ベラルーシの歴史は苦悩の歴史です。苦悩は私たちの避難場所です。信仰です。私たちは苦悩の催眠術にかかっている。しかし、私はほかのことについても聞きたかったのです、人間の命の意味、私たちが地上に存在することの意味についても。訪れては、語り合い、記録しました。この人々は最初に体験したのです。私たちがうすうす気づきはじめたばかりのことを。みんなにとってはまだまだ謎であることを。でも、このことは彼ら自身が語ってくれます。何度もこんな気がしました。私は未来のことを書き記している・・・・。
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私とバイク その4
44歳にして、初めて骨折をし、初めて入院をし、初めて全身麻酔の手術を受けた。小さな頃からやんちゃに走り回って切り傷が絶えず、外科に何度もお世話になった。中学を卒業してからは空手道部でかなり激しい練習や試合などをしてきた。登山も好きで八ヶ岳や槍ヶ岳などにも登ってきた。でも44年間、骨折や入院や手術からは守られていた。
その私がなぜ骨折をしたのか。それは先日手に入れた普通自動二輪の免許と400CCのバイクによる。
まず例によって、約3週間は休みが取れないスケジュールが目前にあった。そしてその休日は、朝からコンスタントに、少し強めに雨が降っていた。
免許を所得して約1ヶ月。その間恐る恐るではあるがなるべく交通量の少ない道を走り、途中で雨が降り始めた時にはかなり慎重に運転していた。
そんなふうにして、少し自信がつき始めていたことは確かだ。だからこそ、最初から雨だったのに、少し長めのツーリングに出かけてしまったのだった。
教習所の教官にも、ツーリングは疲れを覚える帰り道で事故を起こしやすいので注意するようにと言われていた。
幹線道路や直線コースでは雨天でも大丈夫だった。けれども、帰り道、渋滞を避けた抜け道のようなマイナーな道路で、急なアップダウンがあり、登り坂の後のスピードが出やすい濡れた下り坂には、私の運転技術を超えた難しさがあった。
下りながら、下り終わった所に交差点が見えた。そしてその交差点を横切るためには、排水路用の金網を横切らなければならないことが確認できた。だから少し強めにブレーキをかけてしまったのだ。濡れた下り坂で少し強めのブレーキ。それはあっと言う間の転倒をもたらした。倒れたバイクは路面に引っかき傷を残しながら私の前を15メートルほど滑っていった。車が来ていないのを確認し、すぐバイクに近寄り、キルスイッチでエンジンを切った。
フルフェイスヘルメット、肘と肩と背中にプロテクターのついたバイクジャケット、長袖の上着、ジーンズ、膝プロテクター、ブーツ、グローブ、そしてレインウエアを着込んでいたので、レインウエアはかなりボロボロになったが、切り傷やすり傷はまったくなかった。そして本当に幸いに、対人対物の被害もなかった。しかし、左肩を強く打つような形で路面に接触したのか、動かし方によっては肩に強い痛みを覚えるようになっていた。
通りかかった車の方が優しい声をかけてくださり、バイクを起こしてくれたので道路脇にバイクを移動した。すこし気が動転していたので、しばらく深呼吸していたら落ち着いた。エンジンをかけ、クラッチを握ると少し肩に痛みを覚えつつも無事に我が家にたどり着くことができた。その日には、まさか骨が折れているとは思っていなかった。
続く
東日本大震災後の試行錯誤その1
世界から日本という国を見つめる時、2011年3月11日に起こった東日本大震災の後、今この国が置かれている特異な状況を覚えることができる。
この世界において、原子力発電所における深刻なレベルの大事故は、 アメリカのスリーマイル島原子力発電所(1979年3月28日)、 旧ソビエトのチェルノブイリ原子力発電所(1986年4月26日)、そして日本の福島第一原子力発電所(2011年3月11日)で起こった。
東京大学アイソトープ総合センターの児玉龍彦教授によると、この5ヶ月あまりで福島の発電所から放出され、風に乗って拡散した放射能の総量は、広島に投下されたタイプの原子爆弾29.6個分(熱量換算)、放出されたウラン量は広島原爆の20個分だという。
さらに、原爆によって放出された放射能の残存量は1年で約1/3に低下するのに対し、原発によって放出された放射能の残存量は1年たっても1/10程度にしか減らないと言われている。
チェルノブイリと福島を比較すると、放射能で汚染された面積は約半分であるが、そこで生活していた人々の数は2倍から4倍である。 人口密度の高さを考慮するなら、福島はチェルノブイリよりも深刻だと考えられる。
(群馬大学の早川由紀夫教授による「早川由紀夫の火山ブログ」参照)。
追記
<福島第1原発>放出セシウム…広島原爆の168個分
毎日新聞 8月26日(金)22時28分配信
経済産業省原子力安全・保安院は26日、東京電力福島第1原発1~3号機と広島原爆から、それぞれ大気中に放出された放射性物質の核種ごとの試算値を公表した。セシウム137(半減期約30年)の放出量を単純比較すると、福島第1原発は広島原爆の168.5個分に相当する。
◇保安院が試算
試算値は衆院科学技術・イノベーション推進特別委員会に提出された。原爆は「原子放射線の影響に関する国連科学委員会2000年報告」、福島第1原発は、6月に国際原子力機関(IAEA)に提出された政府報告書の試算を基に作成された。
セシウム137の放出量は、福島第1原発1~3号機が1万5000テラベクレル(テラは1兆)に対し、広島原爆は89テラベクレルだった。ストロンチウム90(半減期約29年)は、福島第1原発が140テラベクレルに対し、広島原爆が58テラベクレルで約2・4個分。ヨウ素131(半減期約8日)は、福島第1原発が16万テラベクレル、広島原爆は6万3000テラベクレルで約2・5個分に相当した。
保安院の森山善範原子力災害対策監は「原子爆弾は一瞬に爆風や熱線、中性子線を放出し、破壊するもので、単純に放出量で比較するのは合理的ではない」と述べた。【足立旬子】
福島から放出される放射性粒子の相対的な飛散図
7月22日(金)午後 更新
過去のデータ(オリジナルデータにてアニメーションが見れます)
3月11日以降、祈りつつ情報を発信しています。
私は信じています。今何が起こっているのかという真実がふさわしい時に明らかにされ、速やかな対応ができるならば、最小限の被害や犠牲者に留めることができると。
紹介させていただいているイラストレーションは、ドイツ気象庁による日本付近の気象予報に基づく放射能汚染予測です。
協定世界時(UTC)を9時間進めたUTC+9が日本標準時間になります。
Relative Verteilung in Fukushima emmittierter radioaktiver Partikel:福島から放出される放射性粒子の相対的な飛散図
Konzentration noch relativ hoch:濃度はまだ比較的高い
Konzentration deutlich verdunnt:濃度は大幅に希釈
Konzentration stark bis sehr stark verdunnt:濃度は非常に希釈
(重要なお知らせ:放出源の濃度が明らかでないため、この予想図には空気中にある放射性粒子の実際の密度が反映されているとは限りません。発電所からの仮想上の放射が天候条件によってどのように拡散し薄くなっていくかのみが表現されます。)
あくまでも気候条件のみによる予想ですが、原発震災の場合、半径何キロということよりも風向きと風の強さが非常に影響することが理解できます。大気中に放出された放射性粒子は、タバコの煙のように風に吹かれて飛散します。
雨が降ったり、雪が降れば、その付近の上空に飛散している放射性物質がかき集められて地上に降り注ぎます。
風下でなおかつ雨や雪が降る地域におられる方、参考にしてください。
できるだけ海側に向かって強い風が吹き続けることを祈り続けると共に、一刻も早い解決、つまり発電所から放射能が放出されることが留められることを祈りましょう。
この図に関するドイツ語コメントの日本語訳、日本政府及び気象庁の公式情報、タイムリーな情報提供をしてくださっているドイツ気象庁のWEB(英語訳が付きました!)は以下を参照してください。
http://www.witheyesclosed.net/post/4169481471/dwd0329
首相官邸災害対策のページ:http://www.kantei.go.jp/saigai/index.html
広瀬隆:福島原発巨大事故 今何が必要か
私が原発に反対する理由その1:原発はリスク(危険)が高すぎる=安全ではない
理由その1:原発はリスク(危険)が高すぎる(=安全ではない。安全とはリスクが小さいこと。)
原発は事故が起こらない通常運転においても厄介な放射性廃棄物を生み出します。プルトニウム239の半減期は約2万4千年です。14万年後でも1/64にしかしかなりません。そのような高レベル廃棄物は、100万年ぐらい監視を続けなければならないほど危険な毒性物質です。未来の子どもや孫たちに危険な管理を押しつけることになります。捨てる場所に困る危険なゴミを無責任に出すのは止めましょう。
さらに、多くの原発が活断層や定期的に起こる海溝型巨大地震想定震源域の上に建てられており、地震や津波の脅威に対する想定が甘く、想定外が多すぎます。この度のような大震災によって事故になると、風や海流に乗って、空気、土地、海、水、食べ物などが放射能で汚染されます。
実は私が以前から祈りに覚えていたのは、福島原発よりも浜岡原発の方でした。