礼拝メッセージ「獣の刻印」

礼拝メッセージ「獣の刻印」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ヨハネの黙示録13章1ー18節

それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。黙示録13章15-18節

「買うこと」と「売ること」。この二つの行為は、人間が社会の中で生きていくために必要なことです。もし売買が悪意をもってコントロールされたとすれば、役割分担をしながら生活を営んでいるすべての人が、その影響を受けることになります。

右手か額かに獣の刻印がない者は、スーパーマーケットに行っても、食料品や生活用品でさえ買うことができない社会。電気、ガス、水道さえも利用できない社会。信教の自由がそのような形で剥奪される社会。

黙示録は、そのような大変恐ろしい社会が、やがて訪れることを明確に預言しています。情報化、デジタル化、ネットワーク化、グローバル化が急速に進められている今、その暗雲はさらに近づいています。

礼拝メッセージ「宇宙戦争」

礼拝メッセージ「宇宙戦争」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ヨハネの黙示録12章1ー18節

また、別のしるしが天に現れた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。黙示録12章3-5節

黙示録12章には、神の国と悪魔の国の宇宙戦争が啓示されています。最初の場面は、クリスマスを巡っての霊的戦いです。イエス・キリストがクリスマスに降誕なさる時、大きな赤い竜として描かれる悪魔は、産まれて来る幼子イエスを食い尽くそうと待ちかまえていたのでした。

二つ目の場面は、天における天使たちと悪魔たちの戦いです。巨大な竜、悪魔とかサタンとか呼ばれて全世界を惑わすあの古い蛇は、その使い(悪霊たち)とともに、天から地上に投げ落とされました。

三つ目の場面は、地上に投げ落とされた悪魔が怒り狂って神の民(主イエスに従うキリスト者たち)に戦いを挑む場面です。

日夜キリスト者たちを神の御前で訴えていた悪魔は、既に天から投げ落とされました。キリスト者は、小羊イエスの十字架の血と、自分たちのあかしのことばによって、悪魔に打ち勝つことができるのです。

勝利者なる神

勝利者なる神

イースター歓迎礼拝メッセージ「生き返った青年」

イースター歓迎礼拝メッセージ「生き返った青年」

聖書箇所:使徒の働き20章1-12節

人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められた。使徒20章12節

今年もキリストの受難(パッション)を覚える時を経て、復活祭(イースター)を迎えることができました。季節は移り、桜咲く春を迎えることができました。心から感謝します。

人生を四季に例えてみましょう。幼年から少年時代はわかばと桜の春。青年から壮年時代は、ひまわりが咲き汗が輝く夏。熟年時代は、秋桜が咲き、色鮮やかな紅葉と結実に向かう秋。晩年はしばしの眠りに向かう冬支度の時のようです。

しかし若くして、十分な冬支度もできない中、突然の死を迎える方も少なくありません。今日の聖書の箇所には、そのような青年が登場します。

彼はユテコという名前の青年でした。ユテコは窓のところに腰掛けてパウロの話を聞いていたのですが、睡魔に襲われ、眠り込んでしまいました。三階から下に落ちてしまったユテコは、抱き起こしてみると、もう死んでいました。

しかしいのちの源である神、死者の中から復活された神は、しばしの眠りについている死人を生き返らせることがお出来になる方です。そのような神が、今も生きておられます!ですから死は永眠ではなく冬眠なのです。

礼拝メッセージ「悪に打ち勝つ」

礼拝メッセージ「悪に打ち勝つ」

聖書箇所:ルカ福音書11:1-13

私たちを試みに会わせないで、悪からお救い下さい。マタイ福音書6章13節

主の祈りそのもの、その一つ一つの祈願が、以下のような悪へと誘う悪魔を退け、悪に打ち勝つための祈りになっています。

1、神の御名ではなく、私の名前があがめられること
2、神の御国ではなく、私の国が来ること
3、みこころではなく、私の願いが成就すること
4、「私たちの」でなく「私の」ことだけを求めること
5、赦しではなく、報復を願う憎しみに生きること
6、神により頼まず、私の力と知恵により頼むこと
7、国と力と栄えを神から奪い、私のものとすること

『あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。』1コリント10章13節

『私たちの大祭司(イエス・キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。』ヘブル4章15-16節