万物すべてのものを良いものとしてお造りになりました。

堕落。神のかたちに似せて造られた私たち人間が、神に反逆して堕落し、いのちと絆と価値を失ったということです。

再創造。それは失われた私たちとこの天地万物を、神が再び新しく創造するということです。いのちの回復、絆の回復、そして価値の回復。それこそが聖書が語っている救いであり福音です。

再創造は、神の霊が一人一人に注がれることによって出来事となります。オアシスの創造です。

礼拝メッセージ「復活の証人」

礼拝メッセージ「復活の証人」

聖書箇所:使徒の働き1章15ー26節

すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした者の中から、だれかひとりが、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。使徒の働き1章22節

福音書では、主イエスが徹夜で祈って選ばれた12人の弟子たちが、使徒と呼ばれていました。使徒の働き以降では、新たな使徒が加えられます。彼らは決して、非の打ち所のないエリートではなく、私たちと同じような弱さ未熟さを抱えた普通の人でした。

イスカリオテ・ユダも使徒として選ばれていました。ところがユダは主イエスを裏切り、銀貨30枚で主イエスを売り渡してしまいました。 ユダは主イエスを捕えた者どもの手引きをし、不正なことをして得た報酬で地所を手に入れました。しかしユダは後悔し、罪責感から自殺してしまいました。

残された使徒たちと兄弟たちは、聖書に導きを求め、新たに使徒を補充するために話し合いました。その際、上記のみことばのような条件で、二人の人物が立てられました。そして祈りの中で、マッテヤが選ばれ、使徒として新たに加えられました。

ペンテコステ(聖霊降臨)以降、ダイナマイトの語源となる上からの力が与えられ、使徒たちだけでなく一人一人の弟子たちが、復活の証人として豊かに用いられ、行列のできる教会が形成されていきます。

礼拝メッセージ「約束を待ちなさい」

礼拝メッセージ「約束を待ちなさい」

聖書箇所:使徒の働き1章1ー14節

この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。使徒の働き1章14節

私たちのために苦しみを受け、十字架で死なれた主イエスは、3日目に復活されました。復活された主イエスは、『エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。』と使徒たちに命じられ、それから天に上げられていきました。

この主イエスの命令に使徒たちがどう応答したのか。それが上記のみことばです。彼らはエルサレムに留まり、自分たちだけではなく、婦人たちやイエスの母マリヤ、そしてイエスの兄弟たちとともに、みなで心を合わせて、祈りに専念したのです。

この書には、映画のエンドロールのように、数え切れない有名無名の人たちが紹介されています。使徒の働きという名前が付けられていますが、決して使徒たちだけの働きではありません。メンバー全員の働き、つまり「教会の働き」がこの書には記されています。

キリストに呼び集められた一人一人が十字架のもとに力を合わせ、協力することによって、働きは進められました。そしてこの働きは、世界中で現在進行形の働きです。私たちにもバトンが手渡されています。主イエスは今もあなたを必要とされています。

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礼拝メッセージ「母を用いられる神」

09Mother's Day

礼拝メッセージ「母を用いられる神」

聖書箇所:詩篇139篇

それはあなたが私の内蔵を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。詩篇139篇13-14節

世の中には2種類の神がいます。人間「が」造った神と、人間「を」造った神です。一字しか違いませんが、「が」と「を」の間には天地の違いがあります。私たち人間を、母の胎の中で造られた主なる神を覚えつつ、赤裸々な祈りがささげられる。それが詩篇139篇です。

主は私たちを探り、私たちをことごとく知っておられます。ことばが私たちの舌にのぼる前に、なんと主はそれをことごとく知っておられます。主は前からうしろから私たちを取り囲み、御手を私たちの上に置かれました。

詩人は神について黙想する(黙って思いを巡らせる)中で、なぜ主が私たちを完全に知っておられるのかという理由に至ります。それが上記のみことばです。その時黙想は、神への感謝と賛美に変えられます。

最後に詩人は、敵を覚える祈りとともに、『神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。』と祈ります。

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