礼拝メッセージ「永遠に生きるために」

礼拝メッセージ「永遠に生きるために」

聖書箇所:2コリント4:15ー5:10

今の時の軽い艱難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。2コリント4章17節

どこの学校で何を学ぶのか。どんな仕事に就くのか。誰と結婚するのか。どこに住むのか等。この地上の人生には、多くの選択肢があります。しかし死の向こう側、すなわち永遠には、2つの選択肢しかありません。天国か地獄かです。

この地上で、神とどのような関係を奏でるのか。その音色は、永遠へと響いていきます。この地上の人生における神とあなたの関係。それが永遠における神とあなたの関係になっていくのです。

もしあなたが、あなたのためにいのちまで捨ててくださった神の御子イエス・キリストを信頼して受け入れるなら、あなたは永遠を天国で、神と共に過ごすことになります。そこに死や苦しみはありません。

しかしもしあなたが、キリストの十字架の愛と赦しを拒み、差し出されている救いのプレゼントを受け取らないなら、あなたは永遠を地獄で過ごすことになります。そこは永遠の苦しみと後悔の場です。

永遠をどこで過ごすかは、あなたの選択にかかっています。あなたは、永遠をどこで過ごしますか?

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礼拝メッセージ「人生を動かしていもの」

礼拝メッセージ「人生を動かしていもの」

聖書箇所:ピリピ1章1ー30節

人々の中にはねたみや争いをもってキリストを宣べ伝える者もいますが、善意をもってする者もいます。一方の人たちは愛をもってキリストを伝え、・・・他の人たちは純真な動機からではなく、党派心をもって、キリストを宣べ伝えており、投獄されている私をさらに苦しめるつもりなのです。ピリピ1章15-17節

どんな人でも、何かに動かされて生きているものです。あなたの人生をドライブしているもの、あなたを駆り立て、突き動かしているものは何でしょうか?

使徒パウロは、ピリピにいるクリスチャンに、獄の中から書き送った手紙で、善意、愛、そして真実をもってキリストを伝える人たちがいる一方で、ねたみや争い、党派心といった不純な動機から、見せかけの伝道をする人たちがいることに言及しています。

ねたみ・嫉妬、罪責感、怒り、憎しみ、恐れ、物質主義、受け入れられたいという必要等が、多くの人たちの人生をドライブしています。

聖書を通して人生の目的を知り、目的にドライブされて生きるなら、人生に意味が与えられ、よりシンプルになり、焦点が定まり、動機づけが与えられ、そして永遠への準備が整います。

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礼拝メッセージ「あなたは偶然ではない」

礼拝メッセージ「あなたは偶然ではない」

聖書箇所:詩篇139篇1-24節

それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。詩篇139篇13節

本当の意味で「子どもをつくる」ことが出来る唯一の創造主があなたに宛てたラブレター、人生の取扱説明書、魂の食物。それが聖書です。

聖書は、あなたは偶然の産物ではないと語っています。だからこそ人生には目的と意味があるのです。以下、『人生を導く5つの目的』から引用します。

『あなたは偶然に存在しているのではありません。あなたが生まれてきたのは、何かの間違いでも、不運にして不幸な出来事でもありません。

・・・たとえあなたの両親があなたの誕生を計画に入れていなかったとしても、神はそうではありませんでした。神はあなたの誕生を驚くどころか、心待ちにしておられたのです。

母親があなたを身ごもるずっと以前から、神はあなたのことを心に思い描いておられました。

・・・今あなたが息をしているということは、宿命によるのでも、何かのめぐり合わせでも、運が良かったからでも、偶然の一致によるのでもありません。あなたが生きているのは、神があなたをお造りになったからなのです。』

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礼拝メッセージ「すべては神から始まる」

礼拝メッセージ「すべては神から始まる」

聖書箇所:ヨハネ福音書1章1-18節

すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。ヨハネ福音書1章3節

無神論者として有名なバートランド・ラッセルは、以下のような驚くべき結論に達しました。『神がおられると仮定しない限り、人生の目的を問うことには何の意味もない。』

無神論の共産主義統治下で育ったロシアの小説家、アンドレイ・ビトフも、『神がおられないなら人生には何の意味もない』という言葉によって、光に向かって歩み始めることが出来たと語っています。

聖書のみことばは、あなたの人生に意味と目的をもたらす、神からの希望のメッセージです。天地万物を創造された唯一の創造主なる神がおられ、すべてはこの方の作品だと聖書は語ります。

あなたは、自分で産まれ、自分で大きくなり、自分で生きてきたかのような顔をしているかもしれません。しかしそうではないと聖書は語ります。

あなたは神によって造られたユニークな神の作品です。神は、人生を導く5つの目的のためにあなたを造り、生かしておられます。

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礼拝メッセージ「受難 PASSION」

礼拝メッセージ「受難 PASSION」

聖書箇所:ルカ福音書23章1-25節

・・・見なさい。この人は、死罪に当たることは、何一つしていません。 ルカ福音書23章15節

今年もキリストの受難を覚える受難週が近づいて来ました。「パッション」という映画をご覧になったことがあるでしょうか。メル・ギブソンが監督となって、キリストの受難をリアルに描いた映画です。

「パッション」は死罪に当たることは何一つなさらなかったのに、私たちの罪のために苦しみを受けてくださった主イエスの愛を覚えることの出来る映画です。受難週には「パッション」を見ることをお勧めします。

四季で例えると、受難週は冬です。凍えそうな冬、吹雪く冬は受難の季節です。しかし、どんなに厳しい冬であっても、やがて冬は過ぎ去ります。雪は解け、花が咲き乱れる春を迎えます。ちょうどそのように、受難週の後に、喜びのイースター(復活祭)が近づいています。

一日で例えると、受難週は夜です。真っ暗な夜。出口の見えないトンネルのように長い夜。特に夜明け前は、最も暗くなります。しかし、どんなに長い夜であっても、やがてその闇は薄れ、夜明けが来るのです。ちょうどそのように、受難週の後に、喜びのイースター(復活祭)が近づいています。

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礼拝メッセージ「隣人のものを欲しがってはならない」

礼拝メッセージ「隣人のものを欲しがってはならない」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。出エジプト記20章17節

「人間の心の中には神の形をした空洞があり、神以外では満たすことができない。」(パスカル)

お金、おいしい食物、やりがいのある仕事、地位や名声、知恵や学問、趣味、新製品、恋愛、セックス、心を癒してくれるペット、パチンコ、タバコ、酒、ドラッグ。

実に様々なものを、むさぼるように欲しがって生きている。それが私たち人間ではないでしょうか。しかし、それらはすべて、こわれた水ためです。どんどん流れ出てしまうため、決して心の中を満たすことができないのです。

何が原因で隣人のものまで欲しがってしまうのでしょうか。それは私たちが、湧き水の泉である神を捨ててしまったことにあります。いのちの水の源である神を、私たちは捨ててしまいました。だから何を手にしても満足できないのです。

神は決して、私たちを捨てることがありませんが、私たちが、神を捨ててしまったのです。けれども、イエス様があなたに代わって十字架で捨てられ、復活されました。神によって満ち足りて生きる道が備えられたのです。むさぼるようにこの神を慕い求めて生きる。それがあなたの生きる道です。

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礼拝メッセージ「偽証してはならない」

礼拝メッセージ「偽証してはならない」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。出エジプト記20章16節

この国の2007年を象徴する漢字として選ばれたのは、「偽」でした。これまでの「偽」を水に流し、これからも「偽」に生き続けるなら、そのうちに「滅」とか「亡」という漢字が選ばれる年を迎えることになるでしょう。

聖書の中には「アーメン」という言葉が使われています。その意味は、「偽」ではなくて「真」です。
聖書の神は、アーメンなる神、うそ偽りのない真実な神、約束したことを必ず果たしてくださる神です。

アーメンなる神は、「偽」なる者を「愛」し、「愛」をもって「真」を語られます。ですから、もし私たちが自分の「偽」を素直に認め、神の前に「罪」を言い表し、赦しを求めるなら、神はすべての悪から私たちをきよめてくださるという約束があります。

『しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。』ヨハネの手紙第一1:7-9より

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礼拝メッセージ「父と母を敬え」

礼拝メッセージ「父と母を敬え」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

あなたの父と母を敬え。出エジプト記20章12節

十戒の前半には、私たちを奴隷の家から救い出して下さった神との関わり方が語られています。後半には、隣人との関わり方が語られています。十戒を通して、神が私たちに教えておられること。それは、親子関係に始まる人間関係の土台は、十戒の前半に語られている、神との関係だということです。

神は、あなたを神と隣人を愛する自由の中に生かすために、十字架であなたの身代わりに死なれ、葬られました。しかし神は、3日目によみがえられ、今も生きておられます。

十字架の縦棒は縦の関係、神と私たちの関係を表わしています。そして十字架の横棒は横の関係、人と人との関係を表わしています。神との関係が人との関係の土台であり、神との関係をしっかり持っていくなら、豊かな人間関係を持つことができるのです。十戒の前半で語られているような神との関係を持たなければ、後半で語られるような人との関係を持つことはできないのです。

「あなたの父と母を敬え」という命令は、「もし天の父なる神の愛に根差すならば、あなたは将来必ず、父と母を敬うことのできる者に変えられる。」という約束です。神の愛に根差すならば、どんな難しい親子関係においても、父と母を敬う自由、父と母を愛する自由に生きることができるのです。

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礼拝メッセージ「安息日」

礼拝メッセージ「安息日」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。出エジプト記20章8節

創世記の冒頭には「夕があり、朝があった。」ということばが繰り返し使われ、日ごとに恵みの2ビートを奏でています。恵みの2ビートは、7日目には休符となり、一週間というリズムを刻みます。

普通私たちが一日の始まりと考えるのは朝です。しかし、旧約聖書の感覚では、夕方が一日の始まりです。夕方から夜にかけて、人間は眠りにつきます。働きを止めて休むのです。新しい朝を迎え、私たちが目を覚ます時、すべてが整えられ、神のご計画が進んでいることに気づきます。創造主なる神は、人間が何もしない間に、すべてのことを備え、ご自身の計画を進めておられるのです。

「夕があり、朝があった。」という恵みのリズムは、次のような響きを持っています。「あなたの神様は小さすぎるよ。あなたが何かをする前に、まず神様が問題の只中にいて、働いておられるよ。全知全能の神様は、必ずすべての問題を解決へと導いていて下さる。そして神様は、あなたに出来るあなたのなすべきことを備えて下さっている。あなたの小さな働きを、神様は大きく用いて下さるんだ。」

7日毎にすべての営みをストップし、天を見上げる。そして主を待ち望む。そのようにして神の恵みに浸るなら、上からの良きもので満たされて、なすべき仕事に立ち向かっていくことができます。

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新年礼拝メッセージ「神のビジョン」

新年礼拝メッセージ「神のビジョン」

聖書箇所:創世記15章1-6節

さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。…あなたの子孫はこのようになる。創世記15章5節

神のビジョンは、心の救いに留まりません。神のビジョンは、一市町村やこの国の救いに留まりません。神のビジョンは世界大であり、宇宙大です。使徒パウロが「被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしている(ローマ8:22)」と表現しているとおりです。

天を見上げるということは、宇宙を見上げるということです。光さえ私たちの目に届くのに時差が生じるほど壮大な空間が、天には広がっています。太陽の光は、約8分かかって地球に届いています。私たちが太陽を見る時、約8分前の過去を見ています。オリオン座の場合は、約1600年前の光です。

かつて主は、信仰の父アブラハムに、上記のみことばを語られました。アブラハムはこの主のみことばを信じ、主はそれを彼の義と認められました。アブラハムの子孫、ダビデの子孫として降誕された主イエス・キリストを信じることによって義と認められた私たちにも、このみことばは語られています。

その主イエスの大宣教教育命令を記します。

「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ福音書28:18-20)

杉戸キリスト教会に、星の数ほどの老若男女が満ちあふれることを夢見つつ、その夢をかなえるために、聖霊に満たされることを互いに祈り求めましょう。

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