タグ: 死者の復活
礼拝メッセージ「時が近づいている」
聖書箇所:ヨハネの黙示録1章1−8節
この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。
黙示録1章3節
静かに聖書に耳を傾けて聴く祈りをするなら、まるでタイムマシンに乗るように、時空を超えた歴史のある瞬間を訪れることができます。その時私たちは、超時空の旅において、過去だけでなく、「未来をも見る」ことができるのです。
「未来を見る」ことは、今を生きる私たちに衝撃的な影響力をもたらすことでしょう。「見てきた者」だけが持つ説得力と明確な将来像・ビジョン。それらは私たちだけでなく、同時代を生きる者たちに計り知れない勇気と希望を与える航海図となって、共有されていくことでしょう。
今日から耳を傾けようとしているヨハネの黙示録は、書き記された神の言葉である旧新約聖書66巻の、一番最後に収録されている書物です。
ヨハネの黙示録は、未来を神からの啓示によって「見てきた者」だけが持つ説得力と明確な将来像・ビジョンに満ち溢れています。
神の物語(His-Story)としての歴史(History)の完成の時が近づいている今こそ、聖なる神の霊の導きを祈り求めつつ、一緒に未来を見てきましょう。
時が近づいている The time is near
この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。黙示録1章3節
静かに聖書に耳を傾けて聴く祈りをするなら、まるでタイムマシンに乗るように、時空を超えた歴史のある瞬間を訪れることができます。その時私たちは、超時空の旅において、過去だけでなく、「未来をも見る」ことができるのです。
「未来を見る」ことは、今を生きる私たちに衝撃的な影響力をもたらすことでしょう。「見てきた者」だけが持つ説得力と明確な将来像・ビジョン。それらは私たちだけでなく、同時代を生きる者たちに計り知れない勇気と希望を与える航海図となって、共有されていくことでしょう。
今日から耳を傾けようとしているヨハネの黙示録は、書き記された神の言葉である旧新約聖書66巻の、一番最後に収録されている書物です。
ヨハネの黙示録は、未来を神からの啓示によって「見てきた者」だけが持つ説得力と明確な将来像・ビジョンに満ち溢れています。
神の物語(His-Story)としての歴史(History)の完成の時が近づいている今こそ、聖なる神の霊の導きを祈り求めつつ、一緒に未来を見てきましょう。
礼拝メッセージ「国家的悔い改め」
聖書箇所:ヨナ3章
そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。このことがニネベの王の耳に入ると、彼は王座から立って、王服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中にすわった。王と大臣たちの命令によって、次のような布告がニネベに出された。「人も、獣も、牛も、羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行いから立ち返れ。もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないですむかもしれない。」ヨナ書3章5−9節
恵み深い主から、再びチャンスを与えられた預言者ヨナは、ニネベに行って主のことばを伝えました。そのとき津波のような衝撃が起こり、上記のような、「国家的悔い改め」が起こりました。
イエス・キリストは、以下のようにニネベの人々の悔い改めに太鼓判を押しておられます。
「ニネベの人々が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし、見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。(マタイ福音書12章41節)」
聖書が語る「悔い改め」とは、向きを変えることです。それは、神に背を向けて生きることを止め、神の方に方向転換をし、神に向かって生きることを意味します。主なる神はあわれみ深い方ですから、向きを変える私たちを、大喜びで迎えてくださいます。
母の日歓迎礼拝メッセージ「腹の中から」
母の日歓迎礼拝メッセージ「腹の中から」(クリックで聴けます)
聖書箇所:ヨナ2章
ヨナは魚の腹の中から、彼の神、主に祈って、言った。「私が苦しみの中から主にお願いすると、主は答えてくださいました。私がよみの腹の中から叫ぶと、あなたは私の声を聞いてくださいました。ヨナ2章1-2節
「この抒情的な中間章が風刺に役立っていることは確かである。ヨナを神の憐れみと救いを明らかに奇蹟的に受けた者に仕立て上げることによって、この挿話はあとで神の救いが他の人々に差し出されたとき、それを拒否したヨナの態度を弁解の余地のない、嫌悪すべきものにして見せるという効果をもっている。
・・・ヨナの口を通して魚の腹のなかから聞こえてくる美しい詩とも呼べる祈りの主題は、神の力による水死からの救いである。物語の代わりに抒情詩が大魚の腹のなかでのヨナの経験を描写するのにもちいられる。この詩の筆は巨匠のそれである。読者は、主人公であるヨナが危険にさらされているあいだ、ずっとヨナの内なる意識の底へと連れて行かれるからである。この章の根底にある大きな枠組は大切な原型である。これは、死=復活の原型の一形式としてよく人に知られている。海底に下降して窒息するのは、明らかに死に似た経験を描き、深海から上昇するという原型的比喩は、下降上昇運動の再生の面を描いている。深い地底での三日間という枠組みも、イエスが認めている(マタイ12章39-40節)ように、一つの原型である。」
リーランド・ライケン『聖書の文学』すぐ書房、
1990年、403-404頁より引用
イースター歓迎礼拝メッセージ「勝利者なる神」
イースター歓迎礼拝メッセージ「勝利者なる神」(クリックで聴けます)
聖書箇所:イザヤ53章10−12節
彼(イエス・キリスト)は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。イザヤ53章11節
イエス・キリストは、勝利者です。主イエスが勝利者であるということを、順番に考えてみましょう。
1、死に打ち勝たれた勝利者
私たちのため十字架で死なれたイエス・キリストは、墓に葬られよみにくだられましたが、3日目(日曜日)によみがえられ、今も生きておられます。イエス・キリストは、死に勝利されたのです。主イエスを信じる時、私たちも死に勝利することができます。その時、死は終わりではなく、新しいいのちの始まりとなります。
2、悪魔に打ち勝たれた勝利者
イエス・キリストは、私たちのすべての罪を背負って十字架で死なれ、復活されたことを通して、悪魔に勝利されました。主イエスを信じる時、私たちも悪魔に勝利することができます。
3、罪(虚偽、高慢、怠惰)に打ち勝たれた勝利者
イエス・キリストは、罪(虚偽、高慢、怠惰)に打ち勝って十字架で死なれました。それは私たちのすべての罪を十字架に釘付けにし、葬り去るためでした。主イエスを信じる時、私たちも新しく生まれて、罪に勝利することができます。
Because He Lives 主イエスが生きておられるから
Because He Lives ~ William and Gloria Gaither ~
日本語訳歌詞(1番)
神は人を 愛されて そのひとり子を この世におくり
私たちの 罪のために 十字架につけて くださった
主は今 生きておられる 我が内に おられる
すべては 主の御手にあり 明日も生きよう 主がおられる
英語の歌詞と試訳
God sent His son, they called Him Jesus. He came to love, heal, and forgive.
He lived and died to buy my pardon, An empty grave is there to prove my Savior lives.
神はひとり子を遣わされ、その方はイエスと呼ばれた。愛するため、いやすため、そして赦すために、彼は来られた。彼は生きて死なれた。私の恩赦を買うために。そして空っぽになった墓は、私の救い主が、今も生きておられることを証明している。
Because He lives, I can face tomorrow. Because He lives, All fear is gone.
Because I know He holds the future, And life is worth the living just because He lives.
主イエスが生きておられるから、私は明日に立ち向かえる。主が生きておられるから、すべての恐れは逃げ去る。 主は生きておられ未来を御手の中に握っておられるから、人生は生きるに値する。
How sweet to hold a newborn baby, And feel the pride and joy he gives.
But greater still the calm assurance, This child can face uncertain days because He lives.
新しく生まれた赤ちゃんをだっこすることは、なんと嬉しいことだろうか。彼が与えてくれるプライドと喜びを、私は味わっている。しかしそれよりも素晴らしい静かな心と穏やかな確信。主イエスが生きておられるから、この子も不確かな日々に向かって生きていける。
Because He lives, I can face tomorrow. Because He lives, All fear is gone.
Because I know He holds the future, And life is worth the living just because He lives.
主イエスが生きておられるから、私は明日に立ち向かえる。主が生きておられるから、すべての恐れは逃げ去る。 主は生きておられ未来を御手の中に握っておられるから、人生は生きるに値する。
And then one day I’ll cross the river, I’ll fight life’s final war with pain.
And then as death gives way to victory, I’ll see the lights of glory and I’ll know He lives.
ある日私は、川を向こう岸に向かって横切ることになり、痛みを伴う人生最後の戦いを戦う。そして死が勝利への道を与えるその時、主の栄光を見て、主イエスが生きておられることを知るだろう。
Because He lives, I can face tomorrow. Because He lives, All fear is gone!
Because I know He holds the future, And life is worth the living just because He lives!
主イエスが生きておられるから、私は明日に立ち向かえる。主が生きておられるから、すべての恐れは逃げ去る。主は生きておられ未来を御手の中に握っておられるから、人生は生きるに値する。
2011年のイースター歓迎礼拝のために 杉戸キリスト教会牧師 野町真理