MBC中学生キャンプGospel Time1メッセージ「いつくしみ深い神の献身」
聖書箇所:ルカ福音書10章25ー37節
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聖書箇所:ルカ福音書10章25ー37節
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聖書箇所:創世記21章1ー34節
主は約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりに主はサラになさった。サラはみごもり、そして神がアブラハムに言われたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。創世記21:1-2
閉塞感という名の不信仰を突き破る神の真実。それを聖書は、時空を超えて私たちに語り続けています。アブラハムは不信仰によって、何度も取り返しのつかないようなことをしました。けれどもアブラハムを選んだ主なる神は、決してアブラハムを見捨てず、真実と忍耐をもって、アブラハムを養育されました。
そして25年という長い歳月の末、アブラハムが100歳、サラが90歳の時、遂に約束の子イサクが与えられます。実にアブラハムの神は、不信仰な冷笑を笑い飛ばし、感謝と喜びに満ちた暖かい笑いに変えることのできる全能の神であられます。
不信仰を突き破って約束を果たされる全能の主を知ったアブラハムは、後に「ひとり子イサクを全焼のいけにえとしてささげよ」と主に命じられた時、神には人を死者の中からよみがえらせることもできると考え、死からイサクを取り戻します(へブル11:17-19参照)。
実にアブラハムは、神の真実によって、十字架信仰と復活信仰をもって全能の神を仰ぐ信仰の父へと変えられていくのです。
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聖書箇所:創世記19章30ー20章18節
神は夢の中で、彼に仰せられた。「そうだ。あなたが正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れることを赦さなかったのだ。創世記:20:6
ロトの娘たちは、閉塞感の中、父に酒を飲ませ、父によってみごもり、モアブ人とアモン人の先祖となります。背後には、ロトの娘たちの胎を堅く閉じられない主なる神がおられます。
旅を続けるアブラハムは、再び妻サラを妹だと偽り、その結果サラは、ゲラルの王アビメレクに召し入れられてしまいます。しかし主なる神は、正しい心を持つ王アビメレクが罪を犯さないように、夢の中で彼に警告と命令を与えられたのでした。
アビメレクがサラをアブラハムに返し、アブラハムが神に祈った時、アビメレク家の女性たちは、また子を産むようになりました。主が胎を再び開かれたからです。
すべての女性の胎を、閉じたり開いたりすることのできる主権者。それが主と呼ばれるアブラハムの神です。人間は不信仰によって神の計画を妨げます。しかしアブラハムの神は、閉塞感という名の不信仰や人間の過ちに、愛と真実をもって介入され、確実にご計画を前に進ませておられます。
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聖書箇所:創世記19章1ー29節
そこでロトは出て行き、娘たちをめとった婿たちに告げて言った。「立ってこの場所から出て行きなさい。主がこの町を滅ぼそうとしておられるから。」しかし、彼の婿たちには、それは冗談のように思われた。創世記19:14
「ターミネーター」とは、「何かを終わらせる者」という意味の言葉です。いのちを終わらせるということなら「殺す者」とか「中絶する者」。雇用を終わらせるということなら「解雇する者」となります。
人間は恐ろしいターミネーターになり得ます。それは、人間が神のようになろうとして一線を越える時に起こります。人間が一線を越えるその時、人は自分の心の中で、まず神を殺します。そうすると、自分にとって都合の悪いものはすべて抹殺しようとする、恐ろしいターミネーターの誕生となります。
しかし聖書は、すべてをご自分の栄光のために創造し、すべてを始められた主なる神こそが、すべてのものを終わらせることのできる真のターミネーターであると語っています。
主なる神の厳粛な裁きや世の終わりについて真剣に語っても、神を恐れない人には、それは冗談のようにしか聞こえないでしょう。しかし聖書は、「この天地は滅び去る。人間には一度死ぬことと死後に神のさばきを受けることが定まっている。だから、あわれみ深い神の御腕の中に逃れよ!」と警告し続けています。
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聖書箇所:創世記18章1ー33節
主はこう考えられた。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福される。・・・創世記18:17-18
主は御使いと共にアブラハムに現れ、神のことばの確かさを語られます。人の不信仰を超えて、時が来ると必ず出来事となる。それが神のことばです。主は、主の時刻表通りに事を成されます。遅れることはありません。いつでも主は、最善の時に最善の事をなさいます。
夫婦は似てくると言われますが、アブラハム夫婦もそうでした。夫アブラハムは、作り笑いをしながら、心の中では不信仰な苦笑いをしました。同じように妻サラは、心の中で笑って言うのです。「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」
しかし心の中をご覧になる主は、「なぜ笑うのか。」「主に不可能なことがあろうか。」「いや、確かにあなたは笑った。」と問い詰められます。
その後、主と御使いたちは、きわめて重い罪を犯し続けるソドムとゴモラを滅ぼすために視察されます。その時、主なる神は自問自答なさいました。その内容を聖書は特筆しています。主はいつも、その時の私たちにとって何が最善かを自問自答なさり、私たちの信仰を養い育ててくださいます。感謝。
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聖書箇所:創世記17章1ー27節
わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたをおびただしくふやそう。創世記17:1-2
主なる神は、具体的な約束をもってアブラムの信仰を育まれます。創世記17章で、主なる神は全能の神(エル・シャダイ)として現れ、アブラムとその子孫との間に割礼による契約を結んでくださいます。
全能の神は、アブラムにアブラハム(多くの国民の父)という名前を、妻のサライにサラ(王女)という新しい名前を与えられました。
アブラハムは、イシュマエルをはじめ家族内のすべての男と共に割礼を受けて契約を成立させます。けれども、全能の神の御前にひれ伏しながら笑顔を見せるアブラハムの心中には、なお不信仰な冷笑とつぶやきがあったことを聖書は明記しています。
『アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか。」』創世記17:17
これが、旧約聖書が語っている等身大の信仰の父、アブラハムです。しかし私たちが見上げている同じ全能の神は、そのような私たちを信仰の成人へと育て上げることの出来る全能の神です。
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聖書箇所:創世記16章1ー16節
そこで、彼女は自分に語りかけられた主の名を「あなたはエル・ロイ。」と呼んだ。それは、「ご覧になる方のうしろを私が見て、なおもここにいるとは。」と彼女が言ったからである。創世記16:13
アブラム夫婦は、神の約束を信じて旅を続けます。しかし困難な状況の中、再び神を信じきれない弱さが表に出てきます。しかし愛の眼差しをもって、すべてをご覧になる神が、いつでも共におられます。
信仰生活における問題は、神の約束を信じきれない弱さです。約束が与えられていて、そのために祈っているがなかなか答えられない。祈っていても困難な状況が生じてくる。いくら神でもこの状況で約束が現実のものになるとはとても信じられない。信仰の父アブラムにも、何度もそういう時がありました。
かつてアブラムは、不信仰から自分の命だけを守ろうとして大失敗を犯しました。この度は、不信仰から人間的な小細工によって神の約束を成就させようと試みたのです。危機的な状況の中、神の約束を信じきれないアブラムの弱さが、再び家族を一触即発の危険へと導きます。
アブラムを多くの国民の父として選んだ主なる神は、そのような時に、力強い御手をもって介入し、問題を解決してくださる方です。人間的な小細工によってどうしようもなくこじれていく関係の中でも、主は祝福を与え、問題を解決してくださいます。アブラム夫婦が不信仰でも、主はいつも真実と忍耐をもって、一人一人の家族を細やかに導かれるのです。
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聖書箇所:創世記15章1ー21節
そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。創世記15:5-6
私たちを養育するために、主なる神がお用いになる事の一つ。それは、「時間をかけて約束を出来事に至らせる」ということです。
待つという長い時の中、恐れるアブラムを主なる神がご覧になった時、主は幻のうちにアブラムに臨み、力強いみことばをもってアブラムを励まされました。その時アブラムは、率直に不安や不信の思いを主に打ち明けました。
星空の下をアブラムと共に散歩しながら、主は「見上げること」をアブラムに促します。見上げた先からアブラムの目に飛び込んできたもの。それは星屑(スターダスト)でした。天の川をはじめとする、数え切れない星たちが、天には静かに瞬いていたのでした。その壮大なビジョンの中、上記のような約束のことばが語られ、アブラムは主を信じ、主はそれを彼の義と認められたのでした。
信仰義認。信仰によって義と認められるという教えは、16世紀に宗教改革者たちが再発見した真理ですが、ここにはっきりと記されています。
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聖書箇所:創世記14章1ー24節
彼はアブラムを祝福して言った。「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。創世記14:19-20
教会は、地上を旅する神の民である以上、蚊帳の外で生きることはできません。悪が現実に存在する地上を旅する限り、艱難や戦争に巻き込まれます。
ソドムに住んでいた自分の親類、おいのロトたちが略奪されたという知らせを聞いた時、新しい勇気を授かったアブラムは、しもべたちを召集して悪に立ち向かいます。そしてアブラムは見事戦いに勝利し、ロトたちを救出したのでした。
その時、シャレムの王であり、いと高き神の祭司、メルキゼデクがアブラムに現れ、上記のような言葉をもってアブラムを祝福しました。アブラムは、神の恵みに応答して、感謝とともにすべての物の十分の一をメルキゼデクに献げました。
ソドムの王は高慢な態度をもってアブラムを迎えましたが、アブラムは風格高き態度をもってソドムの王に応じました。
新しい勇気と風格を与えてくださるアブラハムの神に、賛美と感謝を心から献げましょう。
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聖書箇所:創世記13章1ー18節
そこは彼が最初に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは、主の御名によって祈った。創世記13:4
私たちの対応によって、「危機」は「危険」にも「機会」にもなり得ます。「試み」は、「つまずきの石」にも「踏み台」にもなり得るのです。
アブラムは「危機」の時、主なる神に身を避けることをせず、エジプトに身を避けました。それは、「祭壇を築いて神に祈る日常」から離れていたアブラムが犯した、致命的誤りでした。その結果アブラムは恐れに囚われ、旅の仲間である家族親族を「危険」へと導いてしまったのでした。
もしもアブラムが「危機」の時、主なる神に身を避けていたなら、つまり、ネゲブの地でも祭壇を築き、主なる神を信頼し、天を見上げ、主の指示を仰いでいたら、どうだったでしょうか。旅の仲間と一緒に神の栄光を見る「機会」が与えられたことでしょう。
「祭壇を築いて神に祈る日常」こそ、キリスト者の生命線であり、「危機」を「機会」とするための最大の備えです。静まって聖書のみことばに耳を傾けること、天を見上げて祈り叫ぶこと、人生の主導権を神に明け渡すこと、自分自身を神にゆだねて祭壇に献げることが私たちの日常となるように、主イエスの御名によって祈り求めましょう。
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