礼拝メッセージ「忍耐と励ましの神」ローマ38

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聖書箇所:ローマ人への手紙15章1ー6節

1 私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。2 私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。3 キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、「あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった」と書いてあるとおりです。4 昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。5 どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。 6 それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。ローマ人への手紙15章1−6節

礼拝メッセージ「陶器師とあわれみの器」ローマ23

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聖書箇所:ローマ人への手紙9章19ー29節

19 すると、あなたはこう言うでしょう。「それなのになぜ、神は人を責められるのですか。だれが神のご計画に逆らうことができましょう。」20 しかし、人よ。神に言い逆らうあなたは、いったい何ですか。形造られた者が形造った者に対して、「あなたはなぜ、私をこのようなものにしたのですか」と言えるでしょうか。21 陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊いことに用いる器でも、また、つまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないのでしょうか。22 ですが、もし神が、怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられるのに、その滅ぼされるべき怒りの器を、豊かな寛容をもって忍耐してくださったとしたら、どうでしょうか。23 それも、神が栄光のためにあらかじめ用意しておられたあわれみの器に対して、その豊かな栄光を知らせてくださるためになのです。24 神は、このあわれみの器として、私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。ローマ人への手紙9章19−24節

本当の神は陶器師に例えられます。そして私たち人間は、最高の陶器師によって形造られた陶器に例えられます。デザイナーの目的に沿って存在する時、私たちにはオンリーワンの存在価値がありました。
主権者なる神は、怒りが注がれるべき器を深くあわれみ、ご自分が怒りを注がれるべき器となられました。私たちをあわれみの器として再創造するために。

礼拝メッセージ「神の主権」ローマ22

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聖書箇所:ローマ人への手紙9章6ー18節

10 このことだけでなく、私たちの父イサクひとりによってみごもったリベカのこともあります。 11 その子どもたちは、まだ生まれてもおらず、善も悪も行わないうちに、神の選びの計画の確かさが、行いにはよらず、召してくださる方によるようにと、12 「兄は弟に仕える」と彼女に告げられたのです。13 「わたしはヤコブを愛し、 エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。14 それでは、どういうことになりますか。 神に不正があるのですか。絶対にそんなことはありません。 15 神はモーセに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ」と言われました。16 したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。17 聖書はパロに、「わたしがあなたを立てたのは、あなたにおいてわたしの力を示し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである」と言っています。18 こういうわけで、神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです。ローマ人への手紙9章10-18節

1、神は主権を持って人間を選ばれる
2、人間には神に選ばれる条件など何もない
3、救いはあわれんでくださる神による
  人間の願いや努力(行い)によるのではない

イースター召天者記念礼拝メッセージ「死者を生かす神」ローマ10

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聖書箇所:ローマ人への手紙4章17ー25節

17 このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。18 彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。19 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。20 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、21 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。22 だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。23 しかし、「彼の義とみなされた」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、24 また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。25 主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。 ローマ4章17-25節

パウロがローマ人への手紙において語るアブラハムの姿は、罪や不信仰がおおわれたアブラハムの姿です。
おおわれる前のアブラハムの姿は、創世記17章17節に以下のように記録されています。

アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか。」

東日本大震災 その時何が起こったのか

東日本大震災を、どう受け止めたら良いのか?
試練なのか?裁きなのか?警鐘なのか?ヒューマンエラーなのか?
この信仰的、神学的、哲学的な問いかけにどう答えるか。
私はそれを、3.11の後、ずっと考えていた。
聖書神学、聖書信仰に基づく結論は、
「私たち日本が滅び失せなかったのは、ただ神のあわれみによる!」
二つの奇跡(見えざる神のあわれみ)

『東京電力福島第1原発事故から2週間後の3月25日、菅直人前首相の指示で、近藤駿介内閣府原子力委員長が「最悪シナリオ」を作成し、菅氏に提出していたことが複数の関係者への取材で分かった。さらなる水素爆発や使用済み核燃料プールの燃料溶融が起きた場合、原発から半径170キロ圏内が旧ソ連チェルノブイリ原発事故(1986年)の強制移住地域の汚染レベルになると試算していた。
 近藤氏が作成したのはA4判約20ページ。第1原発は、全電源喪失で冷却機能が失われ、1、3、4号機で相次いで水素爆発が起き、2号機も炉心溶融で放射性物質が放出されていた。当時、冷却作業は外部からの注水に頼り、特に懸念されたのが1535本(原子炉2基分相当)の燃料を保管する4号機の使用済み核燃料プールだった。
 最悪シナリオは、1~3号機のいずれかでさらに水素爆発が起き原発内の放射線量が上昇。余震も続いて冷却作業が長期間できなくなり、4号機プールの核燃料が全て溶融したと仮定した。原発から半径170キロ圏内で、土壌中の放射性セシウムが1平方メートルあたり148万ベクレル以上というチェルノブイリ事故の強制移住基準に達すると試算。東京都のほぼ全域や横浜市まで含めた同250キロの範囲が、避難が必要な程度に汚染されると推定した。
 近藤氏は「最悪事態を想定したことで、冷却機能の多重化などの対策につながったと聞いている」と話した。菅氏は9月、毎日新聞の取材に「放射性物質が放出される事態に手をこまねいていれば、(原発から)100キロ、200キロ、300キロの範囲から全部(住民が)出なければならなくなる」と述べており、近藤氏のシナリオも根拠となったとみられる。』
(毎日新聞 2011年12月24日 15時00分)

『そのころ第1原発では1~4号機が電源喪失で冷却機能を失った。最多の1535本(460トン)を保管する4号機の使用済み核燃料プールは沸騰。溶融すれば最悪の場合、首都圏の3000万人が避難を強いられる事態が目前だった。だが空だき直前、4号機内で起きた水素爆発の衝撃で核燃料プール横の別なプールの水が偶然、核燃料プールに流れ込み危機を免れた。
 2号機では、原子炉建屋の窓が、隣接する1号機の水素爆発の衝撃でたまたま開き、水素が排気されて建屋内の爆発が回避された。もし4号機プールが空だきとなり2号機も爆発したら、放射性物質の汚染は今の比ではなかった。』ー毎日新聞の2011年12月22日「記者の目」より