礼拝メッセージ「ただならぬ騒動」

礼拝メッセージ「ただならぬ騒動」

聖書箇所:使徒の働き19章21-41節

そのころ、この道のことから、ただならぬ騒動が持ち上がった。使徒19章23節

エペソで起こったただならぬ騒動は、エルサレムで起こったただならぬ騒動を思い起こす出来事です。エペソにおいては、使徒パウロがその騒動の中に巻き込まれました。エルサレムにおいては、主イエスがその騒動の中に巻き込まれました。

キリストの教会が霊的に覚醒し、主イエスの教会が未伝地に出て行き、異郷において福音を宣べ伝える時、ただならぬ騒動が起こることは避けられません。

それは主イエスが歩まれた道でした。主イエスは天から降りてきてくださり、異郷に赴いて福音を宣べ伝え、愛をもって真理を教えてくださいました。

ところが主イエスがまことの光としてこの地上に来られ、それまでやみの中にまぎれ、覆い隠されていた罪を明らかに照らし出すにつれ、人々は主イエスに反抗し、反逆し、敵対しました。

そしてただならぬ騒動が起こり、理性を失った私たち人間は、愛に生きられた主イエスを罪に定めるための訴えを繰り返し、ついに主イエスは、茨の冠と十字架の死に至る苦難を身に受けることになりました。しかしそこにこそ神の愛が照らし出されているのです。

礼拝メッセージ「主イエスの御名」

礼拝メッセージ「主イエスの御名」

聖書箇所:使徒の働き19章1-20節

このことがエペソに住むユダヤ人とギリシヤ人の全部に知れ渡ったので、みな恐れを感じて、主イエスの御名をあがめるようになった。使徒19章17節

私たちは、必死に背伸びすれば、外側はきれいに見せることが出来るかもしれません。けれども、内にある醜い本当の自分を、自分できれいにできる人がいるでしょうか。

もしそれができるなら、罪のないイエス・キリストが私たちのために身代わりとなって十字架で死なれる必要は、まったくありませんでした。

心がかき回されなければ、自分は正しくて良い人間だと勘違いしています。しかし心がかき回されると、たちまち醜い本当の自分と向き合うことになります。いやで仕方がないけれども、自分で自分を変えることができない。私たちは本当にみじめな罪の奴隷です。

けれども聖書は、主イエス・キリストの御名の力強さを、紹介しています。

『キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。』ピリピ3章21節

礼拝メッセージ「神の道」

礼拝メッセージ「神の道」

聖書箇所:使徒の働き18章18-28節

彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。使徒18章26節

使徒パウロはコリントに腰を据えて宣教を続けた後、再び旅立ちました。パウロはシリヤに向かい、途中ケンクレヤ、エペソ、カイザリヤ、エルサレムを経てホームチャーチのあるアンテオケに戻りました。

アンテオケにしばらく滞在した後、パウロは3回目の宣教旅行に出発します。パウロはガラテヤ地方やフルギヤを巡って、すべての弟子たちを力づけました。

その時、エペソに滞在していたアクラとプリスキラは、アポロという雄弁で熱心に伝道している人物に出会いました。アポロは主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていました。けれども、アポロはヨハネのバプテスマしか知りませんでした。

そこでプリスキラとアクラは、アポロを招き入れて、神の道をもっと正確に説明しました。

伝道、すなわち神の道を伝えるためには、熱心さや純粋さだけではなく、聖書に基づく正確さが求められます。

礼拝メッセージ「わたしがともにいる」

礼拝メッセージ「わたしがともにいる」

聖書箇所:使徒の働き18章1-17節

ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。使徒18章9-10節

「聖書の中に出てくる人たちはみな、強くて揺るぎない信仰を持った立派な人たちである」という思い違いを、多くの人がしています。

けれども、聖書を丁寧に読むと、強い信仰者というイメージの強い使徒パウロでさえも、時に困り果て、時に恐れを抱き、意気消沈した普通の人間であることを知ることができます。

上記のみことばは主なる神が、パウロに語りかけた内容です。

「恐れないで!わたしがあなたとともにいる!」と語る必要があったのは、パウロが恐れと孤独感に支配されていたからでしょう。

「語り続けなさい!黙ってはいけない!この町には、わたしの民がたくさんいるから!」と語る必要があったのは、パウロが身の危険を感じるほどの激しい迫害と反発に直面し、「この町には救われる人がもういない。だからこの町で福音宣教をするのは止めよう。語っても無駄だ。」と考えていたからに他ならないでしょう。

礼拝メッセージ「審判の日」

礼拝メッセージ「審判の日」

聖書箇所:使徒の働き17章16-34節

神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。使徒17章30-31節

ギリシアのアテネ。そこはギリシア神話の神々の像に溢れている町でした。また、エピクロス派とストア派の哲学者たちが論じ合っている町でした。

パウロはアレオパゴスに連れて行かれ、ギリシアの中心で神を叫ぶことになりました。

まずパウロは、アテネの人たちが宗教心にあつい方々だとほめました。評価できる点を最初に語ることは、福音提示の土台となる大切なことです。

次にパウロは、道ばたにあった『知られない神に』と刻まれた祭壇について触れ、そこから創造主なる神について語り始めました。

最後にパウロは、上記のみことばのように悔い改め(生き方の方向転換)の必要について、審判の日と死者の復活から論じました。

礼拝メッセージ「聖書とは」

礼拝メッセージ「聖書とは」

聖書箇所:使徒の働き17章1-15節

パウロはいつもしているように、会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです。」と言った。使徒17章2-3節

パウロたちはテサロニケとベレヤにて、ユダヤ人の会堂に入り、聖書に基づいて論じ、神のことばを宣べ伝えました。聖書は今も、キリスト(救い主)について、以下のことを明確に語っています。

1、救い主は苦しみを受けなければならない。

2、救い主は死者の中からよみがえらなければならない。(そして栄光にはいる)

3、使徒たちが宣べ伝えているイエス。すなわち、十字架の苦しみを受けて死なれ、墓に葬られ、3日目によみがえられて今も生きておられる主イエスこそ、まさしくキリスト・救い主である。

日本同盟基督教団の信仰告白は、聖書に関する以下の告白から始められています。

1、旧、新約聖書66巻は、すべて神の霊感によって記された誤りのない神のことばであって、 救い主イエス・キリストを顕わし、救いの道を教え、信仰と生活の唯一絶対の規範である。

礼拝メッセージ「家族の救い」

礼拝メッセージ「家族の救い」

聖書箇所:使徒の働き16章25-40節

ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。使徒16章31節

真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていました。ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまいました。

目をさました看守は、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとしました。そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と叫びました。

看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏しました。そしてふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言いました。

ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言い、彼とその家の者全部に主のことばを語りました。

看守はその夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗いました。そしてそのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けました。それからふたりを家に案内して食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜びました。

礼拝メッセージ「困り果てて」

礼拝メッセージ「困り果てて」

聖書箇所:使徒の働き16章11ー24節

幾日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り返ってその霊に、「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け。」と言った。すると即座に、霊は出て行った。使徒16章18節

パウロとルカたちは船に乗り込み、エーゲ海を渡ってマケドニアのピリピ町に行きました。安息日に、彼らは祈り場があると思われた川岸に行き、集まった女たちに福音を語りました。

紫布の商人で神を敬うルデヤという女が聞いていました。主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされました。

彼女は家族と一緒にバプテスマ(洗礼)を受け、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください。」と言って頼み、強いてそうさせました。

彼らが祈り場に行く途中、占いの霊につかれた若い女奴隷に出会いました。この女は占いで、主人たちに多くの利益を得させていました。

彼女はパウロとルカたちの後について来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです。」と何日も叫び続けました。パウロたちは困り果て、主イエスの御名を叫びました。

礼拝メッセージ「助けてください」

礼拝メッセージ「助けてください」

聖書箇所:使徒の働き16章1ー10節

ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願するのであった。使徒16章9節

何事でも、やりだせば必ず壁にぶつかります。けれども、明確な目的を持っている人は、迷っても壁を乗り越えていくことができます。

けれども、明確な目的を持っていなければ、壁を前にしてただ迷い、焦り、そして徒労に終わってしまいます。

ですから、聖書に聞く祈りによって、人生の目的を明確にし、死の向こうの永遠を見据えた長期計画、ロードマップを立てることがとても大切です。

実に人生の目的は「魂の救い」と「人育て」のために「共に生きる」ことです。

聖なる神の霊(聖霊)の導きによって、具体的計画は何度も軌道修正され、その都度、計画変更を余儀なくされるでしょう。その繰り返しが歴史であり、私たちの人生ではないでしょうか。

しかし、あらゆる壁を乗り越えることのできる知恵と力を与え、夢をかなえさせてくださるのは、全知全能の神御自身なのです。

礼拝メッセージ「別行動」

礼拝メッセージ「別行動」

聖書箇所:使徒の働き15章36ー41節

そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。使徒15章39-40節

バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネと一緒に、2回目の宣教旅行に出かけようとしました。ところがパウロは、1回目の宣教旅行において、途中でいなくなったような者は一緒に連れて行かないほうがよいと考えました。

それで激しいにらみ合いになり、結局互いに別行動をとることになりました。

パウロは即戦力と期待されるシラスという人物を選び、先に主のことばを伝えた町々を尋ね、諸教会を力づけました。バルナバは、パウロが見捨てたマルコを連れて、船でキプロスに渡って行きました。

別行動によって、同時並行的に教会形成、つまり人育てがなされていきました。

後にマルコは、イエス・キリストの福音をいち早くまとめ、福音書を執筆するほどの人物となりました。

バルナバのように、捨てられた者を拾い、決してあきらめずに私たちを育て上げてくださる神。それが私たちの主イエス・キリストです。