タグ: 悔い改め
2011 イースター歓迎礼拝のご案内
礼拝メッセージ「悪者と共に葬られた神 A grave with the wicked」
礼拝メッセージ「悪者と共に葬られた神 A grave with the wicked」(クリックで聴けます)
聖書箇所:イザヤ53章7−9節
彼(イエス・キリスト)の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。イザヤ53章9節
今年もいよいよ受難週に入りました。聖書に記されているように、無罪のイエス・キリストが、私たちが受けるべき天罰を身代わりに受け、十字架で死なれたのが金曜日でした。それで受難週の金曜日は、「良い金曜日 GOOD FRIDAY」と呼ばれています。
東日本大震災が起こったのは、受難節に入ったばかりの3月11日金曜日14時46分でした。
イエス・キリストが十字架の上で息を引き取られたのは、金曜日の15時すぎでした(マタイ福音書27章等参照)。あらゆる苦難の中に十字架が立っています。
預言者イザヤは、上記のみことばのように、救い主の墓は悪者どもとともに設けられることを預言しました。しかし福音書には、まだだれも葬られたことのない新しい墓にイエス・キリストは埋葬されたと記録されています(ヨハネ福音書19章等参照)。
実に信仰のスタートラインであるバプテスマ(洗礼)においてこそ、預言者イザヤが預言した神の言葉は出来事になるのです。
「私たち(悪者ども)は、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。」ローマ書6章4節
礼拝メッセージ「痛みと病を負う神 Pain of God」
礼拝メッセージ「痛みと病を負う神 Pain of God」(クリックで聴けます)
聖書箇所:イザヤ53章4−6節
まことに、彼(イエス・キリスト)は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。イザヤ53章4節
イザヤが語る神、イエス・キリストが、「悲しみ」、「痛み」、そして「病」を知っておられる理由。
それはイエス・キリストが、被災地に実際に赴かれた結果、もはや支援者ではなく、被災者になられたからです。
その時私たちは思いました。イエスは罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
私たちは思ったのです。イエスの上に天罰が下ったのだと。
しかしイエス・キリストが受けられた苦難の真相は、今日のみことばに明確に啓示されています。
『まことに、彼(イエス・キリスト)は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。・・・しかし、彼(イエス・キリスト)は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼(イエス・キリスト)への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼(イエス・キリスト)の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼(イエス・キリスト)に負わせた。』
痛みと病を負う神 Pain of God
杉戸キリスト教会清地チャペル
礼拝メッセージ「痛みと病を知る神 Pain of God」
礼拝メッセージ「痛みと病を知る神 Pain of God」(クリックで聴けます)
聖書箇所:イザヤ52章13節-53章3節
彼(イエス・キリスト)はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人(痛みを知る人)で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。イザヤ53章3節
イースター・復活祭へと向かう受難節の中、今日から4回に分けて、イザヤ書を通して、今を懸命に生きようとする私たちに語りかける神のみことばに耳を傾けましょう。
イザヤ書は預言の書の一つです。イエス・キリストがこの世に肉体をもって来られる700年ほど前に、預言者イザヤは神から預かったみことばを書き記しました。そこには、神のしもべイエス・キリストの、栄光と苦難に満ちた姿が詳細に描かれています。
イザヤはまず、高く上げられたしもべの栄光に満ちた姿を描きます。そして次に、そのしもべが高く上げられる前、最も低いところに下られた時の、苦難に満ちた姿を克明に描き出します。
「悲しみの人」という表現は、「痛みを知る人」とも訳せます。そしてその方は、「病を知っていた」とイザヤは語ります。実にイザヤが語る神は、「悲しみを知る方」であり、「痛みを知る方」であり、そして「病を知っていた方」です。
なぜイザヤが語る神は、「悲しみ」や「痛み」や「病」を知っておられるのでしょうか。
それはその方が、被災地に実際に赴いた結果、もはや支援者ではなく、被災者になられたからです。
痛みと病を知る神 Pain of God
青年福音喫茶 Sugito Gospel Cafe のご案内
キリスト教の中心ー神われらと共に
私たち人間は否定した。私たち人間を造り、共に生きるようにと招かれた創造主なる神を。
それ故私たち人間は、神の最高傑作としての自分自身を否定し、絶望的な状況に陥った。
しかし神は、イエス・キリストにおいて、そのような望みなき人間に、救いの手を差し伸べてくださった。
神われらと共に
キリスト教の中心とは何か?
信仰の対象、愛の起源、希望の内容とは何か?
福音の中心、福音の対象・起源・内容の中心とは何か?
それは、「和解の業において成就された契約」である。
和解論が取り扱う、この「キリスト教の中心」の近似値=「神われらと共に」
狭い共同体(教会)から広い共同体(地域住民)に向かっての福音宣教
神は狭い共同体(教会)の方々と、共におられる。
しかしそれだけではない!
神は、まだ福音を聞いたことがないすべての方々とも、共におられる。
神は、まだ福音を知らないすべての方々とも、共におられる。
神は、広い共同体(地域住民)のお一人お一人と、共におられる。
被災地におられるあなた。神はあなたと共におられます。
大切な方を亡くされたあなた。神はあなたと共におられます。
泣いてるあなた。神はあなたと共におられます。
インマヌエルー神は私たちとともに。
インマヌエルーいつも共におられるイエス・キリストは、そう呼ばれています。
インマヌエルー神は私たちとともに。
途方にくれているあなた。神はあなたと共におられます。
慰められることを拒んだあなた。神はあなたと共におられます。
被災地におられるあなた。神はあなたと共におられます。
1、神の一つの行為・行為における神の中心的出来事の報道
2、今ここで唯一無比な出来事として起こる唯一の特別な行為
3、人間の救済(存在の究極)に関する出来事・救済史
4、救済が定められている人間と共に(創造の目的としての救済)
5、救済と存在を失った人間・放蕩息子として悲惨の中に生きている人間と共に
6、以前の状態の回復をはるかに超える、さらにより偉大なこと
究極・救済・完成・終末・エスカトンの到来
7、われら神と共にー信仰と希望と愛、神の恵みの讃美