礼拝メッセージ「時間がかかる」

礼拝メッセージ「時間がかかる」

聖書箇所:ヤコブの手紙 5章

こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。ヤコブの手紙5:7-8

成熟に至る近道はありません。その理由は、私たちの理解が遅いこと、捨てなければならないものがたくさんあること、自分の現実を直視することを恐れること、成長にはしばしば痛みと恐れが伴うこと、習慣を身につけるには時間がかかることなどにあります。

主なる神は決して焦ったり、思いつきで事を進めたりはなさいません。いつも神の時刻表に基づいて、予定通り最善に事を進めておられます。ですから主にすがりつつ、以下のことを心がけましょう。

1、たとえそう思えなくても、神が自分の人生の中に働いてくださっていると信じること

2、学んだ教訓をノートや日記につけておくこと

3、神と自分自身に対して忍耐強くあること

4、気落ちしてはいけない

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バトンタッチ その3

Just like Mt. Doom

今週月曜に、久しぶりに休暇を取ることが出来、妻と一緒に那須岳登山をした。この風景、まるで指輪物語(The Lord of the Rings)の中に出てくる滅びの山(Mt. Doom)みたいでしょ。(実際この山は今も活火山です。硫黄臭い煙を立ち上らせている山肌なのです。もし噴火すれば文字通り滅びの山になるでしょう。)

すべてを支配することができる権力の象徴である「力の指輪」を滅ぼすために、フロドとサムがこのような山を登ったことを思い浮かべながら写真を撮りました。

バトンタッチにおいて、打ち勝たなければならないものの一つ。それは、力あるポジションが持つ魔力ではないでしょうか。まるで重力場のように、強力な吸引力を持つポジション。だからこそ、バトンタッチの時期が来ていることを覚えても、なおその座を譲ることができないほどその人を捕らえてしまうのです。

しかし、祈りの力によるなら、そのような力の誘惑にも、見事に打ち勝つことができるでしょう。なぜなら祈りにおいて、私たちは自分の意義と安全を、ポジションにおいて見いだすのではなく、神御自身の中に見いだすことができるからです。

バトンタッチ その2

かつて日本の宣教は、宣教師主導でなされていった。宣教師が主導権を持って開拓伝道がなされた。しかしそのようにして生み出された教会において、日本人牧師へのバトンタッチは難しさを極めた。教会を自分たちで支え、教会の働きを自分たちで担っていくということを教えられなかった多くの信徒たちは、宣教師が手を引いた後、「宣教師と共に去りぬ」という悲しいことになった。後に残ったわずかな信徒の上には、会堂返済のための多額の借金だけが残されるという悲惨なケースも起こった。

将来のバトンタッチを視野に入れるならば、宣教師主導で開拓伝道をすることは止めるべきである。そのような反省がなされ、やがて開拓初期から、日本人牧師と共に開拓伝道を行うという方針が取られるようになった。この場合は、かなりスムーズにバトンタッチが行われ、豊かな実を結んでいる。

教会形成は個人プレーでは不可能である。開拓伝道をするなら、初めからバトンタッチまで視野に入れて長期計画を立てなければ、せっかくの労苦も打ち上げ花火のように、実が残らない働きとなってしまう。

バトンタッチ

北京オリンピックにおいて、日本男子リレーチームがメダルを獲得できた理由の一つに、バトンタッチの成功がある。

リレーにおいて、バトンタッチはとても難しいプロセスである。いや、リレーだけではない。あらゆる人間関係において、特に世代交代において、バトンタッチというのはとても難しい。そして、信仰の世界においても、バトンタッチが成功するかどうかで、その後の展開が大きく変わってしまう。だからバトンタッチのためには、何よりも神に祈り求める必要がある。

私の場合、主任牧師というバトンを受け取り、受け渡し、そして再び受け取って今の歩みを続けている。しかしやがて時が来るなら、主任牧師というバトンは次の走者に受け渡していかなければならない。その最善のタイミングを見失わないために、今から祈り備えていく必要を覚える。

バトンを渡す方は、走りつつ徐々にスピードを落としながら、渡す相手にアプローチする。

バトンを受け取る方は、徐々にスピードを上げて走り始めながら、バトンを待ち構える。

それぞれのアプローチがバトンタッチのタイミングにマッチするなら、バトンは落とされることなく、次の走者にしっかりと渡され、働きが世代を超えて豊かに進められていく。

それぞれのバトンタッチが成功し、働きが豊かに受け継がれるようにと神に祈る。

礼拝メッセージ「誘惑に打ち勝つ」

礼拝メッセージ「誘惑に打ち勝つ」

聖書箇所:ヤコブの手紙 4章

ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。ヤコブの手紙4:7

誘惑に打ち勝つ4つのポイントを覚えましょう。

1、自分の注目を何か他のものに向ける

 罪との戦いの勝敗は、あなたの心の中で決まるものです。あなたの注意を引くものが、あなたの心を捕らえます。

2、自分の葛藤を信仰の友や信頼できる人に心を割って話すこと

 自分の葛藤を正直に分かち合える人、祈ってくれる人が最低1人は必要です。もしそのような人がいないならば、神に祈り求めてください。必ず与えられます。

3、悪魔に立ち向かうこと

 悪魔と言い争ってはいけません。悪魔はあなたよりも議論に長けているからです。何千年もの間、練習を積み重ねているのですから当然です。しかし聖書のみことばを心に蓄え、みことばを用いるならば、悪魔に立ち向かうことができます。

4、自分が弱い存在であることを認めること

 状況さえ整えば、私たちはどんな罪でも犯し得ます。不用意に誘惑されやすい状況に身を置いてはいけません。誘惑に近づかないでいる方が、誘惑から抜け出すよりも簡単です。

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礼拝メッセージ「問題によって」

礼拝メッセージ「問題によって」

聖書箇所:ヨブ記 1章

主はサタンに仰せられた。「では、彼のすべての持ち物をおまえの手に任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。」そこで、サタンは主の前から出て行った。ヨブ記1:12

旧約聖書の中に、ヨブという信仰の先輩が登場します。ヨブは「一難去らないうちにまた一難」という大変な患難の中を通されました。ヨブ記の冒頭には、人生の舞台裏、カーテンの裏側が啓示されています。そこには、天地万物の創造主なる神と、サタンと呼ばれる悪魔が登場します。

悪魔は堕天使とも呼ばれます。もともと神に造られた天使でしたが、自分が神になろうと神に反逆した結果、裁かれて地に落とされた存在です。悪を英語ではevilと言いますが、liveの反対の綴りになっています。悪とは生かすことの反対、殺すことです。悪魔は人からいのちを奪うために、神をそそのかし、人にうそをつく現実の存在です。

悪魔は、人間よりははるかに強いとはいえ、創造主なる神と比べたら、はるかに弱い存在です。ヨブ記を見るならば、悪魔は神の許しがなければ、何もすることが出来ない無力な存在であることがわかります。神と悪魔は対等だとか、悪魔の方が神よりも強いといった考えは非聖書的です。

しかし聖書は、問題が起こることを許される主なる神をはっきりと啓示しています。問題によって私たちをキリストに似た者に変えてくださるためです。

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礼拝メッセージ「関係の回復」

礼拝メッセージ「関係の回復」

聖書箇所:創世記50章

あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。創世記50:20

かつて自分に悪を計った兄たちに対して、ヨセフという人物が後に語った言葉。それが上記の言葉です。

ヨセフは父ヤコブ(イスラエル)の偏愛を受けて育ちました。やがてヨセフは夢見る人となりますが、空気が読めませんでした。それでヨセフは、兄たちの激しいねたみと憎しみを買い、囲まれて殺されそうになり、エジプトに売り飛ばされたのです。

エジプトでヨセフは、様々な経験を経て権力者となります。そして共におられる神の導きによって、世界的な大ききんに備えて食料を蓄えました。その結果、多くの人々を生かす神の計らいに仕えることになったのです。

神の家族であっても、関係が壊れてしまうことがあります。しかし神は、計り知れないご計画の中で、人の悪でさえも良いことのための計らいと変えてくださるのです。神の御手は見えません。しかし私たちの人生は、確かに神の御手の中にあります。そして見えない神の御手は、万事を益にし、関係を回復させてくださるために今も動いています。

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杉戸愛児園の辻浦先生ご夫妻来る! 杉戸キリスト教会創立55周年記念礼拝

08杉戸キリスト教会創立記念礼拝

いよいよ今日、8月17日(日)に杉戸愛児園の辻浦定俊先生ご夫妻が杉戸に来られます。
ぜひ時間を作ってお集いください。

杉戸キリスト教会創立55周年記念礼拝

日時:8月17日(日)午前10時30分~

※この日は親子礼拝とJJ礼拝も第一礼拝に合流します。

講演題:「神の愛と信仰」

聖書箇所:ヨハネ福音書3章14-17節

礼拝メッセージ「共同体を育てる」

礼拝メッセージ「共同体を育てる」

聖書箇所:エペソ人への手紙4章

召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。エペソ4:1-3

神の共同体を育てるためには、神の御力とともに、
以下のような私たちの努力が必要です。

1、共同体を育てるには、正直さが必要である

 互いに正直に向き合い、愛と真理によって問題が取り扱われる時、
 さらに親しくなれます。

2、共同体を育てるには、謙遜さが必要である

 謙遜とは、自分を軽んじることでなく、
 自分のことばかり考えるのをやめることです。

3、共同体を育てるには、思いやりが必要である

 思いやりとは、違いを尊重し、お互いの気持ちに敏感になり、
 忍耐強くあることです。

4、共同体を育てるには、秘密を守る必要がある

 教会の交わりはいかなる個人よりも大切です。
 噂話は常に誰かを傷つけ、分裂を生みます。

5、共同体を育てるには頻繁に集まる必要がある

 一緒に過ごす時の中で、共同体は育まれます。

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礼拝メッセージ「共に生きる」

礼拝メッセージ「共に生きる」

聖書箇所:エペソ人への手紙4章

キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。 エペソ4:16

神は、神の家族として共に生きることを理解するための一つのモデルとして、私たちの体をデザインされました。体の各部分は、互いに他の部分に依存し、共に生きるように設計されています。

互いに正直になる時、傷を分かち合い、気持ちを表現し、失敗を告白し、疑いを明らかにし、不安を認め、弱さを自覚し、人の助けと祈りの支援を求める時、本物の交わりを体験することができます。

1、本当の交わりにおいて、本物を体験する。

2、本当の交わりにおいて、相互依存を体験する。

3、本当の交わりにおいて、優しさを体験する。

4、本当の交わりにおいて、赦しを体験する。

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