タグ: 礼拝
Praiseband201206
ジーザス・イズ・アライブ
丘に立てる荒削りの(聖歌402)
スティル(静まって知れ)
すべての良きもので
父の日歓迎礼拝メッセージ「父として勝利する秘訣」ローマ20
父の日歓迎礼拝メッセージ「父として勝利する秘訣」ローマ20(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙8章31ー39節
31 では、これらのことからどう言えるでしょう。
神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに
敵対できるでしょう。
32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ
惜しまずに死に渡された方が、どうして、
御子といっしょにすべてのものを、
私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。
神が義と認めてくださるのです。
34 罪に定めようとするのはだれですか。
死んでくださった方、いや、
よみがえられた方であるキリスト・イエスが、
神の右の座に着き、
私たちのためにとりなしていてくださるのです。
35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。
患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、
飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。
私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。
37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、
これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
38 私はこう確信しています。死も、いのちも、
御使いも、権威ある者も、今あるものも、
後に来るものも、力ある者も、
39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、
私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、
私たちを引き離すことはできません。
ローマ人への手紙8章31-39節
ローマ岳最高点に着きました。父として勝利し、圧倒的な勝利者となる秘訣が明らかにされます。
父として勝利する秘訣
2012父の日歓迎礼拝のご案内
PRAISE BAND 2012-05
母の日歓迎礼拝メッセージ「永遠のいのちとは何か」ローマ15
母の日歓迎礼拝メッセージ「永遠のいのちとは何か」ローマ15(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙6章15ー23節
罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。ローマ人への手紙6章23節
草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。イザヤ書40章8節
草は枯れ、桜は散ります。確かにこの地上には永遠などありません。けれども死の向こうへと続く永遠が確かにある。永遠に変わらない神の言葉、聖書はそう語っています。
永遠のいのちとは、神の下さるプレゼントです。プレゼントですから、代金を支払わなくても感謝して受け取れば得ることができます。永遠のいのちは神のひとり子のいのちがかかっているほどに高価なものですから、代金を支払うような方法では、絶対に得ることができません。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネ福音書3章16節
『現代人の生き方に見られる最も有害な点は、その近視眼的な考え方にあります。人生を最大限に活用するためには、永遠の視点を持たなければなりません。』リック・ウォレン「人生を導く5つの目的」(The Purpose Driven Life)より
母の日歓迎礼拝のご案内
PRAISE BAND 20120422
praiseband20120422
セレブレイト・ジーザス
ジーザス・イズ・アライブ
ホーリアス(BY ピアノシュウジ)
主がついてれば
すべての良きもので
イースター召天者記念礼拝メッセージ「死者を生かす神」ローマ10
イースター召天者記念礼拝メッセージ「死者を生かす神」ローマ10(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙4章17ー25節
17 このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。18 彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。19 アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。20 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、21 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。22 だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。23 しかし、「彼の義とみなされた」と書いてあるのは、ただ彼のためだけでなく、24 また私たちのためです。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。25 主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。 ローマ4章17-25節
パウロがローマ人への手紙において語るアブラハムの姿は、罪や不信仰がおおわれたアブラハムの姿です。
おおわれる前のアブラハムの姿は、創世記17章17節に以下のように記録されています。
アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか。」