礼拝メッセージ「送り出す教会」

礼拝メッセージ「送り出す教会」

聖書箇所:使徒の働き13章1ー12節

彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」と言われた。そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。使徒13章2-3節

聖霊に導かれたアンテオケ教会はパウロとバルナバを宣教師として送り出しました。彼らはマルコと呼ばれるヨハネも助手として連れて行きました。

ハドソン・テーラーは、超教派の協力で宣教師を派遣し、一致して伝道に当たるべきことを主張して、中国に多くの教会を形成しました。感化を受けたフレデリック・フランソンは『アライアンス・ミッション(同盟宣教団)』を創設しました。そして超教派的な宣教協力によって、世界のキリスト教未開拓地域に教師と信徒を宣教師として派遣したのです。

フランソンスピリットを持った宣教師たちが日本に来て、未伝の地方において国外宣教をしました。その結果、各地に主の教会が生み出され、教会が形成されました。実に国外宣教こそ私たちの原点です。

この経緯を覚える時、私たちも国内外において世界宣教を推し進めるために、信徒の働き人の派遣や現地における他教団・他団体との宣教協力を積極的に考えることができるでしょう。

礼拝メッセージ「栄光は神に」

礼拝メッセージ「栄光は神に」

聖書箇所:使徒の働き12章18ー25節

するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。使徒の働き12章23節

ヘロデが神に打たれて即死した理由は、神に栄光を帰さなかったからです。実はこれこそ、私たち全人類が犯した「死に至る罪」です。なぜ人が死ぬようになったのか。それは、「取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ」と警告されていた善悪の知識の木から取って食べたからです。それは以下のような、死に向かう方向転換でした。

神を基準とせず自分を基準とする。神を神とせず自分を神とする。神を主とせず自分が主となる。神中心でなく自己中心になる。栄光を自分に帰す。

しかしイザヤ書53章には、そのような私たちの身代わりに、神に打たれた主イエスのことが記されています。主イエスはあなたの罪のために十字架で死なれ、復活して今も生きておられます。

この主イエスを受け入れて向きを変える。それは以下のような、いのちに至る悔い改めです。自分を基準とせず神を基準とする。自分を神とせず神を神とする。自分を主とせず神を主とする。自己中心でなく神中心になる。栄光を自分にではなく神に帰す。

礼拝メッセージ「祈りはきかれる」

礼拝メッセージ「祈りはきかれる」

聖書箇所:使徒の働き12章1ー17節

こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。使徒の働き12章5節

教会が神に熱心に祈り続けた時、その祈りはきかれ、信じられないほどの出来事が起こりました。

ヘロデ王(ヘロデ・アグリッパ一世)は、ヨハネの兄弟ヤコブを殺し、ペテロも捕えて牢に入れました。その時教会は、ペテロのために、神に熱心に祈り続けていました。

厳重な警戒の中、牢に閉じ込められていたペテロは、主の御使いによって奇跡的に救出されます。その後ペテロは家の教会へと向かいました。そこは立派なチャペルではなく、マルコ・ヨハネの母マリヤの家でしたが、大ぜいの人が集まって、祈っていました。

ペテロが入り口の戸をたたくと、ロダという女中が応対に出てきました。ペテロの声だとわかると、喜びのあまり門をあけもしないで奥へ駆け込み、ペテロが門の外に立っていることをみなに知らせました。

彼らは、「あなたは気が狂っているのだ。」と言い、彼女はほんとうだと言い張りました。そこで彼らは、「それは彼の御使いだ。」と言っていました。その間ペテロは扉をたたき続けていました。彼らが門を開けると、そこにはペテロ本人が立っていました。

礼拝メッセージ「クリスチャン」

礼拝メッセージ「クリスチャン」

聖書箇所:使徒の働き11章19ー30節

弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。使徒の働き11章26節

エルサレムの迫害によって、使徒たち以外の者はみな、諸地方に散らされました。人々はフェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行きましたが、ユダヤ人以外の者には、福音を語りませんでした。

ところが、その中にキプロス人やクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからは、ギリシヤ人にも語りかけました。主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返りました。

この知らせがエルサレム教会に聞こえた時、彼らはバルナバをアンテオケに派遣しました。バルナバは神の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ましました。

バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、サウロをアンテオケに連れて来ました。そして一年間、彼らはアンテオケ教会に集い、人々を教えました。

その結果弟子たちは、アンテオケで初めてキリスト者(クリスチャン)と呼ばれるようになりました。大ききんの際、アンテオケ教会のクリスチャンたちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援物資を送りました。

礼拝メッセージ「大風呂敷の幻」

礼拝メッセージ「大風呂敷の幻」

聖書箇所:使徒の働き11章1ー18節

すると、もう一度天から声がして、『神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。』というお答えがありました。こんなことが三回あって後、全部の物がまた天へ引き上げられました。使徒の働き11章9-10節

使徒たちやユダヤにいる兄弟たちは、異邦人たちも神のことばを受け入れた、ということを耳にしました。そこで割礼を受けた者たちは、エルサレムに戻ってきたペテロを非難しました。「あなたは割礼のない人々のところに行って、彼らといっしょに食事をした。」

それでペテロは、事の次第を順序正しく説明しました。海辺の町ヨッパで見た大風呂敷の幻。カイザリヤのコルネリオを尋ねるに至った経緯。コルネリオの家で起こった聖霊降臨の出来事。ペテロはそれらを丁寧に語り、こう締めくくりました。「こういうわけですから、私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。」

人々はこれを聞いて沈黙し、「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ。」と言って、神をほめたたえました。しかしこの問題は尾を引きます。

礼拝メッセージ「すべての人の主」

礼拝メッセージ「すべての人の主」

聖書箇所:使徒の働き10章24ー48節

「これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行なう人なら、神に受け入れられるのです。神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。使徒の働き10章34-36節

ヨッパの海辺に滞在していたペテロは、使者たちと共にカイザリヤにあるコルネリオの家を尋ねました。ローマの軍人でありながら、敬虔な信仰者であったコルネリオは、家族だけでなく親族や親しい友人たちも呼び集めて、ペテロを待っていました。

出迎えたコルネリオは、ペテロの足もとにひれ伏して拝みました。ペテロは彼を起こして、「お立ちなさい。私もひとりの人間です。」と言いました。ペテロを招いた理由をコルネリオが語った時、ペテロは上記の言葉を語り始めました。

すべての人の主であるイエス・キリストについて、ペテロが語り続けていると、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊の賜物が注がれました。割礼を受けていない外国人たちが聖霊を受けたことに驚いたペテロは、「いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。」と語り、イエス・キリストの御名によってバプテスマ(洗礼)を受けるように彼らに命じました。

礼拝メッセージ「海辺のペテロ」

礼拝メッセージ「海辺のペテロ」

聖書箇所:使徒の働き10章1ー23節

さあ今、ヨッパに人をやって、シモンという人を招きなさい。彼の名はペテロとも呼ばれています。この人は皮なめしのシモンという人の家に泊まっていますが、その家は海辺にあります。使徒の働き10章5-6節

広くて大きい海の近くに住めば、私たちの心が広くて大きくなるかというと、そうではありません。広くて大きい平野に住んでも、同じことでしょう。

私たち人間は、お互いに自己中心な物差しや、地元意識のような狭い心を持って生きています。

-実は、自己中心な物差しを持つことこそ、聖書が語る罪です。それは自分を基準とし、自分を神とする罪です。-

そしてお互いに、自分と他者をはかりあって生きています。そして「きよい」とか「きよくない」とか、「仲間」だとか「よそ者」だとか区別し、壁を設けます。同じ人間が、血筋や肌の色、学歴や肩書き等によって人を差別し、受け入れたり拒んだりします。

実は神の選びの民であるユダヤ人も、まさにそのような罪深さを持って生きていました。使徒ペテロでさえ、せまくて小さい心で生きていました。しかし主イエスは、不思議な夢と出会いを通して、ペテロの心を徐々に広く大きくされました。

礼拝メッセージ「歩く聖書」

礼拝メッセージ「歩く聖書」

聖書箇所:使徒の働き9章32ー43節

さて、ペテロはあらゆる所を巡回したが、ルダに住む聖徒たちのところへも下って行った。使徒の働き9章32節

ペテロは、歩く聖書とされて、魂の救いのために、豊かに用いられていきました。

ルダという所では、八年間中風を患い、寝たきりだったアイネヤをいやし、それを見た人々の魂を救いました。

ヨッパという所には、タビタ(ギリシヤ名ドルカス)という女の弟子がいました。彼女は、多くの良いわざと施しをしていましたが、病気になって死にました。しかしペテロは、ひざまずいて祈ることによって、彼女を生き返らせ、生きている彼女を人々に見せたのです。このことがヨッパ中に知れ渡り、それを見た多くの人々の魂が救われました。

危機の時代に生かされている私たちも、主イエス・キリストを信頼して受け入れ、聖書のみことばを実生活に適用して生きるなら、歩く聖書とされます。

その時私たちは、「魂の救い」と「弟子作り」という教会の存在目的のために、豊かに用いられます。実に、「魂の救い」と「弟子作り」こそ、奇跡の中の奇跡です。

講壇交換メッセージ「神の子どもとされる特権」

講壇交換メッセージ「神の子どもとされる特権」

関東宣教区講壇交換 北秋津キリスト教会にて

聖書箇所:ヨハネ福音書1章1ー18節

しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。ヨハネ福音書1章12節

Gospel of John

礼拝メッセージ「行列のできる教会」

礼拝メッセージ「行列のできる教会」

聖書箇所:使徒の働き9章23ー31節

こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。使徒の働き9章31節

目からうろこが落ちて主イエスをキリストと信じ、バプテスマ(洗礼)を受けたサウロは、板挟みの苦しみを味わうことになりました。ユダヤ人たちからは四六時中いのちを狙われ、エルサレム教会からは恐れられ、受け入れてもらえませんでした。

そのような苦しみの中、主なる神はバルナバという人物を用いて、サウロが教会に仲間として受け入れられるように導かれます。バルナバはサウロを引き受け、使徒たちのところへ連れて行きます。そして、迫害者サウロがどのようにしてイエス・キリストに帰依するようになったのかを一生懸命説明しました。

エルサレム教会には、サウロによって家族が拉致されたり、殺害された痛みを持つ人々が、大勢いたことでしょう。しかしエルサレム教会は、主なる神がこのことをされたのだと厳粛に受け止めました。そして神を恐れるが故に、聖霊の慰めと励ましの故に、受け入れ難いサウロを、神の家族として受け入れたのでした。

行列のできる教会は、そのようにして築き上げられ、各地で信者の数がふえて行きました。