みこころの天になるごとく地にも ―原子力発電にかんする日本同盟基督教団理事会見解―

みこころの天になるごとく地にも ―原子力発電にかんする日本同盟基督教団理事会見解―
2012 年 7 月 9 日 日本同盟基督教団理事会

東日本大震災にともなう福島第一原発事故は、今後の日本の原発政策に関して国論を二分する状況になっています。私たちはキリスト者として、原発についてどのように考えるべきでしょうか。原発問題は政治的・経済的・技術的・歴史的・倫理的にさまざ まな側面を含んだことがらではありますが、聖書信仰に立つ日本同盟基督教団理事会としては、主イエスの私たちに対する愛のご命令の観点から、原子力発電にかんする見解を公にすることにいたしました。主にある兄弟姉妹たちが、原発についての聖書に基づいた理解を深め、祈り、行動するための助けとなるようにと願います。
本文
キリストはもっとも大事な教えとして、「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」「あなたの隣人を自分自身のように愛せよ」を挙げられました(マルコ 12:29 – 31 参照)。私たちは「みこころの天になるごとく地にもなさせたまえ」と常に祈っている者として、神の国(神の支配)が地に実現するために、祈り、発言、行動することをキリストから期待されています。この観点から、同盟教団理事会は原子力発電について、以下のように見解を公にいたします。
1 原発は「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」という教えに、以下のような点において反しています。
神は始祖アダムを「エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせ」ました。 人間には神に託された被造物を、みこころに従って管理し文化を形成する任務が与えられており、科学技術の営みも文化命令への応答として意義あるものです。しかし、神は同時に園の中央にある善悪の知識の木から取って食べてはならないという命令を付け加えることによって、被造物世界の所有者は神であり、人はその管理者であって、人間の文化的営みにはわきまえるべき限度があることを教えられました(創世記 2:15-17)。
このたびの福島第一原発事故は、原子力発電は人の能力の限度を越えたものであるという事実を私どもに教えるものでした。人は「原子力の火」を消す能力も、原発によって生じる放射性廃棄物を無毒化する能力も持ち合わせていません。このような現状であるのに、あたかも原子力を完全に制御できるかのように「安全神話」に浸りきって利用してきたことは、神の前に傲慢なことであったと考えます。
2 原発は「あなたの隣人を自分自身のように愛せよ」という教えに、以下のような点において反しています。
第一に、労働とは、本来、神の恵みへの応答としてなす喜ばしい務めであり、人はそれぞれの働きに対して正当な報いが与えられるべきものです。「人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。良いことを行えば、奴隷であっても自由人であっても、それぞれその報いを主から受けることをあなたがたは知っています。」(エペソ 6:7,8)東日本大震災で東電福島第一原発は大事故を起こしました。今なお、その収束のために日夜懸命に働いてくださっている現場の方たちに敬意を表し、その働きが守られるように祈ります。しかし、ウラン採掘、燃料への加工、原発の維持管理、原発事故時の作業、原発廃炉作業において、これに携わる作業員は被曝を強いられることになります。原発を用いることには、そこで働く人々の生命を危険にさらすことが不可避的に伴います。
第二に、三位一体の神は、私たちが自由な愛をもって互いに仕え合うために、社会を形成することを意図されました。「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。 」(ガラテヤ 5:13)原発は、一面、立地している地域社会を原発交付金によって経済的に潤しますが、反面その社会を賛成派と反対派に分断し、かつ、交付金によらなければ成り立たない不自由な「依存症状態」に陥れてしまいます。
第三に、神は「殺してはならない」(出エジプト 20:13)と、私たちが互いのいのちを尊び合うことを命じていらっしゃいます。しかし、原発はいったん事故があれば、狭義の立地住民のみならず、さらに周辺都府県の住民の生命をも脅かし生活の基盤をも根底から破壊してしまうものです。今回の福島第一原発の事故によって死者は出ていないという発言がありますが、実際には、緊急避難地域に指定された地震の被災地では救助隊が入ることが出来なくなり、本来救われるべき人々を多数放置せざるをえなくなってしまいました。
第四に、神は「子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である」(詩篇 127:3)と私たちの子孫への祝福をくださるとおっしゃいます。ところが、原発は若い世代とはるか未来の世代にまで大きな苦しみと悲しみをもたらすものです。現在、福島第一原発事故の結果、福島県と周辺都県には、低線量被曝のもたらす健康被害におびえながらの生活を強いられている多くの子どもや親たちがいます。また、かりに幸い原発で事故が起きなかったとしても、日本にある50 余りの原発から毎年千トンも生じる放射性廃棄物は、未来の世代の生命を脅かし続けます。
第五に、主イエスは「剣を取るものはみな剣で滅びます」(マタイ 26:52)と、武器によっては真の平和を作り出すことはできないことを教えてくださいました。ところが、原発の技術は核兵器の製造に転用の恐れのあるものです。歴代の政治家たちは日本が潜在的核保有国であるために、原発を維持し続けなければならないという趣旨の発言を繰り返してきました(1)。無差別大量殺戮を目的とする核兵器が、主の隣人愛の戒めに反することは自明のことです。2012 年 6 月 20 日に政府が原子力基本法の一部を改正し、利用目的に「わが国の安全保障に資する」との文言を追記したことは、一層、原発技術の軍事転用に道を開く改訂として重大な問題です。
結び 主キリストは、信じる私たちをこの世界の光・地の塩として遣わし、この世界に神のみこころが実現することを望んでいらっしゃいます。しかし、私たちは、今回の事故が起こるまで、原発が本質的に聖書の教えに反していることに薄々気づきながら目を閉ざして、安易に便利のみを貪ってきて、その任務を怠ってきたことを神の前に告白するものです。今後は、エネルギー政策において、原子力によらない社会が実現するように、祈り、発言し、行動するものでありたいと願います。
(1) 岸信介首相、佐藤栄作首相、1970 年『防衛白書』、中曽根防衛庁長官など多数。(内藤新吾講演資料「地震・津波・原発と神の摂理」2011 年より)