豊橋技術科学大学の研究室で教えられたこと その2

豊橋技術科学大学の研究室で教えられたこと その2

「いずれ後輩を育てる立場になる時が来る。その時のために失敗は恐れてはならないが、恥ずかしいことはしてはいけない。」

大学の研究室では、数年経てば自分が先輩になり、後輩を育てる立場になる。後輩は少し先を行く先輩の研究に対する態度や姿勢を見て育つ。失敗することは恥ずかしいことではない。けれども、怠惰であったり、本業をおろそかにしたり、卑怯なことをすることは恥ずかしいことである。そのような恥ずかしいことをする反面教師になってはいけない。
この教えは、大学の研究室だけでなく、あらゆる現場において、しっかりと心に刻むべきものであると私は考える。

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親は子どもによって育てられる。
教師は生徒によって育てられる。
医師や看護師は患者によって育てられる。
政治家は国民によって育てられる。
ビジネスマンは顧客によって育てられる。
夫は妻によって育てられる。
牧師は信徒によって育てられる。

東日本大震災が起こってからちょうど4ヶ月

東日本大震災が起こってから、ちょうど4ヶ月が経った。

今日持たれた教師会の中で、既存のキリスト教会が牧師を招聘する際に、「即戦力」を求める傾向が強くなっているということが話題の中で語られた。

「即戦力」、つまり訓練や準備をしなくてもすぐに使える戦力。実はこの言葉こそ、3月11日に起こった東日本大震災が明らかにした、この国の問題の本質を、見事に言い当てた言葉ではないかと私は思う。

学校の教職員、会社の社員、国会の議員、病院の医師や看護士、福祉施設の介護士、そしてキリスト教会の教職者。

いかなる職業においても、即戦力を第一とした人材育成が行われる時、互いの未熟さの故に、必要以上の失敗、ミス、トラブルが多発し、大きな人災に至る。

しかし熟練した働き人であるならだれでも、数えきれないほど多くの失敗を犯し、多くの方々に多大な迷惑をかけ、多くの方々に本当にお世話になり、長い時間をかけてじっくりと育てられてきたはずだ。

かつてお山の大将であった荒削りの岩は、大河の流れの中で、ゆったりとした時間の中で、上流から中流、中流から下流へと下り、そして丸いきれいな石に変えられるのだ。

あなたもそのようにして育てられたからこそ今のあなたがあるはず。

これ以上、必要以上の被害者を出さないために、「即戦力」という言葉の持つ魅力にだまされないでほしい。

そしてあなたが受けてきたそのように、忍耐と寛容と親切をもって、後輩を、次世代の人材を、決して見捨てずに、すぐに見切らずに、暖かく育てることに携わっていだきたい。

礼拝メッセージ「別行動」

礼拝メッセージ「別行動」

聖書箇所:使徒の働き15章36ー41節

そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。使徒15章39-40節

バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネと一緒に、2回目の宣教旅行に出かけようとしました。ところがパウロは、1回目の宣教旅行において、途中でいなくなったような者は一緒に連れて行かないほうがよいと考えました。

それで激しいにらみ合いになり、結局互いに別行動をとることになりました。

パウロは即戦力と期待されるシラスという人物を選び、先に主のことばを伝えた町々を尋ね、諸教会を力づけました。バルナバは、パウロが見捨てたマルコを連れて、船でキプロスに渡って行きました。

別行動によって、同時並行的に教会形成、つまり人育てがなされていきました。

後にマルコは、イエス・キリストの福音をいち早くまとめ、福音書を執筆するほどの人物となりました。

バルナバのように、捨てられた者を拾い、決してあきらめずに私たちを育て上げてくださる神。それが私たちの主イエス・キリストです。