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いのちの水の川
上高地かっぱ橋から見た梓川
ペンテコステ礼拝メッセージ「聖霊とは何か」ローマ17
ペンテコステ礼拝メッセージ「聖霊とは何か」ローマ17(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙8章1ー17節
1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が
罪に定められることは決してありません。
2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、
罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
3 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、
神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、
罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、
肉において罪を処罰されたのです。
4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、
律法の要求が全うされるためなのです。
5 肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、
御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。
6 肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。
7 というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。
それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。
8 肉にある者は神を喜ばせることができません。
9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、
あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。
キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。
10 もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、
からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。
ローマ人への手紙8章1-10節
礼拝メッセージ「いのちの水の川」
礼拝メッセージ「いのちの水の川」(クリックで聴けます)
聖書箇所:ヨハネの黙示録22章1ー7節
御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。黙示録22章1-2節
昨年5月末から一緒に耳を傾け始めた黙示録も、いよいよ最後の章になりました(メッセージは教会のホームページにて配信しています)。聖書最後の章でもあるこの大切な章を、3回に分けて味わいましょう。まず今日は「いのちの水の川」のビジョンです。
いのちを育む川が豊かに流れ、いのちの木が中央にあったエデンの園(喜びの園)から追放され、その後続く長くて曲がりくねった旅路は、新しい天と新しい地、聖なる都エルサレムにて終わりを迎えます。
そこには、水面が水晶のようにキラキラ光るいのちの水の川があります。いのちの水の川は、神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央をゆったりと流れています。
川の両岸にはいのちの木があり、12種の実がなり、毎月実を実らせます。そしていのちの木の葉は、諸国の民をいやす効用があります。
そこに至る旅路において、あまりにも悲しみや苦しみが多いので、神はいやしをもたらすいのちの木と、それを育むいのちの水の川を備えていてくださるのでした。そこはエデンの園よりも素晴らしい所です。